●ルクレーティウス著/樋口勝彦訳/「物の本質について」/岩波文庫
エピクロスの哲学が記された書だ。
アトモス(原子)のことなどが書かれている。
ただ、ものは原子と空隙でできていると言われても、面白くもない。
今の時代の人間にとって、そこに新しい知見があるわけではない。
特に暮らしに役立つわけでもない。
だけど、ボツボツ読んでいる。
どうしてだろうか。
思考の姿勢への関心からか。
エピクロスの哲学が記された書だ。
アトモス(原子)のことなどが書かれている。
ただ、ものは原子と空隙でできていると言われても、面白くもない。
今の時代の人間にとって、そこに新しい知見があるわけではない。
特に暮らしに役立つわけでもない。
だけど、ボツボツ読んでいる。
どうしてだろうか。
思考の姿勢への関心からか。
出雲の国の知り合いが、隠岐の岩牡蠣をおくってくれた。
包みを解き、殻を開け、汚れた軍手を慌てて外し、口に入れた。
最高だね。
岩牡蠣のシーズンだな。
ここのところ、オイスターバーに行ってないな。
包みを解き、殻を開け、汚れた軍手を慌てて外し、口に入れた。
最高だね。
岩牡蠣のシーズンだな。
ここのところ、オイスターバーに行ってないな。
●ルクレーティウス著/樋口勝彦訳/「物の本質について」/岩波文庫
第一巻449-482には次のようなことが記されている。
ものは、物質(原子)と空虚(空隙)の二つで成り立っている。
「事件(エーウエンツム)」は、この「二者から生じる結果」である。
第一巻449-482には次のようなことが記されている。
ものは、物質(原子)と空虚(空隙)の二つで成り立っている。
「事件(エーウエンツム)」は、この「二者から生じる結果」である。
●ルクレーティウス著/樋口勝彦訳/「物の本質について」/岩波文庫
第一巻418-448には次のようなことが記されている。
ものは、物質(原子)と空虚(空隙)の二つで成り立っていて、第三のものはない。
第一巻418-448には次のようなことが記されている。
ものは、物質(原子)と空虚(空隙)の二つで成り立っていて、第三のものはない。
エゴノキが梢に白い可憐な花をつけている。
樹木への関心をもつようになって、エゴノキの花にも気づくようになった。
その分、視野に愉しみをふやした。
樹木への関心をもつようになって、エゴノキの花にも気づくようになった。
その分、視野に愉しみをふやした。
できの悪い教師が、できの悪い生徒のことを非難していた。
その一方的な評価に、異論をとなえる情報を持ち合わせていない。
教師のできの悪さや狡さを知るだけに、信じがたいところが大きいが。
いずれにしろ、まっとうな教育にならないことは目に見えている。
生徒の可能性を潰すだけに終わることも予測される。
もどかしい。
いたましい。
おぞましい。
その一方的な評価に、異論をとなえる情報を持ち合わせていない。
教師のできの悪さや狡さを知るだけに、信じがたいところが大きいが。
いずれにしろ、まっとうな教育にならないことは目に見えている。
生徒の可能性を潰すだけに終わることも予測される。
もどかしい。
いたましい。
おぞましい。
●ルクレーティウス著/樋口勝彦訳/「物の本質について」/岩波文庫
第一巻398-417には次のようなことが記されている。
ここでは、知の探究には躊躇いを抱かず、怠惰に陥ることなく進もう、というようなことが書かれている。
第一巻398-417には次のようなことが記されている。
ここでは、知の探究には躊躇いを抱かず、怠惰に陥ることなく進もう、というようなことが書かれている。
地中海方面を原産とする長実雛罌粟(ナガミヒナゲシ)。
色褪せたオレンジ色のその花の名前を知ったのは数年前だ。
その頃のことだ。
事務所前の通りに咲いているのを見つけた。
たまたま道で一緒になった女性に、その花の名を告げた。
それだけのことだ。
彼女は、まるで関心がないようだった。
彼女は長年の知り合いだった。
俺が野の花のことなど言うとは、思いがけないことだったであろう。
自分自身、俺が野の花のことを言うなんて、かつて予測できないことだった。
色褪せたオレンジ色のその花の名前を知ったのは数年前だ。
その頃のことだ。
事務所前の通りに咲いているのを見つけた。
たまたま道で一緒になった女性に、その花の名を告げた。
それだけのことだ。
彼女は、まるで関心がないようだった。
彼女は長年の知り合いだった。
俺が野の花のことなど言うとは、思いがけないことだったであろう。
自分自身、俺が野の花のことを言うなんて、かつて予測できないことだった。
●ルクレーティウス著/樋口勝彦訳/「物の本質について」/岩波文庫
第一巻370-397にも、物の空隙のことが書いてある。
水のなかを魚が進むことにふれながら、「物体には空虚が混入していて、それによってすべてのものは、運動の最初の開始をすることが可能となる」と。
第一巻370-397にも、物の空隙のことが書いてある。
水のなかを魚が進むことにふれながら、「物体には空虚が混入していて、それによってすべてのものは、運動の最初の開始をすることが可能となる」と。