よかったね………

2007-10-31 | 【樹木】ETC
 住んでいるマンションのベランダに、ドングリが数個落ちていた。
 俺は、いい環境に暮らしているなと思った。
 妻が踏んづけたそうだ。
 ジャリジャリといったという。
 ここ数年、木々のことを思いながら暮らした。
 はじめは、もう少し木々の名前が分かるようになりたいということだった。
 それはいくらか達成された。
 よかった。よかった。

星・友人・秋晴れ

2007-10-28 | 【断想】ETC
 夜明け前、南東の空にとても明るく輝く星を見た。
 何という名前の星だろうと思いながら、もう一度寝た。
 夢を見た。
 理髪店で調髪してもらっていた。そこに、「やあ」と言って、亡くなった友人が現れ、隣の椅子にすわった。言葉をかわし、「お前は死んでしまったんだぞ」と言いかけて、そんなこと、こいつも分かっているのだろうと思って、やめた。
 だけど、気になって、そいつの名前を大きく呼びながら、躰に触ると冷たかった。
 夜が明けて、カーテンを開けると、秋の光が射し込んできた。部屋の奥まで。
 台風が行き過ぎ、上天気、秋晴れである。空気は少し冷たいが、窓を全開にした。

忘れがたき柿の葉寿司

2007-10-25 | 【樹木】ETC
 滋賀から奈良へ、職場が変わった人がいた。その人が、琵琶湖畔の事務所に、柿の葉寿司を持ってきてくれたことがあった。その時、心も腹も飢えていたということがあるかも知れない。とてもおいしくいただいた。そのことで、その人のことは、ずっと忘れないだろう。
 もっと大事そうなこと、どんどん忘れているのに。

こだかき丘に秋風ぞふく

2007-10-23 | 【樹木】ETC
 ベランダの椅子にすわって、コーヒーか酒を飲みながら一服。朝に夕に夜、いつものことである。
 向かいの丘を眺める。木々のなだらかな連なりを見る。その上の空を見る。先日の朝は、たなびく秋の薄雲が、淡いオレンジ色をして美しかった。欅の葉も陽のあたるてっぺん部分から色を変えだしてきた。
 風が吹くと、木楢が実を落とす音がする。
 源実朝の「金槐和歌集」から。
 「暮かゝる夕の空をながむればこだかき山に秋風ぞふく」

21世紀を「森の世紀」に

2007-10-23 | 読書
●森の力/矢部三雄著/講談社+α新書/平成14年9月20日発行/880円
 森や樹木への関心を高めるために好適な本のように感じた。読みやすく、かるい驚きをともなう知識が満載である。また、簡単な炭焼きのやり方がイラストで示されていたりして楽しい。わたしが、このブログで書いたようなことも随分載っている。この本の発行が5年前であるから、矢部氏の方が先である。関心の持ちどころに共通するところがあり、まいったなという気持ちである。前に同氏の「恵みの森癒しの木」を読んでいて、この本のあることも知っていた。もっと早く、手にしておけばよかったなと思う。
 矢部氏は、わたしより10歳くらい若いが、大学の林学科を出て、現在は林野庁の課長さんだ。わたしとは、おのずから、知識、体験の集積が違う。本当にまいった。
 この本の最末尾に「・・・・二一世紀を『森林の世紀』にすることができるかが人類生存の鍵となるに違いありません。」とある。この考えも同じである。
 仕事柄、どこかで顔を合わすこともあるかも知れないな。
 今は秋、ドングリを落とす木々たちの生存戦略、口の周りを真っ赤にしたリスのことなど、面白かった。これだけでは、何のことか分からないだろう。どうぞみなさん、読んでみてください。

トチ餅のなつかしい風味

2007-10-23 | 【樹木】ETC
 先般、トチ餅を食べたと書いた。その手作りのトチ餅を買ったのは、秩父線の秩父駅前の店である。すぐ近くに秩父神社がある。店の中には、お爺さん、お婆さんがいて、木の実の皮を剥いていた。作っているのは、トチ餅だけではない。代金は、店のお婆さんに払った。
 わたしは、「いずれにしろ、格別うまいというものではない。香りがいいわけでもない」と記した。矢部三雄著「森の力」(講談社+α新書)を読んでいたら、「鳥取県三朝町は、トチノキの多いところで、三徳山三佛寺という寺の門前の店には、お婆さんがつくった昔ながらのトチ餅が売られています。ほんのり甘みがあり、香ばしくてとてもおいしいですよ」とあった。なんだか、秩父のお婆さんに申し訳ないような複雑な気持ちである。ものは言いようである。
 秩父のトチ餅を「田舎風味、なつかしい香りがする。格別うまいとは言えないが、餅自体はそんなもの。いにしえを偲びつつ愉しむことができる」くらいに言ってもよかったかなと思う。
 また、矢部著には、トチ餅作りの労が記されていた。
 いずれにしろ、食べ物は感謝していただこう。

「メメント・モリ」

2007-10-19 | 【樹木】ETC
 「メメント・モリ=死を想え」と、ことさら己に言いきかせなくても、死が気になる年齢になってきたようだ。
 「つかの間に消え去りし
  つかの間に消え去りしは
  あかつきのかげにあらざるか
  ・・・・・・・・・・・・」
 室生犀星の「抒情小曲集」の中の「秋の日」のはじまり部分である。
 俺の束の間の命が消えてしまっても、そこいらの椎の木は、人に伐られでもしない限り、あるがまま生き続けることだろう。そして、俺の末裔が、その木を眺めることもあるだろう。そして、その木は、どんな日本人を見ることになるのだろうか。