ヨモギ(蓬)というと、春の野に生える草餅の材となる香り高い葉が思い浮かぶ。
小さい頃は、おいしい草餅を期待して、その葉を摘んだ。
秋、ヨモギがどうなっているかというと、背丈を伸ばし、たくましく生長して、花をつけている。
但し、その花、あくまで地味。
気にとめる人なんていないのでないだろうか。
それがヨモギと知る人も少ないと思う。
小さい頃は、おいしい草餅を期待して、その葉を摘んだ。
秋、ヨモギがどうなっているかというと、背丈を伸ばし、たくましく生長して、花をつけている。
但し、その花、あくまで地味。
気にとめる人なんていないのでないだろうか。
それがヨモギと知る人も少ないと思う。
シナノキ(科の木)のそばを通るたび、その葉がハート型であることを確かめたくなる。
それは、かつてなかった心の動きである。
シナノキの葉がハート型とものの本で知ってからである。
それは、かつてなかった心の動きである。
シナノキの葉がハート型とものの本で知ってからである。
メハジキ(目弾き)は、シソ科の野草。
紫の小さな花は唇形をしている。
その名は、子どもの遊びからきている。
茎を適度な長さに切って、目蓋にはさみ、強く閉じた拍子に、弾き飛ばすのである。
また、ヤクモソウ(益母草)という名をもつ。
開花期の全草を乾燥させ、産前産後の保健薬としたそうだ。
紫の小さな花は唇形をしている。
その名は、子どもの遊びからきている。
茎を適度な長さに切って、目蓋にはさみ、強く閉じた拍子に、弾き飛ばすのである。
また、ヤクモソウ(益母草)という名をもつ。
開花期の全草を乾燥させ、産前産後の保健薬としたそうだ。
ヒガンバナ(彼岸花)に、死、冥界を思い浮かべ、不吉さや穢れのようなものを感じるということのない人が増えている。
そういう感じを抱くのは、ひとつの文化である。
時代とともに変化しつつある文化である。
小さい頃、大人たちに、ヒガンバナのことをどのように教えてもらったかよく憶えているわけではない。ただ、その花を見ると、死して浮かばれない霊魂が、墓場の片隅にもえ出たという印象をもつのである。実際、ヒガンバナは、墓場でよく見かけた。おそらく私は、今後もヒガンバナを愛着をもってめでることはないだろう。
今は、そのような文化が受け継がれることが少なくなったといえる。
もし、先入観なしに、ヒガンバナの花を眺めることがあれば、その絶妙な造形に驚くというのが普通ではないだろうか。理性的には、そう思っている。
ヒガンバナは、実に多くの呼び名をもっている。
参考まで、手元の書籍に載っているものを記しておこう。
曼珠沙華(マンジュシャゲ)
死人花(シビトバナ)
幽霊花(ユウレイバナ)
地獄花(ジゴクバナ)
痺れ花(シビレバナ)
火事花(カジバナ)
狐の松明(キツネノタイマツ)
葉は花見ず、花は葉をみず(ハミズハナミズ)
相思華(ソウシカ)
秋の一日、埼玉県日高市の巾着田へ行った。
高麗川が蛇行し、オメガの形をなし、その形の内側が巾着田と呼ばれる場所である。
そこに、この季節、ヒガンバナが群生している。林のなかは、赤い絨毯が敷き詰められたようになっている。全国一の規模と言われ、ともかく凄い。
人出も多い。
写真は、その巾着田曼珠沙華公園で見かけた白いヒガンバナ。
そういう感じを抱くのは、ひとつの文化である。
時代とともに変化しつつある文化である。
小さい頃、大人たちに、ヒガンバナのことをどのように教えてもらったかよく憶えているわけではない。ただ、その花を見ると、死して浮かばれない霊魂が、墓場の片隅にもえ出たという印象をもつのである。実際、ヒガンバナは、墓場でよく見かけた。おそらく私は、今後もヒガンバナを愛着をもってめでることはないだろう。
今は、そのような文化が受け継がれることが少なくなったといえる。
もし、先入観なしに、ヒガンバナの花を眺めることがあれば、その絶妙な造形に驚くというのが普通ではないだろうか。理性的には、そう思っている。
ヒガンバナは、実に多くの呼び名をもっている。
参考まで、手元の書籍に載っているものを記しておこう。
曼珠沙華(マンジュシャゲ)
死人花(シビトバナ)
幽霊花(ユウレイバナ)
地獄花(ジゴクバナ)
痺れ花(シビレバナ)
火事花(カジバナ)
狐の松明(キツネノタイマツ)
葉は花見ず、花は葉をみず(ハミズハナミズ)
相思華(ソウシカ)
秋の一日、埼玉県日高市の巾着田へ行った。
高麗川が蛇行し、オメガの形をなし、その形の内側が巾着田と呼ばれる場所である。
そこに、この季節、ヒガンバナが群生している。林のなかは、赤い絨毯が敷き詰められたようになっている。全国一の規模と言われ、ともかく凄い。
人出も多い。
写真は、その巾着田曼珠沙華公園で見かけた白いヒガンバナ。
花びらに紅紫色の斑点。
それは、野草たる山杜鵑(ヤマホトトギス)。
胸に縞模様状の斑。
それは、野鳥たる杜鵑(ホトトギス)。
「斑」が結びついての名前であろう。
和歌をひとつ。
雨そそく花たちばなに風過ぎて山ほととぎす雲に鳴くなり(皇太后宮大夫俊成)
それは、野草たる山杜鵑(ヤマホトトギス)。
胸に縞模様状の斑。
それは、野鳥たる杜鵑(ホトトギス)。
「斑」が結びついての名前であろう。
和歌をひとつ。
雨そそく花たちばなに風過ぎて山ほととぎす雲に鳴くなり(皇太后宮大夫俊成)
なにゆえに、そのような姿に。
秋のひかりのなか。
彼岸花の赤い花が、絶妙な造形美をなしていた。
そのスクスク伸びた茎には、葉がない。
花だけが燃えている。
葉がないのは、地中の球根が養分をためているから。
葉が生えるのは、花のあと。
秋のひかりのなか。
彼岸花の赤い花が、絶妙な造形美をなしていた。
そのスクスク伸びた茎には、葉がない。
花だけが燃えている。
葉がないのは、地中の球根が養分をためているから。
葉が生えるのは、花のあと。