万葉から現代まで560首

2007-06-30 | 読書
【本の紹介】
●短歌博物誌/樋口覚著/文春新書/2007年4月20日発行/819円(税込み)
 およそ百種の生き物(鳥獣虫魚)ごとにまとめられた短歌のアンソロジー。「にんげん」の項もある。万葉から現代まで五百六十首が選ばれている。その歌の解説、その生き物が登場する古今東西の文芸作品のことも語られる。「蛸」ではロートレアモンまで。ともかく、著者の守備範囲は広い。読者は気のおもむくまま、好きなところを読んで愉しめばいい。ここのところ気懸かりな「蛇」のところには、「かぎりなく海蛇の来る岬にて神々の事語りはじめき」と前登志夫の作もある。

樹のうえのビリチス

2007-06-29 | 【樹木】ETC
 フランスの詩人ピエール・ルイスに「ビリチスの歌」という作品がある。散文詩と言っていいのだろう。ビリチスについては、「伝」があって、その冒頭部分を以下に写し載せる。引用は、鈴木信太郎訳譯の角川文庫。
 「ビリチスは、紀元前六世紀の初めの頃、パンフィリイの東部、メラス河畔の一山村に生れた。この邊は、鬱蒼たる森に蔽はれ、タウルスの巨大な山塊が聳え、幽邃なもの悲しい地方である。石灰質の泉は岩間から迸り、鹽分を含む大きな湖が山の高みに淀み、谷間は沈黙に滿たされてゐる。彼女は、ギリシャの男とフェニキアの女との間に生まれた娘であった。・・・・・・・」
 ともかく、まだ豊かな森があった時代であることが分かる。
 この詩集の第1部「パンフィリイの牧歌」の一番最初に出てくるのが、「樹」という題の詩である。このブログは、樹木のことを中心にしているので、紹介しておこうかと思った。

著物を脱いで 樹のぼりをした。裸の腿で、滑らかな 濕つた樹肌を 抱き締めた。サンダルが 枝から枝と渡つてゆく。
天邊で、木の葉がくれに暑さを避けて、木の股に 妾は馬乗り。両足を 宙に ぶらぶらさせながら。
雨はあがつた。雫が落ちて肌を流れる。両手は 苔の染みつき、足の指は 花踏みしだき 赤く染まった。
横なぐりの風が吹くとき、この美しい樹が生き生きと 生きてゐるのを 妾は感じた。 妾は脚をなほ締めつけて、枝の毛深い襟筋に脣をひらいて 押しあてた。

クヌギはゴツゴツ

2007-06-28 | 【樹木】ETC
クヌギ イチョウ         ゴツゴツ
マツ                カサカサ
トウカエデ            ボロボロ
アキニレ             ポロポロ
シマサルスベリ         ツルツル
スギ ヒノキ           ペラペラ
スズカケ             ハゲハゲ
シラカシ             コチコチ
ケヤキ エノキ         ザラザラ
クスノキ             モアモア
以上、樹皮のことでした。
俺は               スタスタ
どこへ行こうか。

「神皇正統記」購入

2007-06-28 | 読書
 先日、新宿駅西口広場で古本市をやっていて、北畠親房の「神皇正統記」を見つけ、購入した。大正7年2月4日発行、非売品と奥付にある有朋堂文庫。1200円だった。3月に、岩波文庫の「神皇正統記」をメモをとりつつ苦労して読んだ。それは、本屋で入手できず、図書館から借りたものだった。それで、手元に一冊欲しいと思っていたのだ。

白雲の木と館

2007-06-27 | 【樹木】ETC
 エゴノキ科のハクウンボク(白雲木)の葉は丸くて大きい。
 葉の縁に尖りがあったりしておもしろい。
 白雲(白い花)の季節はとおに去り、今は実をつけている。
 そういえば、金沢の郊外、湯涌に白雲樓という豪華なホテルがあった。かつて東洋一と言われた。小さい頃、その欧風の建物を幾度か眺めた。貴族の城館を思わせた。戦後、昭和天皇やマッカーサー元帥が泊まられたと聞いていた。国登録文化財にも指定されていたということだ。
 白雲樓を経営していた会社が倒産・・・・いろいろあって、1年くらい前に解体されてしまったそうだ。盛者必滅か。
 長じても金沢にいれば、泊まる機会もあったろうに。

バラ科のヘビイチゴ

2007-06-26 | 【断想】蛇
 ヘビイチゴを見かけると、そこらに蛇が潜んでいるような気がして、警戒したものだ。その実は無毒で食べられるそうだ。ただし、ぼそぼそして味がないらしい。いずれにしろ、口にするなどもってのほかだった。蛇の「復権」を言いつつ、蛇が嫌い、怖いのである。どうしてそうなったのか。いつか、よく考えてみたい。
 ヘビイチゴはバラ科の植物。桜もバラ科。

程久保川遊歩道にて

2007-06-25 | 【断想】ETC
 程久保川の両サイドが遊歩道になっている。
 多摩動物公園から、高幡交差点へかけての道を歩いた。
 片側は、土のままだ。
 今の季節、ほとんど草の上を歩くことになる。
 その道には、実に多くの木々が植えられている。
 六月下旬、花が目立つのは、樹上のネムノキの花、地のアジサイ。
 ネムノキの一本は、大きく川面のうえにも枝をひろげている。
 足をとどめて、花をつけた樹の姿をしばし眺めた。
 雨の中をハグロトンボがたよりなげに飛んでいた。
 草木にとまり、羽を閉じた。
 何かを諦めようとしている俺を感じる。

合歓の木の風情

2007-06-24 | 【樹木】ETC
 多摩動物公園のネムノキ(合歓の木)も花をつけていた。
 その可憐な花は、世間の風にまだ染まらない乙女のようでもある。
 ふさふさと刷毛のようにのびたそれは、実は雄蕊。
 雄蕊でわたしのうなじをくすぐったりしないでね。

街の緑をふやそう

2007-06-23 | 【樹木】ETC
 今まで幾度か日本の森林率の高さについて触れてきた。それは、日本人が作ってきたものであり、戦後、特に高めてきた。戦時中の乱伐で荒れた山を緑豊かにとせっせと植林してきたのである。今、日本の森林率は、67%といわれ、江戸時代よりもはるかに高い。世界のトップクラスである。
 しかし、狭い国土に1億3000万人もの人がひしめきあっているので、国民一人当たりの森林面積は、約600坪ということで、世界平均からみると、3分の1ということである。カナダの40分の1だそうだ。面積の規模が小さいのである。日本の森林面積は、世界の森林面積の0.6%でしかないということである。一応、心得ておいた方がいいのかなと思う。
戦争をして、国土を拡張するというわけにもいかない。人口の方は、減少するから、一人当たり面積というのは、変化することになるのだろう。
 いずれにしろ、日本は、街中の樹木をもっと増やすことはできるのかな、そうした方がいいだろうなということだ。

紫陽花の色はかわりて

2007-06-22 | 【樹木】ETC
 先日、東京も梅雨入り。梅雨の季節の花といえば、アジサイ(紫陽花)。アジサイは、ユキノシタ科アジサイ属の落葉低木と分類されている。草花でなく、樹木である。
 いわゆるアジサイというのは、ガクアジサイの園芸品種のひとつ。花弁のように発達した萼片が多くついて、こんもりとなったものである。この萼片とは、雄蕊や雌蕊が退化したあとのもので、装飾花と言われる。元のガクアジサイの方の「花」は、周りにチラホラという感じである。「花」の色が変わるので、七変化の異称がある。淡青、淡紫、淡桃・・・と、目を楽しませてくれる。土壌の酸性度が強いと青に、アルカリ度が強いと紅に。
 同じアジサイ属には、ヤマアジサイ(サワアジサイ)、タマアジサイ等がある。
 私の住む東京・多摩方面では、すぐ近くの高幡不動尊のアジサイが有名である。今頃は、見物客で混んでいるはずだ。また、関東では、鎌倉の明月院のアジサイが知られている。寺が「アジサイ寺」と呼ばれるくらいだ。
 その近くに住んでいた澁澤龍彦の「フローラ逍遥」に、次のようにある。
 「アジサイの花は、萎れてもそのまま放っておくと、いっかな地上に落ちず、かさかさに乾いて自然にドライフラワーになる。萼が緑色をおびて、アジサイの幽霊みたいな感じになる。私はそれが好きで、この天然ドライフラワーを鋏で切って、広口の瓶に投げこんでおくことがある」
 アジサイの花言葉は「移り気」とか「心変わり」。
 ともかく、「花色」の変化が注目される。美しさを保って変わるのはいいが、そうとばかりは言えない。やがて、枯れもする、醜くくもなる。しかし、澁澤龍彦のような楽しみ方をする人もいる。

ブナ科の樹木たち

2007-06-21 | 【樹木】ETC

 樹木に関心を持ち出して、5年くらい経ったろうか。樹木に関するガイドブックも何冊か持つようになった。そのなかで、一番よく手にするのは、山と渓谷社の「野山の樹木」(ヤマケイポケットガイド⑬、姉崎一馬著)だ。ハンディーで、しかも分類や木の特徴等の基礎知識がしっかりおさえられているように思う。そして、樹木が種類ごとにまとめられているのがいい。まとめ方は他にもあろうが、結局、種類ごとの方が、樹木に関する知識を頭のなかで整理しやすいようだ。
 この本には、日本の野山の代表的樹木が約220種、紹介されている。このうち果たして何種を見分けられるようになったろうか。
 確か、はじめに関心を持ったのは、身近なブナ科の樹木だった。私の住んでいるのは、武蔵野の丘陵であり、いわゆる雑木林を見ることが出来る。そこによく生えているのは、コナラやクヌギというブナ科の落葉樹である。子どもの頃を過ごした金沢の方は、常緑の照葉樹が多かったように思う。東京へ来て、冬に明るい林を見て、これが武蔵野の雑木林かと思ったものだ。そういう印象が強く残っているせいか、まず、ブナ科の樹木を見分けられるようになりたいと思った。ともかく、日本の野山の代表種でもある。
 「野山の樹木」に載っているブナ科の樹木は、以下の通りである。
 ブナ属     ブナ(シロブナ)     落葉
 コナラ属    ミズナラ(オオナラ)  落葉
          コナラ          落葉
           クヌギ            落葉
          カシワ          落葉
          ウバメガシ        常緑
          アカガシ         常緑
          ウラジロガシ       常緑
           アラカシ           常緑
           イチイガシ         常緑
  マテバシイ属 マテバシイ         常緑
 シイノキ属   スダジイ           常緑
 クリ属     クリ               落葉
 いずれも、ドングリ、シイノミというような堅果ができる。大雑把には、落葉樹と常緑樹に分けられ、常緑の方は、樫と椎と覚えればいい。樫には、落葉のものがあるようだが、本州にはないようである。ここには載っていないが、関東で、樫というとほとんどシラカシである。追加で覚えておいた方がいいかも知れない。
 樫の種による主な分布は、次のようである。
 関東地方  シラカシ
 東海地方  ウラジロガシ
 南紀・四国 ウバメガシ
 山陽地方  アラカシ
 四国・九州 アカガシ、イチイガシ
 椎では、もう一つ、ツブラジイ(コジイ)を覚えておいた方がいいかと思う。スダジイと同じシイノキ属で、総じて関東以西から南の方に多く、関東で一般的なのはスダジイ。ツブラジイの実は円ら。スダジイは長楕円形。
 以上、ブナ科の勉強でした。


黒檀ではなかったのか

2007-06-20 | 【断想】音楽
 いつも玄関で使っていた靴べらが割れ、新しいものを買いに行った。木製のものが、結構おいてあった。だが、木製のものは、総じていい値段をしている。結局、丈夫そうな真鍮だけで出来たものにした。
 そこに、黒檀の靴べらもあった。それで思い出した。ストラヴィンスキーの「エボニー・コンチェルト(Concerto for clarinet and jazz band)」。エボニー(ebony)とは、黒檀のこと。クラリネットという木管楽器が誕生した頃、黒檀が使われたという。そう言われているのだが、本当に黒檀なのかは、別途確認が必要なようだ。いずれにしろ、今は、別の材が使われているそうだ。
 「エボニー・コンチェルト」は、ストラヴィンスキーが、スイング・ジャズのビッグ・バンド・リーダーであるウディー・ハーマンに委嘱されて作曲した協奏曲。1945年の作である。初演は1946年。初演時のクラリネット奏者は、ベニー・グッドマン。
 ウディ・ハーマンのクラリネットで、氏のオーケストラによる1958年録音盤。
 ストラヴィンスキー指揮、ベニー・グッドマンのクラリネット、コロンビア・ジャズ・アンサンブルによる1965年録音盤。
 以上の2枚のCDをもっている。
(以上、以下に時間差)
 「エボニー・コンチェルト」を聴いた。ジャズの要素を取り入れていると言われるが、あくまでストラヴィンスキーの音楽。ストラヴィンスキーやバルトークに共通する重い雲がたれ込めたような、東欧の土着的なものが、色濃く出ている。二人とも、音がバーンと前面に出ると、力強さがあるのだが、少し押さえられると弱く、暗くなる。それも、いいのだが。
 ジャズとクラシックが、一部で一時期、混じり合う試みをした時代があった。ラヴェルの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」のBluesも久しぶりに聴いてみようかな。

熱帯雨林のここちよさ

2007-06-19 | 【断想】音楽
 久しぶりに、チャールズ・ミンガスの「クンビア&ジャズフュージョン」を聞いた。長らく、CDが見あたらず、聞けなかった。クラシックCDの間にはさまっているのを、先日見つけた。
 時折、モダン・ジャズの中で、樹木や森を感じさせる作品は何だろうかと思い、その時、思い浮かぶのが、ミンガスの「クンビア」だった。早速、聞いた。
 鳥たちの鳴き声で始まるその曲は、熱帯雨林を感じさせる。ミンガスがつくりだすリズムは、のびのびとして心地よく、愉しい。
 1977年の録音である。その時代は、ポスト・モダンで味気ない曲が多いが、ミンガスのは、モダン・ジャズのもつ勢いもあって、なつかしくもある。それは、現在進行形の勢いとは、違うのかも知れないが、一種、集大成的というか、音楽としての素晴らしさを感じさせる。
 みんな一緒に、ジャングルの散歩、狩りに出かけようかな。そんな、うきうきした気分にさせる。