モクゲンジの枯れ花

2007-08-31 | 【樹木】ETC
 富山空港を出て、富山駅方面へ向かう道路の並木に、日頃見かけない木があった。木の名前が表示されていて、「モクゲンジ」とあった。モクゲンジとエンジュが交互に植えられた並木だった。
 図鑑を見ると、花は黄色とある。その黄色い花の季節が終わったようで、赤黒いオレンジ色のように変色していた。それが、木の上部からその周りについていて、目を引いた。
 モクゲンジは中国や朝鮮半島に分布していて、日本のは、もともと自生していたものかどうか分からないと解説にあった。日本では本州に分布しているようで、その本州には、(日本海側、宮城県、長野県)と括弧がついていた。
 その分布に人為的なものを感じる。東京では見かけない。わたしが気づかないだけなのか。

イチジク属の生命

2007-08-30 | 【樹木】ETC
 イチジクと同じクワ科イチジク(フィカス)属に、ガジュマルやベンガルボダイジュ(バンヤンジュ)がある。もうかなり前だが、当時勤務していた事務所に、ガジュマルの鉢植えがあった。誰かに観葉植物としてもらったものだった。わたしの背丈くらいあったろうか、なんだか気に入っていた。気根もおもしろかった。
 1ヶ月以上だったか、事務所を空けることがあった。葉を枯らし、落としていた。それで、ひとつの区切りと捨てた。だけど、枯死したわけではなかったのでないかと、今になって思う。水をやり、根気よく待てば、また新しい葉をつけたのではないかと。
 同属のバンヤンジュの写真を見て、凄いなと思ったことがある。枝から気根を下ろし、それが根を張りどんどん広がっているのである。いったいどれが、元の幹なのか分からない様相を呈している。カルカッタの植物園には、直径300メートルほどの林のようになったものがあるという。
 辻井達一の「続・日本の樹木」(中公新書)には、バンヤンジュについて、次のような記述がある。
 「それはいわば無限の象徴で、インドでは長命と豊饒を意味するという。生命力は強くて、たとえばカンボジアのアンコール遺跡にあるタ・プローム寺院は、ジャングル・テンプルの名で呼ばれるようにこの木にすっかり呑み込まれている。それは『木に喰われた寺院』である」
 なんとも、異次元に運ばれるかのような思いになる。

無花果の粒々は花

2007-08-30 | 【樹木】ETC
 5歳の頃、階段を転げ落ちて、階下のガラス戸に足を突っ込んだことがある。くるぶしの上あたりから上へ、ふくらはぎが切れて、パックリ口を開けた。ガラスの破片がないかのぞき込むと、そこは、赤くて粒々していた。まるでイチジクの実の中のように見えた。
 アラビア半島原産と言われるイチジクは、無花果と書かれるが、花がないわけではない。あの実自体が花序が変化したものであり、なかの粒々が花である。どうして受粉するのかということになるが、それにはそれの虫がいる。

常緑落葉ないまぜで

2007-08-29 | 【樹木】ETC
 植生は気候要因に支配される。気候要因というとき、温度要因と乾湿度要因の二つが植生の分布を決めることになる。
 日本は乾湿度要因からは、すべて湿潤気候帯にあるということである。気候帯には、湿潤気候帯の他に、準湿潤、半乾燥、乾燥、過乾燥と区分されている。
 温度要因からは、暑い方から熱帯、亜熱帯、暖温帯、冷温帯、亜寒帯、寒帯、極帯と区分されているが、日本は亜熱帯から亜寒帯のあいだということである。
 湿潤気候帯にあって温度区分により、日本の植生分布は、以下のようになる。
 亜熱帯:亜熱帯広葉樹林帯
 暖温帯:常緑広葉樹林帯(照葉樹林帯)
 冷温帯:落葉広葉樹林帯(夏緑樹林帯)
 亜寒帯:常緑針葉樹林帯
 以上は、水平分布によるものであるが、実際は、これに垂直分布の要因が加わる。低地から高地へ行けば、気温は下がる。垂直分布を決めるのは、だいたいのところ温度要因という。
 わたしの住む多摩丘陵あたりは暖温帯で照葉樹林帯に属するということであろう。ただ、暖温帯といっても、実際は、極相としての照葉樹林帯になっているというわけではない。シイやカシという常緑樹、ニレ科のケヤキ、ブナ科のコナラやクヌギヤクリ、それにシデという落葉樹、常緑針葉ではスギ、ヒノキをよく見かける。いろいろないまぜである。武蔵野の雑木林というとき、その中心は、コナラである。
 同じブナ科でも、冷温帯・山地に生えるシロブナは、ほとんど見かけることはない。立山・黒部アルペンルートを通って、ブナの林や高山植物を見て、日本の植生のことが、少し気になった次第だ。

立山室堂の稚児車

2007-08-28 | 【樹木】ETC
 天候にめぐまれた一日、立山室堂を歩いた。標高2400メートルあたりである。ガイドをして下さったのは、佐伯克美さん。立山開山の祖といわれる佐伯有若・有頼の末裔である佐伯郁夫氏の夫人であった。ご自身、その世界で名だたる方である。
 高山植物の紹介・解説もいただいた。「これだけは、おぼえておくといい」と言われたのが、チングルマ(稚児車)である。淡い紅色をした花とも見えるフワフワした羽毛状の花柱が、夏の陽をうけていた。花後の実であると説明してくださった。
 地べたに群れていて、草本の類に見えるが、バラ科の木であるということである。落葉性の小低木。1ミリのびるのにのに、10年ということである。緑の葉を手ですくうようにして、その下の幹を見ると、茶褐色をしていて、木であることを実感させた。
 台形状の立山が、すぐそこに眺められた。剣岳もくっきりと雄姿を見せていた。

ブナの林を眺める

2007-08-27 | 【樹木】ETC
 以前、このブログでブナ科の樹木を属ごとに分けて記したことがある(平成19年6月21日)。わたしの住む多摩では、コナラ属の木は周りに見かけるが、ブナ属はほとんど見かけない。本州で、ブナ林ができるのは、標高700~1500メートルくらいのところということである。立山・黒部に行って、ブナ林を眺められたのもよかったことのひとつだ。泊まったホテルの窓の外にも、シロブナの木があった。
 ホテルのベランダにひっくりかえっていたのは、アブラゼミでなく、羽根が透明な蝉であった。

這い松の葉を撫でる

2007-08-27 | 【樹木】ETC
 立山室堂で、チングルマは木であると教えてもらった。教えてもらわないと分からない。そのあたりで、一見して木であると分かるのは、ハイマツ(這い松)である。普段、低地に住んでいては見られない木である。マツ科の常緑低木。折角だから、その緑の針葉を撫でてきた。

奥山は神のすみどころ

2007-08-27 | 【樹木】ETC
 かつて、里山は人が行き来もするが、奥山・深山は神のすむ領域とされた。その境界には、標もあったりして、境界の内と外では、話す言葉も変えられたりした。
 立山は、深山。かつて女人禁制でもあった。その掟を破った尼が、神の怒りにふれて、スギの木に変えられたという伝説をもつのが、美女平の大スギである。

高木の林をぬけて

2007-08-26 | 【樹木】ETC
 美女平から室堂への道は、ダケカンバやブナ、スギ、マツの林だった。日本の巨木100選にはいっている「立山スギ」もあった。バスでしばらく行くと、もう高木はなくなった。
 「巨木100選」とは、2000年に、林野庁がまとめたもの。確か、国有林の中から選んだ。

「エデンの園」の無花果

2007-08-24 | 【樹木】ETC
 「エデンの園」には、林檎の木はなかったかも知れないが、無花果の木はあった。
 「善悪の知識の木」の実を食べたアダムとイブは、「是において彼等の目倶に開けて彼等其裸體なるを知り乃ち無花果樹の葉を綴りて裳を作れり」(日本聖書協会・文語訳聖書)ということである。イチジクの葉で、パンツを作ったという次第だ。
 イチジクというと、ぽってり膨らんだ実、実をもいだときに出る白い樹液のことが思い浮かぶ。そこからの連想であるが、アダムの裳のなかには、実のようなもの、実のなかには白い液。
 イチジクの白い樹液にはかぶれはしないかという警戒心をもったものだが、食べることを厭いはしなかった。皮を剥いて、パクリと口にしたものだ。わたしの小さい頃は、イチジクは店先で買うものではなかった。季節となれば、そこらにあった。
 旧約聖書の時代、かの地で、人間の暮らしに多くの恵みをもたらしていた樹木は、葡萄やオリーブやイチジク等である。
 列王記上5章5節には、「ソロモンの在世中、ユダとイスラエルの人々は、ダンからベエル・シェバに至るまで、どこでもそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下で安らかに暮らした」(日本聖書協会・新共同訳)とある。
 イチジクの栽培を始めたのは、麦よりも古いとも聞く。食料にもなるし、パンツにもなるくらい身近で親しみ深い木であったわけだ。

落下するアブラゼミ

2007-08-23 | 【断想】ETC
 今年は、蝉が多いという。確かに、道を歩いて、ひっくり返っている蝉を見ない日はない。
 ベランダを掃除していた妻が、ひっくり返っていたアブラゼミを箒で掃いたら、急に羽根をばたつかせ、飛び立った。残っていた力を振りしぼったのであろう。空の高みへ、高みへと舞い上がっていった。方向感覚は失われていたようだ。蝉にとって、生きるには、空の高みにはなにもない。
 よくあんなに高いところまでと思って見ていた。黒い小さな点となったが、妙にはっきりいつまでも見えた。そして、力が尽きたようだった。弧を描いて落下していった。欅の木のずっと向こう側に。

夢さめやらず

2007-08-22 | 読書
●小さな博物誌/河合雅雄著/小学館文庫/2004年9月1日発行/838円
 読んでいて、気持ちが丸くふっくらしてくる本だ。著者の少年時代の自然との交わりが語られている。蝶や魚のハンターとして、満州馬の友として、ドキドキワクワクの胸の高鳴りが伝わってくる。うらやましく、また懐かしく、読者もまた、少年時代の友のことや、遊んだ野山のことを思い出すことであろう。
 後半は、「森の歳時記」と題され、春夏秋冬の森の移りかわり、動植物たちの命の息吹が書き留められている。まさに、散文詩である。単なる観察記ではない。生命体たる著者が天と地のなかで憩っているのである。
 以下に、その何とも魅力的な文を知ってもらうため、「森の歳時記」から、幾つかピックアップしてみた。
・(フクジュソウ)笛吹男に踊らされるあやつり人形のように、つい仕事を投げ出して雑木林に足を踏み入れてしまう。
・(マンサク)緑の葉をまとわず、花だけが咲き競う妖しくも狂おしい曼珠沙華なら、凋落の秋を迎えるいのちの焔といえようが、ものみなの生が甦る春に、裸形の花だけを見せるマンサクの奇妙な風趣ーそういえば、春の花木は桜、梅、桃と、こぞって裸身をさらして雲のように乱れ咲く。
・(ニホンカモシカ)青空を背景にくっきりと彫像された神々しいまでの“寒立ち”に、杣人は修験者の荘厳な風貌を見た。
・(イワナ)イタヤカエデの翡翠を溶かしこんだような嫩葉が、重なり合ってつくる複雑な幾何模様が映った空を、岩魚はじいっと眺める。
・(ルリイトトンボ)瑠璃色の光の矢が、水草にとまった。
・(アシナガバチ)黒曜石のように硬く輝く目を通して、神経節を貫いた光子がホルモン系を作動させ、半年余りの長い眠りを目覚めさせる。
・(カエル)「ケッ、お前にゃわかるもんか。これはな、雌を抱くときの姿勢だ。・・・・・お前にゃ、こんな高貴な姿勢はとれっこないだろ」
・(ヤドリギ)冬の固化した澄明な青空に、枯木が彫りこんだ珊瑚模様が灰色の雲に消され、重苦しく淀んだ気圏を揺り動かして雪しまきが吹き荒れる。
・(アカゲラ)コツコツ幹を叩きながら登りつめれば無窮の大空、虚空をつついても音はなく、長い舌で陽をからめとって、乾いた声でカラケラケラ。

「エデンの園」の林檎

2007-08-22 | 【樹木】ETC
 「エデンの園」がどこにあったかは、はっきりとはしていないが、旧約聖書では、4つの川が流れ出すというか、その辺りということだ。いずれにしろ、チグリス・ユーフラテス川の方面ということである。
 その「エデンの園」には、果実のなる木が幾種もあったようだ。神が、食べることを禁じたのは、園の中央に生えている「善悪の知識の木」の実だけである。その果実は、林檎として語られ、記され、描かれることが多いが、聖書では、「木の実」としか言っていない。
 植物学者によれば、その方面に野生の林檎の木はなく、おそらくアンズの類であったろうということになる。イブが蛇の誘惑をうけている場面を描いている絵は多い。そこには、必ずしも林檎が描かれてはいない。そのうち、あれこれ、よく見てみたいと思う。