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中国の天安門事件から35年

2024-07-01 11:00:00 | 政治・社会
2024年6月28日 19時42分 中国人だった私は何も知らなかった…
 中国の「天安門事件」から35年。私のもう一つの祖国で何が起きたのか? 北京駐在の記者(高島浩 様)が迫った中国の今

 その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。
 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。

 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。

 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。
 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。
 (中国総局 高島浩)

日本人の祖母と中国人の両親【引用略します】

私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」
 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。
 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。
 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。
 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。
 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています

「知る必要はない」父のひと言【部分引用です】
 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。

 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。
 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」

遺族取材の担当に もう逃げない【部分引用です】
 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。
 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。
 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。
 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。
 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。

この後、『4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。』
『国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。』
『天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。』

 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。
そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。

【そして遺族グループの皆さんとの長文が続きます。】

天安門の叫び、今も【最後の記事です】
 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」
 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。

 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。

 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。

 おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。
 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。

 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。
 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。

 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。  
 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。  
 あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」


(中国総局 高島浩)