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ICT工夫

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生誕100年記念行事

2006-06-10 18:05:36 | 竹中英太郎記念館

明治39(1906)年12月18日に福岡県生まれ、ご存命であれば2006年12月18日に満100歳になられる訳です。
12月18日ということは、記念館の館長様から100年記念の企画についてお話を伺った時に確認できました。竹中英太郎について調べている時に、Wikipedia ですら間違えて12月8日と書かれている事に気付きました。先にご紹介した「襟裳屋」さんが「挿繪畫家 竹中英太郎」の中で誤り伝えられている竹中英太郎のさまざまな情報について綿密に検討されています。ご参照ください。

そして、『1988年4月8日、雪の新宿街頭でゆき倒れ、父は81歳の生涯を了える。』とご子息の竹中労さんがお書きになっています。この事は「Hugo Strikes Back!: 夢野久作と吾が父・英太郎」というページで紹介されていて知りました。

さて、生誕100年を記念するイベントが2つ企画されています。

1.竹中英太郎記念館の企画は9月からの予定ですが、誕生日を挟んで前後3か月ずつ、半年間になるかも知れません。

2.東京文京区の弥生、ちょうど東大本郷キャンパス東側の裏道沿いにある、弥生美術館 で9月30日~12月24日に「生誕百年記念 竹中英太郎展」が開催されます。

弥生美術館は過去にも竹中英太郎の展覧会が開催されているなどのご縁がある美術館です。
竹中英太郎・懐古展 1989年4月1日~6月28日
平成4(1992)年7月2日~9月27日の「江戸川乱歩の世界展」では、パンフレットの表紙に竹中英太郎の絵が使われています。それはもちろん江戸川乱歩作品の挿絵画家としての関係。

弥生美術館での展覧会と重なって甲府・湯村での生誕100年記念展が行われることになりますから、思いがけない相乗効果が出るかも知れません。記念展の期間が後期3か月まで予定されている意味も、ここにあるように思います。

この記事は、竹中英太郎記念館での記念展企画を引き続きお知らせする為の最初の記事です。


横溝正史と竹中英太郎

2006-05-09 01:57:45 | 竹中英太郎記念館

ちょっと口惜しいニュースが流れました。
YBSニュース(5月8日)ですが、
『金田一耕助シリーズで有名な作家・横溝正史の都内の書斎が、山梨市に移築されることになった。山梨市に移築されることになったのは、横溝正史が晩年まで執 筆に使っていた、世田谷区の住宅に隣接する離れの書斎。老朽化のため解体が決まっていたが、この話を聞いた都内で古書店を営む幡野武夫さんが、故郷の山梨 市に移築することを提案した。きょうは長男の亮一さんから、山梨市の中村市長に目録が手渡された。』

この話は過日も報じられていて、それがとうとう実現したということですね。

横溝正史は実は甲府の方が縁が深い、それは甲府市湯村にアトリエがあった竹中英太郎を世に出した「編集長」だったからです、と私は思っています。それ故にこのニュースを口惜しいという感覚で捉えました。

1920年(大正9年)創刊で1950年(昭和25年)まで続いた「新青年」という博文館が出版した雑誌がありました。その二代目編集長が横溝正史で、白井喬二に紹介されて博文館で挿絵を描いていた竹中は横溝正史に見いだされて「新青年」で江戸川乱歩の「陰獣」の挿絵を担当したのです。1928年(昭和3年)のことでした。

山梨市に移築される横溝正史の書斎には多くの資料もあると思います。竹中英太郎に関る未発見の資料がでてきたら、これはすごい事になります。

文化って一人がいくら活躍したって成熟するものでは無い、大勢の人々がその一人にひきつけられ坩堝のように熱を加え続けてかき回しているうちに、そこから発散するものが更に人々を引き寄せていくのだと思います。

江戸川乱歩の世界 は少年の頃に私が生息していた場所に縁があり、「新青年」 なんて知りませんでしたが、少年探偵団、怪人二十面相、明智小五郎、小林少年のシリーズは、楽しく読んだものです。

横溝正史は本は読まずに映画で見た方が多かったかも知れません。探してみると 横溝正史メモリアル なんてサイトもある、インターネットを使うようになっても、先へ先へと進むばかりで、昔の思い出を手繰ることはやってこなかったなぁと、改めて気が付いたところです。

今になってここ甲府でまた縁が復活した事に人の世の因縁というようなものを感じる今日この頃です。


2回目の訪問、戒厳令の夜

2006-05-05 16:32:23 | 竹中英太郎記念館

「映画の都・甲府」の記事を書きながら、竹中英太郎記念館への2度目の訪問の事を書きたくなりました。

2006年4月末に、今度は道に迷う事なく到着です。
記念館への詳細な道案内は 襟裳屋さんのサイトにある地図のページ をご覧になる事をお勧めします。地図上の緑色のマークをクリックすると、その場所の写真が見えるので、大変分かりやすい地図です。
このページがありますから、ICT甲府のホームページやブログでは簡単なご案内で済みます。

9月訪問から半年以上も過ぎているのに館長の金子 紫(ゆかり)様は覚えていてくださいました。その故にとてもアットホームな気持ちになった事は、こういう展示施設を訪ねて初めての経験です。

Takenaka060401 他のホームページでも紹介されていますが、個人宅(竹中英太郎画伯のアトリエ)が改装された記念館の内部はこじんまりして、落ち着いた照明が展示された絵画や書籍、雑誌類を照らしています。
1階は絵画が主に展示され、2階は2つのセクションに分かれていて、奥の部屋には挿絵原画が壁に、それが使われた雑誌などがガラスケースに納められています。

 
竹中英太郎記念館
階段を上がった部屋には画伯の写真も展示されているのですが、壁にかかった絵の中に映画、「戒厳令の夜」に使われた絵画があります。

この映画と絵画の経緯については、金子館長から直接お話を伺いながら拝見するのが一番最適です。


記念館の訪問

2006-04-28 22:00:00 | 竹中英太郎記念館

2006年が生誕100年になる竹中英太郎という画家をご存じですか。

以前、甲府駅前の山交百貨店催事場で開催された甲府古書祭り、その会場で初めて竹中画伯の画集を見ました。「百怪、我ガ腸ニ入ル」という題名の大判の画集です。その編者が「竹中 労」さん、私はむしろこのお名前の方に微かな記憶があり手に取りました。ぱらぱらと見ていくと子供の頃に読んだ探偵小説の挿絵のような、なんだか見覚えのある絵があります。

2004年4月10日、甲府市湯村に竹中画伯の記念館がご家族の手で開館するという新聞記事、そして、開館を伝えたいくつかのホームページを拝見して、この作品集の事を思い出しました。

湯村温泉街へ出かけてみたのですが、土地不案内の私はどうしても記念館を見つけることができず、そんなことが二三度ありました。

竹中英太郎記念館 2005-09-01

そして昨年秋、2005年9月に塩澤寺さんへ出かけた時に、今日こそは!という固い決意をしましたが、人影まばらな湯村の通りではラチが明かないと、あるホテルに入り、そのフロントでお訊ねしてやっとアクセスできる道を知ったのです。

最初の訪問は、こうして成功しました。館長の金子さまから色々とお話を伺いながら、展示変更中の2階まで拝見させていだきました。

2回目の訪問のことは次に書きます。
まずは、上記にリンクした「百怪、我ガ腸ニ入ル」のページから竹中英太郎画伯の事をお読みください。