ちょっと口惜しいニュースが流れました。
YBSニュース(5月8日)ですが、
『金田一耕助シリーズで有名な作家・横溝正史の都内の書斎が、山梨市に移築されることになった。山梨市に移築されることになったのは、横溝正史が晩年まで執
筆に使っていた、世田谷区の住宅に隣接する離れの書斎。老朽化のため解体が決まっていたが、この話を聞いた都内で古書店を営む幡野武夫さんが、故郷の山梨
市に移築することを提案した。きょうは長男の亮一さんから、山梨市の中村市長に目録が手渡された。』
この話は過日も報じられていて、それがとうとう実現したということですね。
横溝正史は実は甲府の方が縁が深い、それは甲府市湯村にアトリエがあった竹中英太郎を世に出した「編集長」だったからです、と私は思っています。それ故にこのニュースを口惜しいという感覚で捉えました。
1920年(大正9年)創刊で1950年(昭和25年)まで続いた「新青年」という博文館が出版した雑誌がありました。その二代目編集長が横溝正史で、白井喬二に紹介されて博文館で挿絵を描いていた竹中は横溝正史に見いだされて「新青年」で江戸川乱歩の「陰獣」の挿絵を担当したのです。1928年(昭和3年)のことでした。
山梨市に移築される横溝正史の書斎には多くの資料もあると思います。竹中英太郎に関る未発見の資料がでてきたら、これはすごい事になります。
文化って一人がいくら活躍したって成熟するものでは無い、大勢の人々がその一人にひきつけられ坩堝のように熱を加え続けてかき回しているうちに、そこから発散するものが更に人々を引き寄せていくのだと思います。
江戸川乱歩の世界 は少年の頃に私が生息していた場所に縁があり、「新青年」 なんて知りませんでしたが、少年探偵団、怪人二十面相、明智小五郎、小林少年のシリーズは、楽しく読んだものです。
横溝正史は本は読まずに映画で見た方が多かったかも知れません。探してみると 横溝正史メモリアル なんてサイトもある、インターネットを使うようになっても、先へ先へと進むばかりで、昔の思い出を手繰ることはやってこなかったなぁと、改めて気が付いたところです。
今になってここ甲府でまた縁が復活した事に人の世の因縁というようなものを感じる今日この頃です。
その後の各紙の記事を読むと、古書店さんが横溝家蔵書の鑑定に関っておられたようで、横溝正史が昔、日下部駅(今の山梨市駅)に降りた事があるという、たったそれだけのご縁から山梨市に働きかけられて山梨市への移築にまで事が運んだということですね。
文化ってそういうことに敏感な方々のパワーが育んでいくことを感じました。
山梨市の横溝正史書斎には、ファンの方々が押しかけるでしょう、古書店さんのもとには、
>全国の正史ファンから「いつになったら見学できるのか」という連絡が殺到しているという。(読売新聞 5月9日)
その方々が甲府市に竹中英太郎記念館があることが分かったら、それはすごい、是非とも寄ろうということにもなると思っています。(もちろん、既にご存じの横溝正史ファンの方も多いようですが)
そんな広報活動にアイシティ甲府も少しでもお役に立ちたいと策を考えております。
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