いぶろぐ

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姉のこと

2022-01-02 23:47:09 | 特選いぶたろう日記
楽しく和やかな年越しもあっという間。
新年3日からの「正月特訓」に合わせ、帰路につこうかというその直前のこと。
読んだ本を棚にしまおうとガラス戸を開けたところに、
一冊の古いアルバムが目の前にとん、と落ちて来た。
果たしてそれは、生まれてすぐに亡くなった姉の、
たった2年間の生涯を綴ったアルバムだった。

先天性の病気で、2年どころか1日でさえも危ういと言われていたのが、
奇跡的に小さな命を繋いだ姉。
小さな小さな身体に何度も大きな手術をして、
その都度父母は身を削られるような思いでいただろう。

僕に姉がいたことはもちろん知っていた。
わずかな間だけれど、僕は弟として一緒に過ごしてもいる。
でも、僕の知る姉は父母の話の中だけにいる、黒く縁取られた写真の赤ちゃんだ。
僕が生後9ヶ月の頃に亡くなったのだから無理もないけれど、
悲しいくらい記憶には残っていない。

少しでも姉のいた跡を、証を残そうとしたかのように、
父母は何度となく問わず語りに姉の話をしてくれた。
姉弟で収まった貴重な写真も残してくれた。

間違いなく僕には姉がいた。でも記憶にはない。
幼い頃はそれがとても不思議で仕方なかった。
お墓参りでも法要でも、もちろん厳粛な気持ちではいたけれど、
悲しいとか寂しいとかそういう感情は抱きようがなかった。
僕もあまりに幼かった。

でも、いまならわかる。
父母の気持ちが、痛いほどわかる。
姉の想いまでもが、わかる気がする。

アルバムにはあちらこちらに、
娘の延命をひたすらに願う父母の精一杯の笑顔と前向きなメッセージが綴られていて、
もう堪らなかった。
僕だったら、娘だったら。そう思わずにはいられない。
気がつくと不覚にも涙がこぼれた。

アルバムの最後は姉の遺影の前に母と座る僕と、痛々しいほどに真新しい仏壇の写真。
そこで終わっていた。
あとは巻末まで数ページ、何もない。
姉と僕の写真で埋め尽くされるはずだったページ。
姉は一冊のアルバムさえ埋められずに逝ってしまった。

初めての子供で、初めての孫で、どれほど辛かったろうかと思う。
その中で僕が生まれて来て、どれほど希望になっただろうか。
姉の「代わり」は誰にもできないけれど、赤ん坊は眩しいくらいの希望の塊だ。
僕がそこに一人いるだけで、深い悲しみの闇に飲みこまれそうな家の中を、
父母の心を、一筋の光で照らしていたのではなかったか。

本当に幸いなことに、ここまで僕の子供たちは大禍なく過ごせている。
きっと姉が見守ってくれているのだろうと思うことにする。
神も仏も信じない僕だけれど、家族や親族の想いは信じる。

本当に図ったように目の前に落ちて来たアルバム。
あんたもちょっと自分の身体をいたわんなさい、
もうパパなんだからね、あんた一人の体じゃないんだからね、
と姉に諭されたような気さえする。
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