いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

夏期講座が

2005-08-31 02:40:09 | my lyrics
終わった。長かった。
気がつくとなんと夏も終わりなのである。
なんともはや。あっけない。

Rebirthが終わってから怒濤の忙しさで、気がつけばじき9月だ。
朝から晩まで授業という、一種特殊な環境の中、考えないでいられたことが目を覚ます。
退屈が隙をうかがうような、つれない日常に戻ったとき、
きっと俺はこれからどこへ行くのだろう?という素朴な疑問が、
一抹の不安をつれてアタマをよぎるに違いない。
だけどそれには気づかないふりをして、目の前にあるものを大切にして、
結局、俺は俺でしかないしこれからも俺でありたいのだと、自答するしかないのだ。

それだけ。
それだけだ。

ほかに何が答えられようか?

バイク雑誌

2005-08-30 03:02:04 | ライダーへの道!
買って来ちゃった(笑)。
生まれて初めてだ。
コンビニでバイトしてた時は、
こんな雑誌買うやついんのかな~、バイクなんて本で見ててもしゃーないだろー、
なんて思っててさ、棚が狭かったから2~3日置いたら速攻で返品してたんだけど。
いまや深夜のコンビニを徘徊して、バイク雑誌が置いてないと品揃えが悪いなあ!と怒りをあらわにする客に。
人間って変わるのね(笑)。

いや~。それにしても面白いよ。バイク。
本気でハマって来ちゃってるね、これ。
しかも俺が欲しいと言ってたバイク、今一番の人気車みたい。
走り屋タイプの人には物足りないかもしれないけど、操縦面では性能的にとっても安定してるから、
初心者から玄人まで幅広い人にお勧めできるタイプだって書いてあった。
i-Macみたいなもんかなあ。
なんだか見る目があったみたいで、嬉しいじゃねえか。

てなわけで、今から読みふけります~。

しばらく

2005-08-28 00:27:16 | トラ、トラ、トラ。
バイクのことばかり考えていたら、タイガースが3連敗しちゃった。
これはいかん!と思って、今日は仕事の合間にちゃんと途中経過もチェック。
無事、勝ちました(笑)。
しかし勝ったはいいけど相手のピッチャー桑田でしょ。ちょっと気の毒。
そらもう、前日は工藤なわけだし。
投手の200勝は難しい時代になっちゃったからねえ。
しかしタイガースはいま、そんな同情してる場合じゃないのだ。

ていうか巨人が星野に触手を伸ばしたというのはホントなのかね。
見識を疑うね。
なんでもよそのもん引っ張ってくればいいってもんじゃねえだろ。
いい加減その認識から改めないと、どーにもなんないぞ。
星野もまさかとは思うけど、変な考え起こさないでくれよ~。
星野仙一からアンチ巨人をとったら何にも残らんぞ。

巨人戦の視聴率がどんどん下がってるらしいね。
でもさ、だからといって
「野球人気が低下している」なんて言うのは
短絡的に過ぎるんじゃないか?
現にパ・リーグの観客動員は右肩上がりだし。
テレビがつまんない巨人の試合しかやんないから、
誰も見ないんだって。
加えて地上波の中継はしがらみいっぱいで、
野球に関係ない色んなもん持ち込むし、
読売は明らかに巨人びいきの気分悪い実況するし、
そらあ、野球好きな人だって衛星いくわなあ。
ラジオだって複数の局で同じ巨人戦やるでしょ。
どーかしてるね。
人気が落ちたのは「野球」じゃなくて「巨人」でしょ。

話変わるけど今回のPRIDEは久々に楽しみだね。
ミルコ党の俺としては是非ともヒョードルを倒して復権してもらいたい。
シウバVSヒカルド・アローナ、ショーグンVSオーフレイム、
この辺も因縁いっぱいありそうで見応え十分。
吉田の試合も楽しみだしねえ。
あー、早く見たい。

…とか言いつつ、今日も教習所代とバイク代をどうやって捻出しようか、
あれこれやりくりにアタマを悩ませるのであった。



カワサキの

2005-08-26 23:06:40 | ライダーへの道!
バイクも結構いいのね~♪
ホンダの250CCクラスに俺の好きな感じのがあんまなくてさ。
色んなメーカーも見て回ってます。

しかし。
やはり昨日ここにあげたバイクが一番だ。
ぶっちぎり。超かっこいい。
「仮面ライダーみたい」という意見も多く寄せられましたが(笑)。
ずばり、それなんだってば。
俺の理想のバイクは仮面ライダーバイクなの!
しかもスカイライダーでな。しらねえか。

バイク乗りの方からも色々とメール頂いてます。
結構色んな人が見てるんだね、ここのブログ。びっくり(笑)。
で、もうひとつの方の「現場レポート」も続々と…(笑)。
これがもう大変刺激的といいますか、まあ、予想通りといえばそうなんだけど。
いやいや、多くは語るまい。うん。

あー、それにしてもバイク。

我、三十にして…

2005-08-25 23:59:12 | ライダーへの道!
論語に曰く。

子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。
[子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。 ]
【口語訳】先生がいわれた、「私は十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった」

ほっほう。言うもんだ。
ちなみに俺は十五で学問を捨て(笑)、
十九でかろうじて拾い直し、
二十で音楽に惑いましたね。

そして今年。
我、三十にして……走る!!!
そう、新たな趣味を見つけてしまいました。

ほんっとに突然のことで俺自身も不思議なんだけど。
今までな~んにも興味なかったんだけど。
先週くらいからなんだか夢中になってあれこれ調べたり勉強したりしています。
普通はこれにのめり込み始めるのは十代だよね。

バイクなんです。
もう中学生か高校生のように顔を紅潮させて憧れております。

最近、クルマでの移動に限界を感じててさ。
どこ行くにも渋滞だし、どこ行っても駐車場ないし、あってもバカ高いでしょう。
日々の通勤・移動に原付でも買おうかな?と思って、
ホームページを色々調べ始めたのがきっかけ。
原付なら安いし、二輪免許とらなくてもいいし…って探してたんだけど、
バイクって、でっかい方が色々カッコいいのあるでしょ?
んで、あれこれ見てたらだんだん本気で憧れて来ちゃってさ。
三十にして初めてバイクのかっこよさをマジで実感しました。

…となったら早いよ~、俺は(笑)。

先日バイクショップに行って、画像の見た目だけでチェックしてった数台の、実物を拝みに行ってきました。
そして店員に色々説明して貰って、パンフを山盛り抱えて帰ってきたのね。
さらに元白バイ隊員でバイク大好きの伯父にも電話で相談。
さらに塾の室長も大のバイク好きなので相談。
あとは古い友達でバイクのレースやってるのがいるから、
ヤツにもいろいろ相談しようと思ってんだよね。

まーともかく俺は形から入るからさ。
素人の憧れであれがかっこいい、これが素晴らしいと言うわけでしょ。
それを耳目の肥えた人々に聴いて貰って、
素人目には気づかないところを指摘して教えて頂こうかな~と。

でも、肝心の免許がないんだよね(笑)。
しかし!俺は決断したのだ!
二輪免許、本日申し込み予約済みです。9月から通うのさ。
夏の給料が今日出たんだけど、これがすんげーんですよ。
休みナシで朝から晩まで頑張ったからねえ。嬉しいやねえ。
これでぽ~んと払っちゃいます。

1週間前には予想だにしなかったこの展開。
いやあ、人間やっぱし趣味がないとダメね。
Rebirth終わってしばらく仕事ばっかやってたけど、
仕事もまあ半分趣味みたいなところあるから楽しいんだけど、
なんていうか、ワクワクできるじゃんね、こういうのはさ。
毎日バイクのことばっか考えてます。
バイク好きの人って結構いるもんで、しかもすんごい嬉しそうに話してくれるから俺も楽しくてさ。
ちなみに、今日の写真は俺のいま一番お気に入りのバイク、ホンダの「CB400 スーパーボルドール」です。
75万です。遠いなぁ…。

そんな中。
今日の台風の帰り道、大雨と強風をものともせずに帰ってきた俺の愛車。
こういう時にはクルマって最強だなあ~と実感。
決意が鈍るからやめてくれ~。

そんなわけで。

バイクのことに詳しい人、いい店知ってる人、なんか安く手に入るコネのある人、
ご連絡お待ちしております(笑)。

あ、そーだ。
そういや今日は例のライブの日じゃないか。
ぶっちゃけ、どーだったんでしょ?
見に行った人がいたら教えてくださいな、それも。
ここに書きにくい内容だったらメールでもいいよ(笑)。

今日のお答え

2005-08-23 01:09:34 | せんせいとよばれて
小4社会で「公害」を扱った。
子供たちの興味の向くモノというのはいつの時代も普遍的で、
「宇宙」「心霊現象」「人体」「毒物」などはもう大人気メニューだ。
今回も「水俣病」「イタイイタイ病(これは名前で相当インパクトがある)」などについて、
企業の論理というモノが如何に非人間的なモノであるか、
また当時の行政がいかに被害者に冷たかったか、
また公害病そのものが如何にすさまじいモノであったかをたっぷりと説明。
子供たちはややおびえながらも、純粋な正義心をふるわせて、怒りをあらわにするのであった。

とまあ、結果としては非常に良い授業になったんだけども。

息「はい、では四大公害病というものを知っていますか?」
Tくん「あ、聞いたことある…」
息「お?すげーじゃん、言ってみな」
Tくん「ガンと…脳卒中と…(真顔)」

それは「三大成人病」なのでは…。

いやー、笑った。
しかしそんなことよく知ってるよなあ。小4で。

しつこく暑いねえ…

2005-08-21 01:46:16 | いぶたろう日記クラシック
ここ最近、久しぶりに外出時に電車を使っている。
最近ずーっとクルマで出てたから、なんだか新鮮だ。
というのは俺の家から塾までは、電車ーバスを乗り継がねばならず、
クルマで行くとその半分の時間で行けるのだ。
だがここんとこ家の都合でクルマがなく、電車ーバスを使ってるというわけ。
色んな発見があったよ。

その1。エネルギー保存の法則。
いつもは帰りの足が楽ちんなため、仕事をできるだけこなして帰るのだ。
仕事さえ終わらしちゃえばあとはすんなり家の前までいけるので、
それこそ、抜け殻のようになるまでやりきっても大丈夫。
ところが。
電車だバスだ歩きだ…になると通勤にも意外とエネルギー遣うのね。
その分のエネルギーも保存しておかないと、バテるのだ。

その2。書を捨てよ街へ出よう。
クルマという空間は出先から自宅まで完全個人パックだ。
その分気が楽といえばそうなのだが、外部から刺激を受けることがない。
電車やバスの中には、様々な人種がいて、ちょっと見聞きしているととんでもないことを話してたりする。
俺一人ではとうてい知り得ない世界観や歪んだ知識の宝庫だ。
それらに心の中でツッコむのもまた、楽し。
社会に触れているというのは煩わしくもあるけれど、大切だなと痛感。

その3。夏は暑い。
俺は暑さに特別弱いわけでもないけれど、汗のべたつきがホントーに苦手だ。
手なんかちょっとでもべたつくとすぐ洗いに行くし、
首筋や肩、額や顔のべたつきも耐えられん。
だから自宅ではいっつもクーラー全開。しかも寒いくらいの方がいいんだよね。
で、勤務先もクーラー完備で日中ほとんどその中にいるでしょ、
おまけに往復もクーラーきかせたクルマの中だ。
だからおおよそ夏の暑さというものを実感できる機会がなかったんだな。
外をずんずん歩いてみて思った。暑い!
夏はこんなに暑かったのか!
いや、暑いと言うより湿気が信じられん!!
もうところてんの中を泳いでいるかのようだ。
いや~~、俺やっぱり夏、キライだな…。
ロシアかどっか移住しようかな…。

もうちょっと耐えれば俺の一番好きな季節が来るねえ。秋。
10月とか11月、大好き。食い物もうまいしね。
あずきを連れてどっか山でも行こうかね。
こないだ田舎の浜松へ連れて行ったら大喜びで庭中走り回ってたしね。
いまは俺の後ろで俺の靴下くわえてます。

まあ、そんな空気の中

2005-08-13 02:07:24 | Rebirth歴史資料館
Rebirthの打ち上げ会に行ってきました。
出席者、おれ、シュンスケ、なおや。
笑えるよなあ(泣)。
「いや~、この3人でね、Rebirth7年間頑張ってきたわけですけども…」
なんてボケながら乾杯してきたよ。
スタッフは仕事で来られないようだったけども。
あとの人はどうしたんでしょうねえ。

前回の日記のラストについて、多くの方からコメントとメールを貰いました。
まずはリアクションをくれたことにお礼を言います。ありがとう。
こういうことって、大概、流しちゃうからね。
みんななりに感じたことを伝えてくれて、
俺だけの思いこみじゃないんだな、と安心できました。

まあとりあえず、整理しましょう。

俺はね、別に揉めることが目的じゃないんだ。
裁判がしたいのでもない。
ただ、黙ってられなかっただけなんだ。
それでも、黙っててくれればよかったのに、
知らなくて良かったこともあったのに、
そう感じる人も少なくないかもしれないね。
一部の人々の反発も、結局はそういうことなのかもしれない。
もしも今回のことでRebirthの思い出が傷ついた、
という人がいるならば率直にお詫びするよ。ごめんね。

けれど、俺としても大事にしていたRebirthというものがあってさ、
それを最後の場で踏みにじられた思いがあって、
俺がそう感じたということだけはどうしても言っておきたかったんだ。
俺と同じような気持ちを抱えていたファンというのも少なからずいて、
その人々のもやもやしたものも、やはり俺が晴らしたかった。
それで、場所も選んだつもり。
Rebirthのホームページでもない、彼らのホームページでもない、俺の場所だ。
しかもよく読んでくれれば解るとおり、
「否定はしないけど理解できない」と書いたはず。
俺には理解できなかったという、それだけの表明が、
「ネットでたたいた」ことになるのだろうか?
別に誰かのプライベートを暴いたわけでもないし。
何なんだろうね。

俺がRebirthをやってて不満だったのは、話題が少しでも否定的なものや、
特定の誰かの責任を問うものになると、
必ず誰かが(俺も含めて)拗ねてふてくされて、
あるいは意味のない言い訳をダラダラと重ねて、
曖昧に終わってしまう、それを許す空気になっていたこと。
次第にそういうマイナス面の話題は触れられなくなっていったんだ。
組織ってのはそうなると末期なんだよね。
口はばったいことこそ、コトバにして、はっきり伝えて、
改善していかなければならない。
けれど、俺もまたあまりに煙たがられるから、
最後はクチを閉ざしてしまったんだよね。

で、今回もまた、俺の発言の真意を汲み取るよりも先に、
拗ねてふてくされてしまったと、そういうことなんだな。
しかも今もって彼らから直接のコンタクトはない。
「会いたくない!」と突っぱねる。
「みんなが来ないなら…」と流れに任せて来なかった人もいる。
要するに、面倒くさいということなんだと思う。
もう過ぎたことだし、
また厄介なのが騒いでるけどもうバンドはないんだし関わりたくない、
そういうことなんだろうか。

シュンスケが事務所で管理している手紙やアンケート、
これも誰も見には来ないもんね。
俺とシュンスケは全部に目を通したけれど、
どの文面からもひしひしと伝わってくるものがあって、
Rebirthというバンドをやっていた幸せを噛みしめることができたよ。
でもこれも、
「過去は振り返らない」という美名の元に置き去りにされちゃうんだろうなあ。

まあ、仕方ないことだね。
Rebirthはいいバンドだったと思うよ。誇りに思ってる。
けれどそれを構成しているのは人間で、人間は変節する。
それだけのことだと思うようにしているよ。
俺はただ、納得のいかないことについては徹底的に考えたいというだけ。
うわべだけのキレイゴトで済ますつもりはないし、
最後だからといって何もかも曖昧に流してしまうのはプライドが許さない。
そういう俺が自由にものを考えて発言するのがここ、「いぶろぐ」なんだ。
Rebirthでの俺とは一線を画している。
俺なりにそういう区切りはつけているつもりだよ。

では、いくつか。

「ネットというのは怖いところです。
正直にご自分の思いをブログにぶつけられている
息吹さんが、私は少し心配になってしまいます。。。」
これもね、よく解るよ。優しい人なんだろうね。
だけど俺は自己責任でものを言っているつもりなんだ。
俺のここでの発言がどんな事態を呼ぼうと、
ひとつひとつ責任もって対処していくつもり。
一時の激情にかられて考えなしに書くつもりもないし、
一字一句よく考えて書いているよ。
心配してくれてありがとう。

「きちんと最後までオモテは綺麗に飾って下さいました。」
うん、表裏というか、Rebirthとしての形はきちっと完結させたつもり。
そこから先はRebirthに関するというか、俺の個人的な思惑だからね。

「あたしは、息吹さんのブログを見て、
息吹さんがどれだけRebirthというバンドを大切に思っていたのか感じた気がしました。」
そうとらえてくれると嬉しいね。
おそらく「彼ら」は、俺がまたイチャモンをつけている、
あるいはケンカをふっかけているとしか捉えてくれていないだろうからね。

「まず、ここは、息吹さんのブログだ。」
うん、そういうことだ。
まあ総じて、「冷たい」よね。
相手に決して否定的な言辞を使わない、
うわべだけのベタベタした付き合いは、俺は嫌だ。
俺は本当の友達ってのは時に痛烈な批判をも厭わないと信じている。
まあ、ここは価値観の違いだからしゃあないな。

俺の考えは至ってシンプルだよ。
俺の中でもRebirthは確かに終わってる。
けれど、Rebirthというものを心に残しておいてくれている人のことは、
いつまでも大切にしていたいと思ってる。それだけのこと。
最後のRebirth通信にも書いたとおり。

メールではこういう声も届いてる。
何通か似た内容のものがあったけど、代表して。

「今までは解散した、ということが悲しかったんですが。解散後は、解散後の皆さんに悲しくなります。
ラストライブのビラに、新バンドのサイトが書いてあったのも辛かったですし。
…私たちは、そんな簡単に切り替えられないから。次があるからいいってものじゃないんですよね。
私達はRebirthがすきで集まったんだから。私はRebirthは個人で見ても相変わらず皆さん好きです。
だけど、確かにラストライブから、自分の中で何かが変わったのも事実です。
できたら、ライブの後、ブログに全員のコメントが欲しかった。
一言でいいから、欲しかったんです。
どうして個人のブログや新しいバンドのブログには書けるのに、Rebirthのブログには書いてもらえないんだろうって思ったら、すごくすごく悲しくて。
個人の自由といったらそれまでですが、多分私と同じ思いをしてる人っていると思います。
非難するつもりもないし、怒るつもりもないけれど、『本当にそれでいいの?』って、
悲しい現状を見るたびにそう言いたくなります…」

同じ思いをしている人が少なくないことを思うと心が痛むね。
残念ながら俺にできるのはこの場で、できるだけ誠実に語ることだけだ。

ドイツの首相だったか大統領だったかが統一の時、戦後を総括してこう言った。
「過去に盲目たるものは、未来にも盲目なのです。刮目しなければなりません。」
そういうことだと、思う。

離婚して、ドロドロに苦労して、新たな相手を見つけて、
ようやく始めた新生活の中では、
未来に向かう希望だけと向かい合っていたいもの。
自分の意志に寄らない流れに翻弄され、
運命を呪うている子供たちが漏らす、
懐古や愚痴がうっとうしく感じることもあるだろう。
けれどそこから彼らの真意をくみ取って、
過去の反省を未来への約束に換えていかなければ、
遠からず同じ失敗を繰り返すことになるのだ。

この話、俺からはここまでかな。
あとはみんなの自由な感じ方に任せるよ。

俺にもやっと

2005-08-11 15:44:37 | Rebirth歴史資料館
夏休みが、来た。
志賀高原で4日から8日まで行われた合宿も無事終わり、
16日まで1週間の休みを得た。
バイトもバンドもなく、
1週間もの休みというのは10年ぶりくらいだろうか。
今のとこ極度に疲れていたので、
9,10日とそのほとんどを爆睡に充てて過ごしている。
「退散わんわん」以降、
余韻に浸るまもなく怒濤のようなスケジュールに見舞われ、
特に今年は塾の方で責任者的なポジションに着いてしまったため、
3週間休みナシ、しかも毎日3~4時間睡眠というジャパニーズビジネスマンな日々だった。
多眠主義の俺としては非常に厳しい毎日だったが、
それなりに充実感もあったかな。

バンドから塾というのは全くの畑違いのようでいて、実は共通点が多いのだ。
バンドをやりながら色々と考えていた理想や方法論がそのままあてはまる。
教室がステージ、生徒が観客に当たるのは言うまでもない。
音楽が勉強に、ライブが授業になっただけで、
いかに面白くわかりやすく伝えるかということに差はない。
難しい(そうにみえる)ものを得意げに語って、
自己満足を得るだけのライブが忌避されるように、
授業もまた教師の自己完結であってはならない。
芸術のベールをかぶっていない分、
その反応はよりシビアでダイレクトだ。

また、勉強はつまらない、
音楽は楽しいというのは一種の固定観念に過ぎない。
学校の音楽の授業がとても楽しいものであったという話もあまり聞かない。
音楽が好きだと言うどんな人であっても、
自分の好きでもないもの、
理解できないものを無理矢理聴かされたら苦痛にしかならないだろう。
勉強もまた、それがどんなに重要なものであっても、
自分の意に反するものである限り苦痛である。
ならばできるだけ面白く、知識欲をくすぐる形に持って行けないか。
俺が教育もひとつの「芸」だと言うのはこういうことだ。

やり方ひとつだと思うのだ。
人間という生き物は知識を得る歓びを知っている。
知識とは堅苦しいものに限らない。
生きていく上で耳目に触れるすべてが好奇心の対象になり、知識の源泉となる。
「トリビアの泉」が老若男女を問わず支持されているのはその現れであろう。
その「歓び」を覚えさせてやるような授業を提供するのが教師の役目だ。
それさえ教えてやれば、後はジャンルの違いこそあれ、誰でも勝手に勉強していくのだ。
それに気づかない教師のルーティンワークの犠牲になる形で、
いたずらに盲目的に努力を強制されるからみんなイヤになる。
勉強の持つ本質的な意味合いを啓蒙できない者に教師の資格はないのだが、
どうやらどこの学校にも「有資格者」は、ほんの数人いるかどうかのようだ。
まあ、何の疑問もなく言われるがままにお勉強を重ねて、
そこそこの成績を取って大人になり、
安定を求めて教師におなりになるケースが多いだろうから、
教師という職業に個性や人格を求めること自体無理があるのだけれど。

本当に優秀な人材は好んで教師なんかにならないことが多いからね。
俺は公立学校の教師というのは基本的に信頼できないしキライだな。今でも。
俺みたいに勉強ができることの歓びも哀しみも知り尽くしていて、
なおかつ低成績にあえぐことの苦しみも気楽さも実感として知っている、
そんな人間の方が向いているのかもしれない。
でも、あんましいないよな。
勉強は何のためにするのか、しないとどうなるのか、どうすれば面白くできるのか。
それらについて明確に答えられる人間はどのくらいいるのだろうか?
そのうち、説得力のある方法で子供たちに伝えられる人間は。

教師とはそれが職業的命題として与えられた存在だ。
しかし、ただの地方公務員の詰め所でしかない公立学校にはそれが期待できない。
塾の担う役割はもはや受験テクニック指導だけにとどまらなくなってきている。
バンドが音楽を演奏するだけの存在ではないのと同じかな。

バンド運営と塾は似ていると書いた。
ステージとなる教室の裏側に、運営という裏方の存在もまたある。
バンドの一本のライブの陰に、PAや照明や物販やメイクなど、
支えるスタッフたちがいるように、
一本の授業の裏には生徒情報の管理、ケア、宣伝、教室維持などの
地味で労力のいる仕事が多くある。
裏方の存在を忘れて、
ステージの上の自分たちだけですべてが成り立っているかのように思いこむバンドが多いように、
自分の腕一本で生徒を集めているかのように錯覚し、
裏方を一切顧みない者もいる。
よく似ているのだ、ほんとに色々と。

バンドは同じ音楽を繰り返す。素材としてはあまり変わり映えがしない。
奇抜なパフォーマンスやその人ならではのメッセージで人々を惹きつける。
そのためにはやる側にも相当の意識が必要だ。常に考え続けなければならない。
教師もまた毎年同じことを教える中で、
いま生徒の求めているものを明らかにし、与えていかなければならない。
これらをサボっていれば当然のことながら、あっという間に「動員」は落ちる。
カネのためにやっているという実感はほとんどない。
だからこそ、やりがいもあるし、
人生を切り売りしているような錯覚にとらわれることもない。
しかし、収入につながらなければ当然ながら続けていけない。
この辺の割り切り方も非常に似ているなあと思うのだ。

とはいっても、これはバンドマンすべてが実感できるものでもないだろう。
バンドは個性の発現のための手段のはずだが、
バンドやバンドを取り巻く人間には恐ろしいほど何も考えていない人間が多い。
いや、本人は考えているつもりになっている。
しかしだいたいがどこかからの受け売りや、
安っぽいシンプルな道徳観(ラブアンドピースだとか)のコピーで、
本人が悩んだ形跡がまるでない。だから説得力がない。

なのにやたらと語りたがる。
あまりにも中身がないので突っ込むと、理屈じゃないと言い出す。
ではなぜ、バンドをやるのに言い訳がいるのか。
何が後ろめたいのか。あるいは何も後ろめたくなどないのか。
俺には言い訳にしか聞こえないのだ。
本当は何も後ろめたくなどないのに、世の中が年齢やら常識やらを持ち出すから、
自虐的に自己防衛的に
「俺もいいトシしてこんなことやってて親不孝で…だけど夢はさ…辛いけど前向きにさ…」
なんて言ってみせる。
何も辛くはないはずなのに。好きなことやってるだけなんだから。

自分の人生なんだから親も社会も関係ないだろう。
そうはいかないというのならハナっからバンドなんかやるべきじゃないのだ。
中途半端なのだ。意識が。堂々としていればいいじゃないか。
「俺にはこれしかできないから、俺はこれが最高に楽しいから、やってます!」と。
とはいえ、そう言う奴のステージがその主張に値するほどのものかといえば、
そうではないことの方が多いのだけれども。
ここがまあ、現実の厳しいところだね。

バンドが一人ではやっていけないように、塾もまた一人ではやっていけない。
生徒の人気さえとっていればやっていけるというものでもない。
そこには確固とした裏付けとなるものがなければならない。
その点では、疑似恋愛すら取り込むことのできるバンド界に比べて、シビアだ。
だからこそ、ここで仕事を共にする人々には、
無責任ではすまされない重みがある。
これが俺にとっては非常に刺激になっているし、やりがいにもつながっている。

冗談みたいなところから話が動き出すのはバンドの最大の魅力だったが、
その分、誰も責任をとろうとしない致命的ないやらしさもあった。
挙げ句の果てに、無難なことしか言おうとしない、いざとなればクチをつむぐ、
そのくせ陰では言いたい放題こき下ろすという卑怯さもあった。
塾にはそれがないとは言わない。
人間の作る組織だ、大なり小なりいつかはそういう膿も出てくるだろう。
しかしそういう人間は間違いなく淘汰される。
その辺のシビアさが俺の求めていたものだったのかもしれないな、と思う。

さて。
少なくないファンの心中を代弁した形での、
ここでの俺の発言を見たある人々は、
「仲間をネットでたたいた」俺にはもう「会いたくない」んだそうです。
俺に会いたくないってんならそれはそれで結構だけども、
ファンに対しては素直に、自分の非を認めて謝ればいいじゃないか。
俺じゃなくてファンにだよ。
俺と付き合いを断つ程度のことで、納得できるのだろうか?
言い分があるのなら、堂々と、自分の主張を述べてみればいいんだ。
自分に自信があるのなら、な。
俺は、あるよ。俺は絶対に間違ったことは言ってない。

7/16のあとも、俺は確実に日々何かを自分にプラスして生きている。
「君ら」とは本質的に、違う。
10年後、勝負は自ずと明らかになるだろうから、今は笑って見ててやるよ。

今日の質問

2005-08-01 01:16:50 | せんせいとよばれて
「先生、おすぎとピーコって、どこが違うの?」   by中1Mくん


…子供の疑問というのは時に残酷なほど核心をついている。
そして大人はそれに答える術を持ち得ない。
しかし、俺はコドモだ。


「…大丈夫、同じだよ。」

人生は疑問の積み重ねだ。
強く生きるのだ。