いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

禍福はあざなえる縄のごとし、か。

2010-11-20 22:41:11 | 新・いぶたろう日記
僕は、「達観主義」だ。

「無感動」とは違う。
笑い、泣き、怒り、感情豊かに生きていきたいと思っている。
けれど、心が乱れたときには、それを整理する方法として、
最終的には何事も悲観にも楽観にも偏らず、
どういうことだって起こりうる、という覚悟の元に、
心のバランスをとりたいと思っている。

ただ、それが実際にできるか、できているかといえば、
なかなかそう理屈の通りにはいかないものだ。

今日のタイトルに挙げた言葉、これが僕は好きで、
国語の授業でもよく「塞翁が馬」のエピソードと共に教える。
生活の拠り所であるウマを失っても、
子供が重症を負っても平然としている(風を装っている?)翁の態度は、
見る人が見れば変人のそれかもしれない。
しかし、どんなに良さそうなときでも油断しない、
どんなに悪いときでも希望を失わない、
そういう強い生きる意志のようなものも感じさせる。
人間がどんな状況にあっても生き抜いていかなければならないとするなら、
支えになるのはこの言葉かもしれない、と思う。

今日も、僕はこの言葉を教えた。
そしてまたひとつ、僕に試練が訪れた。

祖父が亡くなった。

このことについて、僕はことさらに語る言葉を持てないでいる。

だが。
幼い頃からおじいちゃん・おばあちゃん子で、
休みの度に田舎へ行くことをせがむ子供だった僕にとって、
祖父母の存在はただただ大きく、とても辛いことだ。
そして僕は愚かしくも、
「いつまでも元気で生きていてくれる」
という錯覚にもとらわれていた。
いや、アタマでは解っていたはずなのに、現実に目をつむり、
自分に都合のいい幻想の中で、祖父母への不義理をごまかしていたのかもしれない。
これが本当に悔やまれる。

実際、僕は晩年の祖父に何ひとつしてあげられなかった。
いつも、甘えていただけだ。
そんな僕が寂しい、辛いといくら語ったところで、
どうしても身勝手なものを感じてしまう。
本当に辛いのはずっとそばにいた祖母であり、母であり、叔母であろう。
いま僕に出来ることは、彼女らを支えることだ。
でなければ、祖父に何ひとつ恩返しできないまま、ということにもなろう。
自分の来し方を振り返るだに、人に甘えてばかりの、
身勝手な人生だなと思えてイヤになるが、
少しずつ、ささやかにでも返していくしか、ない。

それにしても。
普段饒舌な人間に限って、こういうときに語るべき言葉を持ち合わせないものか。
「ご冥福」だなんて、語感に触れても文字を見ても、
自分の実感とはかけはなれた上滑りな感じがして、ぞっとしてしまう。
僕はただ、寂しい。
大きくて優しかった祖父に二度と会えないのが、寂しい。
焼かねばならぬのが、どうしようもなく、辛い。

やりたいねー

2010-11-15 04:41:27 | 新・いぶたろう日記
とは書いてみたものの。
アタマの中どピンクな、十代後半くらいの人が見たら誤解されそうなタイトルだな(笑)。

いや、ライブをね。

やりたいなーと思ってね。
こないだちょっと結婚式でやったけど、

ダメならダメであきらめつくんだけど、
ヘタに歌えちゃうもんでね。
気持ちよかったしさ、なんかやっぱりこっちの方がしっくり来るんだよね。

イイ授業やった、イイ仕事した、それもまあ達成感はあるんだけど、
ライブには換えられないよな(笑)。
今もってライブ以上の充足感を得たことがないよ。


いっそ、何もかも投げ出して戻っちゃおうかと思うこともある。
収入が3分の1くらいに戻っちゃうけど(笑)。
でもなー。
クチで言うのは簡単だけど、

・いまさらコンビニ夜勤に戻れるか?
・いまさらこの生活スタイル棄てられるか?
・いまさら狭い機材車であちこち行けるか?
・いまさら毎週深夜練とかできるか?
・てか、痩せれんのか?

という数々の壁が・・・(最後は何とかしろよ)。
人間、希望の職業で収入が得られないというのはツライものだね。
どうしてこう、評価してくれる人が少ないわけでもないのに、
僕の得意分野はお金につながらないのであろうか(笑)。

こないだちょこっとしたことで「こみちゃん」(Rebirthマネジャー)に電話したらね、
あちこちで「Rebirth見たいからメンバーに伝えてくれ」って言われるってさ、
それ、嬉しいよねえ。
需要があったら供給しなくちゃねえ。
僕が教えている中学社会では、
市場経済では需要が高いのに供給が少ないと価格は上昇すると教えているのだが、
別に価格にはなんら影響なさそうなあたりが、Rebirthのカネにならない所以だ(笑)。
あの手この手で資金を回収しようとする一時期の姿勢を商業ロックと自虐的に揶揄したことがあったが、
自分ながらなんと的を射た表現であったことか。
幸い、お金にそれほど不自由しなくて良くなった今、
僕のロックは失われてしまったのであろうか。

でもなあ。
犬も食わないロックより、ある程度生活の基盤もあった上で、
楽しんでくれる人々と楽しいライブをやるというのは、
別にそう悪い選択肢じゃないと思うんだよなあ。

がつがつしなくてイイし。
大人の娯楽というか、ね。

え?変わったなって?
いやいや、何も変わってないよ。

徹底して、正直なところはね(笑)。

尖閣

2010-11-10 01:47:46 | 新・いぶたろう日記
中国(政府)はですね、日本でも何でもああいう人っていませんか?と思うんだけど。
ああやって独善的な屁理屈と高飛車な姿勢で、自尊心や虚栄心を満たすしかない、
心の寂しく貧しい、嫌われ者。
人にたとえるとわかりやすいんだよね。

もっとも、僕は中国共産党政府については批判的だし、好きじゃないけれど、
このことで「中国人」をひと括りにして感情論を爆発させるのは好きじゃないんだよね。
いつか「中華人民共和国について」という記事で書いたとおり、
中国人と一口に言っても13億人以上いるわけだし、
いろんなヤツがいると思うよ。
充分に情報を与えられていない人もいれば、
衣食住に事欠いて良識なんて備えようもない人もいるだろうし、
金や情報があっても、当局の手前口をつぐむしかない人も多いでしょう。
反日デモとかって騒がれてるけど、13億人のうちの1000人かそこらでしょ。
日本で言ったら100人程度じゃないですか。
大したことじゃないですよ。

あんな酔いどれ船長とか、中共の木っ端役人とか、
あんなごく一部の醜悪な人間で、中国人全体を語ったら見誤るわな。
俺たちだって、あんなハトヤマとかその嫁さんとか、オザワとか、
あるいはいい年こいてAKBとかに夢中でペンライト振り回してるのとか、
オンラインゲームやり過ぎて現実との境目失ってるヤツとか、
ああいう連中だけ見て「日本人は…」とか言われたらイヤでしょ。
なんかね、心の狭い者同士で言い合うのは見苦しいわね。

それにしても民主党政権のふがいなさと、
マスメディア(最近は「マスゴミ」というそうだ)の偏向・身勝手ぶりが、
これでもかと言うほど暴かれていきますね。
自民党だったらうまくいったかと言えば決してそうではないけれど、
それしか選択肢がないところに日本民族の悲劇がある。
社民党の福島がビデオ見た後に飛ばしたすっとぼけたコメントも、
しょせんは「社会党」の残滓だな、と感じさせるものがあって趣深い。
YOU TUBE流出後のマスコミの慌てふためきようと言ったら、ない。
そのすっぱ抜かれた悔しさを意趣返しするかのように、
国家機密の漏洩だの何だの、むしろ国の片棒担いで犯人捜しや糾弾に余念がない。
いかに、自分たちに都合よく情報操作をしてきたか、いかに身勝手な機関であるか、
よーくわかる。
その意味でも、象徴的な事件ですね。


いじめと自殺とその痛み

2010-11-05 14:42:30 | 特選いぶたろう日記
桐生市で、小6の女の子がいじめを苦に自殺してしまった事件について。

桐生市小学生いじめ自殺事件(Wiki)

僕も小学校ではツライ目に遭わされた方だから、彼女の痛みはよくわかるよ。
「キタナイ」とか言われてね、
教室の片隅で、給食独りで食べさせられたとかってね、
どれほどツライか、傷つくか。
やられた人間じゃないとわからないもんね。

そして先生はそういうとき必ず知らんぷり。
命がけの抗議のあとも、学校はといえば
「知らなかった、把握出来なかった、自殺との因果関係は不明」。
教育者じゃなくてただの痴呆公務員だからね。
責任逃れしか考えられないでしょう。
迷惑だとすら思っていることでしょう。
「たかがいじめ」で、よりにもよってウチの学校で自殺なんかしやがって、なんてね。
本当に君の心の痛みを理解してくれる人があの学校にいたならば、
こんなことにはならなかったはずだものね。

君を面白がっていじめてた連中も、一生この十字架背負うでしょう。
その意味では少しは復讐出来たのかな。

でもね。
キレイゴトに聞こえたらゴメンなんだけども、
やっぱり死んだらおしまいですよ。
生きてこそ、花も実もある。
僕もあのとき、何度死のうと思ったかしれないけれど、
歯を食いしばって、意地でも蜘蛛の糸を登り切ってやると誓って、
そこから人生開けたからね。
いじめられて、傷つけられる心の痛みを知って、
その上で乗り越えることができたら、
いじめてた連中の何百倍も素敵な心優しい大人になれたかもしれないのにね。

しかしそれは、乗り越えられた側にいるからこそ言える、所詮は強者の論理なのかもしれないね。
君に何かを語ることができたとしても、すべては虚しく響くだけかもしれない。
ただただ、この絶望的に独りぼっちで、辛く苦しい日常から抜け出したかっただけなんだよね。
僕に言わせれば、君の両親ですら、本当の意味では解っていなかったんじゃないか。
いまになって被害者のような顔していくら騒いでも、八つ当たりにも見えてしまう。
本気で娘を救う気だったら、何でも手は打てたはずだよ。
すべては、後の祭りだけどね。

いじめは、いじめられた者にしか解らないよな。
どんなに小さな世界の出来事であっても、本人には地獄だ。
なのに、他人からはそうは見えない。
よくある話、でおしまい。
本当の意味でそれを乗り越えられる人は希有だ。
大人になってなお人格に陰を落としている人も多いもんね。

「よくあるニュース」なのかもしれないんだけど、どうも、引っかかったんだよね。
説明されるまでもなく、気持ちがよく解ったんだ。
解ったというか、埋もれていた昔の記憶や感覚が蘇った感じだね。

でもね、やっぱり死んだら終わり。
自殺なんかするよりも、無茶苦茶幸せになって見せつけてやった方が、
何億倍もいいリベンジだと、僕は信じるよ。
世界はとても広いもので、今いる環境はとても小さなもので、
何も命を絶たなくたって、ここじゃないこの世のどこかへ飛び出すだけで、
何もかもが劇的に変わることは、ある。
苦しいときこそ、どうやって生きていくかを考えるんだ。
それをせめて、僕の周囲の子供たちには、精一杯伝えてやりたいと思う。