いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

Rebirth

2018-08-29 17:57:40 | 超・いぶたろう日記
大人になってから、学生時代のような友人関係を築くのはなかなか難しい。
年齢相応に社会的な立場や関係性があったり、またそれぞれに家庭があったりすることで、
どうしてもそこには遠慮が生まれる。
それはそれで成熟した大人の付き合いとして一概に否定されるようなものでもないけれど、
やはり無遠慮に付き合える(年齢のウチに築かれた)人間関係というのは貴重だな、と思う。

バンドメンバーというのは面白いもんで、学生時代の同期のようなものでありながら、
同時に若い頃に一緒に起業した仕事仲間という側面も持っている。
だから学生時代のような付き合いのまま、留年しっぱなしのような空気感もあったし、
バンドの運営や方向性を巡ってそれこそ口角泡を飛ばしてやり合ったようなこともあった。
お互いの良いところも悪いところも熟知していて、何でも許し合えるような余裕もあるが、
逆にその分「いまの相手の状況や変化」に疎い面もあるかも知れない。

「昔こういうヤツだったから、いまもそうだろう」という思い込みは危うい面もある。
相手に勝手にそういう姿を期待して、勝手に残念がったり失望したり
(あるいは知らないうちに自分がガッカリされたり…)なんてこともあるかもしれない。
いつでもどこでも誰にでも自分を貫くには、相当なパワーとエナジーと、
そして「運」が要る。変わらずに居る方が難しいのだ。
本質の面では変わっていなくとも、
その表現の仕方や現実との折り合いの付け方は変わっていることもある…というか、
変わっていなければあまりに進歩がない。

そういった相手の微妙な変化もお互いに楽しみつつ味わいつつ、
さらに過去ばかりにこだわらず、新たな関係性に発展できたら
これ以上素晴らしい仲間もそうはない。
もしも彼らと出会ったのがいまの年齢だったら?と考えてもみる。
おそらくはいまのような濃い関係を築くのは難しいだろう。
その年齢、その状況、その時代でなければできない関係性というものがある。
仲間と呼べる存在はいままでに自分が生きてきた時間=人生の、証左であり財産でもある。

いつまでも昔のままではいられない、というのはとても寂しいことだけれど、
何も不可逆な過去にノスタルジックにしがみついていることはない。
変わらないようで変わっている、変わっているようで変わっていない。
彼らと会うことで味わえるのはそんな刺激と安心感。
共に変化し、共に老い、嬉しいことや愉しいことばかりでなく、
辛いことや悲しいこと、寂しさまでをも共有できる友がいるということは、
何ものにも換えがたい幸せなことだ。

また、いまの彼らと一緒に音を出すということが、
どうにもこうにも味わい深いじゃないか。
愉しみでしょうがない。
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心を搾り取る

2018-08-25 02:00:36 | 超・いぶたろう日記
若い頃、僕はたくさんの歌を書いた。

自分の心を搾り取るようにして書いた歌詞はどれも「巧く人に見せること」よりも、
当時の自分なりに「本当に思っていること」にこだわっていたから、
それが「売り物としての評価」から外れてしまうこともよくあった。

若い頃の僕の、当然ながら身勝手で甘酸っぱくもある思索の数々を赤裸々に綴った歌詞は、
年齢を重ねたいま振り返ると、さすがに多少は気恥ずかしい。
が、そんなに売れたわけでもないし、と割り切って、
昔書いた作文や手紙のように「自分史」の中の1ページとして胸に収めている。

でも、しがないインディーズとはいえ、さすがに7年もやってると、
各地でかなりの数ライブもやってるし、相当数の音源を売っても来たから、
割と少なくない数の人の手に渡っていたりする。
そのほとんどは、いまもう会うこともない不特定多数の人々の元で死蔵されているか、
棄てられたか売られたかだろうから、普段はあまり意識することがない。
でもたまーに、いまでも大事に聴いてくれているという人の声に触れる機会がある。
実感できる範囲では僕の友人たちにも、気に入ってもらえた曲があったりして、
決してセルフなだけのものではなくなっている。

すると、創り手の意図を離れたところで聴き手の自由な解釈に委ねられ、
その人の人生でちょっとした出来事があったときに、
僕の歌詞の描く心象風景とふんわり重なって、思い出してもらえることがあるのかな、と思う。
誰かの思い出の背景を飾る色の一つにでもなれているのかもしれない。
そう思っただけで嬉しくなるし、そう伝えてもらえることは僕にとってこの上なく光栄なことだ。

音楽で食っていこうと思うなら、どんどん書いて、どんどんボツになって、
それでもめげずに書きまくって…というのが普通だろう。
なのに僕は一曲一曲に馬鹿正直に自分の心にこびりついた本当の気持ちを書き出そうとして、
でもそれがうまく作品に昇華できなくて、一言一句にいつまでも悩む悪性の遅筆でもあった。
最後の2年くらいはディレクターにも事務所にもボロクソに言われ、
全く書けなくなってしまったりもした。
僕が商業ベースに乗れるほど才能豊かでタフな創り手ではないのは明白だった。

残念ながらというべきか、当然ながらというべきか、僕のバンドは成功しなかった。
有名にもお金持ちにもなれなかった。
「買ってもらう為に思ってもない嘘や綺麗事で塗り固めたような詩は書かない」なんて、
僕のつまらないちっぽけなプライドのせいもあると思う。
それでも僕は、嘘は書かなかった。思っていることを誠実に書いた。
(僕の書いていない詞に僕の名をクレジットした嘘つきはディレクターだ・笑)

そのおかげで僕は、いまでも僕の歌を大事に聴いてくれている人の存在を伝えられるたびに、
なんら恥ずかしいことも後ろめたいところもなく、これは僕の作品ですよ、と胸を張れる。

本当に不器用だったけれど、後悔はないし、バンドに捧げた日々や僕が心を込めた作品達はいまでも僕の財産だ。
結成からちょうど20年。僕は昔からずっと良くも悪くも僕でしかいられないけれど、それで良かったんだな、と思う。
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