いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

もろもろ

2011-05-12 19:24:02 | 超・いぶたろう日記
ちょっと入ったラーメン屋で、流れたBGM。
誰のなんていう曲か知らないけれど。
聞こえてくる歌詞(うろおぼえ)が食欲を失うほどに安っぽく、うんざり。

「携帯かけた すぐに出ないのはなんでだ…他に男いるのか?…明日まで待てない…」
「大好きだよって言ったらどんな顔するのかな 怖くて言えないけど大好きだよ…」
「恋する二人のあいうえお(ありがとうナントカいつまでもナントカ永遠にナントカ)」

なんだこりゃ。バカか?バカなのか??(笑)
世の中に曲をリリースさせて貰えるなんて、
そうそうないチャンスなのに、こんなんでいいの?
僕にしてみれば世界一周旅行のチャンス貰ったのに、
全部ホテルで寝てました、食事はインスタントで、あとゲームやってました、
ってくらいの無駄に感じる。
まあ、でもこの人たちが食べていけるのは、
こんなその辺の中高生のケータイから抜き出したような腐れ鼻歌に、
わざわざお金出すおめでたい人たちが沢山いるってことだよな。
(某ヒダリストが昔よく書けとうるさかったのはこういう歌詞なんだろな)

というよりは、そういうことになっているだけなんだよな。
実は誰もいいなんて思ってなくて、とりあえずテレビでよく見るから買う。
その程度でしょ?そうじゃなきゃ信じられん。
まだAKBとかジャニーズとか、あっちにのめり込む人の方が理解の余地がある。
アーティスト性なんか求めてないもんね。
だけどこの人たちは多分、自称アーティストなんでしょ?
何を表現したいのかね。何を伝えたいのかね。
チームでよくあるイマドキのモン作って垂れ流して…ってんなら、
それはアートじゃないよね。
イヤになんないのかな。
まあ、きっと表現欲じゃなくて、ステイタス欲だろうから、
そんな疑問を持つこともないのか。


ところで。
アイドルの上原某さんが自殺して亡くなったとのニュース。
ネット上でも大騒ぎ…なんだけども。
みんなびっくりしてるそうなのだけども。
僕はこの人よく知らないのだ。
地上波テレビ、ほとんど見ないしね。
だから人ひとりが亡くなったということ以上には、
コトの大きさがまったく解らないのだけども、影響力大きい人なの?
でもなあ。
痛ましいコトではあると思うけど、若い女性が何かを悲観して自殺なんて、
みんながいちいち知らないだけで、世の中には掃いて捨てるほどよくある話だよ。
たとえアイドルでも、知らない人にはそれと同じこと。
そう、知らないことは存在しないも同然なんだ。

すると。
放射性物質も見えない、聞こえない、匂いもない、味もない。
すぐそこにあったとしても、「直ちに健康に影響を及ぼさない」。
知り得ないという意味では、存在しないも同然なんだよね。
何十年か経ったらガンになるかも。
そんなスケールに人間の感覚も思考もついて行けないよ。
短期的には恐がって神経質に騒ぎ立てるかも知れないけれど、
たぶん2年もすれば慣れてる。
それこそ身の回りで、放射線障害でバタバタ人が死んでない限りは。
水も野菜も汚染されて、雨も空気も土も放射線だらけ。
でもわかんないし、言い出したらキリがない。
するとほとんどみんな、
「ま、いいか別にすぐ死ぬわけじゃなし」
になっていくような気がするんだよね。
タバコや排気ガス、食品添加物と同じようにさ。

だから大丈夫って話じゃないよ。
だから怖いんだって話。

今回の危機はそういう意味で、決定的な感じがする。
つまり、恐怖感の麻痺というところに一番の深刻さがある。
さっきツイートしたんだけど、
放射能に毒々しい色が、
放射能にキツイ(それこそワキガのような)匂いがついてたらな、と思う。
そうしたらいつまでも色あせない危機が実感できるのにね。

クソみたいな歌がテレビやラジオを埋め尽くすのも同じだよ。
みんな麻痺してんだ。
あるいは言ってもキリがないか。
テレビの作った虚像なんて、テレビごと滅んじまえ。
原発の垂れ流した放射性物質も、原発ごとなくな……
…ったりはしないんだよなあ。どうあがいても。
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だって落語とかマンガみたいだったし

2011-05-08 20:30:35 | 超・いぶたろう日記
笑点を見ると桂さんに、
サザエさんを見ると花子さんに、
ドラえもんを見るとジャイアンに、
イラッと来るのは彼らのせいじゃないんだけども。
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ふふふ~ん♪

2011-05-08 19:22:30 | 超・いぶたろう日記
今日は完全休日。
嫁さんと愛犬とロング散歩。
ごひいきの犬連れOKイタリアンカフェのオープンテラスで、
パスタを楽しむ。
もちもちしててめちゃくちゃ美味い。
文句があるとしたら控えめすぎる量だけ(笑)。
犬用のメニューもあって、
これがまたヤツラ的にはたまらないらしく、ものすごい勢いで完食。
その後はコーヒーでも飲みながら、のんびり文庫本を読む。
贅沢な時間だなー。

今日読んだのはホリエモンの「人生論」。
実刑判決出ちゃって、また色々論議を呼んでいる彼だけども、
彼の「悪人」像はマスコミによって作られた虚像の部分が少なくない。
ツイッターなんかで見る限り、まっとうなこと言ってるもんなあ。
搾取と寄生だけが続く斜陽日本の「老害民主主義」潰された典型。
ちょっと興味を持ったので、ざーっと読んでみる。

面白かった。
というか、強い共感を持って読める部分がたくさんあった。
小学校で教師に忌み嫌われ、私立中学に進学し、
中高では勉強せず遊び回り、入試前だけ頑張って大学進学。
行列に並ぶのはアホみたい、会社に1時間も2時間もかけて通勤するなんて時間の無駄。
睡眠時間はキッチリとらないとダメ、スーツにネクタイなんて非効率の象徴。
先行き不透明な現代日本社会で、
「寄らば大樹の陰」と何も考えなしに大企業へ頭を垂れ、
35年ものローンを組んで家を買い、とりあえずクルマを買い、
何でもかんでもみんなと同じ「記号消費」で安心してるのは愚かしい。
テレビの提供するコンテンツは相当に質が低く、
まるで視聴者の視点に立てない。
広告頼みの旧モデルは早晩立ちゆかなくなる。

とまあこの辺り、もうまんま僕の考え方と同じだ。
形式や伝統的価値観に縛られない柔軟な発想。
素晴らしいと思う。
まあ、僕なんかと違うのは何にしても徹底してるので、
受験勉強にしても起業・経営にしても半端なく突き抜けてること。
自分に厳しいというのは大事なことだね。
僕は自分に対して底抜けに優しいし(笑)、何でも中途半端だからなー。
僕が言うとタダの偏屈だけど、彼が言うと説得力あるね。
まあ、僕も彼のように徹底していたら、
彼のような運命が待ち受けていたかも知れないんだけど(笑)。

帰りは肉屋と八百屋によって晩飯の買い出し。
茨城の国産牛が半額だというので、喜んで買いました。
ちょっと奮発して、なんと4000円のステーキ肉!!……を半額で(笑)。
あとは霜降りのタタキを買いました。
僕は何でもナマモノが好きで、
刺身・生牡蠣・鶏わさ・馬刺し…とみんな大好物なんだけど、
あんなに衛生管理がヒドイ状態だとは知らなかったよな-。
今まで大丈夫だったのは単なるラッキーってことか。
でも食べたいよなあ。
というわけで気持ち火を通したタタキに。
ローストビーフとかスモークサーモンとかは大丈夫なのかな。

お隣の八百屋ではタマネギ・なす・キャベツをゲット。
タマネギはどうやって食っても美味いし、ナスの煮浸しは大好きです。
最近は焼鳥屋で覚えた、キャベツにタレぶっかけて食うのがマイブームです。

こういう日曜日っていいよなー。
さー焼肉やろー!!
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ツツジの咲く季節に

2011-05-01 18:45:25 | 超・いぶたろう日記
いつも思い出すのは24年前の春。
子供ながらに色々とやるせない思いをした生まれ故郷を出て、
新天地の東京へ、それも憧れ抜いた私立中学校に入学を決めて、
引っ越してきたあの春。
親父とも離れた春。
あそこから、すべてが始まったんだよな。

引っ越し先のマンションは、新しく造成した埋め立て地のマンション街で、
見るものすべてが新しく、気持ちが良かった。
「東京」にいるのが何だか変な感じがして、
一人でバスや電車に乗るのが大人な感じがして、
山間の住宅街から海沿いのマンション街に来たのが新鮮で、
とにかく何をするにもわくわくしてた。

駅まで向かうのにいつも通る、
公園の間を抜けていく細道いっぱいに、ツツジが咲いていた。
小学校の通学路、あまり友達とうまくいかなかった僕が、
よく独りで行き、独りで帰った道のわきにも、
見渡す限りのツツジが咲いていた。
多くの小学生がやるように、花を摘んで、
花弁の集まるところをちゅっと吸う。
ほんのり甘かった。
新しい街で、新しい学校で、幸いに友達がたくさんできて、
僕の生活は180度変わり、忙しくなった。
そこからはもう毎日やりたいことしかやらなかったし、
楽しくてしようがなかったような気がする。
道ばたで花を摘んで蜜を吸うこともいつしかしなくなったけれど、
それでもこの季節が来るたびに一度は試してみた。
やはりほんのり甘かった。

環境が変わる、というのはすごく大きなことだ。
振り返り見て僕は、この中学入学以来、
さほど大きな環境の変化に出合わなかったようにも思う。
浪人仲間をつくったり、大学でもサークルで動き回ったり、
バイト先でもグループ作って遊んでた。
まあ、ずーっと留年しっぱなしみたいな人生だ。
だから今もってどうも、いわゆる会社勤めのマインドにもなりきれないし、
ビジネスマン的な素養も身につかないままでいる。
この年齢になって久しぶりに同期の近況に触れると、
大企業にいたり外国にいたり教授になってたり、様々だ。
だけど不思議と僕はそれを羨むことがない。
すごいなあとは思うけど、自分がそうでないことを負い目に感じるような所がない。
「ちゃんと真面目に生きてたら、おれもそうだったかも知れない」???
ウソウソ。そんなにがんばれないから、おれ(笑)。

良くも悪くも、
自分の好きなこと、やりたいことにしか一生懸命になれない。
それでいい、と本気で思ってくれるのが僕の友達だ。
彼らもまた、自分の好きなことに邁進した結果がいまあるかたちなのだろう。
だから僕には羨む必要がないし、彼らもそれをひけらかしたりしない。
まあ、お金は彼らの方がたくさん持っているだろうけども(笑)。
でもお金ですら自分の人生の価値を測る尺度になり得ないことに、
僕の友人たちは当然のことながら気づいている。
だからまず、収入の話なんかしない。ある人もない人も。
偏差値の話をしないのと同じ美学だと思う。
勉強できる、仕事ができる、それは立派な能力だが、
勉強しか、仕事しかできないのはカッコ悪いのだ。
この「しかできない」人は、それ「しかない」ので、話題もそれしかない。
ただひとつの拠り所を認めて欲しい、可哀想な人が収入やら偏差値やらで自分を慰め、
勝ち組・負け組と言った安易な話題に行き着くのだろう。
で、その次は競馬・パチンコ・キャバクラだったりする。
僕はどうにもそういうのが苦手だ。

そういう型にはまった日本のオトナというか、
首にはめられたわっかを肯定したいためだけに、
「野良犬」を必要以上に貶める文化というか、キライだ。
それが何であれ、面白がってやっているひとの話は面白いが、
やらされルーティンにごちゃごちゃ偉そうな理屈を後付けしてる人の話は聞くだけ無駄だ。
まあ、どこにも属さず、何も持っていないのに、
訳知り顔で受け売りを並べるようなのも面倒だけど(笑)。

で、僕はこれからどうなるんだろうな、と考える。
あまり闇雲に新天地を目指すような強迫観念はない。
変わらなきゃ、とか、このままでいいのか、とか、
そういうのは体重以外に特には感じない(笑)。
だって考えたところで、なるようにしかならないもの。
ただひとつ、もうちょっと日本じゃない所を知りたいなとは思う。
会社の狭い世界で限界に思えたことが、
昔の仲間と語ってみるとなんてことのないことに見えるように、
近頃悟られる日本の限界も、世界を知ることで小さくできるのかも知れない。

そんなことを漠然と考えながら、連休に入る。
世間より遅ればせながら、今日から5連休。
思えばこの2ヶ月はまともに休んでなかった。
今日もそうだけど膨大な仕事があって、結局休みの日も家で仕事してた。
やらされ仕事じゃなくて、(特に震災後は)全部自分の判断だから、
昔のような閉塞感はもうないけれど、でもさすがにちょっと疲れたぞ。
疲れたって言うか、飽きた(笑)。
リフレッシュが必要です。

さっきやっと宿題仕事が終わったので、浜松の田舎へ帰ります。
外はうっすらにわか雨。
雨に濡れたツツジが公園の街灯に照らされるなんてのがまた、いいんだよね。
ツツジの季節を越えると母校は文化祭。
僕が委員長を務めてからはや20年。
あの頃のことを最近妙に思い出して、懐かしくてたまらないのは、
きっとFacebookのせいだと思う。
そう思う。
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