いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

気持ちの良い日だったねえ

2005-05-29 00:50:47 | いぶたろう日記クラシック
よく晴れた割に暑くもなく、いー感じの一日だったねえ。
久しぶりに野球へ行ったよ。
久しぶりだってのに試合でさ、全然いーとこなかったけども。
今日の相手ピッチャーがすごくいいピッチャーでさ、
タマは決して速くはないんだけど、低めにびしっとコントロールするわけ。
変化球の制球がまた絶妙でさ、打てなかったなあ今日は。
しかも最終回2アウト2-3塁、一打逆転のチャンスで回ってきてしまったわけ。
キレイに三振してしまいました。我ながら潔い。

帰りには夏物のシャツや下着類をユニクロでまとめ買い。
さらに犬のエサやトイレシートなんかもまとめ買い。
そしてまたもや本屋でまとめ買い。
最近読書の虫が大暴れで、本屋行っちゃあ買って来ちゃうのね。
でもなかなか読む時間がない。どんどん溜まっております。
しっかし今日1日で3万ぐらい遣っちゃったなあ。
休みの日ってひたすら買い物しちゃうからコワいね~。

んで、帰ってきたらあずきの熱烈歓迎。
ケージから出してやったら家の中飛び回ってんの。
そんな様子を横目で見ながら自分の飯を用意してさ、
さあ食おうと思ってテーブルに着いたら足が何かを踏んだのよ。

くにゃっ。

うんこだ……………………………………。

ロックアーティスト(Rebirthボーカル・30歳独身男性)、犬のうんち踏んだよ。
しかもナマ足で。
俺も何度か犬のうんこ踏んだことはあるけれど、さすがにナマ足は初めてだなあ~。
幸いウチはフローリングなので、すぐに処理できましたけどね。
指先にうんちのむにゅ~っていう感触の残ったまま食べるごはんは、絶品でした。
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社会科見学

2005-05-27 13:53:45 | いぶたろう日記クラシック
今日はあずきを連れて外に出てみました。
なかなかこういうきっかけでもないと日中の散歩なんて縁遠いものだからねえ。
初めての太陽の光、川、海、花、木、風。
まだワクチンも終わってないので、ほとんどがだっこ移動なんだけど、
たまに地べたも走らせてみました。

当然のごとく公園では親子連れのアイドルに。
子犬を連れていると善人だと思われるのか、やたらフレンドリーに話しかけられたなあ。
まあ、ちっちゃい子を連れての公園デビューということで言えば、
俺も周りの親子連れと変わらない訳なんだけども。その辺の仲間意識だろうか?
川沿いの道をずーっと歩いてみたんだけども、
俺の足下を離れずに、てってこてってこついてくるのがもーかわいくて。
いまは疲れてケージで寝ています。

うちの家族もすっかりメロメロで、不在がちな俺をカバーしてくれるので助かります。
お袋なんか見てると、あー孫ができたらこんな感じなんだろうなあ…と思うね。

しかし俺の親ばかもすっかり板に付いてきたなあ。
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やってもうた

2005-05-16 05:34:52 | いぶたろう日記クラシック
ライブを終えて帰京するメンバーを見送った後、ひとりだけ延長した関西ツアー。
ようやくゆうべ帰ってきました。
今回は神戸など遊びに行ってみました。
なかなか楽しかったよ。
しかししかししかし。
なぜか帰るときには連れが増えていたのです。しかも女性が。
現地でナンパしたのでしょうか?
そんな度胸が私にあれば、すでに私は奴隷調教がバレて逮捕されたりしていることでしょう。
衝動買いの帝王、またしてもやってしまいました。

子犬!買っちまった!18万!

こないだNew i-Macを25万出して買ったばっかしやぞ…。
だいじょーぶかオレ?
Rebirthの代わりに心の隙間を埋めるものを探したりしちゃってんのか?

しかし…可愛い…癒されてしかたない。
名前は「あずき」です。
いぶろぐもついに、バンドのグチから離れて、親ばか犬日記になりそうだ。
そういや、半月間にわたってあちこち廻った今回のツアー、
色々感じたこと考えたことも多くありました。
そんなこともぼちぼち書いていこうと思ってます。
でも今日はあずき。とにかくあずき。
かしこいんだよ~。トイレもすぐ覚えたし。
Comments (3)
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ツアー日記:5/4盛岡激闘編

2005-05-04 04:21:50 | Rebirth歴史資料館
本番の日の朝6時まで「ササキさん」を交えて盛り上がってしまった俺たち。当然朝から動く気力もなく、俺とシュンスケ昼過ぎまで爆睡。起きたら仮眠室のテレビで「必殺仕事人IV」をやっていた。思わず見る。何を隠そう、俺の小学生の頃の夢は3年生の頃「プロレスラー」、4年生の頃「漫画家」、5年生で「阪神の選手」、6年生で「仕事人」だったのだ。痛いにもほどがある。現実感を喪失していればこその夢なのだが、最高学年に至って時代を超えてしまっているのが情けない。京本政樹演じる「組紐屋の竜」に憧れたものだ。今思うとビジュアル系の走りである。しかし何も組紐で人の首締めなくたって。どういう訓練を積めばあの距離から投げた組紐がうまいこと絡まりつくのだろう?街中で折り取ってきた植木の枝のとんがった部分を人の延髄に突き刺す「花屋の政」も今思うとスゴイ。小枝が刺さって死んじゃう悪党のもろさに乾杯だ。演じていたのは村上弘明だったのか!するってえと幼稚園の頃の最高のヒーロー「スカイライダー」に続き、俺は同じ人物に2度にわたって夢を与えられていたことになる。盛岡で幼時に思いをはせるとは。ツアーって深い。

やがてツアー中の定番と化した朝風呂をたしなみ、猪苗代湖へ遊びに行っていたという他のメンバーと合流。このツアーは移動にも時間にも余裕があって、毎日その土地の名物を食べ、温泉につかり、仕事らしきものといえば歌うだけという、考えてみれば夢のごとき日々であった。バンド続けてうまくいきさえすりゃあ、それが日常となったのにねえ。もったいないとは思わんのかね。それはさておき、ライブハウスへ移動。この日のハコは「クラブチェンジ」。建物の左隅っこにある慎ましやかな看板がかろうじてそれと気づかせる。しかしライブハウスがあるという認識で訪れなければ、この建物はどう見ても「みまつ食堂」だ。しかも3階正面壁には、消防署でしかお目にかかれない赤色灯がぽつんとひとつ。なぜだ。君は前身なんだったのだ。シュンスケの説によれば「あの赤いのを押すと押した人の姿形になって代わりに色々やってくれるんだ。ちょっと大きくなっちゃうけどな。」だと。コピーロボットじゃねえか。

楽屋に入るとさすが北国と言うべきか、スキー場などで見る大きなストーブが真ん中に一つ。荷物を運び込んだところでみんな携帯充電ラッシュ。健康ランドでコンセント使えないからねえ。リハにはなぜか見知らぬ人物が数人立ち会い、ノリノリで見てくれていた。この日の地元対バン「chime」のメンバーであった。何でもRebirthのプロモビデオ「very very very」をどこかで見たらしく、それ以降えらく気に入ってくれて今日を楽しみにしていたのだという。とても丁寧に挨拶してくれた。こういう出会いもあるからやっぱりツアーって楽しいし、バンドは続けてなんぼだ。ほかのバンドもRebirthに興味を持ってくれたらしく、こういう些細なことで俺のテンションは上がる。郡山に引き続き、初めての土地でありながら楽しくやれる予感がそこはかとなく漂い始めた。しかし、これを確信に変えるためにはもう一段階必要だ。意を決して俺は楽屋を出た。

盛岡についたらこれだけは絶対に挑戦しようと堅く心に誓っていたものがある。言うまでもない。わんこそばだ。幼い頃より噂には聞いていたが一度も体験したことのない神秘の儀式。一杯食べ終わるとまた一杯…と次々に盛られ、フタをして降参するまで繰り広げられるという狂乱のそば尽くし饗宴。あっていいのかそんな罰当たり。「わんこそばいくぞ!わんこ!」表に居合わせた数人のリバっ娘たちに声をかけ、地元のバンドに聞いた「直利庵」という名店を目指す。こういうイベントものは人が多い方が楽しいに決まってるし、どーせ最後のツアーなんだしね。晩春の盛岡を歩く。陽が差している間は東京とさほど変わらない暖かさだ。キレイに整備された道沿いの町並み、しかしその向こうに目をやると山と原野が見え隠れする。なんだかセットみたいでおかしい。盛岡はなんだか独特の空気があって、発展する都市としての風景と、明らかにそれに取り残されている一部の建物とのコントラストがなんともおかしい。俺が発見したものではドアが一カ所に極端に密集している古アパート、そして二階には荷物が山ほど置いてあるのに一回はもぬけの空で、重みのせいか微妙にその間が中央にくぼんでいる建物などがある。言わせてもらえばクラブチェンジの建物もその一つだが…。このこだわらないスタンスがいい。さらには「リバース岡本院」なんて鍼灸医があったりして。この辺の写真たちまとめてアップしたいんだがここだと1枚しかあげらんないみたいなので、そのうち写真館も造ることにしよう。

さて、直利庵。そばの付け合わせとなる薬味(うにやらいくらやら素敵なものが…)の内容によって値段が違うのだが、ここは迷わず特上をオーダー。今思えばあんなに食うなら並でよかったとの思いもあるが、そこはロッカー、仮にもファンの前で守りの姿勢など見せられるか。ロックはいつだって特攻だ。座席にもこだわって、正面にお椀を突き出してそばを入れてもらう奥の席ではなく、背後から容赦なく突っ込まれる通路側の席を選ぶ。するとその姿勢を見た給仕のおばちゃんが「わかりました、お客様にはベテランの者をお付けしますので…」との宣戦布告。気合いが入る。とりあえずはその人にひと通り説明を受けスタート。うむ。快調だ。10杯、20杯、このくらいはなんてこたあない。ウニもいくらもいただいちゃう。そんな中ついに現れた「ベテランの者」。なるほど、なんだかオーラが違う。気を引き締めて臨む。すると…速い!速すぎるぜベテラン!去年のシューマッハみたいだぜ!俺が一杯を口に入れて飲み込むよりも早く、椀が口元を離れる前に額の辺りから、俺の前髪のようにそばが滑り込んでくるのだ。しかもテンポがよいもんだからこちらが遅いとなんだか申し訳なく、ついついギアもトップに入ってしまう。気づけば70杯超だ。この辺でスローダウンしてきた俺を見下ろしベテランは「若いの、そこそこやるようだがまだまだだな」的な微笑を口元にたたえ、去ってゆく。ここからは自分との闘いだ。そういうことなのだ。とりあえずは100杯を目指す。80、90…とそこに、隣の席の家族連れの声が聞こえた。

「お父さん何杯食べたの~?」
「108杯!煩悩の数だけ食べてやったわい!」
「すご~い…あちらの若い人も食べてるようだけど…どうかしらねえ…」

カ~~~ン。
俺の心のゴングが鳴ったのが判った。男には倒さねばならない敵がいる。無駄だと判っていても戦わなければならない時がある。幼少の俺にそう教えてくれたのはハーロックだったかアンタレスだったか。食わねばなるまい。のどの入り口まで。たとえ今日のライブで真のリバースとなろうとも。俺の孤独な旅が始まった。100杯。もう胃はダメだ。食道だ。108、109、とりあえず隣のオヤジは倒した。110、うーんどうせなら…111!…ここで俺は光よりも速く、つまり黄金聖闘士を凌駕するスピードでお椀にフタをした。もうムリだ。これ以上は人間じゃねえ。リバっ娘たちの拍手の中俺は意識を失った。店の中だったが動けねえものは動けねえ。

小一時間ほど過ぎただろうか。まだ苦しい。なんでもわんこそば12~3杯でかけそば1杯分だそうだ。するってえと俺はかけそばを9杯以上食ったことになる。道理で。前にかがめない。ちょうど、新品の歯磨き粉のチューブを折ると口からむにゅ~っと出てくるように、俺にはもう直立しか許されない。よたよたしながら楽屋へ戻る。メンバースタッフ一様にあきれ顔。でもそれが気持ちよかったりして。心配されたライブも大盛況。今日でちょうど250本目だ。リバースすることもなく、最初で最後となる盛岡で思い切り盛り上がってきた。問題ない。ライブ後、みんなで記念撮影。「Rebirth最北の地盛岡250本目」との標柱も製作してきた。昨日と同じ赤湯温泉に宿泊。実はたまに霊が出ることで噂のスポットなのだという。まさかササキさんって…。

まあ111杯とはいえ、上には上がいるだろうとは思ってはいたが、後日すさまじい情報が俺の元に伝えられた。毎年「全日本わんこそば選手権」なるものが行われており、そこで認可されたチャンピオン記録は『第1位 559杯 中嶋某 山梨県 1996年』だという。断言するが、そんなのは地球人類の所業ではない。しかし俺の闘志に火がついたのは隠せまい。いつかもう一度盛岡の地に降り立ち、この記録を塗り替えたいと……思うかボケ!次は薬味もゆっくり楽しむわい!!
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ツアー日記:5/3移動編

2005-05-03 14:49:48 | Rebirth歴史資料館
ゴールデンウィークに遠出したのは、バンドとしても個人としても初めてのことだった。毎年語られる渋滞と大混雑の情報だけでうんざりして、地方とは好対照に割と空いてる都心で遊ぶのが通例だったからだ。それにしても、連休ってひどいもんだね。幸い渋滞にはあまりつかまらずに済んだけど、宿泊先ではとことんめげさせられたな~。ツアーの宿泊と言えば健康ランドやサウナなんだけども、もう仮眠室がいっぱい。子供からいい年したおばちゃんまで、ソファやら廊下やらそこかしこで雑魚寝してんの。家族連れで食堂の畳に座布団敷いてるのもいたな。ホテルくらいとってやれよ…。

行き場がないのでロビーのソファーに戻るとみんながいた。俺とシュンスケは結局5時頃までスタッフ交えて飲み食いしながら喋ってて、挙げ句ゲームコーナーの一角にある遊戯場「ちびっこらんど」の床がやわらかそうだってんで、そこで寝た。俺は7時くらいにちびっこたちの奇声で目を覚まして、ぼちぼち空きの出た仮眠室に移動したけれど、シュンスケなんてちびっこに踏まれてんだぜ。「ごめんなしゃい」なんて言われてんの。そりゃあ、あんなトサカ立ちっぱなしの赤鬼ににらまれたらたまらんわなあ。俺がちびっこだったら死を覚悟するもんな。

まあしかし、この日はライブのない移動日。このゆとりは大きい。午前中はたっぷり睡眠に充て、朝風呂もたしなんでゆっくり出発。途中、「義経の東下り」とかいうイベントがあり、今年は間の悪いことに「タッキー」の大河ドラマの関連で本人が来るとかで、高速が一部渋滞。韓国ドラマの俳優についても思うことだけど、まあみんな、物好きというかヒマなんだねえ。なんか面白いことやってくれるってんならわかるけど、見るだけでしょ。俺にはちっともわからんな。渋滞を抜けたところで前沢PAで軽食。かの前沢牛の産地だ。Rebirthにも一頭いることだし、大変ゆかりの深い土地といえよう。まずは「前沢牛」ののぼりのところでウチの牛の記念写真をとる。出店を見て回るともう昨今のガソリンもびっくりの高価格。牛タン串なんて1本1000円だぜ。俺は盛岡についてからうまいもんを喰おうと考えていたので、あえてPAのマズいなんちゃって名物には手を出さず、パックの焼きそばと焼きトウモロコシで済ませた。丸々一本トウモロコシを喰うなんて久しぶりだ。ぶっといトウモロコシを見ていたら、なんだか排泄欲(大)を催した。人情というべきものだろう。

機材車はその後も快調にかっとばし、盛岡市内には夕暮れ前に到着。ここでメンバー各自8時まで自由行動に。こういうときも集団行動が苦手な俺は、ひとり駐車場前に偶然あった「ほぐし屋」へと向かう。ツアー中は連日の機材車移動と、決して良いとは言えない寝床事情のせいもあって体中ががたがたになる。首や肩が凝り固まっていると声も出ないので、時間があるときはマッサージを受けるようにしているのだ。いまいち効かなかったが、それでもなにもしないよりはずいぶんいい。更衣室にあったハンガーは商品名が「Rebirth」だった。リサイクル商品であろうことは想像に難くない。その後はうまいものを探しに盛岡駅周辺をひたすら歩き回る。駅ビルを探索してたらマックでメシを食っているメンバー&スタッフに遭遇。何でもどこもかしこも行列で、ここしかないのだという。ふふふ。団体行動の弱点だな。盛岡まで来て「うーむ、やはり前沢牛(んなわけねえ)のマックは違うな」などと虚言で自分を慰めざるをえない彼らを尻目に、俺は単独行動ならではの機動力を活かしてなおも探索。駅ビルを出て、川をも越えて、あちこちと歩いてみた。なるほど、確かに行列が多い。いつもの俺なら見ただけで避けるところだ。しかし俺はせっかくここまで来たことだし、盛岡らしい何かを口にしたいと並んでみた。実に珍しいことだ。しかしじゃじゃ麺、期待の割にはうーん、それほどグっと来なかったなあ。麺を食い終わってから入れるべき生卵を店員の目を盗んで2つほどぶち込み、そこに酢とラー油をばしばし入れて、俺好みに改造して大盛り食った。さらにチータンタン
(麺を食べた後、生卵とゆで汁で戴くスープ)でかなりの満腹。しかも俺、鶏の唐揚げまで詰めちゃったぞ。うむ。苦しい。さらにコンビニで夜のおやつと昔読んだマンガ「100億の男」を購入し、機材車へ戻る。

夜の盛岡を機材車はしんしんと進む。やがて見えた予定の宿「健康大陸マーズ」は、仮眠室がいっぱいとのことで既に入場自体できなくなっていた。何が大陸だ。いーとこ島国じゃねーかとの思いしきり。しゃあないので次の候補地を目指す。この道中、俺にじゃじゃ麺の妖精がとりついて、色々厄介なことになった。「じゃーじゃーめん、じゃじゃめんっ。」「起立!冷麺!じゃじゃめん。」とちっちゃな裏声で連呼し、かと思えば「岩手県は歩道橋が多いんだよ」「ほんと?」「うん、知ったかぶり」などとやりだし、実に始末が悪い。盛岡は色々不思議なことが起こる。やがて到着した「赤湯温泉」。ここがまたドラマの舞台となるのだった。

やはり満杯の仮眠室。ダメもとで見に行った仮眠室では、なんと一組のシートが空いていた。ラッキー!と思って横になったらしばらくして憤然とした老醜女登場。「2時間前からここは場所取りしています、どいてください!」と来た。「は?場所取り?そんなんあんの?」「その座布団が証拠です!失礼じゃないですか!」だってよ。俺が老醜女の荷物をどかして居座ったってんならともかく、座布団一枚でわかるわけねえだろ。まあ地球はこの老醜女を中心に回ってるようだから仕方ないか。あまりの自己中ぶりに俺も相当トサカに来たが、仮眠室でこんなのとケンカしてるのもみっともなくていやだったので、紳士の俺は一言だけそっと伝えてその場を立ち去った。

「おばあさま、公共の福祉のためにも、そう遠くない時期に是非とも涅槃へ旅立ってみられてはいかがですか?」(文中一部表現を差し替えております)

またもや行き場をなくした俺、ロビーに行くと談話コーナーでこみかよとシュンスケが飲んだくれていた。またこのメンツか。うだうだしゃべっているとこのツアー中最強のパーソナリティ登場。「ササキさん」というおっさんだ。どっから見ても70近くに見える58歳。うちの親父と同い年だ。お湯を入れた日清どんべえを片手に現れ、突如話しかけてきたのだが、岩手弁全開で何を言ってるのか76%くらい解らない。身振り手振りも交えてどうにかコンタクト。種子島に漂着したポルトガル人とコミュニケーションをとった1543年の日本人は偉大だとつくづく思う。何でも近くに住んでいるのだが、カミさんと「これ」(指を重ねて×を作る)のため、ここへ避難してきたのだという。互いに色々と身の上話をして打ち解け、後半は酒の勢いもあって歌と下ネタの競演。なぜかマラカスまで持っている。何者なんだ。ダジャレを言っては理解の遅い俺たちに「すこす、めぐらせ!」(頭を使え)とムチを入れる。そして俺の腕を引っ張って「おめが一番さかし(賢しい)かろから、いーことおしえでやっがら!」と言う。ほかの連中から引き離されて座らされ、そこで俺が見たものは匠の技であった。風呂の黄色い手ぬぐいに水を含ませ、くるくると巻いたかと思うとあっという間にそれは「男性自身」へと変貌を遂げた。細かい部分まで誠にリアル。これには本当に驚いた。この貴重な岩手県の伝統工芸を廃らせてはならない。未来へと受け継ぐべく、先を争うように特訓に励む俺とシュンスケ。二人の情熱を見てか、教えているササキさんにも「ちがう!そんなでは東京ではず(恥)さかぐ!」と熱がこもる。近くにいた年配の女性が笑っているので、ご存じなのか伺ったところ、「こんせんさま」という昔からの民間信仰なのだという。男根崇拝の文化があるのは本などで読んだことがあるが、こういう形でふれあえるとは。ツアーはいい。何が起こるかわからん。ササキさんは一晩中俺たちを笑かしてくれて、やがて朝焼けの中に消えていった。
最後まで、なぜかどんべえには手をつけずに。
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ツアー日記:5/2郡山編

2005-05-02 23:59:59 | Rebirth歴史資料館
朝11時、JR東川口駅集合。4日分のツアーの荷物はさすがに重い。カバン3つ抱えてひーこら言いながら電車に乗った。かよやイチの使ってるゴロゴロ付きの四角いカバンがうらやましい。2-3000円で買えるとのこと、このツアー中のゲットを決意。ちなみにシュンスケさんはでっかいビックカメラの紙袋だ。なんて心強い。全員定刻に揃って、順調に機材車出発。俺も今回は新幹線で移動しなくて済んだ。とはいえ、朝食をとれるほど余裕のあったわけもなく、機材車内でおもむろに取り出したのは前の夜にマルエツで調達した「とりから・めいっぱいパック200円也」と自宅調達の「超盛りご飯」であった。結構な量だったが実に快調にアホみたいに喰った。永遠の食べ盛りに乾杯。思えば今回、ファイナルツアーで「farewell & good-luck」なんて感傷的なツアー名を考案しておきながら、実際には各地で悲壮感よりどーも食欲が先立ってしまい、毎回本番前にたらふく食って苦しむ『東北~関西満腹ツアー』となったのだが、既に出発から象徴的である。JR西日本みたく「解散が決まったにもかかわらず」「不適切な行動」とか言われちゃうかしら。いや、解散が決まってそのストレスで過食症にだな……って無理あるか。まあ、喰っちゃったものはしゃあねえな。しかも喰うだけ喰ったら眠りに落ちた。我がことながらまったくもっていい気なもんである。

目が覚めたら郡山だった。東北道と言えば仙台までというイメージがあるので、なんだか近く感じた。8年目、しかも解散を目前にしてのツアーで、なお初めての場所に挑戦というのが何とも不思議な感じ。ライブハウスの名は「#9」。「シャープナイン」と読む。扉を開けて中に入るとまず自販機。前面すべてがバンドステッカーで埋め尽くされ、何を売ってるのかさっぱりわからない。さらにその奥には水槽。闇にうごめく魚たち、どっかで見たことあるな…と思ったらピラニアなんだもんな~。なんなんだ。エサは金魚だとか。しょぼいライブなどやろうものなら投げ込まれてしまうのだろうか。などと初めてのハコに警戒心を深めていたら、ここのマネージャー「フクイさん」の名物ミーティングによってすべては氷解した。

ライブハウスの事前ミーティングと言えば、大抵は修学旅行の先生のようにオキマリをつらつら並べるばかりで、そのくせやたらと長かったりして退屈なものなのだが、この人は飽きさせない。マジメな口調のまま合間に細かくネタを挟んでくるのだ。例えば「周辺の住民に配慮して…」というのはどこでも言われることだが、ここでは「え~、防音扉は必ず閉めて下さい。裏におじいちゃんとおばあちゃんの二人暮らしの民家があります。もう耳遠いので高音のしゃりしゃりは大丈夫なんですが、低音にはうるさいです!」。すぐイメージが湧く。古い日本家屋。大きな時計。茶の間。ちゃぶ台にはお茶とあられ。年取った二人の午後。そこに響くイチの高身長から紡ぎ出される重低音。ただ気をつけろと言われるよりもよほど効果的だ。さらに重要な事項続く。「3階は風俗店になっております。」某リーダーの目の色が変わった。値段をチェックしている。マジかおい。「えーしかし、できればそちらには出入りせず、ホンバンはステージでお願いします!」オヤジだ。まぎれもなくオヤジだ。しかしきれいなオチだ。

この日の対バンは高校生。しかも2マンだ。慣れぬ手つきで楽器を扱い、ぎこちないリハ。ライブにかけるわかりやすい意気込み、コピーはハイスタ、生活指導に配慮して洗えば落ちる銀髪。何もかもが初々しく懐かしい。リハでとちるメンバーがいても、嫌な顔ひとつせず、助け合うようにお互いが目を合わせ、身振り手振りで構成を確認し合いながら進めていく。フクイさんにも彼らを長い目で育ててやろうという愛情が感じられる。何でもこのハコはツアーで宿泊先がないバンドに楽屋で寝かせてやったりもするそうだ。このアットホームさがいい。最後のツアーにして、原点を見る思いだ。高校生ボーカルは前日までにはりきって練習しすぎたのだろう、声がかれている。そこにフクイさんの「無理して声出さないで、楽器だけでもいいよ」というフォローが入る。もちろんプロの現場ではあり得ない話で、今のRebirthでは許されないことだ。一切の言い訳は無用、何があってもステージは完璧を目指さなければならない。俺たちはそういう厳しい環境を自ら望んでここまで来たわけだし、それは当然のことだと思っている。

だが、しかし。なくしたつもりはなかったが、プロとしての俺たちが解散(退散か)という選択肢に至るまでになくしてしまっていたものを、彼らが持っているような気はした。それが何なのか、考えてみる。「夢」なのかもしれないなと思う。彼らは夢というタマゴを沢山持っている。俺たちにもなくはないけれど、俺たちのそれはいくつか孵ってしまって、「現実」とか「人生」とか、期限のあるものに置き換わってしまった。タマゴは無力で未熟だが、しかし限りない可能性がある。殻を飛び出してしまった俺たちの耳には、どんなに耳をふさいでもカウントダウンがしみこんでくる。高校生たちは16歳だという。俺も高2の5月、初めてバンドを組んで文化祭でライブをやった。もう14年も昔のことだ。それから色んなことがあった。アルバムも出した、テレビも出た、ホールでワンマンもやった。業界人と呼ばれる人間との接触も増え、ともすると視点はビジネスに偏りがちだ。しかし出発点はこういう音楽を愛する人々とのつながりだったはずで、メジャーほどのセールスがあるわけでもなし、俺たちの気の持ち方、テンションの保ち方次第でまだやりようはあったようにも思う。純粋に夢を追っていたはずだったのが、長い年月の間に焦りと達観、悲観と楽観、自己満足と自暴自棄、いろんなものが混じり合う。バンドにまつわる人の数が増えれば、それだけ混じるものも増えてくる。世界は拡がるはずなのに窮屈になる。何度もぶつかり合っているうちに、心にはジャガイモの芽のように毒をはらんだ計算がぽつぽつと芽生えてくる。そしてそれらは保身以外の何ものを産み出さない。

高校生達はRebirthのリハを見て気に入ってくれたらしく、その日見に来ていた彼らの友達にも声をかけて、みんなでRebirthの本番に残ってくれた。加えて東京からの参戦組も多く、初めての土地にもかかわらず結構な盛り上がりだった。「おい女子高生!お前達はロックは好きか?!俺たちは女子高生が大好きだ!」こんなアオリも板に付くトシになってしまったような気がしないでもないでもなくもないやね。火のついたような盛り上がりに、アンコールの曲目も変更してover againで応えた。いつものお決まりのブレイクで何を言うかも考えていなかったが、自然と口をついて出たのはこんな話だった。

「高校生の君らを見てて、色んなことを思い出したよ。君らは音楽好きだろう?なら、ずっとやり続けた方が良いよ。音楽に限らず、誰が何と言おうと、自分のやりたいこと、好きなことは自分が納得するまで続けるべきだ。お金にはならないかもしれないけれど、その代わりすごく楽しいよ。俺はずっとバンドやって来て、楽しいことも辛いこともいっぱいあったし、結局金持ちにも有名にもなれなかったけど、後悔したことは一度もないよ。高校生だけじゃない、大人だってそうだ。あきらめるな。もう~歳だから、なんて言うな。自分のやりたいことを自分なりに思い切りやるんだ。俺はずっとそうしてきたし、これからもそうする!」

いいトシして何を青臭い、と言われるかも知れないなあ。自分でもそう思うよ。でも、これはきっと俺の本音だ。自分でも不思議なくらい心の奥底から自然と湧き上がってきた言葉だった。高校生達に感謝したい。どうもありがとう。
その後は楽屋で写真を撮って、多くのツアー参戦組に見送られながら出発。移動は次の日にして、郡山で一泊した。
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脱退とか解散とか(加筆)

2005-05-01 05:40:42 | Rebirth歴史資料館
そういうマイナス事項を発表しなければならない日のライブは、
不思議とその告知まではいいライブになる。
なんでだろうね、とシュンスケと話していた。
ダイゴ達が抜けたときもそうだったが、無意識のうちに引き締まるのか。
ともあれ、今日ライブに来てくれた人々は、
せっかくの楽しい空気から一転、蹴落とされてしまったわけで、
多くの人に喜んでもらおうというところが
そもそもの出発点にある俺としては非常に辛かった。

本当に、申し訳ない。その一言。
でもね、俺もみんなと同じ気持ちだってことも、解って貰えたらなと思う。
形の上では俺の脱退→解散となっているけれども、
俺に自分からバンドを投げ出す気持ちはなかったんだよ。
確かに俺はワガママな人間だ。周囲との誤解やすれ違いも少なくない。
でもワガママだけで辞めるなら去年、
レコーディング終了の時点でとっくに辞めてる。
あのときの制作スタッフやメンバーからの酷い扱いは絶対に忘れない。

気分屋、理屈家、アバウト、個人主義…等々、
俺は本当に欠点の多い人間だけれども、
その裏返しに他人には真似できない長所というのも持っているはずで、
それらがバンドやステージに活かされているとメンバーは理解して、
価値を認めてくれてると思ってた。
俺には常識がない。
だけど、だからこそ引き出せる色んなものがあるはずだ、てね。
でも、そうじゃなかったようなんだ。

話し合いはシュンスケの一言がきっかけになって始まった。
「もう、この状態で続けていくのは無理じゃないか?」と。
それは彼自身がRebirth通信にも書いているから、
ファンの間では彼が口火を切ったように誤解されている向きもあるようだが、それは違う。
たまたま、きっかけとなったのが彼になっただけだ。
彼は色んな事情を総合して、現在のRebirthに限界を感じるという
メンバー共通の認識を明るみに出しただけだ。
その後の話し合いの展開を見る限りでも、
メンバーそれぞれが同じように考えていたのには違いない。
何より、シュンスケは最もRebirthを何とかしようと最後までもがいていた人間だ。
偶然、テレビ出演と時期が重なってしまったために、あらぬ誤解まで招いているが、
彼に変な下心や損得勘定はない。それは俺が保証する。
どうか彼は責めないでやって欲しい。

では、なぜ解散なのか。
「解散」はあくまで結果であって、選択ではなかった。
当初のバンドの選択は「息吹脱退」(というか追い出す)にあった。
俺の中では決め手になった台詞が二つある。
ひとつは、ある複数のメンバーの言葉。
「ボーカルを換えて、Rebirthをやるべきだと思う」
彼らには遅刻してくる俺、荷物を率先して運ばない俺、
事務所の言うことを聞かない俺、タバコを嫌がる俺、塾の仕事を優先している俺、
そういうイメージしかなかったようだ。
まあしょうがないね。だらしないのは事実だから。
でも一方で、ファンや関係者の多くが認めてくれた、
MC、ステージ演出、原稿、妄想ラジオ、似非哲学、テレビラジオ雑誌での言動…
そういった、俺を俺たらしめているもの、
そしてRebirthをRebirthたらしめているもの、
これらについては全くと言っていいほどその価値は認めてもらえないようだ。
彼らは以前からことにつけて、鬼のクビでも獲ったかのごとく、
「イブキのMCには批判的な意見もある」なんて言ってたしね。
だからなんだ?っていうね。
すべての人に賞賛されるMCなんてあんの??
もとより、万民ウケなんてまったく期待してないし、考えてもないよ。
俺のスタイルが支持者と同様、敵も多く作るのは明らかだろうね。
じゃあそこで無難なことしゃべって曲につなげばいいってか。
俺は違うと思うよ。
バンドがかっこいいと思ってるだけで、客は退屈なんてこともあるし、
その逆もある。
Rebirthというバンドの評価には、
ボーカリストのパフォーマンスだって大きな要素としてあるはずだ。
そこでメンバーが俺を理解してくれるのか、
「世間様」に迎合して俺を抑え込みにかかるのかとでは、大きな差があるね。

全ての人に受け入れられるモノなんてあるわけがない。
でもそれを目指せという彼らの方法論は、
俺には「無難」と「没個性」にしか見えない。
だから彼らは、理不尽で身勝手な「関係者」たちにも、お追従ができるのだと思う。
俺がバンドをやっているのは自己証明であって、欲得ではない。
「オトナの判断」で耐えなければならないこともあるだろうが、
エライヒトのご機嫌をとるばかりがバンドの生き残り方なのだろうか?
そんな者が、何を訴えて、ロックを名乗るのか?
「オトナの分別」「割り切り」を身につけろと何度言われたことか。
なら、君らは普通に会社員になれば良かったんじゃないのか?と単純に思う。
バンドをやることに何か主体的な理由があるのかも疑わしい。
業界というものに忠実であることだけが成功の方法論とは思えない俺は、
次第に、何をするにも事務所にお伺いを立てるRebirthの状況にやる気をそがれていく。
そしてそんな俺の姿は格好のスケープゴートだ。
いわく、「息吹が言うことを聞かないから、やる気がないからRebirthがうまくいかない」。
こうして、少しずつ溝ができていく。

シュンスケは、俺の価値というものも十二分に認めてくれていたし、
俺のこういう思惑も理解してくれていた。
だから、「息吹外し」が順調に進むミーティングの場で、
何を言うだろうかと思っていた。
「俺は、息吹の豊かな才能は認める。けれども俺はもっと純粋に音楽に特化したところでやってみたい。」
この一言で、俺の腹は完全に決まった。
シュンスケの言いたいこと、やりたいこと、
考えていることがすべて解った気がした。
この1年間、バンドがうまくいかないすべての原因が、
俺の態度や失策にあるとされてきた。
しかし、その裏に隠された多くの問題点をも、シュンスケは指摘したのだ。
Rebirthは俺とシュンスケ、そしてシュンスケのイエスマンたちで構成されていた。
そこにシュンスケは不満があったに違いない。
この時点で、他のメンバーはそれに気付いていない。
俺を除いた4人に新しいボーカルを迎えてRebirthを続けるつもりでいただろう。
だが、シュンスケはそこに明白な一線を画す。
「このまま息吹と一緒にやることはできないけれど、息吹が抜けて何がRebirthだ、とも思う。俺も、抜けるよ。」

メンバーは大誤算だったに違いない。
俺だけを外すつもりが、アテにしていたシュンスケまで抜けると知るや、
このバンドを続けるかどうかで頭を悩ませ始めた。
「息吹を外して続けるべきだ」と言っていたはずが、
ソロバンを弾いてか、自らも突然翻したり。
引くに引けず、自分を励ますためのあまり具体的でない美辞麗句を
解散発表の場にまで持ち込んでしまったり。
なりゆきにまかせたり。

残されたメンバーの手によって、Rebirthは解散となった。
彼らの選択は責められない。
しかし、7年もの間守り続けてきたバンドの最後としては、
あまりにも無責任であっけないものではなかったか。
俺とシュンスケが「脱退」という言葉にこだわったのはこういう事情による。

この発表と同時に関係各位にも、友人知人にも報告のメールを送った。
すると夜遅くにもかかわらず、みんな次々とねぎらいの言葉を返してくれたのだった。
色んな声に触れたが、一番多かったのが、
「残念だけど、お前ならこれからまたもっと面白いことやってくれるでしょ、がんばれ」
というものだった。これが本当に嬉しかった。

プレハのポンセ氏もAREAのマネージャも、本当に惜しんでくれて、
俺と俺がいるRebirthとをどれだけ認めていたかを語ってくれた。
やはり、解散すべきではなかったかもしれない。
でも、俺にはもう戻れるところがないのだ。

シュンスケには、本当に悪いことをしたと思っている。
彼は誰よりも我慢したし努力した。言行が一致していた。
俺がヘソを曲げてしまったときもあいつだけはねばり強く俺を諭してくれた。
あいつの期待には応えたかったが、ついにそれは叶わなかった。
あいつが多分、一番俺のことを解ってくれていたと思う。良いところも悪いところも。
その上で、今回の決断に至ったのだ。
あいつはこう言った。
「イブキはRebirthにこだわらずに外へ出た方が、きっと良い仕事すると思うよ」
と。
バンドを途中で壊すことのマイナスを、
一番よく解っているはずのシュンスケがこうまで言ってくれた。
そこまで追いつめたのはきっと俺なのだ。本当に申し訳なかった。

Rebirthの方では書けること書けないことあるので、
ここでは俺のごく個人的な見解を書いていきます。
あくまで俺の主観だから、見る人が見れば違うこともあるかも知れないよ。
だけど、俺について聞きたいことがもしあれば、掲示板やコメントを通じて声を寄せて下さい。
できる限り誠実に応えます。
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last scene

2005-05-01 02:00:24 | my lyrics
今日、僕のバンドRebirthが、僕とギターのシュンスケの脱退(事実上の解散)を発表しました。
思うこと、語るべきことは色々あるけれど、とりあえずそれは今はRebirthHPに譲って、
今の俺の心情をまんま描いたRebirthの詞を紹介します。
この詞はちょうど1年前、アルバム「feel what?」のレコーディングの過程で色んなことがあって、
初めてバンドを辞めてしまおうかな、と思い始めたときに、それがわからないように恋愛に仮託して書いたものです。
「きみ」を「Rebirth」や「音楽」と置き換えるとそのまま僕の心境になります。

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last scene

はぐれた夢 僕らの行方 答なんてまるで見えなくて
ただ苦笑い どこで勘違い 僕が信じてたのは何だったの?

訳もなくイヤになる たやすくダメになる
人混みがたしかに 僕を呑み込んだ

輝いた日々 すべてを失って どこに行けばいい?
君の代わりに 誰を愛したら 忘れられるの?
ラストシーンは言葉にならない 想いがほどけて
残酷なほど 暖かな陽射しに 背中を向けたまま

肝心な一言 消した雨音 君だけが僕の蜘蛛の糸
疼く傷跡 どうにかしないと すべてがツクリゴトみたいさ

あてもなく歩いてる ほどなく飲み込める
重なる針がいま 今日を過去にした

輝いた日々 流れ落ちてしまえ 戻れはしないなら
僕の代わりに 誰を求めたら 思い出せるの?
エンドロールを気取るような雨に 洗い流されて
心に残る 温もりもわずか 消え残るだけ
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