いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

寝過ごした…

2012-07-24 21:47:26 | 超・いぶたろう日記
気がつけば湯島。
僕が降りるのは大手町。
2駅も寝過ごした。
だが、それゆえにちょっとイイことにも遭遇。

職住近接主義の僕は、通勤時間はなるべく短く、
基本はバイクか自転車、雨ならクルマだ。
たまに都内にある本部の会議や他教室との打ち合わせで電車に乗るが、
元来とっても寝つきのイイ僕は、まずどこでも眠れる。
特に電車にはイチコロで、乗ると五分もしない内に眠りに落ちる。

しかも僕はそれがどこであろうと熟睡する。
寝過ごすこともしはしば。
すると、気づいて慌てて降りたりするのて忘れ物もしばしば。

先日もお気に入りの傘を忘れた。
そして今日もまた、読みかけの文庫本を置いて降りてしまう。
ホームに降りてはたと気づく。
持ってない、カバンにも入ってない。
電車はまだホームにいる、
しかし入口近くまでほぼぎっちり満員だ。
…取りにはいけまい…あーあ。
(この間およそ2秒)

…と、肩を落として居たら、
後ろからニコニコしたおじさんが僕の肩を叩く。
なんとおじさん、
僕の置き忘れた本に気づいて、
わざわざ電車を降りて届けてくれたのだ。

「…え、あ?ありがとうございます!わざわざご丁寧にスミマセン!」

とっさのことで驚いたけど、どうにかお礼は伝えられた。
最後尾の車両だったので、車掌もそれと察し、
ちゃんとドアを開けて待っている。
おじさんは笑顔で電車に戻っていった。
車掌に手を振りながら。

んー。
すてたもんじゃねーなー(^^)

僕なら

2012-07-23 22:07:14 | 超・いぶたろう日記
みなさん、学習塾にどんなイメージをお持ちでしょうか。
とにかく勉強、必勝、合格、偏差値、学歴、そんな感じかな?
でもね、意外と現場は、少なくともウチは、
学校以上に学校ですよ(笑)。

そらまあ、志望校合格とか、成績アップが最大最終目標だけども、
そこに至るまでには、無数の要素が散らばってるからね。
なんせ子供相手だから、理屈の通りには運ばない。
やりたくないことはやりたがらない。
やらないと損するのは間違いなく自分だけど、
庇護され扶養される者の哀しさ、それが理解できない。
ただ、好き嫌いと感情だけが支配する。

でもその未熟さを丸ごと何とか引き受けて、引っ張っていく。
その過程には、ただ単に知識をツメコミ、
テクニックとして勉強を教えるだけでなく、
何かと手間と時間をかけることが重要になってきます。

で、何が言いたいかってーと。

大津を筆頭に、一連のいじめ事件ね。
他人事じゃないんだよね。
あまり情緒的な正義を振りかざしてもしょうがないけど、これだけは言える。

「僕が担任だったら、絶対に自殺なんかさせてない。」

学校と塾とは違うって思われてるとシャクなので、
前置きが長くなりましたが…。

これね、僕も何度も対処したことがあるけれど、
いじめはどこにでもあるし、なくすことは出来ないんだよね。
病気みたいなもんなんだよ。
あっちゃならないことだけど、決してなくならない。
なくなりますようにと願うだけじゃどうにもならないし、
神経質になりすぎてもかえって不健康だ。

ただ、病気と同じく、
ゼロには出来なくとも予防と治療は出来る。
とにかくきめ細かく様子を見て、見逃さないこと。
何かあったら迅速に手を打つこと。

起きてしまったら。
魔法のような処方箋はないけれども、
手間暇惜しまずじっくり話を「聞く」こと、
そして大人が決してごまかさないこと。
何より、いざというときに子供が頼ってくれるよう、
普段から信頼関係を築くこと。
これだけで随分違うと思うんだよね。

子供の間の「いじめ」を別世界の出来事として見ないこと、
同じ世界の当事者として考えること、も重要。
大津の事件で出てくる大人の連中、ひとり残らず他人事で無責任でしょ。
まったく、子供の視点に立ててないからだよね。
「いじめ」なんてことが起きてしまったら面倒だ、
こっちの管理責任まで問われちゃう、ないことにしちゃえ、
そういうことだよね。
ガンになったら手術とか面倒だ、ないことにしちゃえ、
こんな医者がいたら恐ろしいでしょ。
患者の身になれる医者こそが名医だよね。

子供のいじめが大人のいじめと違うのは、
無思慮で手加減が出来ないことと、無分別な暴力があること。
大人から見たら他愛ないじゃれ合いや小突き合いみたいなもんでも、
当の子供にとってはヤクザに絡まれてるのと同じ、
生命の危険すら感じる場合だってある。

脅迫・恫喝は底知れない恐怖だし、
ものが無くなる・壊されるなどの陰湿な仕打ちや、
仲間はずれにされる、無視されることの耐え難い孤独感は、
死んでしまいたくなるのに充分な絶望を呼ぶ。
対抗側には法的な措置だとか身を守る知識がないし、
何より子供の世界のこととして、真剣に受けとめてもらえない。

これらの苦しみは、実は経験した者でないと、
本当の意味ではわからないかもしれないんだよね。
僕は小学校時代に少なからず経験しているから、
(当時の同級生も教師も、当事者たちはみんな忘れているだろうけど)
すごくリアルに思い出せるし、他人事には思えない。

世界が大きなプールだとしたら、
僕らの生きている環境なんてスプーン一杯程度のもんだ。
そこが濁っているからといって、何も死んでしまうことはない。
環境なんかどんどん変えちゃえばいいんだよ。
学校なんか、最悪行かなくたっていいんだ。
そう、彼に言ってあげられる大人が一人でも居たなら、
決してこんなことにはならなかったはずだ。

僕は、そうだった。
だから僕もそういう大人であろうと思っている。

僕が「塾」という、学校とは別の環境に出会って救われ、
そして憧れの中学校に入って変われたように、
僕の教室もまた、たかが「塾」に過ぎないけれど、
環境に恵まれない子供が絶望しなくて済むような、
変わるきっかけをつかめる環境であればいいと思う。

決められる政治ってこういうことじゃないの

2012-07-22 20:55:13 | この国の憂鬱
原発問題について、様々な立場から意見が表明されている。
僕はと言えば、
単純に「よく解らないもの」「自分の力ではコントロールできっこないもの」
への恐怖が先立ってしまうので、やはり反対寄りの立場になるかな。

かといって代替電源について妙案を持っているわけでもないし、
やはりこれも「無知なる者の、情緒的で身勝手なヒステリー」にカウントされてしまうのだろか。

ただねー。
原発技術そのものの安全性とか以前に、管理する人間、
それも現場というより権力レベルでの人間が信用できないというところが大きいんだよね。

漏れてるものを漏れてないと言うし、危険なものを安全だと言うし、
活断層の上に平気で原発建てるし、ひどいもんだよね。

事実を見ない。
根拠なしにものを言う。
責任をとらない。
問題をすり替える。
都合の悪いことはすべて隠す。
これらはもう震災以来イヤって言うほど見せつけられてきた。
原発そのものを措いておくとしても、
少なくともこんな人間たちに管理できる代物じゃないことは、誰が見ても明らかでしょ。

そもそも、国民投票をやらない時点で、
後ろ暗いものであることが図らずも明らかになっているよね。
僕は絶対にやるべきだと思う。
それは、民主主義の無謬性・性善を無邪気に盲信しているのとは、違う。
原発リスクを抱えながら、現状を維持するのか、
思い切って原発を棄てることで、別の隠れたリスクに挑むのか、
こういうベストな結論のない問題こそ、多数決で決めざるを得ないでしょ。
その結果ならば、いずれにしても、もうやむを得ない。
みんなで決めた結果は、みんなで受け止めるしかない。
イヤなら日本を出て行けばいいんだし。

僕がどうしても納得できないのは、この判断を一部の人間だけで済ませてしまうこと。
きちんと、無知も識者も子供も老人も、日本人全員で決めるべきでしょう。
国家の存亡すらかかってくるんだから。

青臭いかな-。
でも、じゃなきゃ筋が通らんと思うんだが。

back to...

2012-07-18 00:18:31 | 超・いぶたろう日記
旧友と触れ合うにつけ、
ふと、あの頃に戻りたいな~と思うことがある。
中学の入学式の日とか、高校の文化祭の初日とか、
いまだったらもっとうまく、もっと楽しく、
どうにでもできるだろうにな、と思う。
そこからやり直したらどうなるんだろう、とも。

でも、戻ったら戻ったで、
今ある大事なものと再び出会えるかはわからないし、
出会えても今のような関係を築けるかはわからない。
未熟だったからこそ、つながりあえたのかもしれないのだ。
すれ違ってしまうかもしれないし、失ってしまうかもしれない。

僕らは数多くの偶然と、
運命とも呼ぶべき必然に導かれて、
今あるところに立っている。
失敗も挫折も後悔も人並みにあるけれど、
すべてやり直せてしまうなら、すごく味気ないし、白ける気がする。
時間を巻き戻すことで今ある大事なものを失う訳にはいかないし、
やはりいまを一生懸命生きるしかないと思う。

ところが。
僕のこよなく愛するものでたったひとつ、時間を巻き戻してしまったものがある。
10年…いや、15年くらいかな。





阪神タイガース。
なにやってんだ、ばかやろー。

同釜飯

2012-07-14 15:42:13 | 超・いぶたろう日記
昨夜は中高同期の集まりに参加。
夜7時半のスタートで、僕の仕事終わりが23時半。
今回は無理だなーあきらめていたところに
「まだやってるよ」のお知らせ。
さすがだ。
この「時間を気にしない」友人というのは実に貴重だ。
「明日の予定」などあってないことにしてしまうこのパワーが素敵だ。

欣喜雀躍してクルマをかっ飛ばし、雨の麻布十番に突撃。
夜中3時まで笑いこけて、朝5時に帰ってきた。
もちろん、今日も仕事。
結構大事な説明会。
今日は一日やせ我慢プレイ実施中。

でもね。
何度も自慢しているが、僕は世界で一番楽しい学校にいたのだ。
世界で一番楽しい友人たちと、人生で一番楽しい時間を思い出せるのに、
どうして行かない理由などあろうか。

しかしこんなに無頓着で、八方やぶりで、適当で、
エゴイストで、ワガママで、個人主義者ばかりなのに、
ひとり残らず母校をこよなく愛しているというのが面白い。
飲み会とかにはみんな何だかんだで集まるくせに、
てんでばらばらに集まるし、帰るし、また戻ってくるし、
そのくせ普段から常に同期同門で徒党を組んだりするのは嫌う。
徹底して個人単位、だけど個人単位でみんなが母校を大切にしている。
すばらしいことだ。かけがえのない時間だ。

また、忘れた頃にあるだろうから、忘れたふりして必ず行こうと思う。

ぼくの人生観

2012-07-12 13:36:03 | 超・いぶたろう日記
私が私であるところの宿命と言うべきか、
色んな局面で色んな方に「甘さ」を指摘されることが多いのですが、
まあ誤解も含めてしゃあない、と開き直るしかないかな。

考えてみりゃほんとに運と要領と出会いに恵まれ、
お前そんなんで大丈夫かと白眼視されながら、
大概のことは何とかなってしまった半生なので、
骨の髄まで楽観的というか、
本質的に「危機感」というものが欠けていると思う。
そのくせやたら弁だけはたつので、
周りからみれば鬱陶しいことこの上ない。
自覚してます(^^)

これからは心を入れ替えて…なんてことを書くのは簡単だけど柄にもないし、
そもそも自分を厳しく律してサクセスやステイタスを目指すという人生に
まったく魅力を感じないというか、本気で「できない」ので、
やはり楽しいか、面白いか、やりがいはあるかを軸に、
今後も調子良く展開する人生に期待するのみなのである。

たぶんこれからも
「あいつはいつか大失敗するぞ」と冷ややかに言われながら
しぶとく調子良く生きていくのである。

ただ、僕なりに譲れないこだわりのようなものは頑固に携えているので、
少なくとも僕が手掛ける仕事については一点の曇りもなく質を保証するし、
そのことがきっとこれからも、素晴らしい人と出会いを担保してくれるのであろうと信じている。

人生なんて、自分で思うほど甘いもんじゃないかもしれないが、
みんなが言うほど厳しいもんでもないよ。
ただただ、死ぬまでのヒマつぶしだよ。

趣味がSMになりました

2012-07-02 23:49:37 | 超・いぶたろう日記
ご期待に反するようですが、変態方向じゃないです。
Sports Monday」です(笑)。

最近は月曜の休みにもっぱらジムに通って身体を動かしてます。
自宅からクルマで10分とかからないところに、
スパとプールとジムが一緒になった施設があって、
ちょいと試しに行ってみたら気持ちよくてクセに。



初めてだったんだけど、ジムトレーニングって気持ちいいね。
バイクこぎとかもテレビ見ながらだと10kmとかあっという間だしね。
テレビでしか見たことのないトレーニング機器も、
やってみるとなかなか面白くて、これなら続きそうです。

思い切り汗かいて、その後のサウナや風呂がまた最高。
温泉(東京独特の黒いぬるっとしたヤツね)が湧いてて、露天風呂になってんだよ。
プールはまだ入ってないけど、そのうち行こうかと、
キャップやらメガネも一式揃えちゃった。

んで、今日もジムへ行こうかと思ったんだけど、
あまり天気がよかったんで、
川沿いをずーーーっと自転車でこいでって、
こんな感じになりました。



町乗りじゃなくて、サイクリングロードみたいなところを漕ぐのは実に楽しい。
風も爽やかで大変気持ちいい。
月が出てきたり


日が沈んだり、遠くにスカイツリーが見えたり




精神衛生上もすんごくいいですね。

途中、警察の訓練所みたいなところがあって、
色んな建物を模したセットがあって面白かった。




かれこれ15~16kmほど走ったのかな。
でもあっという間だったね。
それほど疲れなかったし、お金もかかんないし、
これなら毎週でもいいな。ジムと交互に行こうかな。

身体がほぐれたのか、この後の毎週恒例ボウリングも絶好調。
アベレージ170超えを初めて達成しました(祝)。

本当にへたくそだったんだけど、ちょっとずつ安定してきたかな。
スコアに残ると嬉しいもんだね。
ベストが一発ぽんと出るんじゃなくて、アベレージでイイというのが嬉しい。

というわけでこれからも月曜はSMです(笑)。