いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

妹によれば

2008-06-23 18:10:42 | 特選いぶたろう日記
久々にあった親父は、僕についてこんな話をしたそうだ。

昔、あまりにいたずらが過ぎるので反省させようと、
深夜に当時住んでいた住宅地の北側の、
未開発の山林へ連れ出したことがあった。
朝までの正座を命じ、毒蛇の対処法を教え(笑)、
そしていざ立ち去る段になって、何か最後に言いたいことはあるかとただしたところ、
大粒の涙をこぼし、ぶるぶる震えながら、
当時5~6歳の僕はこう言ったそうだ。

「い・・いのちばかりはおたすけをぉ・・・(涙)」


さしもの親父もそれ以上叱れなかったらしい(笑)。

この夜のことは僕も記憶の片隅に残っている。
なんせ満州で部隊を率いて大暴れした青年将校であった祖父の、
過酷なまでに厳しい軍人教育を受けた親父だ、
自分の子にも同じく厳しく当たろうとしたのだろう。
実際、俺の親父はこんなモンじゃなかったと、
よく僕にも語って聞かせたものだった。
まあ、実際そんな教育がどれほどの効果があるかと言えば、
反動のせいか2代にわたってやくざ者をこしらえているので、
4代目はちょっと見直すべきでしょう(笑)。

しかし、最後の一言はまったく記憶になかった。
そういえば、それまでまったく交渉の余地もなく、
「おまえなど山に棄ててやる」の一点張りだった親父が、
なぜか途中で態度を軟化させ、
「よし、じゃあ俺が外を一回りしてくるまでで勘弁してやる。ただしそこを一歩も動くな!」
となった、その契機は何だったんだろう、と思ってはいた。
そうか、そういうことだったのか。ウマイな(笑)。

これには更に続きがあって、
その後やはり僕は山中の孤独に耐えきれず、
そーっと脱出し、近くの公園の建造物まで辿り着いたのだ。
親父にすがっても許されないのはわかっていたんだね。
で、そこにゴミ箱から拾ってきた段ボールやら新聞紙やらを敷き詰め、
寝ようとしたところに親父がぬっと入ってきて、
「おまえというやつは…!」
と苦笑混じりに怒られ、
その苦笑に救いの光明を見いだした僕は、
ここぞとばかりにただひたすらに許しを請い、
どうにか帰宅を許されたという、
そんなオチがつくのだ。
思えばあれ、まだ幼稚園くらいの頃だったよなあ。

兄貴には『覚えてるか?』と伝えろと、
妹はことづかってきたらしい。

忘れいでか(笑)。

久々に会った娘との話題はと言えば、
やはり共通の関係人物ということになるらしく、
僕にまつわる話が多かったそうだ。
そして親父は式への参列を願う妹に向けて、こう言った。

「・・・バツゲームみたいなモンだからなァ…」

よくわかってんじゃねえか(笑)。

親戚ほかの目を考えたら参列は出来ない…とかなんとか、渋る親父、
そこをなんとかとすがる妹、
妹は最後の手段として僕の言葉を引いた。

「結婚式なんて、花嫁と花嫁の両親のためだけにやるようなモンだ。花嫁が希望したことは全て叶えてやるべきだし、周りが何と言おうと、花嫁がイイならそれでイイんだ。」

お兄ちゃんはそう言ってたもん、と涙涙で訴える妹。
さすがに親父も動かされたらしく、
正式な参列は出来ないが、バージンロードを一緒に歩くことは引き受ける、
そう折れたらしい。


あ~~!素直じゃねえナア!!

どうしてこう、意固地なのかしら。
誰かさんそっくりだ(笑)。
親父も言っていたらしい。

「兄貴(僕)はそんなこと言ってたのか…アイツは俺みたいなクチを利くなあ…」


人生、色々だ。
それぞれがただ幸せを求めて、それぞれに悩み、迷い、
そうこうしてるうちにいつしか年月が経って、みんなトシをとっていく。

だが、それもそう悪いことばかりでもない。

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親父と話す

2008-06-16 17:43:31 | 特選いぶたろう日記
妹が結婚するというので、
昨日の晩、3-4年ぶりくらいに親父に電話をした。
親父についてはここでも何度か書いているが、
まあ色々あって普通の父子関係ではない(笑)。
彼は関西圏では一時代を築いたアナウンサーとして有名であり、
途中ブランクはあったが、
還暦を過ぎた今もラジオの帯番組を持つなど一線で活躍している。
その点で、努力においても才能においても
僕などよりも遙かに上をいく、尊敬すべき親父ではある。
しかし、プライベートについてはお世辞にも見習うべき点があるとは言えない。
貴重な反面教師となっている。
実にフクザツな存在だ(笑)。

とはいえ、僕が人前でのおしゃべりや、文筆活動、司会進行などにおいて、
専門的な訓練を受けたわけでもないのに、
おおよそ苦もなくこなせてしまうのは彼の影響に拠るところが見逃せないだろう。
言葉に対するこだわりも、社会に対する批判精神も、
みんな受け継いでいる面がある。
それは否めない。

だから僕のルーツとして、非常に興味深い存在でもあり、
語ってみたいことは山ほどあるはずなのだが、
どうにもなかなか連絡をとる機会が持てずにいた。
数年に一度、あるかないかだ。
僕が10歳くらいの頃からずっとそうだった。
父親というものが人生に欠けていたのが当たり前だったから、
実感としてはそう、もうとうに亡くしていたような感覚だったろう。

だから久々に親父と話してみたのは、なんというか、
本当に筆舌に尽くしがたい奇妙さがあった。
妙に興奮した気もする。
かつて幼く蒙昧であったが故に一方的に封じ込められた頃とも、
いたずらに敵愾心を燃やし、
ひとつの虚像に向かって反発していたような10代の頃とも、
意識するが故にあまりコンタクトをとろうとしなくなった20代の頃とも、
違う。
僕の方にも分別のようなものが芽生えたのか、
それが僕の話し方にも滲み、親父はそれを汲んだのか。
はたまた親父がトシをとったのか。
僕はいたって普通だったし、
親父はいつになく優しかった。
そう、久々に話した親父の口調は実に物静かで、
また不器用ながらも僕を気遣うようなそぶりを見せていたのだ。
それがまた、僕を拍子抜けさせたのもひとつだし、
今までになかった「父親」への不思議な感覚を呼び起こしたのもひとつだ。
親父が大きな病気をしたこともあったかもしれない。
しかも、親父の親父の死因ともなった、同じ病気だ。
九死に一生を得たという彼の声、
その調子からはかつての威圧的なものは感じられなかった。

何だろう。

親父という壁を乗り越えようとした記憶もあまりなく、
乗り越えたというような認識もまたなく、
和解という言葉もそぐわない、
気がついたら親父と似たようなレールの上を走っていて、
上りと下りとですれ違ったようなこの感じ。
僕は僕で親父を追いかけることもなく自分の道を行くだろうし、
親父もまた僕を振り返ることなく親父の道を行くだろう。
本当に不思議な感じだ。

僕にとって親父というのは自分の中で感じるものだ。
すでにそういう感覚になってしまっている。
だから、実在の親父と会話をすることによって、
多少のズレも生じるし、その違和感がまたリアルなのだろう。
言ってみれば、そう、まさに、
「死んだ親父に会った」感覚なのだ。


親父も不摂生な人間だ。
おそらくそう長生きは出来ないだろう。
僕と対話する機会も、もう数回という気もしている。
それでいて僕も親父も、
これまでの関係を見直してべったりするようなのはゴメンだ、と感じている。
それでいい、と思う。
そうでなければ、
ごくごくたまーに話すからこそ味わえる、
こんなに奇妙で面白い感覚も味わえなくなっちまうんだ。
それは親父が本当に死んじまっても、そうだ。

だから親父、これからもごくごくたまーに、
ちょっかい出しに行くぜ。
面倒くさそうに、そのくせ律儀に受け応えするあんたのそれ、
まるで俺みたいだな。


ああ、そうか。
昨日は父の日だったんだな。




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実は非常に難しい

2008-06-15 15:57:04 | 似非哲学の部屋
日記と随筆の中間にあるブログというのは実に微妙なものだ。
内省的な自分語りでもあるし、不特定多数への発信でもある。
読まれることを意識して書いているはずなのだけども、
その内容は必ずしも他者への発信を意識しているとはいえない。
居酒屋トーク程度の自己顕示と発散。
場所が居酒屋ならば、相手に面と向かって語られるそれは、
やはり他者のダイレクトな反応を意識せざるを得ないから、
そこには最低限度の抑制を利かせる余地がある。
もちろん、アルコールによって崩壊することが多いけど(笑)。
しかし、ブログにはこの他者のリアルタイムの反応というものがない。
コメントなどによって時間差で寄せられることはあるが、
少なくとも発信時においては、それらを想像することは出来ても、
すでに書き上がりつつある文面を修正させるほどには働かなかったりする。
ここに課題があるわけだ。

しかし、目の前にいるわけでもない他者の反応を想像しながら、
自分の文面を客観的に校閲するというのは非常に難しい。
たいてい、自分の言いたいことを少し曇らせさるをえない。
ガマンの強いられる作業だ。実に面倒でもある。
経験も語彙も必要だし、不可欠なのは自制心だ。
だからこそ、いい文章を書く人間は人格面でも高潔であることが多い。
ゆえに僕も含め、残念ながらその域まで達していない人間は、
「書きたいことを好きなように書きたいだけ書きます」
なんて言い訳じみた文言を看板にせざるを得なくなる。
まあ、自らの稚拙な文章力と未熟な人間性をごまかす、
一種の予防線なわけだ。
無頼を気取り、毒舌を任じ、一見格好いいようでいて、
実は子供じみている。
まあ実社会、特に日本においてはあまり有用でない方法論だと言えよう。
これは僕自身への総括でもあるわけだが。

やはり他者の目にさらされる環境を選んだということは、
少なくとも多少は読んで貰いたいという気持ちがあるはずで、
だとすれば拙文に時間を割いてくれた読者への誠意として、
主客のバランスを図るべきではあるだろう。

だけれども人間というのは一時の感情にとらわれ、
ついつい言いたい放題言ってしまうときがある。
後々振り返れば、そこまで言うほどのことじゃなかったな、
と思うこともしばしばだ。
カンチガイもあるし、心身の疲労具合にもよるし、
直接会って話していないがゆえの思いこみだってある。
それらが歪めた自分の姿を、全世界にさらけ出しているわけだ。
考えてみれば恐ろしいことだ。
ところがあくまで作業をしているのは自分の机上であって、
おおよそ普段そういうことをイメージすることはない。
テレビカメラの前に立っているような緊張感や用心深さは見られない。
これこそが、ネットの落とし穴とも言うべきものだろう。
まさに僕が何度もハマったわけだが(笑)。
これが僕だけならまだしも、
ネットとラジオの違いこそあれ、
言葉のプロフェッショナルであるはずの親父までもが痛い目に遭っているから、
まあ、発信者の立場に立つというのは本当に難しいことなのだろう。

問題は、この難しい立場に誰もがカンタンに立てる時代になってしまったということだ。
思索・思慮の浅い者も深い者も、
語彙の乏しい者も豊かな者も、
博識な者も無知な者も、
実社会での人間関係が濃い者も薄い者も。
「平等」というのは恐ろしい。
5億人の運命を左右するEU憲法がわずか数百万のアイルランド国民、
それも慎重な検討なく単なる反発心だけで反対に票を投じた者たちによって、
カンタンに葬られてしまった例にも明らかだ。
いかにも民主的で平等な手続きに見えるものこそが恐ろしい。
どんなに誤った判断でも集団の盲信が肯定してしまうからだ。
だからこそ、一人一人の自覚と自立、
そして何より自己研鑽が必要なのだが、
それらについてはまったく脆弱なのに、
一人前の権利を要求する者たちによって、
どんなに便利なものも有用なものも歪められ壊される。
僕はこれを「平等幻想の招く不平等」と呼びたい。

本当の意味で謙虚であること。
それしかない。
いわゆる日本的な自己卑下にも似た「謙虚」ではない。
主張したいことは、遠慮していては伝わらない。
謙虚であることと、曖昧でまわりくどいこととは違う。
言うべきことは言い、間違っていれば素直に非を認め、
かつ発言全てに責任を持つこと。
黙っていれば何よりカンタンだし、ラクだが、
僕はそんな背景の一部みたいな生き方はしたくない。
言いたい放題言ってたければ、卓上のノートに記せば済むことだ。
敢えてそれをネット上に曝すのは、そういう至高の目標があるからだ。
覚悟をもって臨みたいと、改めて思う。
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書くほどのことでもないかとも思える我が心にうつりゆく由なしことなど

2008-06-06 02:02:38 | 特選いぶたろう日記
日々、忙しい。
まあ、仕事してる人はみんなそうだろう。
忙しい中で忙しいと言わないでいるのがカッコイイのだが、
まあ僕はカッコ悪~く、正直に文句を言い続けて三十数年なので、
まあいいかと。

さておき。
街でまたもや「多目的トイレ」に出合った。
以前どこかでも書いたが、実に思い切ったネーミングだと思う。
広めのスペースをとり、身体に不自由があっても楽に使え、
子連れ・ベビーカーの母親にもありがたく、
用便以外にも急な発病やその他にも対応できる内装だ。
この設置自体は、いい。
僕のような何の不自由もない人間が、
男子便所が清掃中だからという理由だけで使わせていただくのは、
なんともはや畏れ多くもったいのうございまする、殿…感満載である。
しかしそれにしたって。
多目的とは。

…。
…。

………休憩ですか。ご宿泊ですか。


思いつかないこともない範囲のネーミングではあるが、
「多目的」という字面を眺めるとちょっと考えちゃう。
じゃあ何なら文句ないんだ。

「他目的」
これだと用便は禁止みたいだ。
「マルチパーパス」
英語になっただけだ。
「タモクテ~キデ~ス」
来日して日が浅い感じになった。
「休憩室」
お茶が出そうだ。
「後期高齢者便宜室」
より波紋を呼ぶネーミングだ。
「リラクゼーションルーム」
仮眠をとってしまう。
「水の流れる小部屋」
ししおどしも欲しいところだ。
「社長室」
庶民の夢か、業界用語的な隠語か。
「トイレの中心で他目的を叫ぶ」
いや、訴えるならむしろ外だ。
「他目的の中心で用を足す」
具体的すぎて利用率の低下が見込まれる。
「トイレーツ・オブ・カリビアン」
外国のエロDVDみたいだ。

こうして考えると、非常に難しい。
あまり説明的になるのもなんだし。
他目的の高尚な理念を一言で的確に言い表す言葉はないものか。

話は変わるが、やり場のないプチ怒りをちょっと吐露してもいいだろうか。
ここんとこ雨続きで満足に散歩に連れてってやれてないせいか、
毎晩小豆が僕のベッドに用を足す。
家に帰ると黄色いシミ、日によってかりんとう付き、
というのがかれこれ4日ほど続いている。
毎晩シーツを洗って取っ替えている。
僕のベッドもまた、小豆に言わせれば
他目的なのだろうか。

用便以外に飼い主の睡眠にも!
みたいな。


・・・おい。
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雨の多くなる季節ですね

2008-06-02 02:27:09 | いぶライダー闘いの記録
今日はスカッと晴れたけど、
どーも休みになると雨ばっかだったような気がしてて、
また雨か~!と毎週言ってる内にもう梅雨入りな感じだね。

バイクにも乗れない日が増えるわけだけど、
考えてみれば俺、6月の後半~7月前半って、
実はバイク乗ったことないんだよね。
去年も一昨年もなぜかこの時期に免停で(笑)。
去年の事故もあってちょっと意識を変えて、
安全運転に努めているおかげか、
幸いここまで警察にもたかられずに済んでます。

バイクだと夜はまだまだけっこう寒いんだよね。
で、昼は暑いでしょ。
陽が出てるともう強烈ですよ。
着るモノに困るよな~。
しかもいきなり雨降り出したりもするしなあ。
いつだったかラップ巻いて帰ったことあるけど、
こないだもゴミ袋かぶって帰ったよ(笑)。

バイクが封じられて機動力を失うと、
残業はすなわち朝までコースを意味するからしんどいなー。
夏を控えたこのシーズン、毎年きっついのよねー。
どーもこの2週間、咳と偏頭痛が止まらない。
体調は実に悪いのだけど、テンション下げたらぷつんと切れちゃうしねえ。
どっかでオーバーホールしたいけど、なかなか難しいよね。
どーして日本ってこう、働くことしか能がないのだろう(笑)。

やりゃあできるし、誰かがやらざるを得ないことならしょうがないし、
それが多くの人が苦手とすることならばなおさら任される機会も増えるだろうけど、
それが自分のやりたいこととイコールとは限らないよね。
それでまた下手に結果が出ちゃうと(出しちゃうと、じゃないんだよな)、
適任であるかのように思われたりなんかして。

自分に向いてるかどうかなんて、
自分だけで判断するようなもんじゃない(単なるわがままな願望の投影になる)
だろうけど、
にしたってまあ、無理はしてるわな。
だって俺、そんな立派な人物じゃないもん。
場を盛り上げることは得意だけど、刹那の能力でしかない。
感性で理屈をこね上げて、気分で動くのが本質のワガママ人間だから、
組織をまとめられるような器量、ないと思うんだがなあ。

しかしこれもまた身勝手な自己分析に過ぎなくて、
案外他者の評価に真実が宿るのかも知れないけどね。
でもその評価の前提になるモノが、これまた不確かな「イメージ」だったりもしてね。
世の中って難しい。
日本以外の世界を知らないまま、
この何となく腹の立つ日本社会に埋没してしまっていいもんだろうか。

とかなんとかね。

ほかの何にも要らないから、自由が欲しい。
雨が降る前にちょっとバイクで走ってくっかなー。
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