10月は子供たちの誕生日。
愛息が僕を「父親」にしてくれてはや5年、
愛娘が僕を「メロメロパパ」にしてからは3年だ。早い。
この間、彼や後から生まれた娘が僕にくれたものの大きさは計り知れない。
人生の主役が自身から彼らにバトンタッチしたのがわかる。
しかも、その立ち位置でいることがとても幸せだという不思議な感覚。
あくまでも僕自身だけに限った感想だけれど、
親にならなければわからなかったこともたくさんある。
親になったことで得た視点や視座も多くある。
人生の幅が何倍にも拡がったのは間違いない。
幼い頃、自分がかつて通ってきたさまざまなイベントやシーン、
今度は親の立場で追体験できるのも実に味わい深い。
そうか、あれはこの視点だとこう見えるのか。
そういう意味があるのか。
自分の親の気持ちも辿っていける。
幸いにも僕の両親が健在なので、それを話すこともできる。
僕がいい父親でいられているかどうかはわからないけれど、
ただただ全身全霊、持てる限りの愛情を注いで可愛がっている。
この先、形は変わるだろうけれど、まだまだずーっと、
僕が死ぬまで、彼らと「親子」でいられるのが楽しみで仕方ない。
彼らの成長をいつまでも見守っていたい。
長生きしたい、と初めて願うようになった、な。
神龍、頼むよ〜!
いぶろぐにもこういうことを書けるようになったんだな。
基本、文句と愚痴と不平と怒り、そして誰かの悪口(笑)。
アレが好きで読んでいたという人は、もうここにはいないんじゃないか(笑)。
いまやただの親バカパパだもんな。
20年前はバンドの愚痴。
10年前は前職の愚痴。
定期的に世の中への愚痴。
あとタイガースへの愚痴。
たまに思いだし怒りでその他キライなアイツやコイツの愚痴。
やけに理屈っぽく、饒舌な愚痴。
何が面白くて誰が読んでくれていたんだろう……(笑)
で、かつてバンドでもそうだったように、職場でも大モメして飛び出して、
さあどうなるかというところから、奇蹟的に独立を果たして10年。
自分の教室で自分のやりたいようにやれているのだから、
大きなストレスも苦労もないはずだ…と思われるかもしれないけれど、
やはりそれはそれで、苦労は絶えないもの。
でもどんなにキツくても、しんどくても、理不尽な思いをさせられても、
あまり愚痴る気にならない。
それはなぜかと言えば、
もちろん「独立した以上すべては自分次第」ということも大きいけれど、
何といっても子供たちの存在なんだよね。
そりゃあたまには、すべてを擲ってラクになってしまいたいこともある。
だけど、すぐに「子供たちはどうする?」と頭が冷える。
息子はまだ5歳、娘は3歳だ。
こいつらを食わせてやらねば。
「子どものためなら、頑張れる!」
古今東西で語られる、親の定番中の定番セリフなんだけど。
これ、昔はそんなのキレイゴトだろ…と思ってました。
でも、本当でした。
子供の顔見てると頑張れる。
この子らのためだと思えばどんな苦労も乗り越えられる。
本当に、この子たちには人格も人生も変えられた気がするなあ…。
まあ、相も変わらず理屈っぽくてめんどくさがりでアマノジャクな私ではありますけれども。