いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

独立開業しました

2014-05-26 00:31:09 | 超・いぶたろう日記
この度、独立して新しく自分の教室を創ることになりました。
小・中学生対象の集団指導塾です。
6月オープンを目指して、毎日開業準備に忙しくています。
でも、いくら忙しくても楽しいから不思議です^^

僕の元々の希望は、子供たちと楽しく学べる場をずっと守ることでした。
昨年までに自分が目指しつくってきた、
先生も生徒も明るく前向きでいられる教室を、
現場と乖離した経営方針などに抑制されることなく、
自らの意志と力で再現したい。

退職の後もその思いはずっと持っていましたが、
資金力に乏しい僕ひとりの力では、夢物語に過ぎませんでした。
退職後は他社に就業し、また一講師として頑張るつもりでした。

しかし、運命とは本当に不思議なものです。
僕の元に、新教室開業を待ち望む声がひとり、ふたりと集まり、
気がつけば大きな力を僕に与えてくれたのです。

本当に信じられないくらいの劇的な展開でした。
普通は金策に走り回ったり、あちこちに頭を下げたり、
はたまた強引な営業活動を展開したり…というのが普通でしょう。
しかし、今回の僕の独立は、気持ちのいいくらい、
人々の力強い「思い」が結実したものでした。
僕の遠慮が、周囲の支援者の熱意に吹き飛ばされるほどのものでした。

僕が心がけてきたこと。
「上を見て仕事はしない、天を見て仕事をする」
「上」に疎まれ、どんな不遇に遭っても、
「天」は必ず見ていてくれます。
開業を報告してからここまで、本当に多くの方から温かい励ましをいただきました。
本来、こちらからお願いに上がるべきところ、
わざわざお問い合わせを下さって、
船出したばかりの我々に変わらぬご信頼を下さる方ばかりでした。
もうこれは感謝ということばでは足りないほどにありがたく幸せなことでした。

引き続き、頑張ります。
よろしくお願いします。
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お歌湖に押し得られ

2014-05-25 14:16:34 | 超・いぶたろう日記
まあ本当に、心底ガッカリするような話を聞いた。
これがまあ、かつて師とも仰ぎ尊敬した人のありようなのだろうか、と。
窮地にあって顕わになったその噐には、嘆息しか出ない。

反論は、すまい。
彼もまた、人間。
旧縁に感謝し、最後に贈る言葉があるとしたら、2/12の記事で紹介したこの言葉。


「本来、自分の周りで起こることは、すべて自分でコントロールできること。
全ては自分の責任で、人のせいにして誰かを責めても何も生まれない。
逆に、人を許すことで、その人の心を開くことができる。
 許すことは自分の運命を変えることでもあるのだ。」

ありがとうございました。
本当に、さようなら。
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蓬生麻中 不扶自直

2014-05-22 08:24:14 | 特選いぶたろう日記
池袋で高校同期と吞んで歌っていま(午前8時)帰宅。
クルマがあるから、と時間を気にせず呑気に遊んで、
そろそろ帰るかーと駐車場に行ったら施錠されてて、
7時までクルマが出せないという大惨事。
しょーがないので6時半まで漫画喫茶で寝て、いま帰り着きましたとさ。
とほほのほ。

あ、ちなみに、ご存じの方も多いかと思いますが、
私は一滴もお酒が飲めない完全な下戸ちゃんです。
飲酒運転などできようもありませんので、誤解なきよう^^

殊更に言うのもどうかとは思うのだけど言わずにおれないのが、
我が高校同期たちの愛すべき頑固で偏屈でワガママでとことん自由な気風。
どいつもこいつも揃って回転が速く、博識多弁で、やけに自信たっぷりで、
付和雷同を嫌い、思いついた順に言動に移す。
普段の環境で異端扱いされる自分の思考や発言、行動の様式は、
ここにあっては自由という名のコモンセンスであることが思い出される。

だから平日ど真ん中なのに時間は気にしないし、
カラオケ店なのに突然「ちょっと聞いてくれ!」とかマイクスピーチが始まるし、
その熱意をものともせず平気でトイレに立つし、
二言三言も言わせればもう異論や付言が飛び交う。
そして誰もムキになって怒り出したりはしない。
どんな暴論にもキツイ冗談にも、怒ったら負けなのだ。

予定調和的な相互理解よりも、妥協なき自己主張を無遠慮に、
しかしごまかしなく交わし合うその空間は、笑えるくらいに心地よい。
価値観の違いを結論に丸く収めず、
あくまでも前提として一歩も譲らずぶつかり合うことを楽しめる関係というのはそうはない。
しかもそれが20年以上の歳月を超えながら、
つい先週とか昨日とかも普通に会っていたかのように、
あっという間に共有されるからたまらない。

ただ、すっごい楽しいけどすっごい疲れる(笑)。
これを毎日やっていた12歳から18歳までの頃のパワーたるや底知れぬ。
不惑になんなんとするいまもなお、麻中に戻ると直される。
そんな蓬の気持ちで迎えた今朝の光はまた一段とまぶしい。
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逸麺麭論

2014-05-19 14:08:05 | 超・いぶたろう日記
近所のパン屋は本当にうまくてねー。
大人気ですぐ売り切れちゃう、まーた逃し……とかいう話ではなく。

一般論として、話の長い経営者って、害悪だと思う。
一般論として、言うことがころころ変わる経営者って、病気だと思う。
一般論として、自分を客観視できない経営者って、失格だと思う。
一般論として、部下に嫉妬しちゃう経営者って、みっともないと思う。
一般論として、法律もロクに知らない経営者って、愚かだと思う。
一般論として、パワハラ経営者って、犯罪だと思う。
一般論として、必要なお金をもケチる経営者って、輸血を惜しむ医者のようなものだと思う。
一般論として、自分の勝手な思い込みが社会常識とイコールだと思う経営者って思い上がりも甚だしいと思う。
一般論として、自分が絶対正しいと思い込み、人の話を聞かない経営者って、自殺行為だと思う。
一般論として、自分の過去の苦労とか労働時間とか睡眠時間とか帰宅できなかったこととかを自慢する経営者って、カッコ悪いと思う。
一般論として、昔話ばかりする経営者って、現在が見えていない証拠だと思う。
一般論として、すぐ感情的になっちゃう経営者って、器じゃないと思う。
一般論として、イエスマンに囲まれた経営者って、オシマイだと思う。
一般論として、本人は良識的・論理的なつもりでいて、その実、思いっきり感情に流されてる経営者って、稚拙だなあと思う。
一般論として、人を大事にしない経営者って、独りでやればいいと思う。
一般論として、人にやたら細かくうるさく神経質な経営者って、自分にはとことん鈍感でだらしないと思う。
一般論として、尊敬できない経営者って、ただのカンチガイさんだと思う。
一般論として、誰にも本当のことを言って貰えなくなったことに気づけない経営者って、愚かを通り越して哀れだと思う。
一般論として、パソコン・デジタルわかんないとかのたまう経営者って、アナログじゃなくてアナクロだと思う。
一般論として、新たなことを学ぼうとしない経営者って、人に何を言う資格もないと思う。
一般論として、同じ事しか言えない経営者って、従業員やるべきだと思う。
一般論として、すぐ恋愛論とか持ち出す経営者って、タダのバカだと思う。
一般論として、人の心理が読める気になってる経営者って、何も解ってないと思う。
一般論として、言い訳の多い経営者って、情けなくて話すだけ無駄だと思う。
一般論として、期限を守れない経営者って、必ず会社を潰すと思う。
一般論として、自分だけが人気者でいたい経営者って、現場にはとことん邪魔だと思う。
一般論として、根拠なく人を気分でやたらに調子よく褒めそやす経営者って、やはり根拠なく人を気分で都合よく貶めると思う。
一般論として、弱者の理解者を気取る経営者って、ただの自己陶酔だと思う。

自分がその立場になるに当たり、心の底から自戒を込めて。
Comments (2)
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見下ろす

2014-05-17 00:31:52 | 超・いぶたろう日記
ある問題について述べている複数のブログを読んで思う。
本人はどんなに論理的で正しいことを書いているつもりでも、
やはり一見してそれとわかる「オレ様天才」「オレ様以外みんなバカ」主義の人が言うことは、
どうしたって眉唾ものに映ってしまうのだなあ…と実感。

きまって使う文句が
自分に対しては…「高知能」「冷静」「論理的」「科学的」
他人に対しては「低地能」「非論理的」「感情論」「醜態」「馬鹿」「阿呆」「低俗」

まあ、こういう認識に立ってものを言う限り、信頼性は低いよね。

なんだろうね。
おそらくは、友だちにも家族にも恋人にも職場にも恵まれないんだろうな。
自分の言い分ばかりを押しつけて、人の気持ちが理解できないために、
周囲に疎んじられるたびに、自分を正当化すべく「高知能」を謳うしかない。
自分が思うほどに自分が認めて貰えないことを周囲の無理解のせいにして、
周りを「歯車」だとか「飼い犬」だとか呼ばわりして、
果ては日本社会全体が病気だとか言い出す。
自分と価値観が違う人間、自分に否定的な人間に対しては、
すべてバカだのアホだの言わないと気が済まない。
すでに、そんな表現に頼らざるを得なくなっているところに、
自分が本来演じたかったはずの冷静で論理的なキャラとの齟齬があると思うのだが。

誰だったか、ラジオパーソナリティが昔ラジオで失言してしまい、
ディレクターにこう言われたことがあるそうだ。
「馬鹿という言葉を使わずにバカの話をするのがプロのパーソナリティだ。言いたいこと言うだけなら素人だ」
求められるべきはまさに、こういう矜恃だろうねえ。

僕も昔は言葉を選ばなかった。
自分がスッキリすることを最優先していたからだ。
しかし公開する以上は読み手あってのもの。
読み手が不快に思わないように、それでいて爽快感が得られるように、
なるべく心がけたいモノだ。

いずれにしても、ネットの世界には、
相手して欲しくてたまらない寂しい人たちがうじゃうじゃ居る。
しかし、僕くらい素敵な仲間とあり得ない幸運に恵まれた幸福な人間になると(笑)、
今さらそんな不幸な人間に噛みつかれたところで、改めて言うことなんて特にないな(笑)。

かわいそうね、くらいかなあ(笑)。
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診断

2014-05-15 01:53:57 | 超・いぶたろう日記
「100万人近くの児童がADHD(注意欠陥多動性障害)と誤診か、学年の中で生まれが遅いことが背景に


これねえ…。
周囲の大人にこそ、問題の種があると思うんだよなあ。
特に、知識があるつもりの、わかってるつもりの人が一番怖い。
有資格者とかいってもさ、
子供の「個性」を「異常」とか「病気」と言い換えることが、
子供を理解し、守ることだと勘違いしている人も多いしね。

それに対する療育や指導方法も一方的だったりするし。
散々あれやこれや決めつけて、自分の指導を押しつけて、
そのことがかえって子供を歪めてるかも知れないのに、
多くの視点で子供を捉えることを拒み、
自分だけの思い込みで作り上げた「障害児」が、
誤診でしたなんて、話にもならない。
そういった子供たちを預かる立場の人が、
実はADHDやアスペルガーだったりするかもしれないのに。

だからね、そういう名前で括ったら、
そういう風にしか見えなくなるから、
それが危ないと思うんだよね。
よほど極端な場合、例えば自分や周りを傷つけたりするようなことでもない限り、
ボーダーの子は緩く見守ってあげた方が良いんではないかなあ。

診断基準とかみてるとさ、自分もそうだったんじゃないかとか、不安になってくるよ(笑)。
人の心は連続するグラデーション。
そこに無理に線を引いて人を決めつけたり、自称したりするのはおかしいよな。
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いぶろぐは拡散しなくてイイよ

2014-05-09 06:29:21 | 超・いぶたろう日記
「ORICON STYLEスタイル」より抜粋。

『松山千春のメッセージが若者間で話題に』
フォークシンガーの松山千春が、5月2日放送のトーク番組『A-Studio』(TBS系)にゲスト出演。その時のトーク内容が「感動もの」と、若者たちの間で話題になったという。

若者に向けて「お前たち若い人間に足りないのは、見返りを求めすぎることだ」と話し始めた。続けて「恋愛にしても、仕事にしても、私がこれだけしたんだから、彼はきっとこうしてくれる。私がここまで捧げたんだから、彼なら絶対こうしてくれる、それはあなたが見返りを求めているだけでしょ。見返りを求めようとすると、どうしても苦しくなる。周りが信用できなくなる。俺はこの人生を何の見返りも求めることなく、ただ生きていたい。見返りさえ求めなければ、あなたはあなたのままで、この人生を歩いていくことができる」と語った。

これを受けて放送後、若者たちの間で感動のツイートが増え始め、ピーク時には15分間に1000ツイートを超える反響が。最終的には1日で2500ツイートを超え、普段の10倍以上の数になったという。反響のほとんどが“感動した”というもので、「ちょっと松山千春さん尊敬 最近の若者は見返りを求めすぎてる 見返りを求めるから苦しくなるって! 名言」、「『A-Studio』に出てる松山千春さんの言葉やっべー感動した」、「松山千春の言葉。カリスマと呼ばれる人達はどうしてこうもかっこいいんだろう」などと続いた。

http://www.oricon.co.jp/news/2037262/full/

ううーーん………。

松山千春の言うことはその通りだと思うんだけども、
こんな、当たり前のことを言っただけで、
簡単に「感動」しちゃって「尊敬」しちゃってる連中は、
いままで自分の脳みそで真剣に悩んだり、
モノを考えたりしたことないのかな?と思ってしまう。
本もロクに読んでないんじゃなかろうか。

しかもその「感動」が瞬く間に何千ツイートと拡散しちゃって、
何の思索もなく「共有」されていくなんて、
それもまた今の時代の安易さが表れている気がするなあ。

「聞慧」「思慧」「修慧」で「三慧」というのがあるけれど、
聞いただけでではダメで、よく考えて、考えながら実践して、
ぶつかって、悩んで、咀嚼して、初めてしみじみと理解できる。

そのプロセスもなしに聞いただけでわかった気になって、
名言だなんだと騒ぎ立て、あたかもその言葉を広めることで
自分が立派なことを言っているかのようにカンチガイするどや顔は、
まんまその人の軽薄さに置き換えられるよね。

…なんて言っちゃう僕もまた、松山千春に負けない頑固親父の素質充分だろうか(笑)。
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ご愛読ありがとうございます(笑)

2014-05-09 05:51:51 | 超・いぶたろう日記
かつてに比べたら随分更新頻度が落ちてしまって、
しばらく70名程度の訪問IP数だったのが、
ここんとこなぜか劇的に増え、毎日200名超の方がおいでになっている。
2週間前なんて、1日で400名という来場者数(笑)。

…いったい、どこのどなたが…。

開設から10年以上経ち、いま読むと若気の至りか脇毛の怒りか、
かなりお恥ずかしい記事もあり、
あまりにも未熟・乱暴な部分については年齢相応に一部改訂したりするものの、
基本的にはそのまま残ってますから、まあ、お恥ずかしい限りですよね。

だいたい、現実世界でいやらしい誰かと揉めたりなんかすると、
その人がここにアラ探しに来たりするんで、まあロクなことないんですけども。
つい最近もね、鬼の首とったかのようにここの記事引用して、
これは何だ、不謹慎だみたいなことを言ってくるような陰湿な人もいてね。
ま、web上に、どうしようもなくバカ正直に書いてりゃあ、
当然背負わざるを得ない業とも呼ぶべきツケでしょうね。

で、たぶん僕のことが大嫌いなハズのあの人とかこの人とか、
よせばいいのにいまだに見に来ちゃったりして、
相も変わらず好き勝手に生きている、
にもかかわらずとんでもない強運と素敵な人の繋がりに守られ、
のうのうと幸せな毎日を送っている僕の姿を垣間見ては、
怒りと憎しみと不快感を新たにしているんだろうな…とか思うと、
笑いが止まりませんようははははははははすみませんねもう。

僕もこんな性格なので、一歩も譲らず色んな人とぶつかってきましたが、
まあ、おおよそ人を恨むというのは何の生産性もないことですからね。
復讐したければ、自分が幸せになることが一番じゃないですか。
もんのすごーく嫌いなあいつ、もんのすごーく自分を嫌ってるあいつに、
超幸せな自分を見せつけてやる。
そのためにがんばっちゃう。
これは最高に明るく、生産的で、すばらしいリベンジだと思いますね。

さて、自虐も皮肉もほどほどにして、と。

ここんとこ頑張って取り組んでいることがありまして。
ようやく、発表できる形になりそうな見込みです。
つきましては来週辺り、ここで発表したいと思います。
せっかくこれだけたくさんの人が来てくれてますからね。
楽しみにお待ちいただければと思います。

それではまた~。
Comments (2)
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