いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

引退セレモニー

2016-09-29 23:27:55 | 超・いぶたろう日記
横浜三浦の引退試合はグッとくるものがあった。
容赦なく打ち込まれ、ボコボコに打たれても勝つためになおマウンドに登り、
燃え尽き、またファンもチームメイトもそれを望んでいた。
25年という歳月を考えても、また選手としての実績を考えても、
意義深いセレモニーだったと思う。
一方で、同日に行われた大して実績もない某球団の某選手の、
パフォーマンスだけの引退セレモニーには鼻白むものがあった。
あんなのやる意味あるのかなあ。
引退セレモニーっていうのは、やっぱりふさわしい選手に絞るべきじゃないかなあ。
実績を残せなかった選手は、最後までスポットを浴びることなく、ひっそりと消えていく。
それもまたプロの厳しさだと思うんだけど。

重みを感じられない、この時期の引退試合の乱発は、
感動の押し売りと商品化にしか見えないがなあ。
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優勝チーム

2016-09-28 23:26:35 | 超・いぶたろう日記
今年は広島といい、日ハムといい、
素直に「ああ、いいチームだなあ」と思えるチームが優勝したなあ、
と個人的に感じてます。

この「いいチーム」というのはいろいろに説明できますが、
端的に言えば「巨人やソフトバンク」ではないというところです(笑)。

日ハムも広島も信念をもって長い目でチーム作りに邁進してきて、今年見事に実らせた。
ファンにとっても、単年度の派手な補強で「カネで買った」優勝より、
はるかに味わい深いものがあると思います。

我らがタイガース(節操なく大金出すわりに優勝できない…)もぜひ見倣ってほしいなあ…。
来年無茶な補強して優勝しても、またすぐガタガタになるんだからそんなのより、
今年台頭した若手を中心にみっちり鍛え上げて、
3年後でもいいからグッとくる優勝を飾ってほしいなあ。

クライマックスはどうでしょうね。
日ハム対広島、見たいなあ。
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客も人なり店員も人なり

2016-09-24 23:20:11 | 超・いぶたろう日記
コンビニの支払いでバレる「人としての器量」 イヤホンしたサラリーマンは最悪!?

僕のコンビニバイト経験は長い。
高校のときに1年セブンイレブン、浪人の時に半年ローソン、
大学3年からはバンド活動のかたわら29歳までファミリーマート。
なんと累計9年だ。
清掃、レジ打ち、品出しから、発注、在庫管理、シフト・マニュアル作り、
バイト面接までやった。バイトなのに(笑)。
後半はオーナー店長がほとんど店にいなかったから、
あらゆる仕事を肩代わりしてたんだけど、
今になって思えばあの時期に色々とつぶしの利くスキルを身につけたなと思う。

さておき、コンビニには本当に色んなお客が来る。
お客を色分けするとしたら、傾向としては、まあほぼこの記事の通り。
お店のロケーションにもよるだろうけど、
都心のオフィス街にあった僕の店での個人的な体感としては、
90%が透明な(普通の)お客さん。
5%くらいがそれぞれ白い(優しい)お客と、
黒い(イヤな)来店者。お客と呼びたくない層ね(笑)。

この記事では触れられていないけど、
いわゆるガテン系でも見た目通りに粗暴な人、偉そうに怒鳴る人も少なくないのよね。
平気で散らかしてったりもするし。
それでも黒い層の95%はサラリーマンのオッサンと言わざるをえない。

感じの良いお客さんももちろんいるよ。
だいたい近所の常連のおっちゃん・おばちゃんだけど。
あとは常連のタクシードライバーとか声かけてくれたなあ。
真空管搭載のジャズタクシーのドライバーがよく寄ってくれて、
僕らがバンドマンだと知って、色んなジャズの名盤をCDに落として持ってきてくれたりもした。

でも、サラリーマンで印象に残るような感じの良いお客さんは一人もいない。
ほとんど透明、あとはたま〜にヤナ感じの人。
僕の根深い、そして今に至るも隠しおおせない、
いわゆるサラリーマン・会社嫌い(という偏見)が醸成されたのは、
多分には持って生まれた自分の性向だけど、
ここを中心としたバイトでの経験も大きいだろうと思う。
定食屋のホールとか、弁当の出前とかもやったけど、
なぜかきまって店員を奴隷かなんかと勘違いしている人が居るんだよね。
声をかけても顔見ない、「お前」当然の上から口調、無視・無言は当たり前、
気に入らないとすぐ怒鳴る。
社内ではそれが当たり前なのかもしれないが、社外に持ち出すその感覚がサムイ。
何様だか知らないが客だからそれが当然なんて、人としてどこかおかしいと思う。

某財閥系の会社案内「ファクトブック」の編集補助のバイトやったときも、
訂正やら確認やらで色んな系列有名企業に電話したけど、
丁寧なのは受付だけで、担当者は大概高飛車で、そのたんびにイヤ〜な思いした。
もう20年以上前のことだから、いまは違うのかもしれないけど、
あれはもう決定的だったな〜。
いまだにあの系列の製品買わないもんな〜(笑)。

現役ばりばりのバンドマンだった昔は本当にアンチサラリーマンだったけど、
さすがに40も過ぎたいまとなっては、サラリーマンみんながそうだとは思わないし、
会社勤めの真似事も経て逆にサラリーマンの気持ちだってよくわかる。
何よりいわゆるサラリーマンに限った話でもないとはもちろんわかってるけど、
所属している組織の大小だけで人間を測るようなヤツはろくでもないし、
それによって態度をコロッコロ変えるようなヤツはどうしても軽蔑せずにいられない。

賢く付き合えとかってよく言われたけど、
バカで上等、損して結構、イヤなヤツはとにかくイヤだ、
そんな流儀で生きているのでしょうがない。
それより何より、自分は絶対にそういう人間になりたくない。

ということで、僕はいまでも基本、
買い物でも食事でも店員さんには丁寧に接することにしている。
特にコンビニ店員には格別に(笑)。
出入りの業者さんにも、必ず席を立って挨拶するし、お礼も言う。
暑い日には冷たいドリンクくらい差し入れる。
それだけのことで、お互いどれだけ気持ちよく仕事できるかって。
何かとよくしてくれるようにもなるし、いざというときにも助けてくれるしね。

やっぱり理屈以前に人間対人間。
僕のよく行くコンビニでも、
店員さんの「感じイイお客リスト」に入れてもらえてると良いなあ。
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嘆息

2016-09-14 22:18:11 | 超・いぶたろう日記
自分は客観的だという人はとても主観的だし、
自分は論理的だという人はたいがい感情的だし、
自分は個性的だと必死にアピールする人はそこらじゅうにあふれてるし、
男なんかという女は男にこだわってるし、
女なんかという男はモテないだけだし、
自分は女っぽくないから女が嫌いだという女はだいたい女っぽいし、
だから女はダメなんだという男の方がよっぽどダメだったりもするし、
わかってるというやつはまずわかってないし、
知ってるというやつは全然知らないし、
病気だ病気だというヤツほど長生きするし、
健康オタクほどマインドは不健康だし、
毒舌を自称するヤツは無責任なだけだし、
マシンガントークを自称するヤツは空気読めないだけだし
そもそも無駄な言葉が多いだけで中身のあること言わないし、
恋愛論語り出すヤツは誰か狙ってるだけで誰からも狙われてないし、
だいたいみんな君がこだわるほど君に興味なんかないよって教えてあげたいけどそう言うと怒るし。
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超変革まだまだ道半ば

2016-09-09 22:28:08 | トラ、トラ、トラ。
昨日(9/8)の阪神-巨人22回戦はもう本当に「絶望」の一言だった。
シーズン2度目の3タテ、しかも甲子園。
今季は甲子園で1勝もできていないというていたらく。
さらにこれで今シーズンの負け越し(72敗)が決定。
CSなど遥か遠くに霞み、迫り来る最下位転落の危機。
まさに暗黒時代を思わせるチーム状況だ。

しかし、それ以上に絶望的なのが、TwitterやFacebookのファンページで見られる、
「自称阪神ファン」の心ないコメントの数々。

「広島ファンの希望を打ち砕いた藤川球児」
「藤川またやらかした、老害とっとと消えろ」
「首脳陣は無能、金(金本監督のこと)はクビ、矢野も片岡も切れ!」

などなど。
気持ちはわかるけど、あまりに品がない。
ここには書けないような誹謗中傷も目立つ。
何様なんだろうと思う。

まあ、プロスポーツってそういうもんかもしれないけどね。
結果を出せなかったら、無責任なファンにボロクソ言われる、
そこも含めての高額年棒という見方もあるでしょう。

しかしねえ。

打たれたくて打たれた投手は居ないし、負けたくて負ける選手や監督は居ない。
本当のファンならば、苦しいときこそ支えてやろうと思うもんじゃないのかな。
選手や監督が、彼らなりにベストを尽くしている、
その姿勢が伝わってくるなら、結果が伴わなくても受け容れられるはずだ。

試合の中のプレイや戦術について、果たしてそれがベストだったのかどうか、
議論するのは大いにやればいいと思う。それはスポーツの楽しみ方の一つだ。
でも掲示板で騒いでいるヤツには、試合そのものを見ずに、
ニュースや記事のスコア結果だけでわかったようなこと言うヤツとか、
指揮やプレイとはまったく関係ない人格批判がしたいヤツら、
果ては生い立ちやらプライベートまで問題にしてるようなヤツがいる。
こんな連中には、ファンを自称しないでもらいたい。
だって、そんなのチーム愛じゃないだろ。ただの自己愛だろ。

たしかに、昨日の試合は死ぬほど悔しかった。
屈辱という言葉でも足りないほどだ。
僕の好きな藤川球児が打たれたということもそうだし、
巨人にここまで好き勝手やられるシーズンは我慢ならないものがある。
また、たしかにあの場面での阪神首脳陣には疑問符がたくさんつく。
青柳の最初の死球の後、代走鈴木を必要以上に警戒して、
コーチがマウンドまで出て来たのにはイライラした。
その結果、ただの走者一塁を気にしすぎて、青柳は死球を続けてしまった。
自らルーキーにプレッシャーかけて、堪えられないとみるや投手交代。
しかも人選が、藤川球児。
数年前ならいざ知らず、今季の藤川は防御率だけ見たって最悪の選択肢だ。
これでは納得がいかないのもわかる。

しかし。
それでも、人格批判していいということにはならない。
ましてや、在日だなんだと関係のない言いがかりをつけている人に至っては、神経を疑う。
こういう、気に入らないことを何かひとつの物事や人に凝縮させて、
一方的に罵倒する人々の無知性ぶりが、僕は大嫌いだ。

結果として当日の広島の優勝を消してしまったのも、
広島をアンチ巨人の兄弟みたいに感じる身勝手な虎党としては面白くないだろう。
だけど、広島ファンの希望を打ち砕いたのは、球児じゃなくてあくまでも坂本(の実力)だ。
昔のスタイルにこだわり、いくら打たれても改善できぬまま、
同じ失態を重ねた球児の現状は、プロとしてどうかと思う。
でもそれだけのことだ。
彼なら抑えられると判断した首脳陣にも責任はあるし、
もっといえば、ここ数試合、巨人にたった3点取られただけで勝てなくなる打線にも責任はある。

でも、今年は金本阪神1年目。
あんな難しいチームの監督が、1年で務まるわけがない。
星野だって岡田だって、1年目は低迷した。
野村ですら3年連続最下位だ。
茨の道を承知の上で引き受けてくれた金本の男気に期待して、3年程度は長い目で見られぬものか。

こちとら1985年以来の虎党だ。
暗黒の90年代はこんなもんじゃなかったぞ。
にわかファンがギャーギャー騒いでんじゃねえ。
たまに勝つからいいんじゃねえか(笑)。
十何年に一度の優勝だから、いいんじゃねえか(笑)。
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ラクになれ

2016-09-05 02:50:08 | 超・いぶたろう日記
友人・知人に何人か、心の病に苦しむ人がいる。
共通しているのはみな、マジメで優しい人だという点。
なぜこんないい人が、と思うケースがほとんど。
でも、真面目で優しいからこそ、なんだろうなあ。

どうも一般に「立派な社会人」とされている虚像って、
結局「組織にとって都合のいい人」と近似値だったりもする。
「大人として恥ずかしい」とされる、
時間を守れない人、イヤなことはイヤだと言う人、
組織よりも自分を大切にする人、仕事よりも趣味に生きる人、
どれも別に道徳的な悪なんかじゃないし、
むしろ僕には人間らしいとさえ思える。

そういう人が、
たくましく組織を離れて自力で生きていけるならそれで良いし、
何とか組織の中で折り合いつけて帳尻合わせてやっていくのもアリだし、
建前はうまく合わせてほどほどに手を抜いたりして器用にやっていくのもひとつ。
もちろん、本気で組織の色に染まっていても、
それが自分の軸になっているなら、それはそれで幸せなのかも知れない。

そのどれでもない人々が、
傷つき、自責の念に駆られ、心を病む。
真面目だからこそ、組織や上役の都合の良い叱責を真に受けてしまう。
基本、会社で言われることなんか、
建前だし、ムチャブリだし、
上役のメンツを立てるためだけの論理だったりもするから矛盾してる。
だから受け流してしまえば良いのだけど、
「会社で求められる役割が果たせない自分」を責めてしまう。
優しいから文句も言えない。

真面目に一生懸命やってきたことが評価される生き方をしてきたのに、
ここにきて真面目にやればやるほど自分を削ることになってしまう。
なんだか、気の毒でしょうがない。

僕はずーっとワガママな生き方を貫いてきて、
そのせいで随分損もしたけれど、
幸いにメンタルは健やかなまんま来られている。
人並みに落ち込むことや塞いだこともあるにはあるけれど、
どれも病院のお世話になるようなレベルじゃなくて済んでいる。

それは、僕がいつも楽な生き方をしてきたからだろう、と自分で思う。
怠惰だという意味ではなく(いや、怠惰だけどw)、
自然体という意味でだ。
僕はいい仕事をしよう、みんなを喜ばせよう、
と頑張ったことはたくさんあるけれど、
周囲が勝手に期待する「立派な人」であろうと思ったことは一度もない。
人に気に入られるために自分を装ったこともないし、
イヤなこと・イヤな相手は徹底的に避けてきた。
良くも悪くも、いつでも自分をありのままにさらけ出して生きている。
エラそうなことを言う割に有名でも金持ちでもないけれど、
誰に何を言われても、大して気にしない。
それがどうした、僕はおまえより幸せだぞと思って生きている。
それが良いのか悪いのか、でもとりあえず病んではない(はず)。

そんな生き方ができるのは、僕が強いからじゃない。
周りの人々に恵まれたから。そんな僕を認め、
味方になってくれる家族や友人たちが居たから。
本当にそう思う。
僕は僕として生きている以上に、僕として生かされている。
最近気づいたんだけどね。

人と違うということはすなわち孤独ということにほかならず、
孤独は何よりも堪えがたく、辛いものだ。
孤独に陥ることを恐れて、求められる自分であろうとし続け、
その結果が病んだ末の孤独であるとしたら、こんな皮肉はない。
何て世知辛い世の中だろうと思う。

みんな、学生時代はあんなにも明るく朗らかだったのに。
どうして社会に出るとこんなにも傷ついてしまうのか。
社会人ってなんだ。一人前ってなんだ。
責任なんて、個性や人格を塗りつぶしてまで担保しなければならないものか。
アホくさい。
一度しかない自分の人生より大事なものなんてあるかよ。

心の病で苦しむすべての友人に言ってあげたい。
お前は間違ってないぞ。開き直っちゃえ、ラクになれ、と。
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