僕は生まれてこの方、お金とか名誉のために頑張ったことはあんまりない。
まったくないとは言わないけれど、それが最優先だったことはない。
いつでも一番大事にしていたものは「自由」だったろう。
どんなにお金が貰えようと、有名になれるチャンスだろうと、
そこに理不尽な不自由さがあるなら、僕にとっては何の魅力もない。
だから結局ここまで、大企業への就職に躍起になることもなければ、
10年かけたバンドにも未練たらしくしがみつくこともしなかった。
やろうと思えばできたかも知れないが、
それにはどうも「常識」と「ガマン」が必要なようで。
一般には空気を読んで流れに合わせられない者や、
忍耐力のない者は一人前扱いされないようなのであるが、
僕はずーっと自分流のワガママを貫いて、
その辺をアタマの凝り固まった連中に冷笑されながらも、
ここまでの道を切り拓いてきた。
持ち前の運と、ありがたい人脈と、なんとも不思議な何かによって、
ここまでとても幸福な人生を送ることができた。
我ながら、なんて好き勝手な人生なんだろうと思う。
けれど、いくら運と人脈があったって、
何らかの価値を認めて貰えるような仕事を積み重ねてこなければ、
誰にも相手にされなくなるだろう。
僕はその時々においてはあまり意識したことはなかったが、
きっと僕なりに大切にしてきた軸のようなものがあって、
それを見る人が見ていてくれたのだなあとも思っている。
僕が仕事(お金にならないのも含め)を請け負うとき、
いつでも大事にしてきたことは、
「自分がやるからには、他の誰よりもいいものを、自分ならではのものにこだわりたい」
という一点だった。
つまり仕事に対する「理想」と「誇り」だ。
世間一般の常識や、あるいは特定の世界での固定観念、
そういったものに縛られた人間からは
「ただの自己満足・自己陶酔」と揶揄されたことも多かったけれど、
それでも僕は曲げずにやってきた。
そのせいで音楽事務所から放り出されたり、バンドから追い出されたり、
10年貢献した会社から石もて追われたりもしたけれど、
僕はまーったく後悔していない。
むしろ、そこまでにこだわり抜いてきたいろいろなことが、
それを認めてくれる人との新たな出会いによって、
大きなスキルとして認められて、
僕はその都度それまでよりも幸せになっていった。
僕を村八分にしてきた古い「村民」の連中は、
ほれ見たことか、勝手なことばかりしてるとそうなるんだ、ざまあみろ…
と嘲笑っているかもしれないが、
残念ながら彼らの誰よりもきっといまの僕は幸せだ。
だから、彼らを憎む気持ちは全然ない。
むしろ、憐れむ気持ちの方が強いかな。
いまの僕が幸せだと思う根拠はいろいろ。
健康であることもそうだろうし、信頼し合える仲間に恵まれていることもそう。
お金持ちでも有名でもないけれど、生活に困ることはないし、
何より自由であり続けられている。
僕はいまでも、僕らしく自由気ままに生きている。
理不尽に妥協を強いられることがない。
毎日が楽しい。
僕が仲間と創った職場は、理想と誇りに満ちている。
嘘がない、嫉妬がない、贔屓がない、讒言がない、偏見がない、陰口がない、会議がない、ムダがない、お追従がない、面従腹背がない、精神論がない、面子がない、ジェネレーションギャップがない、不条理がない、滅私奉公がない、勘違いがない、違法がない、独善がない、老害がない、説教がない、長話がない、守株がない、思考停止がない、因循姑息がない、失望がない。
代わりに、
夢がある、信頼がある、感動がある、未来がある、仲間がいる、歓びがある、休みがある、余裕がある、刺激がある、面白みがある、楽しみがある、希望がある。
踏み出して、よかった。
本当に、よかった。
迷ったら、やはり自分の信じる道を行くべきだね。
自分なりに真剣にこだわっているものがあれば、その価値を認めてくれる人は必ずいる。
曲げる必要なんか、なかったんだね。
結局、理想も誇りも伴わないと、仕事はただの集金作業でしかなくなる。
つまらない体面やくだらないしがらみにがんじがらめになると、
一体何のためにこの仕事をしているのか、それを見失ってしまう。
自分たちの有り様を虚心坦懐に反省することなく、
いつも何かのせいにする癖がついてしまうと、
負のスパイラルに陥るばかりだ。
実に象徴的だと思うのがどこの会社でもやりがちな「無料」乱発策。
まさに理想も誇りも見失った結果だろうな。
自分たちの提供するサービスに対価を求めないなんて、
その程度のものしか提供できていませんと認めるようなもんじゃないか。
どうして品質の向上に目を向けないのか、不思議でしょうがない。
仕事をしない言い訳や、全部人になすりつける論法ばかり巧くなった人たちが、
どんな舵取りするかと言えばやはりその程度。
コンスタントに反面教師としてあり続けてくれることに、
不思議な感謝の念すら覚えそうだよ(笑)。
なんてね。
どこまでも自由に、生きていこう。
そんないつまでもうまくいくと思うなって?
…そんなの、30年前から言われ続けてらい(笑)
まったくないとは言わないけれど、それが最優先だったことはない。
いつでも一番大事にしていたものは「自由」だったろう。
どんなにお金が貰えようと、有名になれるチャンスだろうと、
そこに理不尽な不自由さがあるなら、僕にとっては何の魅力もない。
だから結局ここまで、大企業への就職に躍起になることもなければ、
10年かけたバンドにも未練たらしくしがみつくこともしなかった。
やろうと思えばできたかも知れないが、
それにはどうも「常識」と「ガマン」が必要なようで。
一般には空気を読んで流れに合わせられない者や、
忍耐力のない者は一人前扱いされないようなのであるが、
僕はずーっと自分流のワガママを貫いて、
その辺をアタマの凝り固まった連中に冷笑されながらも、
ここまでの道を切り拓いてきた。
持ち前の運と、ありがたい人脈と、なんとも不思議な何かによって、
ここまでとても幸福な人生を送ることができた。
我ながら、なんて好き勝手な人生なんだろうと思う。
けれど、いくら運と人脈があったって、
何らかの価値を認めて貰えるような仕事を積み重ねてこなければ、
誰にも相手にされなくなるだろう。
僕はその時々においてはあまり意識したことはなかったが、
きっと僕なりに大切にしてきた軸のようなものがあって、
それを見る人が見ていてくれたのだなあとも思っている。
僕が仕事(お金にならないのも含め)を請け負うとき、
いつでも大事にしてきたことは、
「自分がやるからには、他の誰よりもいいものを、自分ならではのものにこだわりたい」
という一点だった。
つまり仕事に対する「理想」と「誇り」だ。
世間一般の常識や、あるいは特定の世界での固定観念、
そういったものに縛られた人間からは
「ただの自己満足・自己陶酔」と揶揄されたことも多かったけれど、
それでも僕は曲げずにやってきた。
そのせいで音楽事務所から放り出されたり、バンドから追い出されたり、
10年貢献した会社から石もて追われたりもしたけれど、
僕はまーったく後悔していない。
むしろ、そこまでにこだわり抜いてきたいろいろなことが、
それを認めてくれる人との新たな出会いによって、
大きなスキルとして認められて、
僕はその都度それまでよりも幸せになっていった。
僕を村八分にしてきた古い「村民」の連中は、
ほれ見たことか、勝手なことばかりしてるとそうなるんだ、ざまあみろ…
と嘲笑っているかもしれないが、
残念ながら彼らの誰よりもきっといまの僕は幸せだ。
だから、彼らを憎む気持ちは全然ない。
むしろ、憐れむ気持ちの方が強いかな。
いまの僕が幸せだと思う根拠はいろいろ。
健康であることもそうだろうし、信頼し合える仲間に恵まれていることもそう。
お金持ちでも有名でもないけれど、生活に困ることはないし、
何より自由であり続けられている。
僕はいまでも、僕らしく自由気ままに生きている。
理不尽に妥協を強いられることがない。
毎日が楽しい。
僕が仲間と創った職場は、理想と誇りに満ちている。
嘘がない、嫉妬がない、贔屓がない、讒言がない、偏見がない、陰口がない、会議がない、ムダがない、お追従がない、面従腹背がない、精神論がない、面子がない、ジェネレーションギャップがない、不条理がない、滅私奉公がない、勘違いがない、違法がない、独善がない、老害がない、説教がない、長話がない、守株がない、思考停止がない、因循姑息がない、失望がない。
代わりに、
夢がある、信頼がある、感動がある、未来がある、仲間がいる、歓びがある、休みがある、余裕がある、刺激がある、面白みがある、楽しみがある、希望がある。
踏み出して、よかった。
本当に、よかった。
迷ったら、やはり自分の信じる道を行くべきだね。
自分なりに真剣にこだわっているものがあれば、その価値を認めてくれる人は必ずいる。
曲げる必要なんか、なかったんだね。
結局、理想も誇りも伴わないと、仕事はただの集金作業でしかなくなる。
つまらない体面やくだらないしがらみにがんじがらめになると、
一体何のためにこの仕事をしているのか、それを見失ってしまう。
自分たちの有り様を虚心坦懐に反省することなく、
いつも何かのせいにする癖がついてしまうと、
負のスパイラルに陥るばかりだ。
実に象徴的だと思うのがどこの会社でもやりがちな「無料」乱発策。
まさに理想も誇りも見失った結果だろうな。
自分たちの提供するサービスに対価を求めないなんて、
その程度のものしか提供できていませんと認めるようなもんじゃないか。
どうして品質の向上に目を向けないのか、不思議でしょうがない。
仕事をしない言い訳や、全部人になすりつける論法ばかり巧くなった人たちが、
どんな舵取りするかと言えばやはりその程度。
コンスタントに反面教師としてあり続けてくれることに、
不思議な感謝の念すら覚えそうだよ(笑)。
なんてね。
どこまでも自由に、生きていこう。
そんないつまでもうまくいくと思うなって?
…そんなの、30年前から言われ続けてらい(笑)