いぶろぐ

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「役」を演ずる

2016-08-27 01:48:42 | 超・いぶたろう日記
ドラマというものをまったく見ないので、
実は親子共によく知らないのだけれど、
このシチュエーションには興味があって
「子の罪を謝罪する親の会見」をちらっと見る。

感想としては一つだけ。
ああ、さすがプロの女優だなあ、と。

いや、あれがすべて心にもない演技で腹の底はどうこうなんていう、
つまんない意味じゃなくてね。
立ち居振る舞い、表情、言葉、目線、話し方、声の調子、
すべて「他人にどう見えるか」を熟知している人のそれだなと思った。
皮肉じゃなくて、率直にその身に染みついたごく自然な技術に、すごいなと思った。

考えてみればそもそも、成人した子供の犯罪で、
その親が引っ張り出されるなんてのもおかしな話で。
まあ、特殊な業界で、また本人も母親の認知度を利用して
いまの立場を得たわけだから仕方ないとも思うけど。

それでもなんでも、こういうことが起きた場合、
日本では「物見高い」「良識的な」人々が断罪の場を求めるわけで、
本当に何の意味もない会見だと思うけれども、
そこではそんな反論の姿勢は微塵も見せず、
ただ粛々と責任を認め深々とお詫びするという「役」を演じきればいいわけだ。

本当にこの母親に責任があるかどうか、悪いかどうかはさておき、
それで観衆は満足するし、彼女にとってはそのための演技なんて朝飯前だろう。

あの会見を見てなお、この母親を責める人は居ないだろうし、
その意味ではこの「公演」は大成功だ。
それを意図したかどうかまでは言及できないが、
結果だけを見ればさすがベテラン女優だ。

この女優の母親としての気持ちそのものは疑いも否定もしないし、
息子の愚行に心を痛める姿には小さくない同情も覚える。
けれど、またもくり返されたこの予定調和としか言いようのない、
一連の「儀式」には、違和感を禁じ得ないでいる。
Comment (1)
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