いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

気の毒

2002-12-16 03:47:25 | 似非哲学の部屋
俺は毒舌を自称する奴が嫌いだ。
人の気持ちや場の空気も考えず、言いたい放題言うだけの、
単なる無神経バカである場合がほとんどだからだ。
そもそも自称すること自体が恥ずかしい。
思ったことをそのまんまクチにしているだけの事が、
なにか特別な能力ででもあるかのように誇らしげに言う。
その神経が俺にはよく解らない。
「毒舌」というのは一つの芸でなければならない。
単に、頭に浮かんだことを片っ端から軽率にクチにするのとは訳が違うのだ。

俺の考える「毒舌」とは、
誰もが胸に秘めていること、誰もがうすうす感づいていることなのに、
権威や権力、人間関係や損得などが影響してタブーとされている、
そんな話題について公然と一刀両断し、
ガマンしていた人々の溜飲を下げる能力のことだ。
あるいは、みんなが何となく抱えている不安や不満を、
的確な言葉にして表現し、胸のすく思いをさせる能力のことだ。
それには当然、現実をきちんと認識する能力と、
理想の状態とは何であるかを考える思索能力と、
それらを理路整然と言い表すことの出来る言語能力が必要だ。
これらが兼ね備えられていれば立派な「芸」だ。

期せずして「毒舌」との評価を得ている人は、
たいていみんなの不満の代弁者であることが多い。
結果としてそれが時の権力者や管理者に不都合である場合、
それが秩序を乱す「毒舌」として呼ばれるだけのことだ。
本当はみんな賛成したいのだが、表だって賛成すると自分にも危害が及ぶから、
「君は毒舌だね~」と言葉を濁すのだ。
この場合の「毒舌」は相手を否定も肯定もしない巧みな交際用語である。
これは本人の「毒」の内容を問わない。芸でなくとも成立する。
単なる職場のグチや人の悪口である場合が多いようだ。

一方でまた、「毒舌」が芸として売りになることもある。
この場合は人々が何かしら日々の鬱憤を晴らしてくれるような、
胸のすく思いをさせてくれるに違いないとこの「毒舌」に期待することで成立する。
この場合は「毒」はエンターテイメントとして完成されていなければならない。

いずれにしても、「毒舌」を自称するのは、
自分は言いたいことをガマンできないだけの幼稚なバカ、
もしくは自分はみんなの雄弁な代弁者である、
と自称していることになるわけで、実に恥知らずだと言える。

最近ホームページやちまたの会話を伺うと、
必ずと言っていいほどこの「自称毒舌」に行き当たるが、
これがほとんど、「無責任な発言の言い訳」に過ぎないのだ。
深い思索があるでもなく、高い言語能力があるでもなく、
ちょっと人間関係がうまくいかなかったり(ふられたとかケンカしたとか)、
ちょっと職場に不満がたまったりしただけで、
あまり整合性があるとも言えない、片手落ちの論理で、
めったやたらに周囲を批判するというものだ。
それらはすべて自分のエゴであることにあまり気づいていない。
社会が悪いのではなく、そこに適応できない自分に原因があるのだとは考えない。
どころか、自分が周囲に適応できないのは自分が特別な能力を持っているからだとさえ思いこむ。
根拠はない。実績もない。

やたらと読書量などを自慢する手合いに多いようである。
個人的な感想では文学系や芸術系に多いようだ。
彼らの書く文章といったらまるで稚拙で自己完結で、
全く見るに耐えないモノがある。
如何に自分が個性的で変な奴か、如何に普段奇行に走っているか、
または如何に無軌道で無頓着な毎日を過ごしているか、
そのせいで周囲とずれが生じているか、注目されたい一心で克明に記されている。
しかも、面白くないんである。
これが致命的だ。
エゴでも毒舌でも自己完結でも、面白ければまだ救いがある。
それを求める人々が必ず出てくるからだ。
しかしこれがないというのではもう本人が自分の売りだと勘違いしている以上、
お寒いことこの上ない。

毒舌というのは、わさびのようなものだ。
決してそれだけでは食べることは出来ない。
寿司のように生臭い人間社会、人間関係において、
それを中和する程よい刺激の範囲を出てはならない。
毒舌しか吐けない人間というのはわさびしか出せない寿司屋と同じく価値がない。
毒は薬になる可能性を秘めているからこそ存在意義があるのだ。
人を殺すものでなく、活かすものとして使われるべきなのだ。
一見厳しい言葉の中に深い含蓄が合ってこそ、人は感銘する。
ここら辺を理解しない人間は毒舌の名にふさわしくない。

ちなみに猛毒呼ばわりされるこの「いぶたろう日記」作者であるところの俺は、
ライブMCでも同じく言いたい放題言っており、
時に「無神経バカ」との誹りも受ける。
ただ、俺は毒舌を自称したことはない。
そして自分が毒舌であるなどとわざわざ説明するほど恥知らずでもない。
俺の言動が毒舌の名に値するかどうかは、読者の判断にゆだねたい。
俺はいつも自分の信念と、読み手の存在に誠実に、
出来る限りの思索と推敲を以て応えていくだけである。