いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

人をバカにするバカ

2017-01-31 11:14:06 | 超・いぶたろう日記

「偏差値いくつの、恐るべきバカが日本にはたくさん居る」

みたいな発言する人ってさ、
少なくとも「偏差値」という数値の意味を正しく理解していないという点で、
あんまり人のこと言えないレベルだってことはうかがい知れると思うんだけど。

人のことをバカにできるほど自分は優秀だと思っているなら、
充分に身の程知らずだし、
そもそもそれを公然と発言することで、
人にどう思われるかがわからないのだとしたら本物のバカだ。

「優秀」も「低能」もその多寡も、
まさか統計取ったわけじゃあるまいし、取るにしたってその基準は難しいし、
結局、個人的な体感上の錯覚にすぎないわけでしょ。

バカが多いと感じるのは、
自分がそれらと同じレベルの環境にいるというだけかもしれないよ。
「優秀な人」は少ないんじゃなくて、
もっと広く大きな世界で活躍していて、
自分なんかとは単に接点がないだけかも知れない。

だいたい人間の能力に絶対的な指標があると信じている時点で、
思考が幼いとは思わないのかな。
どんな人にだって「自分にはない何か」があるはずで、
そこを見つけて感じ取ってリスペクトできるかどうかで、
人とのつきあい方も自分の成長の度合いも変わってくる。
その人が得意とする分野のスキルに自分が興味がなくてスルーしているだけなんだから、
自分の節穴を恥じるべきよね。

というわけでリンク先の節穴さんに一言申し述べておきたい。
バカが多いと言うのは勝手ですがね、
「それが日本人の普通」というなら、それは「偏差値50」というのだが。

僕は向いていません

2017-01-27 01:24:24 | 超・いぶたろう日記
まあ、こんなことを言えるのは目下食うに困ってないからで、
自分でも坊ちゃん育ちの甘い発想だなあとは思うのだけれど、
やっぱり僕は商売・金儲けにはとことん向いてないなあとつくづく思う。

理由はいくつかあるが、

1)人にお金を請求するのがニガテ
 → 提供した商品やサービスの対価として金銭を受け取ることは
   何も悪いことではないのだが、
   結局、お金か…という空気がとってもニガテ。

2)人に自分を過大に売り込むことがニガテ
 → 意外に思われるかも知れないが、これは本当にニガテ。
   人から自発的に認めてもらえてナンボだと思っているので、
   自分の良さを自分で説明することがとても恥ずかしい。

3)値切るのがニガテ
 → ケチケチするのがすごく苦手。
   イイものには相応の対価を支払いたいという気持ちもあるし、
   とりあえず値段は叩くものというのは好きじゃない。

4)確証のないことを言うのがニガテ
 → 「次はこれが来る!」とか「このトレンドで行くと次はこれだ!」
   みたいのがまったく信じられない。
   将来予測はビジネスの基本だろうと思うけれど、
   僕はそんなもの予測できるわけないし、
   どうせ当たらないんだから、そんなのやるだけ無駄だ、
   と思い込んでいるところがある。

5)面倒くさいことがイヤ
 → こまごま契約書を読み込んだり、
   長時間ムダな会議したり、あちこち根回しして調整したり、
   何度でもタフな交渉したり、そういうの本当にイヤ。
   生きてるのがイヤになるくらいイヤ。イヤなものはイヤ。


つまり、巷でもてはやされる「強い経営者」像とは、単に
「ケチで、図太くて、ホラ吹きで、細かくて、しつこい」人間
…なのではないかと、
その方面に不勉強な僕は勘ぐっているわけだ。
だとしたら、自分がそんな風になるのはまっぴらだし、
そういう人々と上辺だけニコニコ付き合っていくなんてのもゴメンだ。

まあこんなの、
いわゆるビジネスコンサルな人に聞かせたら一刀両断されるでしょうね(笑)。
別に敏腕経営者とかビジネス上手な人を
みんな十把一絡げにけなすようなつもりは全然ないですよ。
僕が思い込んでるようなのとはまったく違う形で
上手にやっている人も居るんだろうし、
逆にそういうもんだと割り切ってやれちゃう人も
それはそれでスゴイと思ってるし。

ただお人好しな僕にはできないというだけで、
住んでる世界が違うんですねとしか。
僕は収入的には食うに困らなければ充分で、
あとはとにかく楽しく気持ちよく仕事ができることなんだよね。
1日8時間仕事するとしても、人生の3分の1近くは仕事してるわけだし。

今日は

2017-01-19 03:00:38 | 超・いぶたろう日記
僕の父代わりであり、兄であり、
親友でもあった亡き叔父の命日。
けっして忘れることはできないし、
いまもまだ信じられない思いがある。
居てくれて当然の、
居てくれなければ困る人が、
居なくなってしまうなんて、
なんて寂しいことだろう。

同じく大好きだった叔母の旦那さんとして、
浜松の庭先で出会ってから30年間も。
ナマイキで、マセてて、偏屈で、
へそ曲がりで、天邪鬼だった僕のことを、
不思議なくらい買ってくれて、
実の弟のように可愛がってくれて、
そしていつでも味方になってくれた叔父。

あれからもう四年も経つ。
彼が期待してくれていたような人間に、
僕は少しでも近づけたろうか。

1月の朝の風景は

2017-01-17 12:29:07 | せんせいとよばれて
終業後、自宅で深夜に教室ブログの受験情報を更新して、
いつも通り3時に寝る。
そして今朝は5時に起きる。
無理にでも起きる。
歯を食いしばって布団から出る。
6時半から駅で毎年恒例の、受験生のお見送りに立つからだ。

今日は長い千葉県の入試日程の初日。
ここからいよいよ本番が始まるのだ。
寒い中、寝ぼけ眼をこすって行くのだけれど、
緊張で硬かった生徒たちが僕らの姿を見つけるや、
パッと表情が明るくなるのを見ると、何とも僕らも嬉しくなる。

声をかけて、元気づけて、カイロを渡して、
固い握手を交わして、改札へ向かう背中を見送る。
当日にはこれくらいしかやってあげられないから…なんて言いつつ、
実際のところ、自分たちが心配で落ち着かないのを、
こうして鎮めているのかもしれぬ。

思えば3年前に退職を決めたときは、
まさか同じ地域で自分の教室を開くなんて思ってもなかったから、
同じようにお見送りをしながら、
この朝の駅の風景もこれが最後かあ…なんてしんみり思ったもんだ。
再び、毎年当たり前のようにこれがやれるようになった我が身の幸運を感謝せずにおれない。

受験生だけでなく、卒業生や昔の教え子達も声をかけてくれる。
爽やかな高校生から眠そうな大学生、立派な社会人になった子もいる。
昔は絶叫と体当たりが挨拶代わりだったヤンチャが、
スーツ姿で威儀を正して挨拶してくれる。
キレイな女性に挨拶されて、誰だかわからず戸惑っていたら、
先生と呼ばれて名乗られて、そこでああお前か!なんてことも。

彼らの人生の片隅に、
僕らと過ごした時間もちょこっと残してもらえている。
これ以上味わい深い仕事を、僕は他に知らない。

受験生ガンバレ!
細菌・ウイルスどっか行け!
ガンバレ!ガンバレ!ガンバレ!

だけしか

2017-01-16 23:38:44 | 超・いぶたろう日記
勉強ができることは素晴らしい。
しかし、勉強「しか」できないのは空しい。

昔話は実に楽しい。
しかし、昔話「しか」できないのはつまらない。

お金の話は利益につながることも多いだろう。
しかし、お金の話「しか」しないのはたくさんのものを失った証拠だろう。

昔の友人とビジネスの話をするのは面白い。
しかし、昔の友人とビジネスの話「しか」できないのは寂しい。

徒然中年草子

2017-01-13 17:05:28 | 超・いぶたろう日記
たびたび書いていますが、自分が中年と呼ばれる年齢にさしかかり、
ふと昔、自分がうっとうしいな〜と思っていたような中年に
自分自身がなり果てていないか、常に自問自答するわけです。

そういう意味でいまの仕事は小中学生に
「ウザイな〜キモイな〜」と思われたら終わりな訳で、
自分が心がけていることを書いてみます。

1)とにかくエラそうにしない
2)知ったかぶりをしない
3)上から目線で物を言わない
4)言い訳しない
5)カッコつけない/でも清潔感は大事


《注釈》
1)若者相手に必死にマウントする姿は見苦しい。
体力で勝てないと知識、知識で勝てないと経験を持ちだし、
しまいには
「まあ、おれも昔そうだったし、この年齢になればわかるよ〜」
とお茶を濁して終わる。
相手の若者はそんなことで尊敬なんか絶対にしない。

2)「知らない」「教えて」と素直にいえないのは中年の悪い癖。
何にでも詳しい人を演じ続けるのは苦しいし、
昔学んだ知識がいまは通用しないなんてのもよくあること。
知らないことは年齢問わず教えてもらうのが一番イイし、謙虚な人こそ格好いい。
また深読み、関係者面、舞台裏、
とかく事情通を気取りたがるのも中年のよくない癖。
無理押しして後で言い訳するのは最もみっともない。

3)若い人の好きなものを批判し始めたらもうそれはオヤジの始まり。
迎合する必要はないけれど、わざわざ腐す必要もない。
昔自分が好きだったものを持ち出して、
今流行りのものを批判する中年を、
若者は「本物の目を持ったすごい人だ」なんて決して思わない。

4)言い訳はすればするほど自分を貶める。
言い過ぎたり間違えたちしたなら、素直に謝ればいいだけのこと。
そしてこの世には自分の言い訳を言い訳だと自覚できない中年が星の数ほど存在する。

5)いつまでも若いと思われたい、というのはわかるけれど、
「若さ」だけが至高の価値観になっていると、傍目には痛いだけ。
どんなに若作りして張り合ったって、本当に若くなるわけじゃなし、
大切なのは「年齢相応の自然なかっこよさ」ではなかろうか。
スポーツなどで体を鍛えて体型や体力を維持するのは、
とても立派で素敵なことだと思う(目下僕の最大の課題でもある)けれど、
金に飽かせてあれやこれや(敢えて具体的には申しませんが)と
外面ばかりを取り繕うのはみっともないだけだ。
そして何より美醜や老若よりも清潔感。
どんなに格好つけてても、息が臭くて脂ぎってて肩にフケが乗ってたらおしまい。


なんだか、枕草子とか徒然草みたいな話になってしまったなあ。
でも、若い人たちに言わせると、
facebookは「中年たちの自慢合戦・マウント合戦」に映るのだそうです。
僕自身は昔の友人とつながるイイツールだなあと思いこそすれ、
そんな風には思っていなかったので、衝撃でした。

繰り返しますが、若い人たちに何でも迎合する必要はないと思っています。
でも、自分のつまらない見栄とかこだわりのために、
若くて敏感な世代とのコミュニケーションが断絶されてしまうのはもったいないなあと。
「なぜか年頃の子供に嫌われる」という親御さんにも
「そういう年齢だから」だけで片付けないで、
振り返ってもらいたい昨今の我が身です。

あ、もちろん、僕自身もです。

仕事初め

2017-01-03 23:19:54 | 超・いぶたろう日記
受験生を抱えた身、
正月気分もそこそこに3日より仕事初め。
2教室を行ったり来たりする「正月特訓」だ。
そんな移動中のこと。

狭い対向2車線の車道で、
僕の2台前をトロトロ走っていた車Aが信号で急停車。
僕の前を行くクルマBはイラついたか後ろにピッタリ張りつく。
なんとなくイヤ〜な予感がして、車間広めに続く僕。

そして信号が変わるや否や、車Aによる突然のバック。
煽る気満々だった前のクルマBにゴツン。
僕は車間とっていたおかげで無事。

呆気にとられてみていると、
そのぶつけたクルマAがフラフラと対向車線に走り出すではないか。
向こうから走ってきた対向車も慌てて急ブレーキ。
小刻みに前進とバックをくり返し、対向車線を完全に塞いだかたちで立ち往生。
わずかな間でどえらい状況を作り出してしまった。
クルマを降りて怒鳴る前の車B。
それはいいけど、わし進めまへんがな。

降りてきたのは果たして最近何かと話題の典型的な「高齢者ドライバー」。
高齢者をひと括りに揶揄する気はないけれど、こんなん、いきなりやられたら怖いわー。

もはや日本人の4人に1人が高齢者。
子供笑うないつか来た道、老人笑うないつか行く道、とは言うけれど。