いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

結婚式について

2009-04-24 23:48:24 | 新・いぶたろう日記
僕は結婚式というヤツが苦手だ。
呼ばれれば、出るようにはしているけれど。
色々と守らねばならない建前や形式が多くて、
なんだか窮屈に感じることもあるが、
何より「感動しなければならない」かのようなあの空気感だ。
特にそれは演出がこらされたものであればあるほど強まる。
「さあ、ここで感動してください、泣くところですよ」
と言わんばかりの演出が、僕をシラけさせてしまうのだ。
これは僕特有のアマノジャクだと自覚もしているが、
制作側、演出側の手の内で踊らされているようで、
どうにも素直になれないのだろう。
だから僕はおおよそイベントごとで感動したり、
泣いたりということがない。

以前、某制作会社の女性ディレクターと、
番組で共演していたアーティストと、
3人で食事をしたとき、そんな話題になったことがある。
僕以外の2人が、前日テレビで見た芸能人の結婚式にふれ、
感動した、泣いたとうなずきあい始めた。
そこから発展して結婚式ってイイよねえ、
何回出ても感動しちゃう、そうですよねえ、
とやり始めたのだった。
ここに僕は何とも言えぬ違和感を感じてしまう。
その場限りの社交として、他愛ない話題を無難にこなす、
それができない僕ならではの、
「理路整然としているが、ヘンなところで純粋」
と評される所以なのだろう。

素朴な疑問として、ぶつけた。
なぜ他人の結婚式に泣けるのか?と。
新郎新婦がこれからの人生に、
両親がこれまでの思い出に、
それぞれ思いをはせて涙するのは解る。
だから僕がその場に望まれて列席していたとしたら、
惜しみなく拍手は送るし、笑顔でいることはできる。
でも、両親ほどに新郎新婦に思い入れを抱くことは難しいし、
何より場の雰囲気だけで泣けるほどに僕は安くはないつもりだ。

これに対して2人の反応はヒステリックとも言えるほど、
過敏で雄弁で一方的だった。
おまえは何を言ってるんだ、それでも人間か、
結婚式はいいものだ、何度出席しても感動する、
人生の門出なんだぞ、親の気持ちになってみろ、
あの良さが解らないなんて、どうかしている。
ただ、この繰り返し。
なぜ、という僕の根本的な疑問には答えない。

だから僕も勢い、頑なになる。
君らは何かにかこつけて泣きたいだけじゃないのか。
それが何だっていいんじゃないのか。
映画でも芝居でも小説でも。
だから友人の結婚式と芸能人のそれとを同列に語れるんだ。
結婚式と聞いただけで、思考停止しちゃってるんだ。
と。

女性ディレクターはみるみるうちに顔を紅潮させ、
もういいアンタとは話にならんと打ち切った。
その後はホストと化したもう一人のアーティストとばかり話すので、
僕はしばらくして席を立った。
僕が当時引き受けていた番組から外されるまで、
そう時間はかからなかった。
もっとも、この女性ディレクターには、
いつか書いたとおり、仕事の面でもずいぶん閉口していたので、
僕としてはどうってこともなかったのだが。

いまこうして文字に起こして思う。
まあ僕も大人げないというか書生くさいというか、
言わなくてもいいことをくだらない相手にまで説くのだから、
バカ正直というか。
でも、基本的な考えとしては今も間違っていると思えない。
今ではそういう薄っぺらい連中とでも、
ほどほどにやり過ごす術とある種の如才のなさを、
多少なりとも身につけはしたが、
深いつきあいにはしたくないし、なり得ない。
建前と追従と偽善が死ぬほど嫌いな僕にとって、
心の底で譲れない一線だ。

が、しかし。
そんな僕でも、親友の結婚式で感動したことはある。
ほら見ろという前に、僕の言い分も聞いてほしい。
きちんと理由がある。何でもかんでもとは違うのだ。
親友の希望に満ちた人生の門出を万感で…なんてものじゃない。
それは高校時代の同期の結婚式だった。
僕と同じく母子家庭に育った新郎が、
母に向けて贈った一言だった。
あらかじめ用意されたコメントでもなく、
来場者のスピーチにあった
「父親を早くに亡くして苦労や不自由もあったろうに、立派に…」
の言葉をひいてのものだった。
(もちろん、このスピーチに悪意はないし、新郎も理解している)
彼は、こう言ったのだ。

「父を亡くしてからも、僕がそのことで苦労した、不自由したと感じたことは、ただの一度もありません!それは母のおかげです」

その場に居合わせず、また彼の人となりもご存じない読者の皆さんには、
このことで僕が特別に感動したことの理由はさほど伝わらないだろうし、
そもそも感動してもらおうという思惑もない。
別に説明するようなことでもないのだが、
野暮を承知で言えばそれは、自分に置き換えてみたときの共感だ。
彼の気持ち、彼の母の気持ち、痛いほどよくわかる。
言葉には尽くせない思いを抱えてきたはずだ、
でも今日この日を迎えて、すべてが洗い流される。

僕の人生においても、父親という存在は途中で消えた。
当時売れっ子アナウンサーだった父は、
子供の頃からほとんど家にはいなかった。
たまに家にいても、何かと厳しく叱られることが多かった。
父に甘えた記憶、父と遊んだ記憶、ほとんどない。
十代のころには別居していたから、
大人に近づく過程でぶつかり合ったこともない。
彼の結婚式に出席した当時の僕はまだ二十代の半ばで、
まだバンドで夢を追いかけている途中だったから、
収入もロクになく母親に寄生しているような状況だったし、
なんとなく父親に合わせる顔もなかった。
戦わずして負けるような気がしていたのだ。
だから、ひとりの大人として、
父と会って話すことなど想像もできずにいた。

ただ、僕は父を亡くしたわけではない。
かつて強く憎んだこともあるし、
父の側でもそれを察して(彼自身やむを得ないと認識していただろう)か、
しばらく距離を置いていた時期もある。
でも、生きている限りは、話もできる。
和解もできれば、結婚式に出てもらうこともできる。
僕にもいつかそんな日が訪れるのだろうか、
いや、その前に死に別れちゃうかもしれないよな、
だとしたら寂しいことこの上ないよな、
なんていろいろなことを考えたものだ。

そして、考えてみれば僕もまた、
いまあるのはすべて母のおかげだ。
子供を3人も抱えて、
知人の誰もいない東京に追っぽり出され、
頼りの長男はこの上なくワガママで好き勝手、
言いしれようのない苦労があったはずだ。
いま思い返してみても、申し訳ない思いばかりが先立つ。
しかし彼女は一度だって恨み言を漏らしたことがない。
いつだって明るかった。
彼女特有の、天性とも言うべきおおらかさ、
それはもはや母性という言葉以外では説明のつかないほどの包容力で、
僕ら3人を包んでくれていた。
だからウチの家は経済的に決して余裕はなかったが、
人並み以上の生活を維持していたし、
何より明るさを失わなかった。
母子家庭だから苦しいなんて、意識したことすらない。

また、母方の実家の存在も大きかった。
祖父も祖母も伯父も伯母も、みんな底抜けに明るくて善人で、
そのことで僕ら一家がどれほど救われているか知れない。
その他にも、
母は次々と持ち前のキャラクターで新しい友人関係を築き上げ、
寂しいだなんて感じさせるいとますら与えなかった(笑)。
育児放棄、児童虐待、
そんなニュースが毎日のように流れる世相の中で、
僕らは彼女の子供として生を受けたことを感謝しなければならない。
親友の結婚式はそんなことを改めて僕に気づかせてくれた。
とても神妙な気持ちになったものだ。

結婚式には本来、人生の節目として様々な思いが詰まっている、
簡単に見た目だけで、感動しただなんて言いたくない。
これだけの思いがあって、共感があって、
本当の感動が生まれると思うのだ。
だから僕は安っぽく涙を流したりはしないし、
ことさらに感動を語ることもしない。
できる限り大きな拍手を、笑顔で贈るだけだ。
これは僕のスタイルだから、
誰にも否定される筋合いのないものだ。
従って僕もまた、
他人の結婚式で涙ぐむ人や、
めったやたらに感動したを連発する連中を否定はしない。
僕はそうしたくないというだけのことだ。

さてそんな僕が結婚式で思わず泣いてしまうようなことがあるのだろうか。
果たして、それは思わぬ形で叶うこととなる。


この話、明日に続く。

どーかと思うよ

2009-04-24 23:17:49 | 新・いぶたろう日記
まあ、夜中に大酒飲んで全裸で暴れてるヤツもそうだが。
これしきのことを世紀の大ニュースにしちゃうのもなあ。
酔っぱらって全裸なんて昔そこらじゅうであったことじゃない。
あれ、江頭とかだったら何も騒がれないでしょ。
なんつーか、世知辛いよねえ。
警察が来るのはしゃあないにしてもだ、
テレビであんなに深刻そうにコメントするようなことかね?
まあ、みんな建前しか言えないんだろうけど。
で、なに?地デジの普及にも悪影響?
バカ言っちゃいけませんよ。
CMに出てる人間の不祥事ごときで買い控えが…

…起こりうるアホな国が今の日本か…。

まあ、個人的にはあの鬱陶しい「おれつよし!」CM、
見なくて済むようになるのは嬉しい限りだが。
やっぱり、深夜の公園でやってたんだろうか。

「上半身、なし!」「下半身、なし!」
「おれ、明日から仕事なし!」

周知の通り、僕はSMAPもジャニーズも大嫌いなので、
別に彼の肩を持つ気など毛頭ないのだが、
それにしても騒ぎ過ぎな気がするね。
誰かを追っかけ回してたとか言うならまだわかるけど。
鳩山が悪代官みたいな顔してえっらそーに、
「最低の人間」だとか何とか言ってたけど、その基準は何だろね?
「人として最も低い」とは??
政治家にだけは言われたくないねー(笑)。
見てないところでこそこそ人様から預かったお金を、
なんやかやとかすめ取ってる連中の方がよっぽど最低だと思うがなあ。
まだ深夜の公園で泥酔全裸の方が人間らしい。
で、慌てて翌日訂正してんの。みっともない。
たかが1タレントの行動に冷静さを失うような政治家、
コワイから次の選挙で落とさなきゃダメですよ~(笑)。

さらに言えば。
このことで警察や地デジの管轄の総務省やらに、
せっせと抗議の電話かけてる奴らが一番どーかと思うね。
そんなにヒマならもうちょっと、
社会の役に立つことでもやったら?
その辺のごみ拾いで充分なんだからさー。


起きてしまったこと以上に周りで騒ぐ人間の醜さが目立つ典型例として

2009-04-22 23:25:36 | 新・いぶたろう日記
この事件を紹介したいと思います。
すでにあっちこっちで話題になってて、YOU TUBEにも上がってますが。

【エレカシ宮本生放送ぶち切れ事件】
http://www.youtube.com/watch?v=aKr0mCOXZ1I

①DJ:なんか今回のアルバムっていうのは聴くたびに印象が変わっていって、オードブルもサイドディッシュもないフルコース、メイン!メイン!メイン!みたいな、ちょっとぱっと聴いた感じで「わッ!食べにくい!!」っていうような、でも実際飲み込んでみると「こんなに美味しいもんないや・・・」っていう…

②宮本:人の前で食べにくいって言いましたよこの人、失礼なやつだコイツは。食うな。

③DJ:食いましたもう、さんざん食ったのでお返しできないんですけど、

④宮本:ゲロで吐け

⑤DJ:え!それはちょっともったいないのでアレですけど

⑥宮本:ま、悪気はねぇのはわかってっけどよ、

⑦DJ:けんか売られてます、今

⑧宮本:ケンカじゃねぇだろ、おメェが売ってんだよこのバカ

⑨DJ:いえいえ

⑩宮本 気をつけろこのドアホ

ーーーーーー

…ということなんですが。
ネット上ではどっちに常識がない、ロッカーは狂ってるくらいでいいんだ、
宮本は天才だからいいんだ、女がムカツク、などなど、
ぱっと見ヤジウマたちで百家争鳴です。

まあ、僕もそのヤジウマのひとりなワケですが。

ううーん、でもこれはさあ、
これも含めてエンタテイメントとして面白がってれば良いんじゃないのかな。
放送での公共性と洒落って紙一重だし。
そもそもネット上にこれだけ陰湿で悪辣な表現が散らばってて、
なおかつ子どもがいつでもそこにアクセスできるような状況で、
放送だけが良識云々を語られるのにも違和感あるけどね。
そんな大層なもんですか?って。

北野誠の番組もそうだけどね。
みんな、過激で猛毒なヤツを見たがる聞きたがるくせに、
誰かがガツンと怒り出したり、
逆に誰かが哀れな被害者として名乗り出たりすると、
とたんに袋だたきにするでしょ。
なんか、オフサイドトラップみたいよね(笑)。

叩いてる方はとりあえず気分良いし、
叩かれてる方は謝らせられながら内心納得いってないだろうし、
空しいもんだよね。

よほどのことでもなければ、すべては洒落ですよ。
笑って流せる余裕のない方が、人として魅力がないと思えるけどね。
キャパの小さな人ほどウルサイじゃない。
騒ぐってことはつまり自分の器量の狭さをアピールしているわけだな(笑)。

周囲についてはそういうことなんだけど、
当事者ではまた事情も感じ方も違うからね。
でもこの宮本という人はアレですね、
カンペキに右脳しか頭蓋に存在しないタイプの人ですね。
こういう人には理屈は通用しないからなあ。
DJもプロならさっと謝っちゃえば良かったのにね。

私の国語の授業風に検証してみましょう。

①についてはまあ、表現の巧拙はさておき、
個人の自由な感想だからまあしゃあないわね。
「一見豪勢すぎて、食べにくいのかな?と思わせるものが正直あったんですけど」
とか、もうちょっとウマイ言い方はあったかもしれないね。

②はまだシャレの領域にいるよね。ここでDJは謝っちゃえばよかったんだ。
「言い方悪くてすみません、そんな気はなかったんです」って。
そしたら、同情票も集まったのにねえ。
それが…

③からだ。これがいわゆる「減らず口」ですね。
これはカチンと来るでしょう。
②のニュアンスが伝わってないわけだから。
そりゃあ④になりますよ。

⑤はもう余裕を失ってますね。苦しい感じ。

⑥で、これが最後のチャンスだったのに。
みすみす逃しちゃう。どころか、火に油。

⑦でカンペキに自爆ですね。
おそらく、もう少し仲が良いつもりでいたんでしょう。
洒落が利く間柄とでも勘違いしてしまったんでしょう。
距離が測れないが故の悲劇。
こういうの、職場や学校でもよくあるよね。

⑧と⑩はもう正気を失ってますから、
言葉遣いがどうのなんて言うのは的外れでしょう。

⑨は相当苦しいですね。

…というわけで、我々はここに学ぶべきなのです。
どっちが善いの悪いのと、裁判員になる必要はないのです。
自分だったらどうするか、どうできるかについても、思いを馳せてみましょう。

私ですか?

宮本の立場だったら…。
まあ、ロッカーとして、
たまにはこういうエピソードのひとつもあった方が格好いいし、
キレてみせるのって気持ち良いよね。
でも、そんな洒落のわからん、
狭量な自分を電波にのせるのには抵抗あるなあ。

あ、もちろん宮本がどうこうじゃなくて自分がゲストだったら、よ。
宮本がこういう人なのはもう批判以前の問題でどうしようもない。
ライオンのアタマなでようとしたら噛みつかれた、っていう話だよ。
アタマのなで方を論じてもしゃあない。
ライオンだってことを考えてない方が悪い。

DJだったら。
あーあ、シャレのわからんゲストだな、と内心思いながら、
プロとしてその場は誠心誠意謝っているフリをして収めて見せますけどね。
以前もアタマのおかしい二人組に絡まれて、
迫真の演技で虎口を脱したことがありますし(笑)。

さあみんな、人のフリ見て我がフリ磨こう!(笑)
他山の石ならそこらじゅう、いっぱい落ちてるぜ!

なんて寂しいんだ

2009-04-12 06:17:23 | 新・いぶたろう日記
最近、小学校の頃の友人と繋がりが出来て、
いろいろ連絡を取ったり、直接会えたりしている。
きっかけはブログだったりmixiだったりするわけで、
思えば本当に便利な時代になったもんだと思う。
昔だったら再会できないだろう距離をも埋めてしまう。
でもそのことが必ずしもいいことかどうかはわからない。

今どこでどうしているのか、さっぱりわからない人はたくさんいて、
そういう人たちは胸の中では最後に会った日の姿のままだ。
姿、顔、声、口調、クセ。
愛した人も憎んだ人も憧れた人も恐れた人も。
再会は、それを時の流れに合わせて修正するということだ。
知らずにいれば、ということだってあるかもしれない。

なんとなく、いつでも戻れるような気がしているのだが、
それは決して叶わないのだと思い知らされることでもある。
人はひとつの環境を共有することで関係が成り立つから、
小学校や中学校といった大きなくくりの中にあった昔とは違い、
それぞれに生活を抱え、それぞれの場所で社会につながれている今となっては、
何も昔のようにはやれないのだ。
そのことを、否応なく認識させられる。

交差することはあっても、重なり合うことはない、
無数のタイトロープ。
その上で歩を進めていかざるを得ない孤独を、
束の間忘れることは出来るけれど、
また独りに戻ったときにはそれを思わずにいられなくなる。
それでも、歩み続けるしかないのだ。
歩み続けて、何があるというのか。
線香花火のようなものか。
最期まで生き抜いたところで、
途中で力尽き、落ちてしまった玉との差は何だというのか。

暗闇の中で無数に張られたロープ、
そのずっとはるか向こうを歩いていると思っていた。
目をこらせばそこにいると思いこんでいた。
でも、すでにその姿はなかった。
いつのことかもわからない。
ただ、そう聞いただけだ。

僕にとっては特別な思いのある友人だった。
知らずにいたら、またいつかどこかで会える気でいられただろう。
二度と会うことがなかったとしても。
この世界ではないどこかで、僕らがいつか出会えたとしても、
きっとお互いにもうわからないような気がするから、
思い出したように寂しくてたまらなくなる。

だから、知らないままのつもりでいるよ。

なんでやねん3連発

2009-04-11 06:18:13 | 新・いぶたろう日記
なんでやねんその1。

東京都下水道局が制服を一新。
その際、胸元のワッペンのデザインも変更することに。
職員のアイデアで、「水をきれいにする仕事」のイメージで、
水色の波線をスラっと入れることになりました。
ここまでは、いい。
ところが。
これが重大な「内規違反」とかで「作り直し」に。
んで、その内規違反というのが、
「組織名と都のイチョウのマーク以外は入れたらいかんぞコラぁ」というもの。
なんと狭量な。
ちなみに、これです。

違反わっぺん

別にいいじゃんねー。
でね、腹立つのがこれを税金使って作り直したんですよ。
2万着も無駄にして。
いや、そりゃね、「京都下水道局」になってた、てんなら解るよ。
別にまーーったく支障ないじゃない。

で、この「作り直し」にかかった費用が、

3400まんえん。

・・・なんでやねん。


なんでやねんその2。
新潟県の中学校。
サッカーの県大会出場権をかけた地区予選で、
その中学校のサッカー部は最終戦を待たずに予選2位以内を確保、
決勝トーナメント進出を決めた。
これをあと2つ勝ち抜けば県大会だ。
喜びに沸く生徒たち。
ところが怪訝な顔の教頭先生47さい。
なんでも、このまま1位で通過すると
今まで勝ったことのない苦手な中学と当たるという。
なんとしてでも県大会には出たい。
そこで、なんとこのマッド教頭、生徒たちに「わざと負け」を指示。
2位通過にして、有利な対戦相手を選ぼうというのだ。

まあ、ここまではあり得る話。
教育上どうかという面はさておき。

問題はその負け方。
すごいよ。

なんと、
6連続オウンゴール。

正直というか・・・素直というか・・・・。

さすがに、審判が警告して、対戦相手も没収試合を要求したそうだ。
でもこの「わざと負け」を罰する規定がないので試合は続行。
最終的に7対0で「わざと2位通過」に成功した。

でもさすがに問題になって、この教頭は1年間の謹慎だそうだ。
まあ、そらそうだわなあ。
教育者としては、なあ。
生徒たちもひょっとしたら精一杯の抗議だったかもしれないね。
なにもこんなバレバレの手を使わなくても、ねえ。

で、決勝トーナメントでは。
別の中学にコロッと負けたそうです。

・・・なんでやねん。


なんでやねんその3。

対巨人1回戦。
藤川の恨み。原への鬱憤。
今日こそ晴らしてくれるわ。

気合十分・絶好調の4番金本、
今期2度目の3打席連続本塁打!!


・・・なのに負けましたとさ。

なんでやねんなんでやねんなんでやねん。

はりきって

2009-04-10 23:29:47 | 新・いぶたろう日記
ノリノリで書いた長い原稿が。
うかつにページ変えちゃって白紙に。
うわー、俺の43分返せー。

てなわけで今日は小ネタに変更。

今日は国語の授業。
「類義語」の問題です。
さて、「遺品」の類義語は?

・・・正解は「形見」なワケですが。

みんななかなか出ません。
そこでヒント。

この世に「遺」した「品」物、ですね。
言葉を遺せば「遺言」、財産を残せば「遺産」となります。
死んだ人が遺していった物のこと、なんていう?

そこで感性の男、H君叫ぶ。

「くつ!!」



もちろん、そこはガケだ。
あるいは、踏切かも。

俺、こういうの大好き。

踊らされてはいないだろうか?

2009-04-07 23:36:50 | この国の憂鬱
今回の北朝鮮ミサイル騒動、どう思われるだろうか?

まず、前提を整理していこう。
人工衛星かミサイルかという論議には意味がない。
ロケットというものは運搬機器の推力機関であり、
先っちょに人工衛星を載っけるか、
核弾頭を載っけるかの違いしかないのだ。
飛行機に客を乗せたら旅客機だが、
爆弾を積んだら爆撃機だ。
安保理決議が禁じるミサイルの開発とは、
この例で言えば航空機そのものをつくることだ。
何を載せるかを問うているのではない、
載せるための機械をつくるなと言っているのだ。
それくらい、国際社会の信用を失っているのだ。
北朝鮮の言い分、そのすべては単なる言い逃れだ。

そもそも、いまこのタイミングで、
北朝鮮が人工衛星を必要とするかと言えば甚だ疑問だ。
これと言った産業も特産物もなく、
麻薬と偽札と軍事兵器で生計を立てているような国が、だ。
足元に数十万とも言われる多くの餓死者を抱えている状況で、
宇宙開発なんていう余裕があるだろうか?
多額の費用と時間を要する割に、
技術的な裏付けがなければ実利的な部分は少ない。
単に、あれは
「俺たち、核弾頭を積んで発射できるかもよ?」
という脅しのパフォーマンスなのだ。

そもそも、射程距離6000キロ以上というテポドンの発射で、
今回ことさらに日本が危機を叫ぶこと自体がナンセンスだ。
日本はとうにほぼ全土がノドンの射程圏内にいるのだから。
クルマの行き交う交差点の真ん中で、がん死の心配をするようなものだ。
寝たばこしながら地震の心配をするようなものだ。
中学生が学校の定期テスト中に大学入試の心配をするようなものだ。

アメリカが冷静なのにも理由がある。
アメリカ本国が依然「射程圏外」にあるということもそうだが、
それ以上に、北朝鮮がミサイルを発射するには、
準備期間を含めて2週間はかかるという。
アメリカとの臨戦状態下で、ミサイル準備の動きを見せれば、
たちまち軍事衛星やエシュロンに探知される。
そうなったら航空攻撃で先制破壊してしまえば済む。
まだまだ、アメリカと北朝鮮とでは、大人と赤子以上の戦力差があるのだ。

ミサイルについても、漫画やアニメの影響で、
どうも安易に考えてしまいがちだが、
実際に我々はミサイルなるものの実態を、
ほとんど知らないと言って良いだろう。
ただ、常識的に考えて、
長い棒状のものを端っこの不安定な推力で正確に目標に当てることは、
そう簡単なことではないことに気づくはずだ。
ましてそれを撃墜するなんて。
鉄砲を撃たれて、横からその弾丸を撃ち落とすようなものだ。
成功率は一体いかほどのものか。

こんなことはちょっと事情に詳しい者なら常識だという。
たとえその専門知識がなくとも、
ちょっと落ち着いて色んな話を聞く余裕を携えた者なら、
このネット時代、簡単にその事実に行き着くだろう。
その努力を怠る者が今回、踊らされているのだ。

オカシイとは思わないか?
よく考えたらおかしなコトがいっぱいあるぞ。
今回、日本政府は軍事機密とも呼ぶべきものを何もかも公開した。
本来極秘のウチに発令されるはずの「破壊措置命令」から、
迎撃ミサイルの配備地域・配備状況まで完全生中継だ。
でもさ、本気で北朝鮮が日本を狙う気だったら、
どこに迎撃システムがあるかバラしちゃマズイんじゃないの。
このことひとつとっても、北朝鮮が日本を狙う気などさらさらなかったこと、
そして日本政府もそれを重々承知だったことが見て取れる。
三文芝居もいいところだ。

では、このことが何を意味するか?
不条理な事件、不可解な謎に出遭ったときの鉄則、
「このことで一番トクをしたのは誰か」を考えよう。

自民党だ。麻生総理だ。

時の政権が不人気にあえいだ場合、
外敵をでっち上げるのが何より有効だ。
小沢民主党の敵失で幾分かは回復したとはいえ、
麻生の不人気は政権維持に致命的と言っても良いものだった。
そこまで追い込まれた政権がとる手だては限られる。
お金のバラマキか、危機の演出だ。
敵を作るのだ。
大きな脅威の前に団結を訴えるのだ。
ブッシュもそう、中国もそう。ヒトラーだって金正日だって。
常套手段じゃないか。
危機を前にして、ここぞとばかりに見栄切って、
「国民の命は絶対に守る!」
とかなんとか言っちゃって。
麻生さんもやるときゃやるのね~なんて。
浅ましいの一言だ。

だからみんなね、今回の一見は刮目しなければいけないよ。

とにかく、テレビのハシャぎっぷりったらなかった。
あたかも非常事態かのように騒ぎ、あわてふためき、
ミサイルが日本に落ちてくるかもしれないなんて、
まずあり得ない危機をほのめかす。
だって日本に核なんか落としてみろ。
アメリカの報復で、北朝鮮なんて地上から消えて無くなるぜ。
警官の目の前で殺人を犯すようなもんだ。

で、その演出された不安感の中、
連日垂れ流されたのが自衛隊の最新装備の映像。
アレを見て、
「心強いなあ、やっぱり自衛隊は必要だな」
「日本も平和ボケを卒業して、再軍備しなきゃな」
「ミサイル防衛予算はもっと支出しても良いんじゃないか」
そんな風に感じた人がいてもムリはないし、
少なからず興奮・高揚感を覚えた層だっていただろう。

なんて危険なことなんだろうと思う。

早くも政治家の一部からは
「日本も核武装すべきだ」
なんて声が聞こえてきた。
この核軍縮の時代に、時代錯誤も甚だしい。
なんでそんなこと言えるのか、不思議でしょうがない。
日本国憲法の前文を読んだことないんですか。
夢想的な、理想主義的な、甘ちゃん憲法かもしれないよ、そりゃ。
アメリカの言いなりで作った経緯もある。
だけどあそこには敗戦で国土を荒廃させ、
大切な人を数限りなく失った国民の、
切なる願いが映し出されているじゃないか。
戦後の日本人はみんなああいう思いを抱えていたはずだよ。
戦争責任がどう、侵略戦争論がどう、だなんて、
後付けの議論なんか問題じゃない。
「戦争はもうイヤです」という市井の民の、心の叫びだ。
北朝鮮なんてヤクザ国家に振り回されて、
それら過去の歴史を踏みにじり、
崇高な理想のすべてを否定するなんて、愚の骨頂だ。
情けない。
日本のアイデンティティを根本から揺るがすものに他ならない。

どんな正当に見える理由があろうとも、僕は戦争には反対だ。
理想論だと笑われようと、子どもの発想だと言われようと、
僕は誰も殺したくはないし殺されたくもない。
国家とか政治とか、そんなものの利害に巻き込まれて命を落とすなんて、
冗談じゃない。
僕は僕の身の周りの人間たちの幸せを考えるので精一杯だ。
そのための手段に、人殺しは必要ない。

僕にだって解決の妙案があるわけではない。
いたずらに理想を唱えていても、無責任の誹りは免れないだろう。
ただ、訴えたい。
国の、テレビの、雑誌新聞のいうことを鵜呑みにしてはダメだ。
安直に軍事的対抗の方向へ流れてはダメだ。
何より、それにやすやすと流されてはダメだ。
よく見極めるべきだ。
政府は出来るすべてを試したか。
万策尽きたというまで八方手を尽くしたか。
日本を守るため、とか言いながら、
それは単なる政権の人気取りではないか。
どさくさ紛れに再軍備・憲法改悪を目論んではいないか。

誰かに都合の良い、勝手な論理が横行してはいないか。

僕はそんな風に、考えている。

なんかもう

2009-04-05 02:04:01 | 新・いぶたろう日記
みんなRebirthのライブ告知にリアクションくれてますね。
ありがたいなあ。。。
バンド関係はあっち…なんて分けてはみたものの、
やっぱりどーもここがメインな感じでね。
しょっぱい思いも色々あったけど、
やっぱここが僕の甲子園なんだよね。
そのうち過去の記事も整理して載っけていきます。
僕はやはり黙ってられない人間だろうし、
実名云々についても、僕が脇を締めて臨めばいいだけで。
どこの誰だかわかってしまう緊張感の元で、
筆に磨きをかけていきたいという思いもわいてきました、
ライブの方も、ぜひ来られる人は来て下さい。

さて。
今日はミサイルが降るかも、という日だったわけですが。
昨日なんか春期講座にやってきた小3の子供たちが、
朝教室に入るときに、
「春だねえ」「あったかくなったねえ」
「はやくも明日はミサイルだよぉ♪
なんて会話を交わしてて、世も末だと思いました。

・・・ミサイルは春の季語じゃないぞ。

テレビがなんだか象徴的なんだけど。
なんだかとってつけたような緊張感。
意味もわからず話題にして、
本気で怖がってるのはなんだかかっこ悪いから、
周囲に合わせて平静を装いつつ、はしゃいで、
不安もあるんだけど、でも自分だけは死なないと思いこんでいる、
そんな感じ。
あのお昼の政府発表、
「飛翔体発射」
では明らかにテレビは民放中心にはしゃいでましたね。
「飛翔体」なんて言葉あるの初めて知ったぞ。
変換できないし。

で、日本に着弾するとしたら最速10分だとか言って。
僕はちょっと考えましたね。
もし核弾頭が搭載されていて、東京に撃ち込まれたら、
いまここでこうしてテレビを眺めてる自分も消えて無くなるんだよな、と。
でもどうしてもそれが現実になるとは思えず、
映画の中の緊迫シーンを眺めるようなリアリティのなさ。
現実感の完全なる喪失。
戦争が虚構の中にしかない典型的日本人のそれ。
これはいかんともしがたいですね。
ふと見るとうちの犬が布団にうずくまってたりして、
ヤツには北がミサイルを撃とうとなんだろうと、
一切関知できないわけで、いつものようにうとうとするしかない。
その点ではヤツと僕とで何の違いがあろうかと、
数分間思索を巡らせてしまいました。

そこに、政府の「誤報でした」発表。
これ、なんか野党を中心にお粗末だの何だの散々たたいてますけどね、
いや、これ大事なことだと思うよ。
てめえは何ができるんだかよくわからないようなコメンテーターなんかも、
偉そうに「政府の危機管理はまったく頼りないですね」とか言うけどさ、
ちょっとでも怪しい動きがあったらこうして国民に知らせるって方が、
いいんじゃないかな。
誤報を恐れてこそこそやられるよりよっぽどいいよ。
だって個人の力じゃ、探知し得ないんだもの。
政府にはオオカミ少年を恐れずに細かな動きも漏らさず発表してもらいたいね。

しかし。
いかにもテキトーに選ばれてる日本の総理大臣ですが。
平和なときには別に良いかと思えるんだけど、
こういう非常時になると、
麻生じゃダメだ、こりゃ頼れんぞ、とリアルに思えますね(笑)。
非常通報を受けて官邸入りする麻生の姿を見て、
ああ、この人に1億2千万の命は重すぎる、と思ったな。
というか、政治家ごときにそこまで任せられないんだよね。
この国の人材不足を感じますね。

とか何とか言いつつ、僕はこの非常時下に、
のんきに昔の友達と花見に行ってきたんですが。
人混みだらけの新宿御苑で、迷子の呼び出し放送聞きながら、
知らない外人に
「おまえはジョンレノンに似ている」
とか言われて帰ってきました(笑)。
しかし迷子ってあんなに多いもんかね。
3歳とか4歳とか、親は何やってんだ。
迷子の呼び出しもいいけど、あれがあるから親は気抜いてんじゃないか?
しかも同じ子、何回も何回も呼び出ししてんの。
早く迎えに行ってやれよ。
託児所と勘違いしてんじゃねえのか?
ちょっと工夫してやればいいんだ。

「3歳の息子を預かっている。警察には言うな。いま、声を聞かせてやる。」
「うあぁぁぁぁマァマァァあああ!」


みたいな。

ふう。
平和ボケ、千代に八千代に。

卯月痴呆

2009-04-01 02:44:53 | 新・いぶたろう日記
本日、4年後の千葉県知事選挙に出馬することを決心しました。

公約は以下の通りです。

1)茨城県・埼玉県・東京都との県境に「ミシン目」を入れ、県民の総力を挙げて切り離す。

2)その後、房総半島は太平洋上を暴走し始め、「ひょっこりひょうたん千葉」として、ハワイを目指す。

3)もちろん、地球にやさしい政策として、動力は県民たちの自転車漕ぎ方式によるペダル推進力を活用する。

4)千葉県地方議会は被選挙権の認定を5歳未満とする。だって県議会議員なんて誰がなっても一緒一緒。