僕は結婚式というヤツが苦手だ。
呼ばれれば、出るようにはしているけれど。
色々と守らねばならない建前や形式が多くて、
なんだか窮屈に感じることもあるが、
何より「感動しなければならない」かのようなあの空気感だ。
特にそれは演出がこらされたものであればあるほど強まる。
「さあ、ここで感動してください、泣くところですよ」
と言わんばかりの演出が、僕をシラけさせてしまうのだ。
これは僕特有のアマノジャクだと自覚もしているが、
制作側、演出側の手の内で踊らされているようで、
どうにも素直になれないのだろう。
だから僕はおおよそイベントごとで感動したり、
泣いたりということがない。
以前、某制作会社の女性ディレクターと、
番組で共演していたアーティストと、
3人で食事をしたとき、そんな話題になったことがある。
僕以外の2人が、前日テレビで見た芸能人の結婚式にふれ、
感動した、泣いたとうなずきあい始めた。
そこから発展して結婚式ってイイよねえ、
何回出ても感動しちゃう、そうですよねえ、
とやり始めたのだった。
ここに僕は何とも言えぬ違和感を感じてしまう。
その場限りの社交として、他愛ない話題を無難にこなす、
それができない僕ならではの、
「理路整然としているが、ヘンなところで純粋」
と評される所以なのだろう。
素朴な疑問として、ぶつけた。
なぜ他人の結婚式に泣けるのか?と。
新郎新婦がこれからの人生に、
両親がこれまでの思い出に、
それぞれ思いをはせて涙するのは解る。
だから僕がその場に望まれて列席していたとしたら、
惜しみなく拍手は送るし、笑顔でいることはできる。
でも、両親ほどに新郎新婦に思い入れを抱くことは難しいし、
何より場の雰囲気だけで泣けるほどに僕は安くはないつもりだ。
これに対して2人の反応はヒステリックとも言えるほど、
過敏で雄弁で一方的だった。
おまえは何を言ってるんだ、それでも人間か、
結婚式はいいものだ、何度出席しても感動する、
人生の門出なんだぞ、親の気持ちになってみろ、
あの良さが解らないなんて、どうかしている。
ただ、この繰り返し。
なぜ、という僕の根本的な疑問には答えない。
だから僕も勢い、頑なになる。
君らは何かにかこつけて泣きたいだけじゃないのか。
それが何だっていいんじゃないのか。
映画でも芝居でも小説でも。
だから友人の結婚式と芸能人のそれとを同列に語れるんだ。
結婚式と聞いただけで、思考停止しちゃってるんだ。
と。
女性ディレクターはみるみるうちに顔を紅潮させ、
もういいアンタとは話にならんと打ち切った。
その後はホストと化したもう一人のアーティストとばかり話すので、
僕はしばらくして席を立った。
僕が当時引き受けていた番組から外されるまで、
そう時間はかからなかった。
もっとも、この女性ディレクターには、
いつか書いたとおり、仕事の面でもずいぶん閉口していたので、
僕としてはどうってこともなかったのだが。
いまこうして文字に起こして思う。
まあ僕も大人げないというか書生くさいというか、
言わなくてもいいことをくだらない相手にまで説くのだから、
バカ正直というか。
でも、基本的な考えとしては今も間違っていると思えない。
今ではそういう薄っぺらい連中とでも、
ほどほどにやり過ごす術とある種の如才のなさを、
多少なりとも身につけはしたが、
深いつきあいにはしたくないし、なり得ない。
建前と追従と偽善が死ぬほど嫌いな僕にとって、
心の底で譲れない一線だ。
が、しかし。
そんな僕でも、親友の結婚式で感動したことはある。
ほら見ろという前に、僕の言い分も聞いてほしい。
きちんと理由がある。何でもかんでもとは違うのだ。
親友の希望に満ちた人生の門出を万感で…なんてものじゃない。
それは高校時代の同期の結婚式だった。
僕と同じく母子家庭に育った新郎が、
母に向けて贈った一言だった。
あらかじめ用意されたコメントでもなく、
来場者のスピーチにあった
「父親を早くに亡くして苦労や不自由もあったろうに、立派に…」
の言葉をひいてのものだった。
(もちろん、このスピーチに悪意はないし、新郎も理解している)
彼は、こう言ったのだ。
「父を亡くしてからも、僕がそのことで苦労した、不自由したと感じたことは、ただの一度もありません!それは母のおかげです」
その場に居合わせず、また彼の人となりもご存じない読者の皆さんには、
このことで僕が特別に感動したことの理由はさほど伝わらないだろうし、
そもそも感動してもらおうという思惑もない。
別に説明するようなことでもないのだが、
野暮を承知で言えばそれは、自分に置き換えてみたときの共感だ。
彼の気持ち、彼の母の気持ち、痛いほどよくわかる。
言葉には尽くせない思いを抱えてきたはずだ、
でも今日この日を迎えて、すべてが洗い流される。
僕の人生においても、父親という存在は途中で消えた。
当時売れっ子アナウンサーだった父は、
子供の頃からほとんど家にはいなかった。
たまに家にいても、何かと厳しく叱られることが多かった。
父に甘えた記憶、父と遊んだ記憶、ほとんどない。
十代のころには別居していたから、
大人に近づく過程でぶつかり合ったこともない。
彼の結婚式に出席した当時の僕はまだ二十代の半ばで、
まだバンドで夢を追いかけている途中だったから、
収入もロクになく母親に寄生しているような状況だったし、
なんとなく父親に合わせる顔もなかった。
戦わずして負けるような気がしていたのだ。
だから、ひとりの大人として、
父と会って話すことなど想像もできずにいた。
ただ、僕は父を亡くしたわけではない。
かつて強く憎んだこともあるし、
父の側でもそれを察して(彼自身やむを得ないと認識していただろう)か、
しばらく距離を置いていた時期もある。
でも、生きている限りは、話もできる。
和解もできれば、結婚式に出てもらうこともできる。
僕にもいつかそんな日が訪れるのだろうか、
いや、その前に死に別れちゃうかもしれないよな、
だとしたら寂しいことこの上ないよな、
なんていろいろなことを考えたものだ。
そして、考えてみれば僕もまた、
いまあるのはすべて母のおかげだ。
子供を3人も抱えて、
知人の誰もいない東京に追っぽり出され、
頼りの長男はこの上なくワガママで好き勝手、
言いしれようのない苦労があったはずだ。
いま思い返してみても、申し訳ない思いばかりが先立つ。
しかし彼女は一度だって恨み言を漏らしたことがない。
いつだって明るかった。
彼女特有の、天性とも言うべきおおらかさ、
それはもはや母性という言葉以外では説明のつかないほどの包容力で、
僕ら3人を包んでくれていた。
だからウチの家は経済的に決して余裕はなかったが、
人並み以上の生活を維持していたし、
何より明るさを失わなかった。
母子家庭だから苦しいなんて、意識したことすらない。
また、母方の実家の存在も大きかった。
祖父も祖母も伯父も伯母も、みんな底抜けに明るくて善人で、
そのことで僕ら一家がどれほど救われているか知れない。
その他にも、
母は次々と持ち前のキャラクターで新しい友人関係を築き上げ、
寂しいだなんて感じさせるいとますら与えなかった(笑)。
育児放棄、児童虐待、
そんなニュースが毎日のように流れる世相の中で、
僕らは彼女の子供として生を受けたことを感謝しなければならない。
親友の結婚式はそんなことを改めて僕に気づかせてくれた。
とても神妙な気持ちになったものだ。
結婚式には本来、人生の節目として様々な思いが詰まっている、
簡単に見た目だけで、感動しただなんて言いたくない。
これだけの思いがあって、共感があって、
本当の感動が生まれると思うのだ。
だから僕は安っぽく涙を流したりはしないし、
ことさらに感動を語ることもしない。
できる限り大きな拍手を、笑顔で贈るだけだ。
これは僕のスタイルだから、
誰にも否定される筋合いのないものだ。
従って僕もまた、
他人の結婚式で涙ぐむ人や、
めったやたらに感動したを連発する連中を否定はしない。
僕はそうしたくないというだけのことだ。
さてそんな僕が結婚式で思わず泣いてしまうようなことがあるのだろうか。
果たして、それは思わぬ形で叶うこととなる。
この話、明日に続く。
呼ばれれば、出るようにはしているけれど。
色々と守らねばならない建前や形式が多くて、
なんだか窮屈に感じることもあるが、
何より「感動しなければならない」かのようなあの空気感だ。
特にそれは演出がこらされたものであればあるほど強まる。
「さあ、ここで感動してください、泣くところですよ」
と言わんばかりの演出が、僕をシラけさせてしまうのだ。
これは僕特有のアマノジャクだと自覚もしているが、
制作側、演出側の手の内で踊らされているようで、
どうにも素直になれないのだろう。
だから僕はおおよそイベントごとで感動したり、
泣いたりということがない。
以前、某制作会社の女性ディレクターと、
番組で共演していたアーティストと、
3人で食事をしたとき、そんな話題になったことがある。
僕以外の2人が、前日テレビで見た芸能人の結婚式にふれ、
感動した、泣いたとうなずきあい始めた。
そこから発展して結婚式ってイイよねえ、
何回出ても感動しちゃう、そうですよねえ、
とやり始めたのだった。
ここに僕は何とも言えぬ違和感を感じてしまう。
その場限りの社交として、他愛ない話題を無難にこなす、
それができない僕ならではの、
「理路整然としているが、ヘンなところで純粋」
と評される所以なのだろう。
素朴な疑問として、ぶつけた。
なぜ他人の結婚式に泣けるのか?と。
新郎新婦がこれからの人生に、
両親がこれまでの思い出に、
それぞれ思いをはせて涙するのは解る。
だから僕がその場に望まれて列席していたとしたら、
惜しみなく拍手は送るし、笑顔でいることはできる。
でも、両親ほどに新郎新婦に思い入れを抱くことは難しいし、
何より場の雰囲気だけで泣けるほどに僕は安くはないつもりだ。
これに対して2人の反応はヒステリックとも言えるほど、
過敏で雄弁で一方的だった。
おまえは何を言ってるんだ、それでも人間か、
結婚式はいいものだ、何度出席しても感動する、
人生の門出なんだぞ、親の気持ちになってみろ、
あの良さが解らないなんて、どうかしている。
ただ、この繰り返し。
なぜ、という僕の根本的な疑問には答えない。
だから僕も勢い、頑なになる。
君らは何かにかこつけて泣きたいだけじゃないのか。
それが何だっていいんじゃないのか。
映画でも芝居でも小説でも。
だから友人の結婚式と芸能人のそれとを同列に語れるんだ。
結婚式と聞いただけで、思考停止しちゃってるんだ。
と。
女性ディレクターはみるみるうちに顔を紅潮させ、
もういいアンタとは話にならんと打ち切った。
その後はホストと化したもう一人のアーティストとばかり話すので、
僕はしばらくして席を立った。
僕が当時引き受けていた番組から外されるまで、
そう時間はかからなかった。
もっとも、この女性ディレクターには、
いつか書いたとおり、仕事の面でもずいぶん閉口していたので、
僕としてはどうってこともなかったのだが。
いまこうして文字に起こして思う。
まあ僕も大人げないというか書生くさいというか、
言わなくてもいいことをくだらない相手にまで説くのだから、
バカ正直というか。
でも、基本的な考えとしては今も間違っていると思えない。
今ではそういう薄っぺらい連中とでも、
ほどほどにやり過ごす術とある種の如才のなさを、
多少なりとも身につけはしたが、
深いつきあいにはしたくないし、なり得ない。
建前と追従と偽善が死ぬほど嫌いな僕にとって、
心の底で譲れない一線だ。
が、しかし。
そんな僕でも、親友の結婚式で感動したことはある。
ほら見ろという前に、僕の言い分も聞いてほしい。
きちんと理由がある。何でもかんでもとは違うのだ。
親友の希望に満ちた人生の門出を万感で…なんてものじゃない。
それは高校時代の同期の結婚式だった。
僕と同じく母子家庭に育った新郎が、
母に向けて贈った一言だった。
あらかじめ用意されたコメントでもなく、
来場者のスピーチにあった
「父親を早くに亡くして苦労や不自由もあったろうに、立派に…」
の言葉をひいてのものだった。
(もちろん、このスピーチに悪意はないし、新郎も理解している)
彼は、こう言ったのだ。
「父を亡くしてからも、僕がそのことで苦労した、不自由したと感じたことは、ただの一度もありません!それは母のおかげです」
その場に居合わせず、また彼の人となりもご存じない読者の皆さんには、
このことで僕が特別に感動したことの理由はさほど伝わらないだろうし、
そもそも感動してもらおうという思惑もない。
別に説明するようなことでもないのだが、
野暮を承知で言えばそれは、自分に置き換えてみたときの共感だ。
彼の気持ち、彼の母の気持ち、痛いほどよくわかる。
言葉には尽くせない思いを抱えてきたはずだ、
でも今日この日を迎えて、すべてが洗い流される。
僕の人生においても、父親という存在は途中で消えた。
当時売れっ子アナウンサーだった父は、
子供の頃からほとんど家にはいなかった。
たまに家にいても、何かと厳しく叱られることが多かった。
父に甘えた記憶、父と遊んだ記憶、ほとんどない。
十代のころには別居していたから、
大人に近づく過程でぶつかり合ったこともない。
彼の結婚式に出席した当時の僕はまだ二十代の半ばで、
まだバンドで夢を追いかけている途中だったから、
収入もロクになく母親に寄生しているような状況だったし、
なんとなく父親に合わせる顔もなかった。
戦わずして負けるような気がしていたのだ。
だから、ひとりの大人として、
父と会って話すことなど想像もできずにいた。
ただ、僕は父を亡くしたわけではない。
かつて強く憎んだこともあるし、
父の側でもそれを察して(彼自身やむを得ないと認識していただろう)か、
しばらく距離を置いていた時期もある。
でも、生きている限りは、話もできる。
和解もできれば、結婚式に出てもらうこともできる。
僕にもいつかそんな日が訪れるのだろうか、
いや、その前に死に別れちゃうかもしれないよな、
だとしたら寂しいことこの上ないよな、
なんていろいろなことを考えたものだ。
そして、考えてみれば僕もまた、
いまあるのはすべて母のおかげだ。
子供を3人も抱えて、
知人の誰もいない東京に追っぽり出され、
頼りの長男はこの上なくワガママで好き勝手、
言いしれようのない苦労があったはずだ。
いま思い返してみても、申し訳ない思いばかりが先立つ。
しかし彼女は一度だって恨み言を漏らしたことがない。
いつだって明るかった。
彼女特有の、天性とも言うべきおおらかさ、
それはもはや母性という言葉以外では説明のつかないほどの包容力で、
僕ら3人を包んでくれていた。
だからウチの家は経済的に決して余裕はなかったが、
人並み以上の生活を維持していたし、
何より明るさを失わなかった。
母子家庭だから苦しいなんて、意識したことすらない。
また、母方の実家の存在も大きかった。
祖父も祖母も伯父も伯母も、みんな底抜けに明るくて善人で、
そのことで僕ら一家がどれほど救われているか知れない。
その他にも、
母は次々と持ち前のキャラクターで新しい友人関係を築き上げ、
寂しいだなんて感じさせるいとますら与えなかった(笑)。
育児放棄、児童虐待、
そんなニュースが毎日のように流れる世相の中で、
僕らは彼女の子供として生を受けたことを感謝しなければならない。
親友の結婚式はそんなことを改めて僕に気づかせてくれた。
とても神妙な気持ちになったものだ。
結婚式には本来、人生の節目として様々な思いが詰まっている、
簡単に見た目だけで、感動しただなんて言いたくない。
これだけの思いがあって、共感があって、
本当の感動が生まれると思うのだ。
だから僕は安っぽく涙を流したりはしないし、
ことさらに感動を語ることもしない。
できる限り大きな拍手を、笑顔で贈るだけだ。
これは僕のスタイルだから、
誰にも否定される筋合いのないものだ。
従って僕もまた、
他人の結婚式で涙ぐむ人や、
めったやたらに感動したを連発する連中を否定はしない。
僕はそうしたくないというだけのことだ。
さてそんな僕が結婚式で思わず泣いてしまうようなことがあるのだろうか。
果たして、それは思わぬ形で叶うこととなる。
この話、明日に続く。