いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

まいったなー

2007-03-27 01:43:17 | せんせいとよばれて
いやー、ぜんっぜん余裕がないぞー。
本日より春期講座開幕。
ちなみに7年前はRebirthの1stレコ発ワンマン。
てこた、のりこの誕生日だ。おめでとう我が母。
てこた、スティーブンタイラーの誕生日でもある。
ちなみに、明後日(3/28)は小豆の誕生日です。

とまあ、和やかなアニバーサリーが並び、
気候も穏やかになり、日中は半袖でも良いくらいで、
なのにこの殺人的な忙しさはどういう訳だ。
ちっとも落ち着かん。
てか、講座初日に申込殺到ってどうなのよこれ。
今朝9時に出勤して、今の今、よく午前1時半まで、
ずーっと仕事しっぱなしだったぞ???
おとといは午後1時に出て、帰ったの翌朝6時だし、
1日17時間労働が当たり前になりつつあるぞ。
1日に2日分働いてるからなあ。
週5日計算じゃ割にあわねえなあ。。。

でもまあね。
確かなやりがいはあるけどね。
昨日も今日も卒業生が訪ねてきてくれて、
こういう流れが絶えない限りは、
この教室の方向性はまちがってないと言うことだもんな。
まあ、がんばろう。

そんなわけで、ここもまったく更新できずにおります。
とりあえず、何の音沙汰もないというのも申し訳なく思い、
筆を執った次第であります!

まあ、またそのうち。

究極のデトックス

2007-03-19 01:01:31 | せんせいとよばれて
最近、ここを訪れる人も多岐に亘っているので、
とてもうかつには書けないのだが、
今週は個人的にとっても理不尽な人の相手をする機会が多かった。
現状を正しく認識できない人、
こちらの言葉を正確に受け取れない人、
とにかくすぐに感情的になり、怒鳴り散らす人、
一方的に自分の主義主張をまくし立てる人、
人のことはとやかく言う割に、全く自分が見えていない人。
彼らの不毛な話に延々付き合わされ、時にはそれが深夜までも及び、
まあ非常に不愉快な思いをさせられたわけです。

この一週間でささくれ立った俺の心を癒してくれたのは、
やはり愛すべき生徒達でした。
究極のデトックス。
この1週間の毒素、ここ数ヶ月の疲労、すべて洗い流してくれました。

今日は卒業パーティ。
パーティと言っても少しばかりのジュースとお菓子、
そしてビンゴで景品という、至って簡素なものだ。
しかし、ここに大勢のシンパシーが連なると一大イベントとなる。
今日の出席者は60名超。卒業生の90%以上にあたる。
勉強だけして、入試が終わったらハイさよなら、という塾も少なくない中で、
このイベントが最高に盛り上がる教室で居られていることに幸せを感じる。
二つの教室をつなげた会場には人が入りきらず、
通路にまであふれて、それでもみんな楽しそうに笑っている。
何か特別なことをするわけでもなく、異様に盛り上がっている。
みんな名残惜しくて、でもどこにも湿っぽさがない。
とかく、明るい。
これからもずっとこういう関係性が続いていくんだということを信じて疑わない。
奇蹟の教室だと思う。
中でも、今年の卒業生は素晴らしすぎた。

準備も片づけも、ほとんど何も言う必要がなかった。
誰も何も言わなくても、みんなが進んで手伝うのだ。
騒いで終わりじゃない、最後の先生一人一人からの話もきちんと聞ける。
みんな、この教室が大好きなのが、はっきりと伝わってくる。
だから僕らもみんな彼らが大好きだった。
世界一の教室、そう実感できた1日だった。

うちの教室の理想は、偏差値や学歴を盲目的に追いかけることには、ない。
それよりも自分にとって一番価値のある進路を探し、
行きたい学校へ行くために、一生懸命頑張る。
それに教師は誠心誠意付き合う。
ただ、それだけのことだ。
だから、高圧的な管理も、しつこい説教も、全く必要ない。
苦しいはずの受験勉強に、みんなで楽しく取り組んで、
そして、結果も出す。
こんなマンガのような話が実現できてしまうのだ。

今年の卒業生はその理想を体現して見せてくれた学年だった。
僕にはもう、言葉が見つからない。
中には小学生の頃から4年間付き合った子もいる。
今年に入って入会した子も多いが、みんな4年前から居たかのようだ。
そんな彼らが巣立つ。
この上なく嬉しく、この上なく寂しい日だ。

片づけが終わり、最後まで手伝ってくれた女子生徒数名が、
記念撮影の後、互いに何事か耳打ちをして、そして横一列に並んだ。

「せーの、ありがとうございました!」

やってくれた。
もう、泣けるなー。

ここを見ているかも知れない卒業生諸君、
君らは僕の誇りだ、自慢だ、財産だ。
君たちのすばらしさは僕が保証する。
だから心ない世間の荒波に呑まれぬよう、自分を大切に頑張ってくれ。
いつの日かどこかで何かを一緒にする日が来るかも知れない。
その時はまた楽しくやろう。

こちらこそ、だ。
本当にどうもありがとう。

門前払い

2007-03-18 04:34:03 | せんせいとよばれて
毎年、どの生徒からも異口同音に聞かれるのが、
中学校の授業が如何にいい加減で、わかりにくくて、つまらないか、ということ。
生徒達は学校の先生を尊敬するどころか、
「気持ち悪い」と言って憚らない。
手抜き。恣意的な運営。高圧的な態度。一方的な物言い。形式だけの所作。
まあ、おおよそ尊敬される要素は見当たらない。
「塾の先生が学校の先生だったらいいのに…」
「みんなうちの学校に来てください!」
必ずと言っていいほど、毎年言われることだ。

しかし、若い彼らの言うことだ。
ひょっとしたら主観に偏っているかも知れない。
成績が上がらないことを自分以外の何かのせいにするなんてのもない話ではない。
何より、僕は学校の授業をこの目で見ていない。
そんな中で、「フリー参観」という話が持ち上がった。
保護者に限らず、誰でも参観できるのだという。
生徒達はこぞって、僕に来校をせがんだ。
別に僕を慕ってとかいうのではなく、
「先生、とにかくどれだけ酷いか見てみてよ!」
という一心なのだ。悲愴な訴えなのだ。
これは、行かなければなるまい。
…というわけで、生徒達に約束し、
前日夜遅くまで仕事があったにも関わらず、
当日は朝早くに起きて、その中学校まで行ったのだ。

何食わぬ顔で入っていってもいいのだが、
校内で「塾の先生が来た!」となると、騒ぎになってよくないかもしれない。
そこで、きちんと受付に行って、名刺を出した。
服装にも気をつけた。ネクタイ締めていったのだ。
仮にも室長だ。それなりの対応はしてくれるだろう。

しかし。

女性教諭が取り次ぎ、しばらく待たされ、
果たして出てきたのはジャージ姿のおっさんだった。
名刺を出すでもなく、挨拶もそこそこに、
「私が教頭です」と言い放ったのには面食らった。
言われなければわからない出で立ちだ。
気を取り直し、改めて挨拶し、突然の訪問を詫び、参観をお願いした。
ところが。

「いやぁ~…いま、校長が居ないんですよ…」

……はぁ?
…………で?

「ちょっと私では判断がつきかねますので…今日の所は…」

帰れと言うのか。
何という言いぐさだ。
礼儀もなければ品性もない。
「先生」というより、もうたまらない公務員の臭み。
競争にさらされない静水の澱み。

しかもこの断り方。
「いま…親が居ないんで…」
と新聞の集金を断る子供なみだ。

「あの…また月曜日にもやりますんで…校長の許可が下りたら電話しますんで…」
そして、まだ電話はない。
まあ、そう言っとけば収まる、てなもんだろう。
あーイヤだイヤだ。

揉めても何なので、その場は立ち去ったが、
あんまり腹が立ったので、
「なんで先生来なかったの?」と次々に哀しそうな顔をしてやってくる生徒達に、
ことの顛末を全部バラしてやった。
生徒達の怒るまいことか。
彼女らはみんな家に帰って親御さんに報告したという。
そこで聞かれた親御さんたちの感想は、
俺と、生徒達と、共通の一言であった。

「…よっぽど、見られちゃまずいような酷い授業してるから、意地でも入れないんだろうね~」

まったくだ。
親御さん方も理解がある。

俺だったら、俺の授業に中学校の教師がいつ見学に来ても受けて立つけどな~。
遠慮なくいらっしゃ~い♪

本当に頭の悪い人とは

2007-03-14 02:48:31 | いぶたろう日記クラシック
端的に言えば、「解ろうとしない人」だろう、と思う。
自分に都合のいいものの見方、考え方を曲げようとしない人。
人の話を聞いているようで聞いていない。
解っているつもりで何もわかっていない。
自分に備わっているものがすべてだと思いこみ、
あるものだけで勝負しようとするから変化も進歩もない。
その一点が崩れてしまうと自己否定に繋がるから、決して譲らない。
自分の落ち度が客観的に証明され、
認めざるを得ない状況に追い込まれると、投げ出す。
ある程度年齢を重ねると、この傾向は強まってくるようだ。
若い内からこの症状が出ていたら重症患者かもしれない。

問わず語りに「自分とは」を聞かせたがるのもどうかと思う。

いわく、
私は好かれることも嫌われることも多い人間です。
私は周りに何と言われようと自分流を貫く人間です。
私は周りにはこうだと思われていますが、「本当」はこんな人間です。
私は天然だとよく言われます。
私は人が何と言おうと気にしません。
私は周りに合わせて生きるのが苦手です。
等々。

…全部、言い訳なんだよね。
僕も口にしちゃうときあるから、わかる(笑)。

まず、
本来こういったものは日々の言動の集積によって、
周囲から自然と与えられる評であるべきだ。
それを言ってもらえるのが待ちきれずに、
自分で言い出しちゃってるのが恥ずかしい。

次に、
これらはほとんどの場合、冷静な自己評価などではあり得ず、
長所にしても短所にしても「人にこう思われたい」という、
自分の願望に過ぎない。
お節介な人間は「周りのことに気がつきすぎてしまう」人、
常識が無く空気の読めない人間は「天然」で「マイペース」な人、
甘っちょろい人は「優しい人」、
すぐキレる人は「過ちに目をつぶれない厳しい人」、
何でも巧みに言い換える。自分のワガママをすり替える。
聞いているだけ時間の無駄と言うものだ。

最後に、
要するにだからこういうことは向いていません、
やらせないでくださいという、
実に身勝手な予防線であったりもする。
そういう人に限って、クチほどでもない。
自分で言うほど実績も上げられない。
なのに、それすら認められない。
「確かに私には今実績はないけれど、それは…」

それは、何なのか。

タイミングを逸してしまっているのか。
上司による「適正な」評価が得られないからなのか。
部下に恵まれないからなのか。
「誤解されやすい」ヒトだからなのか。
「クチがうまくない」ヒトだからなのか。
「忙しすぎる」からなのか。
「時間が足りない」からなのか。
相応の「権限」を与えられていないからなのか。

結局、自分というモノのすばらしさを周囲が理解していないから、
この一言に尽きるのか。

まあ、こんなくだらないことを時間をかけてあれこれ言い繕う、
みっともないなあと思う。
僕も自分でやってしまったときは、ヘコむ。

評価は他人が下すもの。
その基準は実際の仕事、実績。
現実であって予定や計画ではない。
オトナになりきれないオトナたち、
アタマが悪いまま固まってしまい、
なおかつ省みることもない人々。
僕は仲間入りしたくない。

いくらお勉強が出来たって、ダメさ。
そう、どうもお勉強の出来たクチにこういうのが多いような気もするんである。
社会にもまれ、人と摩擦をくり返し、自分を磨き上げる、
本当の意味での「勉強」をしてこなかったんだろうなあ、と思う。

自分についてあれこれ説明の多い人は、ダメですよ。
そういう人に限ってこちらもたくさん説明しないと伝わらなかったりするし。
まどろっこしいたら、ない。
がっかりさせられたり、うんざりさせられたり。
社会ってまあ、そういうもんだけどね。

人は逆境に於いてこそ

2007-03-12 10:34:26 | 教えてみよう
ドラマを生む。
普段では到底思いつかないようなひらめきや、
犯すはずのない誤りが、
気がつけばそこにあるといった風に、湧いて出てくるのだ。
だから、採点は楽しい。

僕の授業では、前回の授業内容を出題範囲として、
小テストを行うことが多い。
勿論毎回僕が回収し、採点する。
順位と得点分布表も作る。クラス内での自分の位置が否応なく明らかになる。
それだけのことで注意しなくとも授業の集中力が増すし、
宿題もいちいちチェックなどしなくとも必要に迫られてやらざるを得なくなるのだ。

こちらが意外に思うほど、彼らはまっすぐ受け止ている。
わずか十数分の試験だが、真剣勝負の場と化すのだ。
空欄はすなわちゼロを意味するので、何とかして埋めようという気迫が満ちる。
そこに、ドラマが生まれるのである。
答案って面白いのだ。珍答ミュージアムだ。
これがあるから採点はやめられない。毎度楽しませてもらっている。
いくつか紹介しよう。

「織田伸長」…おだのびなが?どこまで伸びる。
「得川家康」…お得です。
「南鳥鳥」…みなみとりとり。書けたと思ったすぐそこに、落とし穴がある。
「歯無諸島」…歯無し???ウィダーインゼリーとかじゃないと食えないのだ。
日本列島の縦の長さ=「3000万キロ」…地球を750周できますが。太陽までの距離の5分の1だ。
「万里の頂上」…空気薄そうだな~。4万キロ上空ってもはや全力で宇宙だぞ。
「町工場」…これが「海嶺」の誤答だってんだから世の中解らない。天才の作品。
朝鮮半島の南半分を占める国は?=「北朝鮮」…問題読んだかおまえ?
お母さんの自転車の速さは=「時速70m」「分速42km」…ものすごく難しいと思うのだが。
The notebook on the desk is mine =「ノートと机は僕のです」…独占欲が強すぎやしませんか。
『法の精神』の著者は=「ジャイコスキー」…誰やねん。
カナダの首都は=「メキシコ」…書いたもの勝ちだな。

おっしゃー、どんどんこーい。