いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

複雑だが単純だな

2010-10-23 01:04:18 | 新・いぶたろう日記
あれだけ憎らしかったドラゴンズが、読売を圧倒したことで、
こんなにも溜飲を下げてくれるとは。

非常に複雑な気持ちだが、
つまりは、僕は阪神ファンである以上に、
アンチ読売ということなのかと。

単純だなあ。

でもそうすると、ここ数年のタイガースの、
まさに読売と見紛うばかりの身も蓋もない補強ぶりに、
虎党の血がなんとなく薄まって来ているのにも頷ける。

それにしても、セリーグはいまいち面白くない。
どうみてもパリーグの方が面白そうだ。
なんかパワフルだしね。
いまいち、ひいきチームが固まらなくて感情移入出来ないのだが。

ソフトバンク→2003年シリーズの怨みが…(城島もだが)
ロッテ→2005年シリーズの深い深い怨みが…
西武→88年~仰木政権での近鉄が大好きだった流れからすると、好きにはなれない…
日本ハム→好きでも嫌いでもない、最もニュートラルな印象。元阪神多かったんだよね。
楽天→野村監督時代は応援してたんだけど、どーもフロントとか親会社にヤナ感じ。
オリックス→岡田監督で応援しようと思ったんだけど、何か地味。
小学生の頃阪急ファンで、中学生から近鉄ファンだった僕にとって、
レールウェイズ的な夢のチームであるハズなんだが…。
やはり近鉄吸収のあの経緯がどうも決定的にイメージ悪い。
というわけで、どれを応援したものやら。
ドラマチックなチームがいいんだけど。

しかしあれですね。
最近の子どもたちはパリーグのファンが多いですね。
何か、セリーグは旧態依然というか、古くさいイメージあるみたいよ。
これ、面白い傾向だよね。ちょっとわかる気がするというか。
確かにセリーグの野球ってオヤジくさい感じ、する。
パリーグの方がフレッシュだよね。これ何ででしょう。

アップル、球団買収しないかな。
そしたらナチュラルに応援しちゃうなあ。
でもパはどこも手放しそうにないなあ。せっかく盛り上がってきたんだもんね。
阪神・巨人・中日に偏りすぎてるセリーグの方が、危ない感じするよね。

しかし今年はセもパも優勝争いはものすごい熱戦で、
面白いシーズンだったハズなんだけど、どうも、なんか、なんだよね。
昔と何が違うんだろう。
選手が小粒になったのかな。ドラマがないんだよな。
まあもっとも、僕が単にトシをとっただけなのかもしれないのだが。

さすが

2010-10-19 23:04:13 | 新・いぶたろう日記

大胆細心、豪気だけれど気配りの男、星野仙一。

彼の一本ぴんと筋の通った言動には、学びたいものだ。

阪神退団会見で、今後についての質問に、
「きょうはタイガースファンに感謝の意を込めた会見にしたい」
とやんわりシャットアウト。
新天地ばかりに目がいきがちなこのタイミングで、
きっちりと一線を画し、ここまでの感謝を述べる。
虎党がどういう目で今日の彼を見ているか、十二分に理解した、
誰もが気持ちよく送り出したくなるような心遣いだ。

うん、さすが。どっかのドラマーとは違う。
解散ライブで新バンドへの意気込みを語るようなマネはしないんだなー(笑)。


見るも無惨なクライマックス

2010-10-17 18:46:47 | トラ、トラ、トラ。
今季のタイガースを象徴する連敗ではなかったか。
今季のタイガースの負けパターンはふたつ。
1)ここ一番の勝負所で、打てない。
2)まさかの久保田・球児で逆転負け。
これがそのまま初戦と2戦目に当てはまる。
昨日は能見がそれなりにゲームを作ったが、打線はわずか1得点。
今日はいつものように好投する久保を6回まででおろし、
バカのひとつ覚えのように久保田ー球児とつなごうとして、
このふたりで5失点。

これはもう、監督の責任でしょう。
特に久保からつないで逆転負けって、今季何度目かと言いたい。
久保田はシーズン終盤と昨日の好投があったとは言え、
ここ一番でぱっかーんとやられる典型じゃないか。
球児は少なくともいまは、もはやかつての球児ではないことくらい、誰でもわかる。
それでもなおかつFKにこだわるなんて、ファンレベルの視点ですよ。
矢野なら調子悪いなりにリードしてくれただろうけど、
キャッチャーも劣化してんだし、任せきりにしちゃダメですよあんなのに。
プロの監督の采配じゃないな。
これだけ期間が空いたんだから、しっかり調子を見極めて欲しかった。
今日の試合なんて、原の意味不明采配で自滅してくれてたのに、
それ以上に無策な真弓采配で落としちゃった。
せっかくあの内弁慶打線が頑張ってたのに、ねえ。

まあ、仕方ないか。
でも来季に向けてチームを大改革しないとまずいんじゃないのこれ。
やっぱり4番新井は違うと思う。
キャッチャー城島もトレード出した方がいいと思う。
2軍は強いんだし、若手の選手育てないか?
球児と久保田も、起用法見直した方がいいように思うなあ。
岡田だったら、どうするかなあ。
何よりもうちょっと、監督しっかりしてもらわにゃ。

監督でこれだけ違う、っていうのを落合さんに見せてもらいましょう。
ドラゴンズ、がんばれー。

何のせいかは解っちゃいるが、しのびよる加齢

2010-10-16 00:02:12 | 新・いぶたろう日記
僕の教えている小学5年生は、本当にいまどきめずらしいほど、良い子が揃っている。
素直だ。明るい。前向きだ。一生懸命だ。
だから勢い僕も一生懸命になる。
クラスの雰囲気はとてもいい。
そんな中で小5女子の今日の一言。
(若い先生が近くを通り過ぎて)
生徒「あ、いまなんかいいにおいがした~」
僕「あ、そう?僕はわかんなかったな」
生徒「どれどれ、先生はどんなにおいがするかな??」
(と、ぼくのお腹の辺り[そこが背丈なのだ]に鼻を近づけにおいをかぐ)
僕「こらこら、何をしとるんだ、うちの犬かお前は」
生徒(にっこり笑って、しみじみと)
「おじいちゃんのにおいだ~♪」

だ、そうだ。

・・・言い訳は、すまい。

しかし、お父さん通り越えていきなり祖父ですか。

今日の僕は8時間くらいお風呂に浸かっていそうな勢いだ。

24時間営業

2010-10-12 01:35:28 | 新・いぶたろう日記
連休になるとすぐ生活リズムを壊す僕が、
今日(火曜)目覚めたのは午前2時であった。
それまで3回くらいに分けて寝てた気がするが、
もう何だかよく解らない。
そして、気がつくとそのまんま起き続けている。
いまは日付変わって、水曜日の午前2時になろうとしている。

なぜか、あまり眠くもならずに、24時間営業してしまった。
しかもこの間、3食メシを食いそびれてしまっている。
なのになぜか腹が減らない。

なぜだ。
休みの日はあんなに腹が減ってばかり、寝てばかりだというのに。
今日はまるで欲望というヤツが影を潜めてしまったんである。

今日はひたすら人と話し込む一日であった。
そして、ひたすらレポートを書いた一日であった。
本当は、ひたすらパンフレットをつくらねばならなかったのだが。

明日はまた、人と話し込む一日が待っている。
明後日に到っては朝から晩まで人と話し込む。
人と話すというのは、実は話すよりも聞くことが大事なので、
立て続くと気疲れすることこの上ないのだった。

ああ、僕は人前で話をして金が取れる仕事に就きたいのだが、
いまさらそうもいくまいなあ。
ポッドキャストでも始めてみようか。

ぷにゅぷにゅだぜ

2010-10-11 02:00:56 | 新・いぶたろう日記
面白くないとき、むしゃくしゃするときは、
買い物するのも効果的だ。
部屋の掃除に比べて多少の出費があるが、
それでも爽快感は大きい。

今回僕が買ってしまったのはシューズだ。
しかもテレビショッピングで衝動的に買ってしまうという、
傍目にはあまりよろしくないパターンだ。
しかし、今回はこれが当たった。

TBSでやってたYONEXのウォーキングシューズ。
僕はどうも見た目で靴を選んでしまう傾向があり、
底の浅いシューズしかないため、
犬の散歩でもしばらくすると足が疲れてしまっていた。
以前からウォーキングやランニングに使える靴が欲しかったのだ。
そこに、
「3階の高さから生卵を落としても割れない」
インソールを内蔵したぷにゅぷにゅ感たっぷりの靴を紹介されては、
僕の財布のひもも緩もうというものだ。

果たして、届いた靴はぷにゅぷにゅであった。
履き心地、最高。
試し履きもしないで靴を買うのは勇気が要ったが、
今回は賭に勝ったと言えよう。
さっそく散歩に出てみたが、これが本当に疲れないのである。
足底だけではなく、脚全体が楽な感じだ。
靴ひとつでこうも違うものかと思う。
散歩の爽快感が2倍増しくらいになり、
この貴重な連休によって僕のストレスはすっかり癒された。
ウォーキングシューズを探している方、おすすめします。

ところで。
「ぷにゅぷにゅ」
を変換しようとすると、
「婦乳婦乳」になってしまうことに気がついた。
何というあられもない変換センスであろうか。
まだまだ、コンピュータにすべてを任せるわけにはいかない。
ぷにゅぷにゅの靴が履きたいと思って買い物したら、
婦乳婦乳方面の物品が届いてしまうような事態はなんとしても避けたい。
2010年、いまだスカイネットの起動スイッチは押してはならないのだ。

これが今日の発見と言えばそう言えなくもない。

なんかもう、むかむか収まらないので

2010-10-10 09:17:17 | 新・いぶたろう日記
夜通し、部屋の掃除してやった。

そりゃもう、徹底的に。

片付いた。

スッキリした。
てか、むちゃくちゃ気持ちいい。

きわめて健康的かつ建設的かつ生産的かつ前向きな、
ストレス解消法だと思う。
ブログにだらだらとグチを書くよりも、はるかに。

これで、寝られる。
ふう。



つぶやく

2010-10-07 00:40:29 | 新・いぶたろう日記
ひっそりと、実にひっそりと始めていた「ツイッター」だが、
使い方もよく解らないでいたし、何よりフォローしもされもしなかったので、
そのまま埋もれそうになっていたところであった。
そもそも、「いぶろぐ」を見てもわかるとおり、
これだけ喋りたがりな僕が、わずかあれだけの文字数に収まりがつくだろうか、
と思いこんでいたこともあって、ついつい足が遠のいたという面もある。

ところが、どっこ~い。

mixiの例でもそうなのだが、僕というヤツは意外と先入観に左右されるくせに、
いざ実際に触れてコイツはイイということになると、
実にあっけなく、ころっと翻すクセがある。
君子は豹変す、と言いたいところだが、まあ単純に単純なのだ。
試しに「いぶろぐ」のリンクに入れてみたら、

いえーい。
フォロワーが増えたぜ−。

というわけで、最近ちょこっとずつ、つぶやいてみています。
これはこれで、ブログとは違う面白さがあるね。
散文詩でもいいわけだしね。
面倒くさくないのがいいですね。
でもまだ仕組みはよく解っておりません。
とりあえず、ふと頭に浮かんだことをぽつぽつとつぶやくようにしています。

後輩の結婚二次会@船の上

2010-10-03 11:33:23 | 新・いぶたろう日記

空手部の後輩が結婚するというので、二次会に出席した。
ここ5年間、ほぼ無欠勤で働き通しだった僕だったが、
今年はその鬱屈を晴らすかのごとく、新婚旅行だ結婚式だで休みまくっている。
特に土曜日は代講が集中してしまい、子供たちからはブーイングだ。
いや、きちんとした先生に代講をお願いしているし、
いざ当日になったらなったでその新鮮な空気を楽しめる彼らではあるのだが、
「また休みなの~!?」と言ってもらえるうちは華だ。
すまんすまんと言いながら、事情を説明して理解をもらえた。

思えば、ここまで結構な不義理をしたものだ。
僕は基本的には祝い事やみんなで集まるのは大好きだし、
欠かさず出席するのが美学でもあった。
それがバンドが終わってカタギになってからは、
なかなか果たせず
(会社がNGというのではなく、人員不足でどうしようもなかった)
大切な友人の結婚式や二次会をいくつも欠席せざるを得ず、悲しかった。

塾経営は人件費のコントロール(削減一辺倒ということではなく)が要諦であり、
ある程度の規模に至るまでは、人員配置にも余裕が無く、
講師はなかなか休めない。
しかし、僕は「休めない」仕事なんて絶対に異常だと思うし、
本当はそんなものありえないと思う。
安易に「休めない」と思い込んで言い聞かせてと言うのではなく、
休むために何が必要かを考えて、そのシステムを整えるために一生懸命仕事をする、
これが本当の在り方だと思っている。
日本人独特の、休みを白眼視するような価値観は下の下だ。
欧米人のように個人の権利を振りかざして、
自分の都合最優先というのもどうかと思うが。
「周囲の状況もわきまえずに平気で突然休む」
のがサイアクなのであり、そこだけ気をつけて上手に休むべきだと思う。
会社の都合で一方的に休日出勤を強いられるのは良くて、
社員の都合で一方的に平日休暇を申し出るのはダメというのは筋が通らない。
お互いに
「働いて戴いている」「働かせて戴いている」
という感謝の気持ちで業務に向かえるのであれば、
本当に気持ちの良い職場、強い組織になるだろう。
そうありたいものだ。

さておき、招待された先は船の上だった。
東京湾を2時間半ほどクルーズし、その間船内の会場でパーティをするという趣向だ。
実はこれ、僕も考えたことがある。
どころか、試しに乗ってみたこともある。
船内はキレイだし、食事もおいしいし、夜の東京湾は絶景だ。
船上パーティなんていうとお高いイメージだが、
個人利用でもパーティ利用でも、実はそう思うほど高くはない。
一般のパーティ会場と同じくらいだ。
僕が断念したのは、時間がタイトだったからだ。
僕のイベントは仕込みが多く、まず「おす」。
Rebirth時代を思い浮かべれば明らかだ。
せっかくのパーティで時間をせかされることほどイヤなことはない。
だから、僕は何よりも自由度の高い会場を優先した。
しかし本日の新郎は僕の直系の後輩と言うこともあり、
当然イベントに賭ける情熱は並々ならぬものを持っているのだが、
ちゃんと時間内に収める賢さも備えており、
この会場の選択に至ったようだ。

会場に着くと同期と後輩に迎えられた。
意外に思われたかも知れないが、僕は空手部の出身で、
野球部・器械体操部・スキー部・音楽部・写真部…と渡り歩いた僕が、
唯一、中2から高3の卒業までやり遂げた部活だ。
空手部は25年程度の歴史を持っていたが、
時代によって浮き沈みが激しく、当初こそ正統派の体育会系であったようだが、
あるときは最強の主将による恐怖政治がひかれたり、
あるときは学園中の武闘派が集う巣窟だったりして、
僕が入部した時は顧問も愛想を尽かしてしまうなど、廃部寸前の状況だった。
そこからHさんというたいへん人柄のいいまじめな先輩が少しずつ立て直し、
続いてMさんとUさんという人を惹きつける魅力をもった先輩が引き継いで、
空手部にも正常な運営と部員とが戻り始めたあたりで、僕が継ぐことになる。

僕はといえばその頃、時を同じくして文化祭実行委員長に当選しており、
40年ほど前の学園紛争の後遺症でいまだ生徒会の存在しない麻布学園において、
それは生徒会長の代わりという位置づけであったため、
入学式でスピーチをするなんていう立場にあった。
もちろん、ただ挨拶をして終わりなんていうわけにいかなかったが(笑)。
何をしゃべったかはもう忘れたが、
壇上で空手着で試割りのパフォーマンスをやったのは覚えている。
あとは窓から人生ゲームの札束をばらまいたりしたこともあった。
そんなこんなで僕の代には入部希望の新入生がたくさん集まってくれ、
空手部は大いに盛り上がったのである。
ちょうど、その時の新入生の代が、本日の新郎というわけだ。

だから僕は彼らの代には有名らしい。
船内でもたいへん失礼ながらあまり面識のない後輩たちが、
「イブキさんですか!?」「握手してもらってイイですか?!」
「写真撮ってイイですか?!」
なんて、もうこちらが恐縮するほどに再会を歓んでくれる。
嬉しいやら照れくさいやらだが、まあ、嬉しい(笑)。
「イブキさんは僕らの代では特別な存在ですよ」
いやもうほんとにそんなたいした人間ではないのですが………。
そう言われるまではまったく意識もしていなかったが、
彼らにしてみたらそうかもしれない。
生まれたてのヒヨコの刷り込み効果と言うべきか、
厳しい受験競争をくぐり抜けて、胸一杯に希望をふくらませて臨んだ入学式で、
アレを見せられちゃあなあ(笑)。

僕が思う麻布学園像というのは、
一般に偏差値だとか東大入学者数だとか、いわば「サンデー毎日」的な、
下世話な視点でのみもって語られがちな進学校のイメージではあり得ず、
「勉強しかできないヤツはカッコ悪い」という美学と、
強烈な自意識に支えられた個人主義集団であった。
だから、確かに勉強させればものすごいヤツはいっぱいいるのだが、
それは彼らが持ちうる能力の発現の一片に過ぎず、
その才能をいかに世間の評価とか価値観に関係なく、
自分の好きな分野に応用し発揮できるかと言うことにあった。
だから、優秀な頭脳を持ちながら、その使い方を間違っているヤツはたくさんいる(笑)。
そこに何より誇りを感じる偏屈集団でもあるのだ。

麻布生が何よりいやがるのは、
「へぇ~、御三家の、あのめちゃくちゃアタマのいい学校でしょ~」
的なコメントである。
あれは何だか、逆説的にバカにされている気がする。
出身校の名前を出すのも憚られるときがある。
訊かれたから応えただけなのに、
「エリート」扱いされたり、「天才」呼ばわりされたり、
はたまた「中学お受験の犠牲者」として勘ぐられたり、
現在の職種と比較したり(「なんで大企業とか行かないの?」だの)、
強引にこじつけたり、まったくもって下世話きわまりない。珍獣扱いである。
「『だから』アタマがいいんだ」とか、「『じゃあ』本当はアタマいいんだ」とか、
もうこういう無神経なヤツとはクチも聞きたくなくなる。
訊いておきながらあとで余所で「鼻にかけている」「イヤミなヤツだ」等々、
後ろ指を指すようなのもいる。
これは僕だけかと思っていたら、やはりどこでも同じようで、
いわゆる進学校出身者は少なからず体験する「逆差別」であるらしいが、
僕は受け流さずについつい、皮肉っぽく反論してしまうことがしばしばだ。

1987年2月1日に行われた、たった一回のペーパーテストの結果だけで、
入学後はろくに勉強もしてないし、医者でも弁護士でもなけりゃ学者でも政治家でもない、
大企業にもいなければ起業家でもなんでもない、
ただ一個の僕でしかない僕を買いかぶるのはバカげている。
僕を評価してくれるのであれば、その根拠は、
僕の弁舌だったり歌だったり、パフォーマンスだったり、
そして作品や仕事であって欲しい。
学歴なんて誉められてもちっとも嬉しくない。
それは、今の自分を作り上げた重要な要素のひとつではあっても、
何らかを成し遂げた結果だとか、能力の証明だとかの勲章たりえないものだ。
むしろ、そういう歪んだ価値観が子供たちをして受験戦争に向かいしめ、
多くの悲劇を生む親のエゴに直結しているような気がする。
バカバカしい。その一言である。

閑話休題。

で、当時の僕はそこまで悟っていたわけではなかった(目立つことにただ一生懸命だった)が、
何となくそこら辺を解ってほしいなという気持ちは持っていて、
入学式で
「勉強しかできないヤツになるなよ」「好きなこと見つけて思い切りやれよ」
というメッセージを送ったつもりだった。
果たして、それは彼らの代に必要以上に浸透してしまったらしく、
「勉強『すら』できないヤツ」=「自分の好きなこと『しか』しないヤツ」、
つまり僕自身の在り方を正当化したような、
たいへん自由奔放な層をも生んでしまったようだった(笑)。
僕が卒業後、学校を訪ねると決まって、
「お前がスピーチしたあの代な、ヤンチャだらけだぞ、どうにかしてくれ」
と言われたもんである。シメたもんだとニヤニヤ聞いていたが(笑)。
そのヤンチャくれの、勉強しない代表格が本日の新郎だったのである。
彼はまっすぐ空手部の部室にやってきて入部を希望し、
その後はまあ僕に輪をかけてと言うと失礼かも知れないが、とにかく勉強はしなかったようである。
授業をいかに妨害するか、どんないたずらで周囲を唖然とさせるか、
そんなことばかりに血道を上げて6年を過ごしたようである。
もちろん、毎年進級査定会議に呼ばれるのはおきまりであった。
だからまあ、僕にしてみればカワイイヤツなのだ。

そんな彼もすっかり立派になった。
一般企業に勤めた後、思い立ってロースクールに通い始め、
勉強の合間に東南アジア各国を旅しながら、あらゆることに挑戦し、
見事司法試験も突破してしまったのである。
いまではれっきとした弁護士だ。
こういうヤツは頼りになる(笑)。
今もって彼が僕を先輩として立ててくれるのをいいことに、
今後何かややこしいことが起きたら全部彼に面倒見てもらおうと目論んでいる(笑)。

彼に限らず、後輩には弁護士、会計士、医者がゴロゴロいた。
社会的には立派な立場にある彼らだが、ことさらにそれを言うのは、
先述の「麻布出身だから…」という見方と同レベルだ。
僕が面白いのは、今どういう立場にあれ、
集まるとごく自然に昔に戻る、自然体で先輩後輩になってしまうということだ。
僕は僕で、昔の関係を持ち出して威張り散らすなんて言うのは恥ずかしすぎるので、
失礼の無いよう心がけてはいるのだが(それが「先輩の品格」とも言うべきものだろう)、
彼らは皆一様に、こちらが恐縮するほどに最敬礼なのである(笑)。
食べ物はとってくる、グラスが空く前に飲み物はつぐ、オーダーはする、
もうここに至ってはお互いイイ大人じゃないか、と思うのだが、
後輩にしてみればそういうもんでもないらしい。
でも、自分も先輩に対してはそうかもしれないな、とも思う。

考えてみれば、不思議なことだ。
彼らとは先輩後輩だったとはいえ、実質2年ほどのことだ。
社会人になってから出会った人と、
1-2年のつきあいがあったとしても、まあ大したことはない。
他人行儀のままだろうし、しばらくで忘れてしまうだろうし、
10年経って再会しても話題に困る(笑)。
それが中高時代の1年間というのは密度が違うというのか、
心身に染みついているような感じがある。
だからそのときのメンバーで集まると、あっという間に、戻る。
18年前の、スラムのような生徒会館の、ベニヤで仕切られただけの部室、
天井からはサンドバッグがぶら下がり、壁は品のない落書きだらけ、
なぜか冷蔵庫・電子レンジ・ガスコンロ・テレビ・ファミコン完備、
ベンチプレスやマットレスに座り込んで、カップ麺や菓子パン片手に、
何をどうするでもなく、ただみんなで一緒に暗くなるまでだべってた、
あの時代、あの空気に。

時は流れ、場所は竹芝桟橋から船出するクルーザーだったり、
浜松町の居酒屋だったりするけれど、
皮膚感覚は当時のまま蘇る。
これは何ものにも代え難い、僕の財産だ。
あの場に同席したみんなが同じ気持ちでいてくれたとしたら、僕は嬉しい。
世の中は不条理だから、理不尽な要求を重ねられ、不毛な闘いを続けているうちに、
「世の中バカばっかり病」や「俺は実はひとりぼっちなんだ病」なんて、
恐ろしい病が影を落とすこともある。
特効薬はないかも知れないが、昔の仲間に会うことで、それは必ず改善される。
自分が自分でないことを要求される企業組織、実社会というのは冷たいものだ。
自分が自分であることを思い出させてくれる昔の仲間は、だからこそ貴重だ。
目の前の慌ただしさ、忙殺される日々の中で、
ついつい昔の仲間との連絡はおろそかになってしまいがちだ。
つながる手段はいくらでもある。
こういう機会が自然と増えてくれれば、誰しも心を病んだりすることもないのだろう。

T君に感謝したい。
そして、おめでとう。
これからも奇天烈な人生を謳歌して下さい。


つながるぜ

2010-10-02 00:46:36 | 新・いぶたろう日記
僕が音楽を始めるきっかけになった人物が、ひとりいる。
中2の頃の同級生だ。
その頃、僕はRPGゲームを覚えたてで、面白くて仕方なくて、
そのうち自分で作れないかと考え始め、シナリオを書き始めたことがあった。
周りにもいろんな才能を持ったゲーム好きが多くいたので、
彼らに声をかけて一本作り上げて、売り込もうとさえ思っていたのだ。
で、ゲームには音楽が必須だろうと、依頼したのが彼だった。
何の前触れもなく、いきなりとってつけたように
「俺、ゲームつくるからさ、音楽つくって!」と依頼した無茶ぶり全開の僕に、
彼はその独特のひょうひょうとした物言いで、こう応えた。

「ふむ、よろしい」

数日して、彼が一本のカセットテープをもってきた。
「とりあえず何曲か仕上げてみたよ」
こともなげにそう言う彼の言葉に、何とも言えない頼もしさを感じつつ、
僕はカセットをウォークマンに入れた。

すると果たして、当時の僕の耳からすれば十二分に、
そしておそらくはいま聞いても充分に、
一個の曲として完成度の高いものが次々と流れて来るではないか。

僕は舌を巻いた。
「音楽をつくる」なんて、専門の技術を持っている人しかできない、
とんでもない仕事だと思っていた当時の僕にとって、
同い年の彼が紡ぎ出した音の世界は、畏敬に値するものだった。

僕はそのまま彼と親しくなり、彼の家にも遊びに行ったことがある。
そこで彼の「アトリエ」(に見えたのだ、僕には)を拝し、
確かEOSだったと思うんだが、さまざまな機能を紹介してもらい、
あまつさえ彼の演奏を数曲堪能し、
あまりにキレイな曲なのでそれは誰の何という曲かと尋ねたら、
いつもの涼しげな顔で「ん?即興。」と答える、
これにすっかりしびれてしまったんである。
当時の僕にしてみたら、神業だった。

それ以降、僕はすっかり音楽というヤツに参ってしまった。
鍵盤が欲しくて仕方なくなり、自宅にあった古いエレクトーンで、
彼のようになろうと独学で演奏を始めた。
彼のくれたカセットテープも相当に聞き込んで、
何とか自宅の古いエレクトーンで音をたどって弾けるようになろうとしていた。
思えば、そこで基本的なコードも覚えたし、曲の進行ルールも覚えたし、
それが僕のスタート地点になったのだ。

僕はとても人前で演奏出来るほどの腕前じゃないが、
今もって、音を探るとき、曲を書くときは鍵盤を使う。
当然のことながらアタマに思い描くものの半分も再現出来ないわけで、
自由自在に鍵盤を操る人への憧れは人一倍強いものがある。
そのルーツも思えば彼にあったかもしれない。

2年ほどして、僕は彼と初めてのバンドを組んだ。
何かを表現したいという衝動と、漠然としたバンドへの憧れ、
そこに僕が手当たり次第に誘ったメンバーが集まってできたバンドではあったが、
不思議なくらい気持ちがイイヤツが集まってたので、夢中でやってるウチに、
自然と結束の固いバンドになった。
いま思えば、技術的には稚拙であったかもしれないが、この経験は大きかった。
その後10年以上ものめり込むとは思ってもいなかったが…(笑)。
でも間違いなく、ここが出発点だ。

高校卒業後、不思議と音信が途絶えてしまっていたのだが、この間ふとしたことでつながった。
ギターを弾いていたHがネットで見つけ、一気につながったのだ。
ネット時代、万歳だ。
17年ぶりになろうか、久方ぶりの彼の様子はと言えば(まだお会いしてないのだが)、
一言で言えば変わってなかった。
職業というわけではないけれど、変わらず音楽を愛していたし、
彼のHPには作品がいっぱいアップしてあった。
何曲かを聴いてみて、聴いたことがないのに懐かしい気がして、
たまらずツイッターで彼を見つけてフォローしてみた。

彼の返事は、
「お前のブログも見てるぞ、お前も変わんないな」
なんだかそれがとても嬉しかった。

彼はこうも言う。
「音楽はいいよね」
僕も本当にそう思う。

彼にそのつもりはまったくないのだろうけど、
僕にとっては音楽を始めるきっかけを与えてくれた、ルーツとも言うべき恩人だ。
その僕にとっては原点とも言える彼が、
一時期音楽に人生を賭けて、やがて深く傷ついてしばらく離れながらも、
再びバンドを始め、音楽のすばらしさを再認識しつつある僕に、
原点を確認させてくれる一言をくれた。

僕にとっては大きな、大きな再会だ。

彼ともまた会って話せる日が遠からず来るだろう。
楽しみでならない。

時候のご挨拶

2010-10-01 06:32:19 | 新・いぶたろう日記
僕にとって「言葉」は作品の素材であり、
敵をたたく武器であり、身を守る防具でもある。
強力な武器は慢心を生み、頑丈な防具は油断を生む。
核兵器がそうであるように、
自分の制御を離れて暴走してしまったら、
自らをも滅ぼす諸刃の剣ともなりうる。

自覚している。
攻撃に特化された僕の言葉は鋭利だし、辛辣で残酷だ。
容赦なく、そして的確に、相手の心の深淵に沈む核心を衝く。
だけに、相手は与えるダメージは小さくないし、
その分、すさまじい反感を買う。
だけど、僕の言葉にムキになって反論したり、否定してくるとしたら
それこそ僕の言葉が的確であることの証明だし、
それを見たくなっちゃう誘惑にもかられてしまう(笑)。

ただ、さすがの僕も気づく。
言いたいことを言うだけの人間は、人とぶつかるだけだ。
だいいち、議論が噛み合わないほどレベルの違う相手と、張り合っても仕方ない。
相手に勝ったと錯覚させて、こちらの思惑通り動かすべきなのだ。
これからは、そういう巧みさも身につけたいものだ。

罠を張る卑怯者も多い。
言論には言論で対抗すればいいのに、その矜恃もないから
すぐ「先生に言いつけるぞ」に頼っちゃう。
絶対権力にすり寄って、自らの正当性を騙るんだよね。
自らの力で論陣を張って、対抗しようとはしない。
何を言われようと、自分に信ずるものがあるのなら、
自分の言葉で対抗すべきだろうに。
僕なら絶対そうする。
代弁して貰うなんてイヤだ。
あまつさえ「社会正義」を装って(あるいは盲信して)、
「権力を利用した邪魔者封じ」にかかるなんて、
偽善者以外の何者でもないよ。

大人の世界ではそれがいかにも賢い手段かのように語られる。
僕に言わせれば、単に卑怯なだけ。
反論があれば堂々して、否定すればいいし、
非を鳴らして削除・訂正・謝罪を要求すればいい。
それでも無視されたりして、らちがあかないなら、
そこで初めて第三者を介するべきだろう。
いきなり、一足飛びに権力にすがるのは、
自分に自信のない、小心者のやり口だ。

僕が苦境にあったとき、
僕を救ってくれたのもまた、仲間の言葉だった。
支えてくれる人々から寄せられた言葉。
自分を守るため、紡ぎ出す言葉。
迫真の演技を以て、虎口を逃れながら、
もちろんのこと、今も是々非々の姿勢は崩していない。

僕は本当のことを、言いたいことを、
正直に、だけどもうちょっと上手に、述べていく。
表現が稚拙だという批判は甘んじて受けよう。
受け取る側の層の広さを考慮しない安直さも。

かつての僕はあまりにも拙すぎて、幼すぎた。
でも。
目指したところは決して間違っていない。

事実は曲げられない。
犬は狂っていて、
噛まれた誰もがそれを訴えている。
認めないのはその犬と飼い主だけ。
飼い主は、自分には牙を剥かないという理由だけで、
犬は狂っていないと言い張るのだ。
犬もまた、さんざん虚勢をはっていたくせに、
いざとなったら飼い主にすり寄るのだ。

権力を背景に、絶対的な優位に立つと、
弱い者ほど嫌らしくねちっこくなる。
汚職の政治家にせまる記者のごとく、
キレイゴトで飾られた、
しかし結局は自己正当化や鬱屈の発散に過ぎない戯言を並べ、
社会正義を実現したかのような自分の姿に陶酔する。
言い返すことを許されない者を相手に、
絶対的優越感の快楽に耽溺する。
それでいて、醜悪な自分の姿には気づかない。
自分に都合の悪いことはすべて伏せ、
事実を歪めて言いたい放題だ。
自分を正義だと信じている分、余計に浅ましい姿だと思う。


確認しておきたい。

公共の福祉に反しない限り、言論の自由は保障される。
具体的事実を摘示しない限り、名誉毀損は適用されない。
脅迫罪における害悪の内容は、
告知者の左右しうるものであることが必要であり、
天罰が当たる、天災に遭うなどの吉凶禍福を説く行為は
告知者の左右できない害悪の告知であり、
脅迫罪とはならない。

かの行く手に落雷あれ。