いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

なかなか

2011-02-27 18:26:17 | 超・いぶたろう日記
まとまった記事を書くヒマがない。
2月と言えば、ウチの職場では年間最繁忙期だからね。
最繁忙期が年に3回も4回もあるのがヤな感じなんだけど(笑)。

その間も世の中は動いてて。
ニュージーランドで地震があったり、リビアで反乱が起きてたり。
多くの人が命を奪われて、何とも心痛の極みなんだけども、
一方で日本の政治家が何やってるかって、情けない限りだね。
ひたすら内輪もめと、政権の奪い合い、足の引っ張り合い。
だーれも大局観を持って動いているのがいない。
ニュージーランドで日本人にも大勢犠牲者が出て、
リビアの情勢次第では日本への原油供給も危なくなるってのに、
相も変わらず「政治とカネ」だの「マニフェスト」だの。
日本の政治家の危機意識の乏しさたるや亡国級ですね。
もう政治不信通り越して、絶望。

民主党に反旗を翻したとかって16名?
あいつらは一体何が目的なんだろうね。
小沢にアピールして、保身を図ろうってのが見え見え。
そんなことやってる場合かってな。
自分たちの損得勘定だけで動いたくせに、
なんやかやと美辞麗句でもって正当化しようとする、
あの辺が政治家の醜さですね。
よーく見ておきましょう。

どうも、政治も経済も法律も、日本が右肩上がりのときの、
誰も何も考えなくて良かった時代のシステムがこびりついてるような感じだよね。
就職問題だってそうじゃない。
新卒だけしかチャンスが無くて、就職のために留年するとかって、本末転倒だよね。
労働市場は社会主義よろしくガチゴチに固めてあるし、
一方で非正規労働者がそのしわ寄せを全部背負わされてね。
現代日本、閉塞感で一杯だよね。

ちょっと考えてみたんだけど、
幕末の閉塞状況から黒船をきっかけに維新が始まって、
明治日本が船出してからの歴史を重ね合わせてみたわけ。
すると、おそらく戦前日本のピークだった、
第一次大戦後のパリ講和会議1919年が明治52年、
転落のきっかけをつくった世界恐慌1929年が明治62年、
敗戦1945年は明治78年になるんだ。

そこでアメリカ軍の進駐を受けて国家再建と、
また似たような状況があったわけだよね。

で、明治元年を昭和20年に重ねると、
52年後のピークにあたるのが昭和72年だから1997年。
62年後の転落のきっかけは昭和82年だから2007年。
ちょっとズレてるけど、
戦後日本のピークはきっとバブルだろうから1990年頃、
転落のきっかけは勿論バブル崩壊だから1992年頃、
これを石油ショックと解釈して、リーマンショックを置き換えてもいいかも。
いまは2011年、つまり昭和86年なわけだから、国家再建から66年目、
つまり戦前の歴史で言うと1933年あたりになるわけだ。
国際連盟脱退の年だ。かなり追い込まれた状況だよね。
このままいくと今後10年の間に日本は大激震を迎えるバイオリズムで、
次に国家全体が崩壊と再生を迎えるのは、
昭和20年から78年後、つまり2023年になるのかな、
なんて空想してみたわけ。

まあ、単なる数字のお遊びだから何の根拠もないんだけど、
どんな社会体制も約80年で寿命を迎えるってのは面白い視点だなと思ってさ。
いまの人間の寿命がそれくらいじゃない。
80年あれば生きてる人間がみんな入れ替わるわけだから、
世の中の価値観から文化様式からぞろっと入れ替わるよね。

平城京遷都710年から約80年後は…
あ、794年に平安遷都だ。

鎌倉幕府創建1192年(諸説あるけども)から約80年は…
1274年に文永の役、つまり元寇だ。

室町幕府創建1338年から80年は…特にないなあ。
でも室町時代は3代義満が支配体制を固めるまでは南北朝の動乱が続いてたから、
両朝合一をはたした1390年を起点にしてもいいかもしれない。
すると1467年に応仁の乱ということになる。
ここから朝幕の権威が失われて、戦国時代に突入していくわけだから、
崩壊と位置づけてもいいだろう。

江戸幕府は260年続いてるけど…
家康の幕府創建から約80年はというと…
5代徳川綱吉就任。
うーん、平和だ。何事もない。
綱吉と言えば後半こそ生類憐れみの令で評価を落としたが、
前半は天和の治と呼ばれる善政を敷き、
儒学を核に武断政治から文治政治への路線転換を行った人物。
元禄文化が花開き、崩壊とか再建とかとは何の縁もない感じだ。

…何事にも例外はつきものだ。

ということで無欠の論証はできなかったんだけども、
80年というのを節目にして眺めてみるのはちょっと新鮮な視点だった。
独占するのはもったいないので、ここに書いてみた。

だけなんだ(笑)。



6年の重み

2011-02-07 23:55:29 | 超・いぶたろう日記
今日、教え子の一人が合格した。
僕はあいにく休みで教室にいなかったので、
夜、教室に電話を入れてみた。
本人の声で報告が聞けて、嬉しかった。

僕とのつきあいは長い。
一度は中学受験に挑戦したのだが、
望む結果に恵まれず、失意のどん底にあったのが3年前。
中学受験を始めるきっかけになったのも僕なら、
彼の夢を叶えてあげられなかったのも、僕だ。

3年前、彼は迷い悩んだ末に、
僕の教室を離れることなく、僕の指導を望んでくれた。
僕と共に3年後のリベンジを誓ってくれた。
こうやって文にしてしまえばわずか3行だが、
実際にはもっともっと重くて大きな思いがあった。
わずか12歳の子どもが、
自分のすべてを否定してくるかのような挫折の憂き目にあって、
そんなに簡単に割り切れるはずが、ない。
僕の思いは複雑だった。
だけど、もう一度チャンスが許されるなら、
これに賭けてみよう、という思いも確かにあった。

6年前といえば、Rebirth退散があり、
バンドでなくこの道で飯を食っていこうと決意した年だ。
あの頃、僕はまだ30だった。
まだまだ経験も浅く、ただ目の前の子供かわいさに頑張って来た。
とても、いい教師だったとは言えない。
だけど子供たちは僕に応えてくれた。
この6年間、ただただ必死にやってきただけの僕だったが、
子供たちは僕を信じてくれた。
むしろ、僕の方が彼らに数多くのことを教わった。
彼はその意味で象徴的な存在だった。
大きな、大きな感慨がある。

彼にはまだ目標がある。
大学入試で喩えて言えば、
「目指すのは東大だけど、とりあえず早慶ひとつとりました」
といったところに彼はある。
まだゴールではない、それはそうなんだけれど、
3年前を思えば、僕はただ本当に嬉しい。
今日だけ、ヤボは言いっこなし。
明日からまた、ラストスパートを煽る身だ。

この仕事をやっていて良かったと、
心から思える季節がいまだ。

36歳の人生哲学

2011-02-06 11:11:11 | my lyrics
人生ツラけりゃ居場所を変えろ、
仲間がいなけりゃ本を読め、
救われなければ音楽を聴け、
寂しかったら犬を飼え。

退屈だったら旅に出ろ、
忙しかったらまず眠れ、
思いついたら書き留めておけ、
やれなくっても気にするな。

会いたい人には会っておけ、
食べたいものは食べておけ、
遊べるときには遊んでおいて、
勝負どころで勝ちに行け。

愛するものを愛していれば
愛するものに愛される。
愛されなくても気にしない。
ホントのことは気にしない。

人生なんて一炊の夢、
終わってしまえばみんな冗談。
死ぬまで生きればいいだけさ、
笑って生きればいいだけさ。