いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

生き方の価値観が変わった的な錯覚?

2007-12-17 01:39:11 | 似非哲学の部屋
昔は何とも思わなかったことが、
年を経て様々な経験にさらされた耳目を通じて味わうと、
まったく新たな感覚でとらえられたりするもんで。

だから気に入った作品や難しい作品というものは3年おきに読むべきだと、
昔、僕の尊敬する国語教師は言ってたし、
僕も実践してみてまことにそうだと思うし、
いま僕の生徒にもそう教えている。

僕の大好きな作品を記念したミュージアムが箱根にある。
久しぶりにそこへ行ったのだが、
僕に最も深い思索を促したのは、写真の彼だった。

帰ってきてもう一度読み返した。

こういう人生、昔は価値を認めてなかったような気がする。
今はすごくこの気持ち、解る。
多分、損をしていると思われている。
でも彼自身はきっと満足…じゃないな、「納得」しているはずだ。
自分の存在意義なんて考えるまでもなく、自明なのだ。

彼の存在自体が放つ誠実で質素な輝きの前には、
どんな「実業家」も「うぬぼれ屋」も、くすんで見える。
僕はかつて後者の道を選び、やがてその愚かさに気づいた。
いままた道を誤り、前者へ傾斜しないことを祈る。
どうか心の片隅に、愚直に灯火をともす気概を携えていられますように。

「誰のためとか、何のためとか、そんなもんじゃねえよ。
これが、仕事なんだよ。」

そう、自然と口に出来る人間でありますように。
鉄みたいにさ(笑)。


その日の朝

2007-12-16 23:15:07 | 似非哲学の部屋
今日、ひょっとしたら自分の人生が終わるかもしれないなんて、
いったいどこの誰が考えるだろう。
難病を抱え、闘い続けている人だって、なかなかそうは思えないものだ。
ましてや健康に日々を過ごしているものならなおさら。
人はギリギリのところまで、自分の明日を信じている。
明日もまた今日と同じように、一日がやってくることを疑わない。
そういうところにふと、何の前触れもなく、落雷のように訪れる。
死というのはそういう理不尽なものだ。

つくづく、神様なんてのはやっぱりいやしないんだろうな、と思う。
どんなに恨まれ、憎まれ、嫌われる人物でも、決して天罰で死んだりはしない。
どんなに愛され、慕われ、必要とされる人物でも、容赦なく死は訪れる。
新婚だろうが、強盗だろうが、
母子家庭だろうが、殺人犯だろうが、
おかまいなしだ。
草むしりのように目についたあたりから引っこ抜いていく。
これでも神様はいるってんなら、よっぽどの悪党だ。
それともさすがにもう重すぎて背負いきれなくなってんのか。
関心ないのか、それとも面白がってやがるのか。
金で歓心を買っているつもりなのか、
お布施つんで、変なもんいっぱい買って、惨めに祈りを捧げて。
まったく人間というのは哀れだ。

こーんな世の中のシステムをつくっておいて、知らん顔。
争い、悩み、苦しみ、もがく人間のさまを、
それこそ生け簀の中でエサを争う鯉のように、
薄ら笑い浮かべて眺めてやがるんだろう。
そんな風にも八つ当たりせずにいられない。

野球に情熱を捧げ、病で静かに幕を閉じるのもひとつ。
格闘技で鍛え上げた肉体ほどには心を磨けず、やがて朽ちて留置所で果てるのもひとつ。
そして何の因果もなく散弾銃に撃たれ、
人生があたかもゲームやパソコンかのように、
訳もわからぬうちに突然シャットダウンされてしまうのも、ひとつ。

残された我々には、冥福を祈ることしかできない。
我々もまた、いつか雑草のようにむしられる日が来るのだろうか。

考えたくないことは、考えないようにするしか、ない。

これだぜ

2007-12-10 02:22:51 | いぶたろう日記クラシック
あんなに好きで、毎日欠かさず聞いていた音楽が、
最近は案外となくても平気だったりして。
だってまーったく、聴きたくなるようなものないんだもの。
たまに音楽が欲しいなと思うときは昔のものばかり。
さすがに飽きてくる。
すると、音楽そのものに飽きたように錯覚して、
何も耳にしない日々に入ってしまうのだ。

人マネ、焼き直し、バーター、お金。
もう本当に絶望的な状況の中、
いっこうに光の見えない日本のミュージックシーンだが。
海の向こうにスゴイのが復活していたのであった。

スマパンです、スマパン。

復活したとは聞いていたんだけども、
なかなかアルバムを聴く機会に恵まれず。
で、さっきちょいとitunesストアで見かけて買ってみたのね。
便利よね、良い時代になったモンだ。

そしたら、あんた。

むっちゃくちゃかっこいいじゃないか。おい。

いやー、初聴からこんなゾクゾクくるアルバム、久しぶりだな。
確かにスマパンの音なのに、何もかもが新しい。
"siamese dream"をプレイヤーにかけて、
初めて"cherub rock"を聴いたときの感動が思いっきり蘇った。

すげー、やっぱすげーよビリーコーガン。
なんて希望の持てるアルバムを作ってくれるんだ。
こんな天才が、世界一のドラマーと組んでるんだから、当たり前か。

しばらくこればっか聴いてるだろうなー。
いやほんと、すばらしいですよ、これ。


大切な人を

2007-12-05 05:11:43 | せんせいとよばれて
喪ってしまった人には、
何と声をかけてあげればいいのか、
わからない。

ましてそれが、子供であれば。

夢を果たせず、
傷ついてしまった人には、
やはり何と声をかけてあげればいいのか、
声などかけない方がよいのか、
わからない。

ましてそれが、子供であれば。
なおさら、なおさら。

いつも通りでよいのだと、人は言う。
いつも通りでよいのだと、僕も思う。
周りがいつも通りであればこそ、
人はいつもの自分を取り戻せるのだ。
その時だけでも、その場所だけでも。

だから、それしかないじゃないか。

誰が泣いても笑っても怒っても傷ついても、
誰が倒れてもすりきれても生まれても死んでも、
世の中は昨日と同じように明日へと向かう。
昨日の明日は今日で、明日の昨日は今日だ。
それだけ、それだけのことだ。

だけれど。

この何とも言えない気持ちを抱えて、言葉を探す。
思ってもないことなんて言えるはずもないけど。
何を言ったところでどうなるわけもないのだけど。

隣で綱を渡っている人は孤独で、
僕もまた自分の綱を渡るのに精一杯で、
声はかけられても手を貸すことは叶わない。
そんな感じだろうか。

でも誰かの声が聞こえるだけで。
この闘いは自分独りではないのだと、思えるかもしれない。
そう思えれば少しはマシかもしれない。

そう信じて、言葉をつむぐ。
見えない何かに向かって、ずっと歌い続けてきたように。