いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

知恵

2016-02-28 15:04:52 | 超・いぶたろう日記
まあ、僕もたいがいこんな性格なので、
今まで色んな環境で色んな人とぶつかってきたわけです。
ぶつかることを厭わないというより、
むしろ好きこのんでぶつかってたというか、
一種の自己顕示のようなところもあったような気がします。
「おれが正しい」ということの証明が第一になってしまう悪いクセ、ね。

そのクセはなかなか治りませんが、
ただ、実社会では、ぶつかることを恐れない蛮勇よりも、
ぶつかっているところをうまく収める知恵の方が重要になるし、
その方が生産的でもあるわけです。

でもそう気づくにはある程度の経験というか、
失敗が必要なわけで、
気づいてはいても実践できないことも多いでしょうから、
身につくまでとなると相当の個人差があるように思います。

若くしてこの境地に達している人は尊敬に値すると思いますが、
年齢を重ねてもなおここに気づかないというか、
むしろ年長者となったことで尊大になったり傲慢になったりする人もいるわけですね。
年長な分、それなりに地位や立場があったりすると余計にそうで、
下の人間に向かってぶつかっていく、
つまりは一方的な物言いで否定したり、怒鳴ったり、いじめたりする、
こういうのは実にみっともないなあと思います。

ふと思い返すのは、かつていたどこかにおいて、

1)自分の不満と周囲の不満をシンクロさせて、代表してその改善を訴えるわたし
2)それを煙たく思う上層部
3)対決を避け、閑職への異動などで追い込んでいく体制側
4)すっと潮を退くように息を潜める周囲

という構図で孤独感を深めていた自分に対し、

「まあ、彼も今までこれだけ貢献してくれた人だし、彼がここまで言うならよっぽどでしょう、話くらい聞いてやろうよ」

と言ってくれる器量の人が1人でもいたら、
僕は辞めることはなかったろうなあ、ということ。

辞めたことで僕は幸せになれたけれど、
向こうは僕のいた頃の2〜3割くらいのスケールになってしまったわけで、
曲がりなりにも10年以上頑張った場でもあるし、
まあ夢見がいいとは言いにくい感じもありますわな。

組織にとって人材は命でしょう。
上のメンツや都合を基準にした排除の論理よりも、
客観的に戦力としてどうか、バランスとしてどうか、
ということを考えないとね。
人材を大事にしない組織はあっという間に凋落しちゃう。
コワイよね。

若い人が自分の正当性を信じるあまり、
他者に攻撃的な言動を向けてしまうのはよくあること。
それを真に受けて批判したり対立したりするよりも、
上手に丸め込める知恵を持った年長者、
あるいは運営者になりたいなあと思うようになりました。
年齢のせいか立場のせいか。

…でも、さすがにこれはないぞと思ったら、これからもやっぱり遠慮無くぶつかりますけどね。
そうじゃなきゃ、自分でも自分らしくないと思うだろうし(笑)

違いのわかるフリをしたがる人たち

2016-02-24 11:58:36 | 超・いぶたろう日記
今も昔も、「味・色・におい・音・食感」などの、
感じ取れないほどのごく微少な「感覚的な違い」を
問わず語りにドヤ顔で押してくる人がどうもニガテ。

要するに
「私って特別な感性を持っているでしょ?」
と言いたいだけなんだもんな〜。
しかもその精度は基本的に日常会話では証明不要だから、言ったもん勝ち。
とっても楽ちんに気持ちよくなれる。

ブラインドテストでもやって実証してくんない限り、
僕はその手の人の言をまず信用できない。
思えば、水素水とかマイナスイオンとかプラズマクラスターとかホメオパシーとか、
みんなこの「普通に体感できないような差を感じ取れる私スゴイ」病の人が
ことごとく引っかかってるんではないかと。
霊感とかオカルトにも通じるね。
だから僕はそういうのホントダメ。

ま、でも、そんな僕の方こそ
「自分が感じ取れないものは信じない」病なのかも知れぬ。
ただひとつ言えるのは……間違いなく、花粉は、いま、存在する。

さあ、Rebirthを聴いてみよう

2016-02-09 19:56:50 | Rebirth歴史資料館
自分の昔のバンドの作品を、初めてyoutubeにあげてみました。
退散からもう11年。
権利関係も忘れちゃったんだけど、まあ、大丈夫だろ。
音楽はプレイヤーとリスナーのもの。
ホコリかぶってるくらいなら少しでも世に出した方がイイに決まってる。
公益性の観点から無視して、あげちゃいます(笑)。

★ オムニバス「Non Standard File」(2000/7)より

「ふたりのporchesh」

「泡沫の日々のメロディ」

《vo.ibuki/Gt.shunsuke/Gt.kyotaro/Ba.daigo/Dr.junichi》

sound bee、W.A.R.Pなど個性派バンドが揃ったオムニバス。
一緒にツアーも回ったなあ、ありゃ楽しかった。
自分の書いた曲が採用されて、
尊敬するプレイヤーのマサルさんに鍵盤も弾いてもらって、
思い出の1枚。

★ 1st maxi single「signal」(2003/6)より

「signal」

「brown eyes(single ver.)」

「key」

《vo.ibuki/Gt.shunsuke/Gt.isaki/Ba.ichi/Dr.junichi》

メンバーチェンジ後、事務所がついて、
初めて本格的に流通に乗ったシングル。
「signal」は「売れる曲を書け」と言われるがままに、
ディレクター主導でよくわかんないウチに出来た初の「商業ロック」(笑)。
タイトルからして、まだ曲が出来てないのに会議に出すからとかで、
電話でいますぐ先にタイトルよこせと言われ、
横断歩道わたりながら「シングルシングルシング……シグナル?」
と思いついたら採用されてしまったという。

言語感覚から美学から何もかも、
僕とはまったく対照的なディレクター氏に、
歌詞でとにかくダメ出しをくらい続けて、
メチャクチャ苦労した記憶がある。

それでもこの頃はまだ前向きな気持ちで頑張れてたんだけど、
この後2nd singleで出すからと、
外部ライターの曲を押しつけられた「another」に到っては、
事務所の一室にカンヅメにされ、
さらに色んな人から散々ダメ出しという憂き目に遭い、
挙げ句、全部人の書いた訳の分からない歌詞にされ、
でも名前は自分という業界の洗礼を浴びる(笑)。

んで、これがトラウマになって、
その後はまるでロクに歌詞が書けなくなるという。
だってさあ、
「崩れそうなオレンジ色に揺れる強がり」
って何だよなあ(笑)。

せめてもの反抗として、
タイトル決めの時に僕が出した「another」を採用させる。
もちろん「僕じゃない誰か」がつくったんだよ、
という意味を込めて(笑)。

「feel what?」の「stream」もそう。
詞も曲も原型とどめないほど散々いじくり回されて、
何の思い入れもないまま「流れ」で出来ちゃったから。

「brown eyes」は京太郎のバラードをオーケストラアレンジを加えて再REC。
歌入れでリズムとるのに苦労したなあ。
この頃はウィスパーがまだヘタクソで、
何回もとりなおした…はずなんだけどなあ(笑)

「key」はjunichiが昔やってたバンド
「sleepy slot machine」からのアレンジ。
シュンスケがサビを換えて、僕が詞を換えて、
メロを換えて…ってやってたら
まったく別の曲になっちゃった(笑)。
でもこの曲はRebirthが一番得意なことをやってる感じで、
自然体で良いよね。やってて楽しいし。

★ 1st album「feel what?」(2004/7)より

「dummy」

「very very very」

「last scene」

《vo.ibuki/Gt.shunsuke/Gt.isaki/Ba.ichi/Dr.junichi》

この頃、僕はバンド内外で勝手に孤立感を深めてて、
いま振り返っても、ちょっとメンタルやられてる感じあるんだよね。
当時やりとりしてたメールとか、かなり病んでる(笑)。
なんかすっごい人間不信になってたんだよね。

歌詞ももうどうしようもなく後ろ向きのものしか出来なくて、
事務所からはポンコツ扱いだわ、
メンバーからは疎んじられるわで、
最後は僕抜きでどんどんRECが進んでった。

そんな中でもシュンスケだけが心配してくれて
(この頃は本当に面倒かけた)、
夜中に一緒にスタジオで煮詰めたりしたのが思い出に残ってるなあ。
とにかく自信をなくして卑屈になってたから、
ワンフレーズずつ、これでいい?みたいな感じで進めてね。
でもそれがよかったのか、この3曲みたいな佳作も出来た。
ただ、図らずもこの制作過程で露呈してしまった感はあるね。
僕が商業ベースに乗れるほど
タフで才能豊かな作り手ではないという限界を。

★ Final works「妄想radio vol.4」(2005/7)より

「happy but hungry」

「理想妄想show」

事務所も離れ、退散も決まり、
実に伸び伸び自由につくっているのがよーくわかるゲンキンな音源(笑)。
思えばRebirthは「商業ロック」を標榜し、
junichiを中心とした、
「メジャーになろう」「売れよう」=「人気者になろう」という、
いわば前向きな下心とも言うべきものが、
わかりやすいポピュラリティを生んで、
インディーズではある程度の支持を得られたのだと思う。

でも、一方でそれが呪縛になってしまって、
僕みたいな大衆性アレルギーのアマノジャクが
流れに乗れず完全に孤立してしまう構図も生んだ。

Rebirthはたぶん、
学校やサークルの人気バンドにはなり得ても、
大衆社会の消費モデルの一角をなす
「メジャーバンド」にはなれなかったかもしれない。
Rebirthとは、音楽的には未熟な5人が、
客席とひとつになって生む奇跡的な調和。
それはよく言えば
「近所の面白いお兄ちゃん」や「人気者の先輩」であり、
悪く言えば「単なる内輪ウケ」でもあっただろう。

でも、それで良かったんだと思う。
僕にはあれしかできなかったろうし、
いまやり直したとしてもきっと同じだろう。
後悔はない。

それを証明するかのように、
僕らは退散してからもなお、こんなにイイライブをやれる。

「last scene(live 2009)」

2005年の退散から11年、
その間に「再結成ライブ」は5本もやった。
その都度、ちゃんとお客さんも来てくれるんだから、
インディーズでは珍しいよね(笑)。
だから「商品」にはなれなかったけど、
ちゃんと「記念品」にはなれたんだよ^^

好評だったら、他の曲もアップしてこうかな。
リクエストがあったらどうぞ^^

音のある人生

2016-02-06 23:48:34 | 超・いぶたろう日記
人生80年、としたらはや折り返しの41歳。
めでたさも中くらいなり誕生日。
それでもFaceboookなんかから、
多くの方にお祝いメッセージをいただいて、
メチャクチャ嬉しいもんですね。
ありがとうございました。
今後もより楽しく生きていくために、
健康と節制に努めて頑張りたいと思います。

さてそんな41歳初日、
年齢相応に涙腺も緩くなっているのでしょうか。
思い出に残る誕生日になりました。

大学時代のサークルの大先輩方で、
僕がとても憧れた「Black-Sheep Gallery」というバンドがありまして、
その1日限定再結成ライブを見に行く機会に恵まれました。
このバンドのベーシストがとても気さくな方で、
僕らのようなずっと下の後輩にも分け隔てなく接してくださって、
在学中には色々構っていただいたり教えていただいたりしたのです。

ところが、先輩は12年前に若くして急逝されました。
インディーズバンドをやりながら塾の先生をされていた方だったので、
僕も他人事には思えず、すごくショックだったのを覚えています。

実は今日のライブはその先輩の代を中心とした
「十三回忌・トリビュートライブ」として行われたのでした。
僕はちょうど仕事と重なってしまっていたのですが、
同僚の温かい理解と協力を得て、
どうにか行けることになりました。
なかなか休むのが難しく、
不義理をしてしまいがちなこの業種ですが、
僕が教室を立ち上げたときの誓いのひとつに、
「人を大事にする」→「周囲に不義理をさせない」
ことがありました。
いままでスタッフにもそう心がけてきましたが、
こんな形で返ってくるなんて、これまた嬉しいもんです。

それで、なかなか身近な方のバンドでは、
そうはないことなんですが(ライバル心なんかも先立ちますしね)、
僕はこのバンドが本当に大好きで、
ソラで歌える曲もたくさんありますし、
どうやったらこんなカッコイイライブができるんだろう、
こんなに心に響く曲が書けるんだろう、
とずっと目標にしておりました。

名曲はたくさんあるのですが、
中でも「裸の心で」という一曲は僕のfavoriteのひとつで、
自分の結婚式のビデオでも使わせて頂いた曲なのです。
ライブのお知らせを頂いた先輩に、そんな旨を返信しましたら、
それがメンバーの皆さんに伝わり、たいそう喜んでくださったそうです。
ライブ中にはそのエピソードまで紹介されて、
まさにその「裸の心で」を演奏してくださいました。

鳥肌が立ちました。
胸の奥をぐいっとつかまれるような心持ちです。

演奏や歌、曲そのもののクオリティもさることながら、
学生時代、バンド時代、亡き先輩の思い出、結婚式のこと、
何やら色々思い出されてきて、涙がこぼれそうになりました。

音楽は歳をとらない。
音楽は色あせない。
音楽はいつでも一瞬であの時代へ連れ戻してくれる。

僕はまるで有名にもお金にもならなかったけれど、
前半生において音楽に深く関わる道を選んでよかったなと思います。
ここしばらくは音楽から離れてしまっていますが、
また付き合っていきたいなと思います。

さて、遅れて駆けつけた今日の中2国語の授業。
前半は他の先生にお願いして50分の問題を課し、
解説を普段通り担当しました。
彼らは小4からの長いお付き合いの生徒が多く、
また僕の独立に際しても、すぐに集まってきてくれたかわいい愛弟子たちです。
授業後、生徒の数人がわざわざ事務室の僕の所まで来て、
「せーの」のかけ声と共に"Happy Birthday"を歌ってくれました。
ちょっとジーンと来ちゃって、危なかったです(笑)。

また、音楽にやられちゃいました。
来し方にも行く末にもつながる、思い出に残る誕生日、です。