いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

他山の石

2017-05-30 03:06:19 | 超・いぶたろう日記
とあるSNSでの投稿。
知人の医者が体調を崩し、
病院で検査を受けた我が身を案じている。

と、そこについた戦慄のコメント。

「なまじ知識があるだけに、身に迫る感じでしょうか?御自愛下さい。」

おおう。
もちろん悪気はないんだろうけれど、
ずいぶん思い切ったコメントをするものだ…。

【なまじ】
[形動]完全ではなく中途半端であるさま。いいかげん。なまじっか。
[副] 無理にしようとするさま。中途半端なさま。
(goo国語辞典/デジタル大辞泉)


しかも驚くのはこのコメントを寄せた人、
肩書きのひとつに「現代文・小論文講師」と。
もっとも言葉に関して敏感であるべき職種であるはずが。

なまじ知識があると語義を調べる手間をうっかり省いてしまうものだ。
僕もまた自戒しなきゃな。

でもね、この例に限らず、
「でんでん」だったり、「そもそも」だったり、
「れんめん」だったり、「みぞうゆう」だったり、
「びんせん」だったり、「ふしゅう」だったり。
偉そうにふんぞり返ってる人に限って、
聞いてる方が恥ずかしくなるほど奔放だったりして。

そりゃまあ、間違いは誰にでもあるし、
人の言葉遣いや読み間違いを揶揄して、
得意になってちゃいけないとは思うけども。

でもやっぱり言葉を大切にしない人って、
考え方も粗雑だし、人に対する態度もまた乱暴な気がするよ。

難解な言葉を使って自分をエラク見せようというハッタリ。
わかりやすく話そう、
なるべく多くの人にわかってもらおうという気持ちよりも、
相手をマウントしてやろうという野心が見え隠れ。

公の場で言葉を発するときに慎重になれない程度の人が、
普段の仕事にどれくらいの意識で臨むかも、窺い知れる。

気をつけたけどウッカリ間違えた、それは仕方ないとしても、
大事なのはそのあと。本性が垣間見える。
間違いを指摘されても認めなかったり、
開き直ったりごまかしたり逆ギレしたり閣議決定したりするんじゃ、
まあ余計に株を落とすだけだよね。

アタマいいとこ見せようとカッコつけて、
他に簡単な表現もあったのにわざわざ難しく言おうとして、
無様に失敗したんだから引っ込みつかないのもわかるけどね。

でも、おっさんがカッコつけても、
決して自分で思ってるほどカッコよくはないし、
愛されようとは思わないまでも、
せめて嫌われないようにするには、
年齢を重ねてからの謙虚さが重要になるわね。

…とかなんとか。

連立方程式(中2)の問題です

2017-05-29 03:23:59 | 教えてみよう
トリモモくんは、土地と校舎のセットを買った。
合わせた値段は15億円だったが、土地は値段の80%を、校舎は値段の30%を謎の圧力で値引いてもらったため、自分の財布から出したお金はわずか6億円で済んだ。
政治家と仲良くしていて良かったなあ。
あれ?そういえば本当はそれぞれいくらするんだっけ?
近畿財務局に問い合わせても、財務省に問い合わせても、書類がないと言って答えてくれない。
国民のためにも、君がちゃんと計算して出してあげなさい。

オルタナティブファクト

2017-05-28 14:04:00 | この国の憂鬱
オルタナティブファクト。

「置き換え可能な事実」の語義は「同じ事実であっても、価値観やイデオロギーが違うとまったく違う受け止め方をする」と具体化される。

ネット上の様々な行き違い、異論反論のぶつかり合い、それらがお互いの顔を見ることもなく文字だけで交わされるために、より過熱し、互いに否定しあい罵詈雑言の応酬になる。

そういうものを目にするたびに、この原因って何だろうと思う。
「無知で感情的な人間が、冷静な知識人に絡む」と括るのは簡単だけど、それもまた安直な気がする。「知的な人間が感情的な人間を無知と見て冷笑する」面もあるだろうし、何らかの優劣という視点で理解しようとする限り狭窄に陥る感じもする。

そんな僕にひとつの理解の鍵をくれたのが前出の言葉。
「この人はなんでこんなこともわからないんだろう、バカだなあ」
「この人はあんなことを信じているのか、アホだなあ」
という(簡単にハマりがちな)感想は、そのまま「自分の固定された視座を全肯定している」硬直した態度に他ならない。それは無意識のうちに傲慢な物言いに表れるだろうし、そうである限り、他者との建設的な議論はできなくなるだろう。その点では、どんなに知識の豊富な人であっても、そんな態度で接する限りは、無学な人間がシンプルを武器に感情的に罵倒してくる粗雑さとあまり変わらないことになるかもしれない。

安倍政権の功罪というのはこの「オルタナティブファクト」に綺麗に乗っかってくるアジェンダだな、と思う。あちこちで事実の認定を巡って不毛な争いを目にするし、そんな中でも懸命に冷静に努め、建設的な議論をしようとしている人もいる。

僕も後者でありたいと努力はしているが、それでも丁寧に誠実に話をしようと心がけるには相当の自制心が必要で、そこに無思慮な暴言や強弁をぶつけられると思わずムッとすることもある。僕個人については修行が足りないと言ってしまえばそれまでだが、ここではたと気付く。

安倍政権へのネガティヴな印象は、政治思想的な反目ということよりも、ルールを守らない自分たちのやり方を一方的な強弁で正当化する、その不誠実な態度にある。総理や官房長官の強弁は、相手の質問や抗議に対してきちんと答えないばかりか、
「その批判はまったく当たらない」
「レッテル貼りはやめて欲しい」
など、それ以上の議論やコミュニケーションを遮断してしまう。

にも関わらず、支持者の目には「応答した」ように映る(オルタナファクト)ので、質問者のさらなる質問も、政権への批判も「バカげたもの」として見えてしまう。ここが非常に皮肉だなと思う。

「安倍政権を批判している奴はバカ」というのが(政権支持率上にも表れる)マジョリティである、という認識が一般化してしまうと、もはや少数派で居続けることに堪えられない日本人に選択肢はない。つまり、戦前と同じ構図が浮かび上がる。すべてわかっててやってるんだとしたら凄いなと思う。

一方で「安倍政権を支持する奴はバカ」というのが彼らへの反論である限り、オルタナファクトの壁は結局越えられない。むしろ、それこそ彼らの思うツボであるかもしれない。

ゴチャゴチャ書いてるうちに僕の頭もゴチャゴチャしてきたが、ともかく従来の「孤立を嫌い、多数派に属すことを望み、主張せず、議論が下手」な日本人像を突き崩し、少々痛い目を見ながら「建設的な議論」の重要性と手法を学び、次回の投票行動に反映する、そんな「日本人3.0」的な展開を期待している。戦後、曲がりなりにも築き上げてきた自由で民主的な日本のありがたみを実感し、それを守るためには国民が今のままじゃいかん、ということをつきつけるには、安倍政権は格好の劇薬かもしれぬ。このまま死ぬかもしれないけど。

母校の誇り

2017-05-28 03:25:35 | 超・いぶたろう日記
SNSで拝見する機会が増えて改めて思うが、
中高先輩方や同期友人たちの、
広範な知識に裏付けられた論理的な主張や、
理性的な議論には毎度毎度感服させられる。

不勉強なまま思いつく限りを粗野な言葉にして
喚き散らすことの格好悪さや、
相手の話をまったく理解しようとしない
傲慢な態度の恥ずかしさについて、
自省的に考える機会をくれる、貴重な繋がりだと思う。

出身校が同じというだけで、彼らの卓越した知見に、
それもよそ行きでなく身近な形で触れられること、
これはもう何物にも代え難い財産だ。
そうと実感できたのは最近だけれど。

言うまでもないことだけれど、彼らとの繋がりがそのまま、
僕自身についての能力・評価・価値を示すものではあり得ない。
だからけっして自慢するようなことではないし、
僕にそのつもりもないけれど、
常に謙虚な姿勢でいられるという点において、
この縁には、そして母校には感謝の念を表さずにはいられない。

自分もまた恥ずかしくない同期・後輩でありたいと思うし、
本当の意味での誇りとはそういうものなんだろうと思う。

読書

2017-05-23 13:55:35 | 超・いぶたろう日記
僕は本を読むのが好きだ。

好き嫌いの激しい僕のこと、
どんな本でもというわけにはもちろんいかないが、
それでも面白いなと思える本に出会うとみるみる惹き込まれ、
貪るように読み耽り、気がつくと数時間も経っている。

ただ、ひとつ誤解して欲しくないなあと思うのは、
僕にとって読書というのはただの「娯楽」であって、
言ってみれば子供のゲームや漫画とさして変わらず、
別に何ら威張れるようなものではないということ。
自らの教養ぶりをひけらかすためのアクセサリではあり得ないし、
読書量を自慢したりするのはとてもカッコ悪いなとも感じる。

読書は量ではなくて質。
本の質ということでもない。そんなの定義できない。
読み方というか、吸収の質。
本をひもとき、字面を追い、行間を読み、主張を捉え、
考察を深め、異論を唱え、あるいは共感し、表現を学び、
新たな語彙を身につけ、視点を増やし、視野を拡げ、
ああ面白かったと本を閉じる。

そしてそれらが僕の身体と脳髄と心に染み込み、
いつかどこかで人と話をするときに、
あるいは自ら筆を執るときに、無意識にじんわりと役に立つ。

こんなに楽しくて役に立つ「娯楽」はそうない。

「何冊読んだか」と同様、
「何を読んだか」で読書に優劣を付けるのも好きじゃない。
あたかも、ブランドや値段でファッションを語る人のようだからだ。
本当のオシャレというのは、その人の好みや人柄が自然体でにじみ出て、
その人の持ち味を増幅してくれるものであって、
流行を無定見に追いかけたり、
単なる見栄の為にとってつけたようなもので固めたりしていると、
かえって野暮ったくなる。

また、オシャレな人というのは、
たくさんのイイモノを見て眼を養っていればこそ、
自分に合うものを適切に選び取ることができるし、
また新たなものの魅力にも敏感であったりする。

同様に、色々な本を読むことで、
自分の世界は確実に拡がるし、頭も柔らかくなる。
そういう人の薦める本は読んでみたくもなるし、
僕が話をしていて、この人面白いなあ、聡明だなあ、魅力的だなあ、
と思う人はみんなそういう人。
僕もそんな風になりたいけれど、
そのために読書をするぞ!みたいになってしまうと、
読書の楽しみは1割以下になってしまう。
やっぱり、少しくらいアホだと思われようが、
好きな本を楽しく読むのが一番だ。

商売柄よく耳にする「読書すれば国語が出来るようになる」とか、
ああいうステレオタイプも好きじゃない。
「国語ができるための読書」と「健康のための食事」は
ちょっと似ているところもある。
結果としてアタマが良くなる、健康になる、
というのはイイと思うんだけど、
それが目的化しちゃうとすごくつまらなくならないかな。
やっぱり楽しくないと続かない。

一方で、この年齢になるとちらほら見かけるんだけど、
たくさんの本を読んではいても、
そのことで自分の知識量をカサに着て居丈高に決めつけてかかったり、
本を読んでいない人を蔑んだり、
何を読んだかとか何冊読んだかとかで序列化したがるような人は、
正直、本を読んでいる意味がないとも思う。
本は自分の知的アクセサリでもなければ、
権威付けの道具でもないし、マウンティングの武器でもない。

読書は、ただの、娯楽です。

というわけで、今日アマゾンから届いた4冊の本を、
一体いつどこで読もうか嬉しいお悩み中。
寝る前の布団の中とトイレだけじゃ追いつかない。
何を読むかはナイショ。
でもすぐ影響受けてここに書き散らかすんだろうな(笑)。

共呆罪

2017-05-21 12:17:13 | 超・いぶたろう日記
極右と揶揄されるような政権であっても、強行採決であっても、
彼らがそれをできちゃうだけの議席を与えてしまったのは有権者なんだよね。
だから、僕らの国の民主主義のルールに則っていまがあるということは受け容れなくちゃいけない。

ただ、彼らへの支持票よりも多くの棄権がこういう現状を招いてるのは、民主主義としてはかなり消極的な状況だし、投票に行かない多数に訴えて動かすにはどうすべきか、僕らの日常レベルで真剣に考えないといけない段階に来ている。政権の「無法」を他責的に誹謗しているだけでは、野党の「無能」とあまり変わらない。こんな政権を選んでしまった自分たちの責任だと明確に自覚して、次回の投票行動で示すしかない。

それができないだろうと見透せばこそ、現政権は好き勝手にやってるんだろう。
本当に舐められたもんだ。
戦前回帰のファンタジーを望むお気楽な人々は議論したってどうしようもないので、それに数倍する票をもって有権者の理性を示すほかはない…んだけど、そこが如何とも期待できそうにないのが辛い。

政治に関心がないとか、リテラシーが低いとかいう以前に、同調圧力が強すぎて目立つことを嫌う、寄らば大樹の陰で、自分は「世間の多数派」だというところに安住したがる国民性があるのかなあとも。
つまり、政治に関心が強く、意見を表明したりするのは「熱苦しく」て「重く」、少数の奇特な人たちだ、という見方。共謀罪で検挙されるのもそういう「異常な」マイノリティ。「多数派」で「善良な市民」たる自分たちではありえない。だからほっといても大丈夫。なんかそういう思い込み。

何を選ぶのも決めるのも「みんなはどうしてるかな」が最上位に来るような、下手に目立つことや孤立を何より恐れるマインドだから、日本の有権者の最多数派は
「自民党もダメなんだけどねぇ…野党もアレだからねぇ…投票先がないんだよぉ」
「あぁ、わかりますぅ、困りますよねぇ」
になる。なかなか政権交代は叶わないかもしれない。

野党に魅力がないのも確かだけれど、「他にいない」という理由だけで現政権を黙認し続けるのはさすがにちょっと情けない気もする。やらせてみりゃいいじゃん、とも。野党政権選択に二の足を踏ませる深いトラウマを刻んだ旧民主党の罪は重いけれど、かといってこんな国の根本に関わることを無思慮に軽々にひっくり返してしまう政権を今までのような感覚で放置していては、実に住みにくい世の中がやって来るような気がしてとても憂鬱だ。

同調圧力の下でなんとなく空気を読みあうばかりで、個の独立に支えられた投票行動が期待できないのなら、せめて司法に一抹の望みを…とも思うけどそこにはさらに深い絶望が潜んでいたりしてもうイヤ。

あんまし政治の話しても煙たがられるだけだから気がひけるけど

2017-05-20 00:24:21 | この国の憂鬱
それでもちとさすがにまずくないですか昨今。

安保法制があって、特定秘密があって、
森友があって、加計があって、
資料は全廃棄で、あっても黒塗りで、
ミサイル空騒ぎがあって、首相大ハシャギで、
無神経な失言バカ大臣だらけで、
復興は口だけで進まず、原発事故はなかったみたいになってるし、
オリンピックを口実に好き勝手やって、
共謀罪も通って、いよいよ改憲です、って、
イヤな予感しかしないんですが。

右とか左とか関係なく、
こんだけ無茶苦茶やっても政権維持できるんだから、
もはや日本がどうなっても、
誰のせいでもない、国民の責任だわ。
政治にまるで危機感を持たないんだもの。

そのへん、現政権もすっかり見透かしてるよね。
国民の大多数はバカだと思ってる。
完全にバカにしてる。されてもしょうがないけどね。

憲法違反をどれだけ重ねても、
司法もまるであてにならないし、
これだけ政権が暴走しても復元力も期待できない。

野党が…という人も多いけれど、そのせいばかりにもできないよ。
自民党内にもおかしいことはおかしいと言える人が、
誰もいないわけでしょ。
だって、金田のどこをどう見ても法相不適格なのに、
平気で信任しちゃうあの神経。

ともかく思想信条とか政策の問題じゃなくて、
法治国家とは思えないほどの無茶苦茶やってんのに、
野党の騒ぐに任せて誰も声を上げない。
国会議員の職責を果たせてない。
民度を反映してんだよね。

清廉潔白な政治家なんて期待してないし、
多少リベートとっても見逃してやるから、
憲法くらい守ってほしい。

もはや何かと末期的よね。
なんだかとても残念だわ。

very very very(PV)

2017-05-16 23:08:00 | Rebirth歴史資料館
過去の栄光(?)発掘シリーズ。

PV "very very very" /Rebirth(2004)

2004年のアルバム「feel what?」のリリース直後に発売されたプロモビデオ。

前作 "signal" PVは関係者用だったんだけど、これは販売前提の制作だったので、少額ながら予算もつき、本格的にロケやったりして楽しかった。
前作同様にカメラマンのNさんが全体の構成も考えてくれて、ちゃんとストーリーが展開していく面白い出来。
正直ボーカルは完全に喰われているんだけど、この主役の怪演ぶり、名優だと認めざるを得ない。

これ、当時はVHSで発売したんだよな…時代を感じる。

さあ、14年前のRebirthを観てみよう

2017-05-15 14:23:10 | Rebirth歴史資料館

当時は関係者間にしか流通しなかった、
お好きな人にはなにげに貴重かと思われる、
幻の動画をアップしました(笑)。

→ signal(2003PV)/very very very(ライブ告知2004)

[signal・PV]
2003年に密かに撮った関係者用・超々低予算PV。
いつものリハスタジオの一室にこもって(後ろにエアコン見える)
1カメで1日で撮影。
カメラマンのNさんの敏腕ぶりに救われた逸品。
でもタイトルロールの綴り間違ってる。
シグナーレっておい。

[very very very]
2004年夏の渋谷BOXXワンマンライブ告知用映像。
東京スクールオブミュージックの共催で、
校舎内限定で流されていたプロモーション。
ライブ映像は同年5月の横浜アリーナサウンドホールのライブ中に収録。
「5時半開場、6時半オープン」って同じこと言ってる(笑)。
この頃は好きな服も着られず言われるがままだったのだけど、
白一色っていま見てもすげえ衣装だなおい。

いずれも当時28〜29歳。
いまより25kg痩せてた(笑)。