なんつーか、エラくなりたい、威張りたい、
周りの人を従えたい、ヘイコラされたい、
そういった権力欲とかステイタスへの願望が強い人ほど、
セクハラ・パワハラはもとより、
「老害」の適性(というのも変だが)が強くあるんじゃないかなー、
とボンヤリ思っている。
うむ。我ながら当たり前っちゃあ当たり前のことを書いてしまった。
でも実際、威張るために偉くなった人たちは、
それが自然というかデフォくらいに思っているだけに、
自分が威張っていることやその醜さの自覚に乏しいと思うんだよね。
さらに、ずっと威張れずに来た人も、
歳とったらとりあえず若い奴には威張れると思ってる。
家族にも相手にされないので、若い奴相手にしか威張れないとなれば、
そりゃあもう張り切って威張る。
うん、そうだ。
どうやら、歳をとったから老害という訳でもなさそうだよ。
別に世の中、若者が中心というわけでもないので、
無理して若者に媚びたり迎合したりする必要はないと思うのだけど、
わざわざ嫌われるようなことをして、みんなに鬱陶しがられるなんてのは、
人生の晩年に来てあまりに寂しい在り様だ。
歳が離れている人とでも普通に仲良くコミュニケーションがとれる…
くらいの心の余裕は持っていたいよね。
簡単なことなんだよね。威張らない。
歳が上だというだけで威張ったり、マウント取ろうとしたり、
上から説教して悦に入る自分の姿を思い浮かべてみるといい。
目一杯カッコつけてるが、実は自分が気持ちよくなりたいだけなのだ。
それがどれだけ格好悪いか、恥ずかしいか。
それを心の片隅に置いておくだけで、少しでも変わるんじゃないか。
人は誰でも他人と話して気持ちよくなりたい。
自慢したい。自分の話題で盛り上がって欲しい。
自分より立場が上の人の前では憚られる様なことなのに、
なぜか後輩だとか部下だとかの前ではやらかしてしまう。
相手が立場上仕方なく、
「聞いてあげている」「感心しているフリをしてあげている」
ことにも鈍かったりする。
ますます調子に乗ってしまう。
ああ恥ずかしい。キャバクラじゃないんですよここは。
「自分だけが気持ちよくなれるわけではない話」
でどれくらい盛り上がれるだろうか?
「オレなんかさあ」を我慢して、相手の話に耳を傾け、掘り下げる。
否定から入らない。
自分と歳の離れた人の話には、色々な気づきや学びが隠れている。
それを面白く受け止められる感性があれば、
いくつになったって誰とでも楽しく話せる。
たぶん歳をとるとこういうことが面倒くさくなって、
手っ取り早く自分だけが気持ちよくなれる話し相手を求めてしまうのだろう。
恋をして、デートを重ねて、相手と理解しあって…というのが面倒で、
キャバクラや風俗で済ませちゃえというのに似ているかもしれない。
でも対価を払っている分、その方がまだマシで、
セクハラにせよパワハラにせよ、立場を利用して、
タダでそれ(自分だけ気持ちよく…)をやろうというのだから、タチが悪い。
自慢と説教をやめる。
それも我慢するというより、あまりにも格好悪いということを自覚する。
それだけでも、老害にはならなくて済むと思うんだけど、どうだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます