予想されたこととはいえ、
今年の漢字に「絆」が選ばれたことには正直言って鼻白む。
言霊信仰が根強い日本の、ちょうどいい「落としドコロ」であるばかりか、
数々の犠牲にも現在進行形の苦難にも目をつぶり、
前向きなキレイゴトで括りたがる国民性が滲み出るチョイスだ。
何も後ろ向きで悲観的であればいいというわけじゃないが、
「今年一年を表す」には、あまりに上滑り感が強くないか。
「絆」はもはやマスコミによって、そして企業によっても、半ば商品化された言葉だ。
家を失い、職場を失い、学校を失い、
家族を仲間を友人を失った人々の哀しみも苦しみも、
この言葉で包含しようというのはあまりにも浅はかじゃないか。
僕の考える今年の漢字は、「壊」だ。
色んな建物が、町が、ふるさとが、
平穏が、生活が、常識が、神話が、
そして惰眠が、壊れた。
それこそが、事実だ。
だけど、壊れたからこそ、
そこに新しいものを生み出そうという力が起こる。
敗戦直後の焼け野原、瓦礫の山から立ち上がった日本は、
豊かになればなるほどがんじがらめにもなっていたはず。
政治的にも経済的にも、
震災がなくとも早晩立ちゆかなくなることは自明だった。
「壊」こそは、生まれ変わるための大前提。
そういう期待も、希望も込めて、
僕が推すのは、「壊」。
今年の漢字に「絆」が選ばれたことには正直言って鼻白む。
言霊信仰が根強い日本の、ちょうどいい「落としドコロ」であるばかりか、
数々の犠牲にも現在進行形の苦難にも目をつぶり、
前向きなキレイゴトで括りたがる国民性が滲み出るチョイスだ。
何も後ろ向きで悲観的であればいいというわけじゃないが、
「今年一年を表す」には、あまりに上滑り感が強くないか。
「絆」はもはやマスコミによって、そして企業によっても、半ば商品化された言葉だ。
家を失い、職場を失い、学校を失い、
家族を仲間を友人を失った人々の哀しみも苦しみも、
この言葉で包含しようというのはあまりにも浅はかじゃないか。
僕の考える今年の漢字は、「壊」だ。
色んな建物が、町が、ふるさとが、
平穏が、生活が、常識が、神話が、
そして惰眠が、壊れた。
それこそが、事実だ。
だけど、壊れたからこそ、
そこに新しいものを生み出そうという力が起こる。
敗戦直後の焼け野原、瓦礫の山から立ち上がった日本は、
豊かになればなるほどがんじがらめにもなっていたはず。
政治的にも経済的にも、
震災がなくとも早晩立ちゆかなくなることは自明だった。
「壊」こそは、生まれ変わるための大前提。
そういう期待も、希望も込めて、
僕が推すのは、「壊」。