僕は子供たちに勉強を教える立場ですが、
「愛国心を養う」とか「愛国教育」だとかは、
まーったくやる気ないです。
やりたくない。
国を愛するなんてことは、
教育して一方的に刷り込むようなことじゃないと思うからです。
大人達ががんばって素敵な国をつくって、
子供たちがその中で健やかに育ち、結果として、
「この国に生まれて良かったなあ。僕らも将来もっといい国にしていきたいなあ」
と自発的に感じてもらえるようにするのが本来の在り様じゃないですか。
愛国なんて言葉はキレイだけど、
失策を情緒でごまかしたり、歴史を改竄捏造したり、
特定の対象に敬意を強要したり、軍事方面にばかり目を向けさせたり、
ロクなことないですよ。
そして行き着く先は外国人に対する不当なヘイトや差別、
あとは気に入らないヤツを片っ端から「反日」呼ばわりでしょう。
やたらに愛国を謳うような大人達にはロクなヤツがいない。
僕はかわいい息子や生徒たちに、そんな窮屈な大人に育って欲しくないんです。
昨今の社会情勢を受けて、またぞろ「心をひとつに」とか、
「国に文句を言っても始まらない、批判ばかりしてないで自分のできることをやろう」とか、
そういういかにももっともらしい言説が氾濫してますけど、
こういうときって、おおよそ世の中全体がマジでピンチなのに、
政府や公的機関がまるでダメダメなとき、と相場が決まってるんですよね。
震災後なんかも顕著でしたよね。
批判せずに堪えろ、ここは黙って従えなんて、
権力にとっての模範解答を、国民の側から率先して唱えてくれるんだから、
なんとまあマゾっ気の強い国民性であることでしょうか。
おめでたい国畜根性と言ってもいい。
権力への批判は控えろという割に、弱者への誹謗中傷は容赦なかったりしますよね。
国を愛するなんてことは、
教育して一方的に刷り込むようなことじゃないと思うからです。
大人達ががんばって素敵な国をつくって、
子供たちがその中で健やかに育ち、結果として、
「この国に生まれて良かったなあ。僕らも将来もっといい国にしていきたいなあ」
と自発的に感じてもらえるようにするのが本来の在り様じゃないですか。
愛国なんて言葉はキレイだけど、
失策を情緒でごまかしたり、歴史を改竄捏造したり、
特定の対象に敬意を強要したり、軍事方面にばかり目を向けさせたり、
ロクなことないですよ。
そして行き着く先は外国人に対する不当なヘイトや差別、
あとは気に入らないヤツを片っ端から「反日」呼ばわりでしょう。
やたらに愛国を謳うような大人達にはロクなヤツがいない。
僕はかわいい息子や生徒たちに、そんな窮屈な大人に育って欲しくないんです。
昨今の社会情勢を受けて、またぞろ「心をひとつに」とか、
「国に文句を言っても始まらない、批判ばかりしてないで自分のできることをやろう」とか、
そういういかにももっともらしい言説が氾濫してますけど、
こういうときって、おおよそ世の中全体がマジでピンチなのに、
政府や公的機関がまるでダメダメなとき、と相場が決まってるんですよね。
震災後なんかも顕著でしたよね。
批判せずに堪えろ、ここは黙って従えなんて、
権力にとっての模範解答を、国民の側から率先して唱えてくれるんだから、
なんとまあマゾっ気の強い国民性であることでしょうか。
おめでたい国畜根性と言ってもいい。
権力への批判は控えろという割に、弱者への誹謗中傷は容赦なかったりしますよね。
相手が病人でも老人でも女性でも子供でも遠慮なく、
甘えてる、自己責任だ、ワガママ言うな、他人を頼るな…と。
パワハラ人間と「愛国」主義者って妙に重なるところもありますね。
そういう人たちに言っておきたいのは、
身の回りの人間、目の前のひとり愛せない人間に、
国なんか愛せるわけもないでしょ、ということ。
だいたい「国」って何のことですかね?
まさか政府とか役人とか日の丸とか天皇とか、そんなもんじゃないでしょう。
そんなもの、ムリヤリ愛せとか言われても、ねえ。
本当の意味で「国」が表すものって、
自分たちの安全で平和な暮らし、小さな幸せのことじゃないんですか?
だったら、漠然とした「国」なんかよりも、まずは自分自身を大切にしましょうよ。
家族を、同僚を、友人を大事にしましょうよ。
不幸にもウイルスで亡くなった方はそれでもまだ数名でしょ。
自殺者は毎年2万人ですよ。
別に話を逸らすつもりじゃないけれど、
なんかこの国で起きていることと人々の意識のズレというか、
社会の連帯を高らかに謳う高潔で陳腐で空虚な言葉に感じる違和感って、
そういうところにあるんじゃないかなあと僕は思っています。
だから僕は、どんなに「格好悪く」映っても、
変に我慢強くてリアリストぶって訳知り顔をしたがる、
甘えてる、自己責任だ、ワガママ言うな、他人を頼るな…と。
パワハラ人間と「愛国」主義者って妙に重なるところもありますね。
そういう人たちに言っておきたいのは、
身の回りの人間、目の前のひとり愛せない人間に、
国なんか愛せるわけもないでしょ、ということ。
だいたい「国」って何のことですかね?
まさか政府とか役人とか日の丸とか天皇とか、そんなもんじゃないでしょう。
そんなもの、ムリヤリ愛せとか言われても、ねえ。
本当の意味で「国」が表すものって、
自分たちの安全で平和な暮らし、小さな幸せのことじゃないんですか?
だったら、漠然とした「国」なんかよりも、まずは自分自身を大切にしましょうよ。
家族を、同僚を、友人を大事にしましょうよ。
不幸にもウイルスで亡くなった方はそれでもまだ数名でしょ。
自殺者は毎年2万人ですよ。
別に話を逸らすつもりじゃないけれど、
なんかこの国で起きていることと人々の意識のズレというか、
社会の連帯を高らかに謳う高潔で陳腐で空虚な言葉に感じる違和感って、
そういうところにあるんじゃないかなあと僕は思っています。
だから僕は、どんなに「格好悪く」映っても、
変に我慢強くてリアリストぶって訳知り顔をしたがる、
物わかりのいい「大人」のフリはしませんし、そっちの側には立ちません。
これからも徹頭徹尾、生意気で蒼臭くてワガママで我慢がきかなくて、
これからも徹頭徹尾、生意気で蒼臭くてワガママで我慢がきかなくて、
夢みがちで文句言いの子供の側にいます。
そんな僕でも、家族や友人、生徒たちを愛することくらいは、
そんな僕でも、家族や友人、生徒たちを愛することくらいは、
当たり前にできてますしね。
とりあえず、オムツまで買い占めるのはマジでやめてください(笑)。
とりあえず、オムツまで買い占めるのはマジでやめてください(笑)。