いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

長時間労働問題を考える

2016-12-28 22:26:48 | 超・いぶたろう日記
すき家のワンオペ、ワタミや電通の過労自殺に端を発し、
ユニクロなど他の企業でも騒がれているこの問題。
僕は一概に良いの悪いのを論じる前に、
【仕事の質・人間の質・マネジメントの質】の3要素があると思っている。
もちろん、違法な長時間労働(の事実上の強制)を正当化するような、
いかなる理屈もあり得ないという大前提で。

仕事ひとつにも色んな質のものがあって、
「やりたくてやってる仕事」であれば、
時間なんて関係なくなるという面は確かにある。
僕は間違いなくそのクチだ。
だからエライなんて言うつもりは毛頭ないよ、あくまでタイプの問題ね。
反面、やりたくない仕事は徹底して忌避してきたし、
常にお金などの就労条件よりも、その仕事が面白いかどうかだけで選んできた。
(だからあんなブラックなとこで10年以上もやれたんだね・笑)

でも、当たり前のことながら世の中やりたいことやってる人ばかりじゃないし、
ましてや仕事ともなれば、あくまで口に糊するためのものと割り切って、
面倒で退屈で乗り気のしない仕事をやりながら、
終業時間を待ちわびている人だって多く居るだろう。
そこまで極端でなくとも、自分の意志に関係ない「やらされ仕事」なら、
できるだけさっさと終わらせてしまいたい。
これは非難されるようなものじゃなく、ごく自然な情動だと思う。

働く人だって色々だ。
「仕事=趣味・生きがい」に近い人なら、
何時間残業しようと休みがなかろうと苦痛に思うことはないのかもしれないけど、
「仕事=ガマン・時間の切り売り」な感覚の人ならば、
やはり決まった時間に帰りたいよね。

で、当然のことながら、
どちらかがどちらかにその感覚を押しつけると、
押しつけられた方はたまらないストレスになるわけだ。

そして悲劇的なことには、一般に会社の上層部・経営側になればなるほど、
この「仕事=趣味」型発想の人が多くなり、
下の人間は「切り売り」型が多くなると思われるから、
自然と上から下への押しつけ圧力は強くなる。
また、上に行けば行くほど、
面倒で細かいことは「人にやらせる」ことができるようになるから、
現場の苦労もかえりみず、都合良く仕事を語るようになる、
というのもあるかも。
あるいは、昔の自分が経験した理不尽な苦労を前提に、
「今の若い者も同じ経験をすべきだ」なんて考えちゃったり。

すると、話が噛み合うわけない。

ここに加えて、管理の問題。
そもそも「管理職」が適切に機能しているかというと、
煽ったりダメ出ししたりするだけで、まったくできていないケースがほとんど。
部署や部下の仕事量を管理・調節することが最も大切な仕事だと思うんだけど、
全部抱え込むか、全部丸投げするかの極端なタイプが多いような。

僕の前居たところは、何かというと、
「段取りやタスク管理は大切」とか説教ぶつくせに、
年がら年中「いまは忙しい時期だけれどこれは重要だから」とか言って、
社長や役員の安易な思いつきで、
どうでもイイ仕事を次から次から増やすのが好きだった。
きまって、代わりにこの業務を減らしますというのはなかった。
それで長時間労働・休日返上をせざるを得ない状況を作っておきながら、
それで身体を壊した社員が出ると、
「以前から彼には注意していた、自己管理ができていない」
なーんて、腐したりしてたもんね。
同じようなところ、きっと少なくないんじゃないかな。

この受動型・能動型(または経営型・雇われ型)の、
2タイプの人材・仕事があるという前提に立って、
時間・人員・仕事量を適切に配分して、
法の範囲に収まるように上手に調整するのがマネジメントだよね。

正しいマネジメントって面倒くさいものだけど、
それをきちんとこなしている管理職がいれば、
もうちょっとこういう問題も(解決はできないまでも)
落ち着かせることはできるんじゃないかと。

まあ、経営者も労働者も、
お互い相手の立場や状況をわかり合う努力をしましょうよ、
というありきたりな結論になってしまうのが、何とももどかしいのだけども。

そんたくのすすめ

2016-12-14 13:44:59 | せんせいとよばれて
当たり前のことながら、
「どんな子供に育つのが良いか」にも
「どんな親になるのが良いか」にも、正解はない。
ただ、安易に比較して優劣を競うのだけは間違いで、
そればかりを親が神経質に
(でも一方では不思議なくらい無神経に)
追い求めるところから大概の歪みは生まれる。
「イイ子」なんてのは単に、
「誰かにとって都合の」が抜けている、極めて身勝手な尺度だからだ。

子供だって馬鹿じゃないから、あるとき、
「ああこう演じれば大人は満足するんだな」ということを覚える。
それが小さい内はかわいくもありいじらしくもあり、
親にとっては大満足だからご褒美だって奮発しちゃうだろう。

でもそれが長じると、

・ご褒美がないと動かない人間
・親の顔色ばかり窺う人間
・親の前とそれ以外の二面性のある人間

になっていく可能性だってある。

特に、共働きなどで、子供ときちんと向き合える時間が少ないと、
断片的な情報で子供を一方的に評価してしまったり、
構ってやれない時間をお金やゲームで代替してしまったりということにもなる。
すると、「親の前で演じればいい」傾向は強くなる。
いきおい、他の大人、監督者に対してもそうなるかもしれない。

例の、避難者へのイジメ問題って、
実はそんな構造もひとつの背景としてあるのかもしれないと感じる。
学校や教育委員会は何をしていたんだと言うけれど、
おそらく彼らには何の問題もない生徒だと映っていたのでは。
先生といっても所詮は公務員だし、
狭い範囲で自分の管理の都合に反しないかどうかだけを
きわめて表面的に監視しているだけに過ぎない。
子供達のメンタリティまで入り込んでいける人材は希有だろう。
要は親は学校のせいに、学校は親のせいにしたいだけなのだ。

正解はない、のだけれど、
僕はひとつのコツとして「何でも擬人化を習慣にする」ことを勧めたい。

「まだ使えるのに捨てちゃったらかわいそう」
「あんなところに独りぼっちで置き去りにされたら寂しいだろうね」

みたいなやつね。
しかも言うだけじゃなくて、
親も一緒にちゃんとその世界に入り込んであげるのだ。
じゃないと嘘くさくなるから。

すると、物を大切に扱うところから始まって、
ひいては周りの人間の心情についても思いをいたすようになる。
自分のエゴをいったん措いて、人の気持ちを想像し、心を感じ取れるようになれば
少なくとも人を騙したり傷つけたりして平気、という人間にはならない。
それだけでもオーライだと思う。
高学歴でも、有名企業でも、有名人やお金持ちでも、
心が貧しかったらどこかで破綻する。

いまに限らないことだろうけど、実に身勝手な世の中だと思う。
その中で負けずに身勝手にふるまうタフさを身につける教育もあるかもしれないが、
それじゃあいつまで経っても世の中良くならない。
世の中変えるなんて理想に過ぎるかもしれないけれど、
それくらいの気持ちで子供に向き合っていないと、教育なんて成り立たない。

一握のDNAの絆

2016-12-09 23:12:02 | 超・いぶたろう日記
先日、母が脚をケガしてしまい、
しばらく松葉杖生活(要支援0.0125くらい)を余儀なくされた。
その世話で、ここんとこクルマで職場や病院に付き合っているのだが、
ある日、僕ら親子はちょっとした試練に出くわす。

誘導に従い降りていった地下3階の駐車場。
なんとそこからエレベーターがないのだ。
あるのは階段のみ。
やむなく母をおぶって昇ることにした。

ちょっとハートウォーミングなひとコマを演出しつつ、
これまで長年に渡り積み重ねた親不孝を、
この短期間に一気にチャラにしてやろうと目論む41歳どら息子。

その計算高く姑息な心境を、
マジでダイエットしないとヤバイ水準に至った我が体重を省みつつ、
一首ひねったので披露するの巻。


たはむれに 母を背負ひて そのあまり
重きに思ふ これは遺伝だ

中学30年生たちの集い

2016-12-09 01:24:09 | 超・いぶたろう日記
毎度、こんな感想なんだけど、
何かに比べようもなく、説明のしようもなく、ただただ楽しかった。
中高同期というのはやはり特別だね。

みんな尊敬できる友人たちなんだけど、みんなアホだから最高。
どんな「非常識」も「異端」も呑み込んでしまえる鷹揚さと、
どんな話題でも発展する得体の知れない奥深さと、
知ったかぶったりカッコつけたりするとバカにされる遠慮のなさと。

冗談か本当かわからない波打ち際を、
ものすごいスピードで駆け抜けながら、
四方八方に展開される話題にあっちこっちからカウンターの応酬。
刺激的でスリリングだけど、底抜けにおかしくて、なんだこの安心感。

ヘンなの。

整理魔Ⅱ

2016-12-08 23:01:38 | 超・いぶたろう日記
仕事が忙しくなって追い込まれてくると、
なぜか関係ない掃除や整理整頓がしたくなる。

この、やらなきゃいけないことがある時に限って、
別のことを一生懸命やりたくなる性って、何なんでしょうね。
昔っから試験前になると、机から始まって部屋の掃除をやりだし、
徹夜でCDや本を完璧に分類したりとかしてたよなあ。

そして今日も尻に火がついているのに、
職場の3部屋の書棚すべてを完璧に整理整頓して、
肝心の〆切業務でますます追い込まれるという本末転倒ぶり。

現実逃避の悪癖ももちろんあるだろう。
でも僕はどうも「積み上がった混沌」を「秩序化」する作業が好きみたいだ。
バンド時代に深夜のコンビニバイト(ワンオペ)で培ったスキルなのか、
あたかも納品の山をさばき、効率よく陳列棚や在庫ケースに納めていくごとく、
バラバラに取り散らかったものを整理整頓するのが快感なのだ。

…というこの習性を利用して、
11月はかなり頑張ってリビングの大掃除&模様替えをしたら、
めっちゃ居心地よくなって家から出たくない位なのだが、
そうなったらなったで忙しくてなかなか家に居られないという。

いとあはれな。

あれから3年

2016-12-05 11:47:25 | 超・いぶたろう日記
3年前まで、僕は疲れていた。
いや、すり切れていたと言った方が正しいかも。
画像の通り、靴がこんなになるほど、疲弊していたのだ。
この、いらちで、そそっかしくて、せっかちで、
うっかりで、ちゃっかりで、ぽっちゃりな僕が、
左右で異なるデザインの靴を無意識にはきこなし、
あまつさえそれに気づいたのは、
1日の激務を終え家路に就く電車内というていたらくだ。

病んでいる。ああもうそれは病んでいる。
心がボロボロに病んでいる。
仕事したくない、会社に行きたくない、一刻も早く家に帰りたい。
病名はもちろん、「くつ病」だ。
みんなが僕を笑っているのではないか、
僕は居ても立っても居られなくなり、
3年前の今日、当時在籍していた会社に辞職を申し出た。

するとどうでしょう。
会議と言う名の拷問と、
社内政治という縛鎖と、
無給長時間残業の牢獄から、
どこまでも続く蒼い空の下、
地平線の彼方までひろがる緑の大地に解き放たれた僕は、
それまであんなに酷かった頭痛肩こり胃の痛みがピタリと止まって、
血行がよくなり、食事が美味しくなり、中性脂肪はやや増え、
そしてついに両足の靴が揃うようになったのだ。

この3年で、笑顔を取り戻し、睡眠を取り戻し、休みを取り戻し、
余暇を取り戻し、家族や友達との時間を取り戻し、
収入を取り戻し、余裕を取り戻し、誇りを取り戻し、
仲間を取り戻し、意欲を取り戻し、充実感を取り戻し、
どれだけのものを手に入れたかわからない。

…歯は、一本なくなったけどね。