いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

マジモジコミュニケーション

2016-03-14 23:29:42 | 超・いぶたろう日記
文字でのコミュニケーションは難しい。
ちゃんと行間を読んでくれる人もいれば、
字面だけあげつらってケチつけたがる人もいて、
言葉が足りなくてもいけないし、書きすぎても重くなるし、
礼儀は失したくないけれど、あまり慇懃に過ぎるのも距離を感じるし、
この微妙なバランス感は実社会でのそれとまた違うスキルが要るようにも感じる。

過去に痛い経験もしたし、相手が誰であれ、
僕はなるべく慎重な物言いを心がけている(特にSNS上では…)。
いいトシした大人が文字だけでやり合うのはいかにもカッコ悪いし、
どれほど正しいことを言ってても場の空気を悪くしたり、
どれほど勇ましいことを言ってても他の人に気を遣わせたりしてちゃあ、
ちょっと片手落ちにも思う。

この点で僕は「傲慢な知性」よりも、「余裕ある理性」の立場をとりたい。
尊敬できるのはやはり後者だなと思う。
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♪センパイ〜なんてらら〜ら〜らららら〜ら〜♪

2016-03-13 23:50:20 | 超・いぶたろう日記
僕も昔、その気があったから半ば自省的な話なんだけども、
「おれは相手が誰だろうと、言うべきことは言うぜ(キリッ」
的なアレって、客観的に見るとなかなか恥ずかしいもんですね。
特に、センパイが後輩の前で得意げに吠えてたりすると余計に。

まずは、ほとんどの場合において、
好き放題に言ってる本人が気持ちいいだけで、
周りは迷惑することが多いという認識に欠けていること。
実はそれって勇気でも何でもなくて、
「後先考えずに言いたいことを言うだけ」なんだから、
バカでもできる。ていうかバカほどそれをやる。
僕はバカだったなあと思うし。
これを言ったら相手は立場がないかもな、
誰かがフォローしなきゃいけなくなるな、
雰囲気悪くなるかもな、
ていう配慮ができる人の方がずっとかっこいいし賢いし尊敬できる。

次に、そんなこと言いつつも、実はケースバイケースで、
人間誰でもこの人には言えない、ていう相手が居るはず。
強い弱いなんていう単純な要素だけでなく、
個人的に世話になった人とか、強く敬意を抱く人とか、
それこそ色んな事情で人は関係を結ぶんだから、相応の配慮というのは不可欠。
それを完全に欠いている人なんてちょっとおかしいし、
それを忘れて格好つけてるんだとしたらケンカ自慢の子供と同じ。

最後に、「言うべきことは言う」のはいいけれど、
「そんなおれ」をわざわざ口に出してアピールするあたりは、かなり恥ずかしい。
そんなこと「おれは〜」なんて宣言しなくても、普段の言動で示せばいいこと。
僕は、自分よりも若い人の前で得意げに吠える様な、
そういう格好悪いおっさんにならないように注意しなきゃな、と思ったんだよね。

そういえば、母校で培ったものって何だっけな。
不屈の反骨精神か、鋭い批判精神か、多様性への免疫か、
常識に縛られぬ奔放さか、溢れる自意識か、しつこい屁理屈か。
どれもあるような気もするけど、どれでもないような気もする。
ほとんどは先天的な要素でもあるような気さえする(笑)。

でも、他では得られない多くのものを得たのは間違いないし、
それらを一言で片付けちゃうとモッタイナイ感じだ。
いずれにしても、これに決まってる、これ以外はダメ、
なんて決めつけない余裕だったような気がするんだけど。

後輩を問い詰めたり、やり込めたりしてイイ気になってられるのは、ぜいぜい20代前半まで。
オトナになったら問われるのは後輩の礼儀云々よりも、先輩の側の在り様だよね。
少なくとも僕は、卒業後20年以上も経って後輩に気を遣わせたり、
ガッカリさせたり、ウンザリさせたりするような先輩には、なりたくないねえ。
…ほんっとに、なりたく、ないねえ(笑)。
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推薦落ちた!…くらいで中学生死ぬな!

2016-03-11 01:51:03 | せんせいとよばれて
見落としとか、勘違いとか、
そういう事務的なミスって、
どんなに気をつけてもある時はあるんだよね。
ありえないようなミスでも、やる人はやるんだよ。
あってはならなくっても、あるんだよ。

それを第三者が起きちゃってから批判するのは簡単なんだけども、
年中誤報だらけのマスコミがえらそーに言うのは違和感あるなあ。
そりゃまあ、生徒の未来を左右する書類について、
あまりにもお粗末だったと思うけども、
ただ、そこだけじゃないと思うんだよなー。

不法行為の誤記載を見て、
あいつがまさか、おかしい、と思える先生はいなかったのか?

仮に(今回の事件とは別に)不法行為があったとして、
それを汚点とする前に、
どうして指導とか更生の方向に考えられないのか?

何より、推薦基準にどうのこうのという役人根性の前に、
どうしていち教師としての仕事ができないのか?

過去に失敗したけれど、こいつはこんなに立派に取り返しました、
だからいまでは胸張って推薦できます、という教師はいないのか??

そもそも、これだけのことで15歳が自殺までするなんて、
あまりにも軽々しく命が失われる状況は誰がつくっているのか?

どうしてこういう当たり前の視点でマスコミは語れないのか?
犯人探しとヒステリックな煽りしかできないのか?

誇りも愛情もない仕事ぶりに「?」がいっぱいですわ。
だからさ、そんなしょうもない大人のしょうもないことなんかで、死ぬなよ。
生きて、闘おうよ。
一緒に闘ってくれる人は居なかったのか?
だとしたら周りも悪いよな。

内申基準がどうの、監督責任がどうの、じゃないんだよね。
誰も生徒の方を見ている先生がいないってことが最大の悲劇なんだ。
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5年後

2016-03-11 00:04:00 | 超・いぶたろう日記
5年前は新浦安も被災地だった。
人命こそ失われずに済んだが、
液状化により道路・水道などインフラや建物がやられ、
そこに計画停電まで加わって、いろいろ苦労を強いられた。
当たり前だった何もかもが当たり前でなくなると、
こんなにもたいへんなのかと身を以て思い知らされた。

ただ、僕の場合は被災したのは職場だけで、
本当に幸運なことに自宅も無事なら家族や友人も無事。
それでも見慣れた街並みを破壊されたのはとてもショックで、
夕暮れ時などにはものすごく心細い思いだった。
これが住む家をなくし、家族を亡くし、ということになっていたら、
とてもじゃないが堪えられるものじゃなかったろう。

何年経ってもこの日のことを思うと神妙な気持ちになる。
この日から5年後の今日のことは何ひとつ予想しえなかった。
でもこの日のほんの1秒前にだって、
こんなことが起きるなんて考えもしなかった。
いまを大事に生きよう、という言葉が重なる。
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そりゃ、日本死ねくらい言いたくもなるよ、アンタ。

2016-03-10 09:26:12 | この国の憂鬱
休日。
たまたま早く目が覚めて、
たまたまつけていたテレビに、
平沢勝栄議員が登場。
なんでも例の保育園落ちたブログの件で、
国会で野次を飛ばした議員の一人として弁明するという。
逆風の中でよく出て来たな、俠気あるのかな、
なんて期待したのだが…あっという間に失望に変わる。

「出典不明の文書は国会で扱えない」
「事前に各党参加の理事会で不許可を決めた」
「にもかかわらず、山尾議員は安倍政権の言論封殺だとした」
「事実に反する公党への誹謗は許し難い」

のが、ヤジの理由だそうだ。
加えて、

「日本死ねだなどと、この表現は国会で採り上げるにふさわしくない、これはいじめなどで使われる言葉だ、子供にも悪影響を及ぼす」
「だいたいこの言葉遣いはひどい、本当に女性が書いた文章なのか?」

ときた。

ツッコミどころが多すぎて、もう書く気もしない。
おそらくこれを見た人はみんな同じ感想を抱くだろうし、
あと数時間のウチにネットのあちこちで炎上するだろう。

しかし…そこじゃねえだろ……。

「公開処刑」にならないように、
番組側も相応の配慮はあったと思うが、
平沢の見識、態度は酷すぎた。
質問に正面から答えず、相手の発言を遮り、
声を荒げ、自分勝手な言い分に終始する。
都合よく形式論にこだわり、
問題の本質を考えようとしない。

この思考停止ぶり。
典型的なクソジジイじゃないか。

相手方の指摘や批判には一言で済ましちゃう。
「ヤジはごめんなさい、でもね…」
「重大な問題だと考えてます、真剣に対応します、でもね…」

ま、どこにでもいるっちゃあいるけどね。
これが国会議員というとこが笑えない。
この程度の人物が安穏と巣食ってられるんだから、
国会なんてお気楽だよなあ。

そして図らずも垣間見えてしまった本音。
やはり到底ことの深刻さを理解しているとは思えない。
こいつらに保育所問題の解決なんかムリだろなあ。

とはいえ、まだこうして出て来ただけマシ。
匿名性を批判しながら、
匿名で野次を飛ばしてた卑怯なお調子者はたくさんいた。
なんなんだろね、この緊張感のなさ。
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マイナス金利

2016-03-09 23:44:52 | 超・いぶたろう日記
抽象的な理屈の上ではわからんこともない
「マイナス金利」なんですが、
具体的な説明を好む小・中学生には、
「なに、勉強サボればサボるほど成績伸びる的な?」
という解釈も成り立ってしまうので
やっぱよろしくないんじゃないかと思うに至った
いち社会科先生が今朝も餃子でおいしくごはん食べてます。

食べれば食べるほど痩せればいいのに。
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偏差値がどうした

2016-03-05 23:31:58 | せんせいとよばれて
四谷学院が偏差値29から北海道大学医学部に受かった生徒で大々的にCMを流すも、東大寺学園(偏差値72)とバレて終了 (netgeek)

僕も中高在学中はサボりにサボってたんで、
偏差値にしたら29くらいだったかもしれない。
僕の場合は模試すらロクに受けてないので、
その頃の偏差値など知る由もないのだけれど。

そんで僕もそこから這い上がって、
例えば国公立とか医学部とか入ってれば、
伝説的にかっこいいんだけれど、
大して勉強しないまま、どうにか早稲田に滑り込んでお茶を濁し、
そこから10年以上も貧乏ミュージシャン稼業やって、
何の因果か受験業界でメシ食うに至っている。
一般的に見ればそこそこ「高学歴」に分類されるのかも知れないけれど、
僕の場合は「低成績」とセットなので決して威張れたもんじゃない。

思えば大学合格だって、当時の僕にしてみれば奇跡的な展開だった。
浪人してからも僕はほとんど遊び呆けていて、
勉強らしい勉強もしないまま運良く合格してしまったのだ。
自分は勉強しなかったと言いたがる謙遜さんはよく居るが、
僕は本っ当にしなかったのだ。
合格した時なんて、ずっと僕をバカにしていたとある真面目な浪人生に
「…なんでお前が受かるんだよ!!」とキレられたことさえある。
合格して友人にキレられたのなんて僕ぐらいだろう。

この記事に言わせると、僕の例もまた、
「元々偏差値の高いエリートの」
「受かって当たり前の」
「インチキ」
ということになるのだろうか。

でも僕は本当に高3時点で中学生レベルのこともできてなかった
(僕は高3時点で現在完了のhaveを認識していなかった。
どうして外国人は何でも持ちたがるんだろうと思ってさえいた)
から、
そんなんじゃうまく説明がつかない感じがする。

ただ、やはり厳しい中学入試の洗礼を浴びている分、
要領のいい入試のくぐり抜け方のカンみたいなものは、
経験知的にあったかも知れない。
てか、あれほどやって何も培われてなかったら哀しすぎる。

そのおかげもあり、
しかも科目を絞れる私大文系だからなんとかなったようなもんだが、
やっぱり勉強は嫌いだったし、
なんで受かったのかは今でもよくわかんない。

僕がいま仕事で教えてる英数の知識だって、
ほとんど13年前、この仕事に就いてから仕入れたようなもんだ。
でも中高浪人当時の僕を知らず、
また出身学校名しか見ないような人にはあんまり信じてもらえない。

だからこのCMの人のケースも、
何となく自分の経験(僕は国公立など考えすらしなかったが)から類推できる気がするのだ。
広告の「偏差値29」を信じるなら、
たぶんサボったツケで低迷してたんだろうけど、
取り返すのに要した期間が、
「普通の人」の感覚からすると劇的に短かったというだけじゃなかろうか。

「高い偏差値の中高に通っていたから当たり前、だって地頭が違うもの」
みたいのはちょっと短絡に過ぎる感じはするけど、
普通に公立中高で偏差値29というのとは、
やっぱりちょっと違うだろうな。

一度これだけの学校に入れるくらい勉強した人間と、
何らの努力も成功体験もなく29に甘んじてる人間とでは、
精神構造が決定的に違うというか、
「何とかなるんじゃね?」を信じ込めるレベル、
もしくは「どうせムリだ」に丸め込まれない反発力が圧倒的に違うんじゃないかと思う。

あるいは、机上の勉強はサボリ倒してても、
好きな本は半端なく読んでるとか、
趣味には異常なくらい没頭してるとか、
なんかそういう異能を持ってたりとか。
思えば同窓生にはその手のが多かった。

だから再び受験勉強の枠組みにうまくハマれば、
これくらいの逆転劇は普通に考えられるんじゃないかな〜と思う。
問題はこれを偏差値という一点のみで捉え、
セールストークにしちゃうイヤラシイ根性であってね。
四谷学院のCMも「だから何?」って感じで見てたし、
ビリギャルのあの先生も大した方法論は何もないのに、
なんか偽善者ぽくてちょっとキライなタイプだな〜と批判的に見てた。

なんて、商売下手な私はついdisってしまうのであった。
しっかしみんな、「偏差値」好きだねえ…………。
Comments (2)
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サイオウさんはウマだったのさ

2016-03-03 23:23:04 | 超・いぶたろう日記
「バスに乗り遅れるな」って感じで、
得意げにお金儲けの話をする人っていつでもいるけど、
てこた、バスは何便も出てるってことでもあるよね。
たまに慌ててさっきのバスに乗った人が事故に遭ったよなんて話も聞くし、
何が幸いするか災いするかは本当にわからん。
人間万事塞翁が馬、禍福はあざなえる縄のごとし。

僕だって、
1:小学校で鼻つまみ者
2:中学受験で確変
3:浪人して駿台で友達いっぱいできる
4:どうにか早稲田にすべりこむ
5:バンドとバイトに明け暮れ留年
6:バンドでテレビ出た、ラジオもやった
7:でもバイトしないと喰っていけない
8:そこでつぶしの利くスキルいろいろ身につけ
9:コンビニに飽きて始めた塾講師で大当たり
10:30歳を機にバンドも辞めて
11:生活も安定して結婚
12:会社でニラまれて追い出され
13:まさかの39歳無資格・無計画フリー
14:仲間に支えられ自分の教室旗揚げ
15:とりあえず楽しく仕事して食えてる万歳

とまあ、まったく先の読めない人生展開だったわけで。
勉強も就活も貯金もロクにしたことないけど、
たぶんそれに代わる何かに恵まれたおかげだろう。
こんな人生だってアリだ。

お金儲けを第一優先に生きたことがないので、
ギャンブルもキライだし、
株とか土地とか為替とか金融とか、
そういうものの面白さがまったくわかんない。

そういうのが好きな人を否定はしないけど、
何もちょっとばかり詳しいからって、情報通ぶって、
詳しくない人のことを上から目線で小馬鹿にしなくたっていいのにな、
と思う場面はたまに見かける。

金融や経済の危機をヒステリックに叫ぶ人もいるけど、
どうも大地震とか富士山噴火予言に近いものを感じてしまう。
そりゃあ来るときは来るだろうけど、予知なんかできないだろー。
どうしてそう「自分以外みんなバカ教」に陥ってしまうのか。

知識を蓄えれば蓄えるほど、
尊大になっていく人と謙虚になっていく人の2通りがいるんだね。
僕は資産形成とかそういうのに色気を出すことはないだろな。
お金儲けにうまく立ち回る自信もないし。
でも喰えなくなるのはイヤだから、
老後に備えて貯金くらいは始めようかな。
あんまりロックじゃないけど(笑)
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『ブラック日記』を閉じる

2016-03-02 11:14:57 | 超・いぶたろう日記
僕はかつて「ブラックな会社」に居た。

僕が「ブラックな会社」だと思う基準は、
「社員の職業的良心や責任感にこじつけて、違法な労働条件・環境を正当化する」
というもの。

まあとにかく吝嗇で、人を大事にしない会社だった。
それでいて妙に自信たっぷりに、
身勝手な理屈を押しつけてくる人々が運営する会社だった。

僕は在職中ほとんど毎日当たり前に12〜14時間働いていたが、
残業手当は当然の様にゼロだった。
タイムカードがないんだから、記録のしようもないのだ。
休日出勤なんて当たり前。手当がないのも当たり前。
僕はほとんどの期間、気ままな独身暮らしだったからいいけど、
家族、特に小さな子供が居る社員にはキツかったろうと思う。
将来結婚を考えている若い社員はみんな頭を抱えていたっけ。
そのうえ社保もなく、福利厚生もなく、有休などもってのほかというんだからね。

このままじゃ、優秀な人材から順に辞めてしまう。
危機感を覚えた僕は彼らを代弁して、
経営会議で役員たちに待遇改善を訴えた。
が、「おまえは労組か?」の一言で片付けられ、
次の会議からは何かと些細な手落ちをあげつらわれるようになった。
社長自ら方々で「恩知らず」な僕の悪口を吹聴し、
太鼓持ち連中はここぞとばかりにあることないこと御注進。
僕はどんどん会社の中枢から遠ざけられていった。

ただそれまで僕はとにかく一生懸命仕事をしていた。
20代から打ち込んでいたバンドを辞めて、自分の新しい可能性を信じて、
また自分を認め、期待してくれる人々との出会いが嬉しくて、
それはもう一生懸命に仕事をしていた。
30代はほとんどこの職場に打ち込んでいたと言ってもいい。

古い体質の会社だったが、新たなアイデアをどんどん形にしていって、
5〜6年のウチに僕の担当部署で売上を倍にした。
競合大手を向こうに実績を伸ばし、地域でも多少知られるようになった。
人材も多く育成したし、
一時期のあの会社を支えていた柱石のひとつではあった、その自負はある。

僻まれたり、疎まれたり、陰口叩かれたり、色々あったけど、
それでも僕はこの会社を良くしようと、
仲間達と一緒に自分なりの理想を燃やしていた。

だから、気づかなかったんだろう。

好きなことを仕事にしたら苦労は苦労ではない、
そんな美学を持っていただけに、余計鈍くもなっていただろう。
親が丈夫な体に産んでくれたおかげで、
幸いにも身体に故障はなかったが、
まちがいなく心は少し病んでいたように思う。
いま、伸び伸び仕事できるようになって、本当にそう実感する。

「ブラック日記」は在職中から、
理不尽に思ったことを書き留めている日記だった。
最初はネタのつもりで、十何時間勤務だとか、
睡眠とれないとか、十何連勤だとか、
そんなことを書き並べているだけだった。
でも、あるときから本当に理不尽な厭がらせを受けるようになって、
その鬱屈を晴らすかのような内容に変わっていき、
そのタイミングで「ブラック日記」というカテゴリにまとめた。

会社組織に都合よく使われ、でも自覚のなかった自分。
社長も役員も良いときにはあれほどチヤホヤしていたのに、
いったん意に沿わないとなると掌を返し、ここまでやるのかという仕打ち。
いま読み返しても口の中が酸っぱくなるが、
でも自分史にあって貴重な記録だと思う。

退職したのはちょうど2年前。
僕の居た同じ部署の仲間以外からは、
誰からも、お疲れさんの一言もなかったっけ。
本当に、最後の半年間なんか空気みたいに扱われて、
退職の日も本社ではキレイにスルーされてたね。
現場で企画したお別れ会もわざわざ中止命令が下って、
「石もて追われる」という表現がピッタリの退職だった。

でも、一方ですごく素適な思い出に彩られてもいる。
最終勤務の日は記録的な大雪だったんだけど、
生徒たちがみんな「最後だもんね!」と出席してくれて、
授業後にはよせ書きとプレゼントをくれた。
教室を出て事務室に降りると、そこには卒業生が続々。
大雪で帰れなくなった職員の間からは朝までやろうなんて声が上がり、
近所にお住まいのお母さんは鍋を差し入れてくれて、
元教え子の学生スタッフも加わって、朝まで大盛り上がり。
まるで映画とかドラマのような最終日だった。
その後もほぼ1ヶ月の間、色んな教え子たちの集いに呼んでもらい、
僕の11年間はこんなに素適な縁をつくってくれたんだと、
涙が出るほど幸せな時間を過ごさせてもらった。
会社は酷かったけど、現場は最高だった。

「経験は感性の牢獄」。
まさにそんな言葉が似合う牢獄を出てみて、
わかったことはたくさんある。
社会良識を気取っていたあの傲慢な人々は、
極めて小さな世界で、時代錯誤な思い込みを振りかざす、
井の中の蛙に過ぎないこと。
法律に基づく正当な労働者の権利の要求は、
決して遠慮するようなものではないこと。
僕の仕事には会社の評価以上の価値があったこと。
それを多くの顧客や元同僚が認めてくれ、独立を助けてくれたこと。
そして何より、僕がおかしいのではなかったということ。

退職した、ただそれだけのことで、
世界はこんなにも明るく、広く、自分もまだまだ可能性に充ちている、
そんな風に思い直すことができた。
自分史的に大いなる解放の日と位置づけてもいい。

その後、劇的な展開があり、奇蹟としか言いようのない経過で、
僕は自分の教室を旗揚げする。
それからもうすぐ2年経つ。
僕は忙しいながらもとても幸せな日々を送っている。

政治がなく、ウソがなく、嫉妬がなく、猜疑心がなく、裏切りがなく、ストレスがない。
理想があり、誠意があり、理解があり、信頼があり、チームワークがある。
支払うべきものは支払い、休むべきは休み、評価すべきものは評価する。
そんな職場を創れていることを誇りに思う。

離れたからこそわかる色んな思いを、退職後もここに綴ってきたけれど、
それはきっと恨みとか意趣返しとか、そんな単純なものじゃなくて、
やはり自分なりに懸命に守り続けたあの場への思い入れがあったればこそだと思う。
会社は残念なところだったけれど、現場はいつも燃えていたし、楽しかった。
だけに、あれほど無残に壊されてしまったのが許せなかったんだと思う。

だけどもう、あそこについて書くこともないかな。
理想の職場を具現化したいまとなっては、
ブラックな職場について書こうにも、もはや何もこみ上げてこない。
僕が守り続けた思い出の職場も、いまやあまりにも変わり果ててしまった。
せめて強力なライバルでいて欲しかったが。

ま、もう何も言うことはないし、思うこともないし、本当にさようなら、だな。
ブラック日記はもう綴る必要もなくなった。
それって、最高の結末じゃないか。
あとはこの職場環境を守るために、正々堂々、
自分たちの理想を掲げて、できることから着実に積み重ねていこう。

最後に、退職から独立に到った僕の気持ちを端的に代弁してくれる、Steve Jobs氏の言葉を引いておこう。

" It's better to be a pirate than join the navy " 

ただ組織への服従だけを強いる様なところで仕事なんかしたくないね。
僕らは上ではなく天を見る。
そして誠意と愛情のこもった、誇りの持てる仕事をするんだ。
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しんねんど

2016-03-01 23:21:25 | せんせいとよばれて
今日は僕の教室でも新年度の準備日。
授業はお休みして、登録を確認して名簿を更新したり、
教材を数えて並べて準備したり、掲示物を一新したり、
諸々の業務に大忙し。

いつもと同じ出勤・退勤時刻なんですが、
授業がないとすごく長く感じるもんですね。
そして仕事は色々はかどったんだけど、授業や質問や補習がないと、
やっぱりなんかいまひとつ物足りないなあ、と。

やはり僕らは授業やってなんぼ、生徒の面倒みてなんぼ。
先生稼業は骨の髄まで沁みついているようです。

明日の開講が楽しみだ。
今年度もまた楽しい授業やっちゃうもんね。
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