いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

じっと見る

2006-09-29 02:42:57 | my lyrics
秋冷という言葉がぴたりと似合うような、
肌寒い午前零時過ぎのホーム。
終電を待つ人影もまばら。
味気のない機械音を立てて開く自動ドア。
腰を下ろす待合室のベンチ。

くたびれたOL。
小刻みに頭を振るドレッドの男。
俺。
紫メインのおばちゃん。

お互いにお互いを全く知らない。
同じ時間、同じ空間に、
この4人がまた偶然揃うことは、決してないだろう。
そう考えると平凡な日常の一部もまた、
天文学的確率の織りなすドラマなのだ。
ドラマの脚本の善し悪しは、おいといても。

人間にとっては、毎年同じく巡る季節のうつろい。
生き物によっては、残り少ないこの世の景色。
通り過ぎていく多くの「普通の日」うちのひとつ。
その中でよろよろと、とぼとぼと、
最後の生の残り火にまどろみながら、
歩む小さな命。

普段お目にかかる機会にあっては、
こんなに落ち着いた気分で、じっくりと見ることはない。
ただただ嫌悪と畏怖とか胸を満たし、
一刻も早く視界から消えてくれることを願う存在。
それが、今、弱々しい姿をさらし、目の前にいる。
どうしたことだ、この穏やかな気持ちは。

見えないものを見ることも出来るように、
見えるものを見ないでいることもまた、可能だ。
俺はそっと目を伏せる。

しばらくしてふと目をやると。

俺以外の3人。
じっと見る。
じっと見る。
ほんとにじっと見ている。
ただただ、見ている。
わずかな動きも、逃さず追っている。
眼球が同じ運動だ。

OL、じっと見る。
ドレッド、じっと見る。
おばちゃん、じっと見る。
じっと見る。

やがて電車がやってきて、
4人はバラバラに、そして足早に電車に乗った。
お互いに降りる駅もわからない。

ゴキブリよ。

おまえはもう二度と会うことのない4人の、
静かな、しかし熱い熱い視線を浴びて、
もう二度と会うことのない世界へ旅立つのだな。
今度は人間に生まれ変わってこいよ。
どんな人間でも、ゴキブリよりは愛されているだろうから。

でも、それがいいかどうかは、わからないぜ?


こんどこそ

2006-09-26 01:54:49 | 31さいの奇跡
痩せます。

痩せる痩せると言いつつ、
忙しくってついつい後回し、そのうちね、ああ腹減った…で、
気がつけばこのカテゴリ立ち上げてから1年近く。
その間全くの無策で、
この1年は経済的に楽になったため、
あちこちでうまいもんばっか食い漁っていたせいで、
わたし、デブになりました。
もう、認めざるを得ません。
仕事ばかりで、運動らしい運動も全くしてないしね。
ライブもないし、歌も歌ってないし、
でも腹は減るし、すると腹が出るし、
ちょっとしたことで息も上がるし、
もーーーーイヤだ!!!!

この連休中、変わり果てた自分の腹を見て、つくづく思い知りました。
このままじゃ、ダメになる。
もう、今度こそ、やります。
打ち上げもそのためのプレッシャー(笑)。

お約束1:夜中は食べません。
お約束2:毎日欠かさず腹筋背筋を100回やります。
お約束3:腕立てだってやります。きついから20回から…。
お約束4:毎朝小豆の散歩をします。
お約束5:週3回は走ります。
お約束6:アイスクリームを食べません。
お約束7:1日1500キロカロリーに抑えます。

さあ、これだけの条件で、果たしてどの程度痩せるモノなのか?
というわけで、人体実験開始!
毎日、出来たことを書き、定期的に数値も記入します。

さあこれでもう、逃げられない。
覚悟しろ、俺。

てなわけで第1回報告。

9/22時点 体重70.5kg(05.7比+6.5kg) 体脂肪率 18.9%(「標準」高めいっぱい)

9/22 腹筋50 背筋30
9/23 腹筋60 背筋20
9/24 腹筋100 背筋40
9/25 腹筋40 後は帰ってからやります。

さあ、どーなる。

世間様

2006-09-26 01:38:50 | いぶたろう日記クラシック
僕は個人主義者だから、
たまーに、ニュースの中で、
この程度のことで、そこまで叩かれないといけないの?
と思うことがしばしばある。
組織の重要性も十分理解しているつもりではあるけれど、
すべからく個を圧殺する「世間様」というやつが、
どうにもやるせなく感じられてならない時が多い。
何かってーと必要以上にワガママだ、身勝手だ、和を乱す、死ね!
…ときちゃうこんな社会が生み出すものといったら、
前例に外れるものは認めない事なかれ主義と、
ちょっとでも周りと違うと排撃される平凡至上主義が支配する、
こちこちに凝り固まった世の中だ。

要するに、日本は鎖国下の幕政時代とあんまり変わってないんではないか、
と思うのである。
「昭和元禄」何て言葉もあったしなあ。
それでも現実には経済情勢としては二層化が進行しているわけで、
そんな中でも平等幻想にしがみつく弱者同士が、
馴れ合い、もたれ合い、傷をナメ合い、慰め合う。
だからわずかでも自分の信じている、
「平凡だがほどほどに幸福な未来」
という価値観の否定につながる言動
(地味な努力の否定=運と才能と要領の肯定、または社会の常識や慣例に逆らうような個人の尊厳や自由の主張、組織至上主義の否定)をとる者には、
容赦なく鉄槌が下されるのだろう。

恐ろしい世の中です。

例1:日本ハム金村
「あとひとり」で5年連続2ケタ勝利が決まる、
ところが連打を浴びて大ピンチ、
ここでヒルマン監督非常の交代策。
金村怒る。
記者を前に「絶対許さない!」

世間様の反応:
チームが優勝争いしてるのに、身勝手だ!
球界追放でも文句は言えない!
自分一人で野球をやってるのか!

息的には:
そらそうだけどさあ。
これだけ感情爆発しちゃうくらい、本気でやってんだからいーじゃない。
これだけ悔しがって、監督批判しちゃうなんて、人間くさいじゃない。
別にそんなにムキになって叩くほどのことかい?

例2:巨人桑田
昨年、今年と奮わず2軍暮らしの長い桑田。
かつての華々しい球歴を考えればあまりに物寂しい昨今の成績。
引退もささやかれる中、本人はあと27勝と迫った、
投手の大勲章「200勝」にこだわりたい。
しかし巨人ではチャンスがない。
ならいっそ移籍を…と、
「明日が巨人最後の登板」とHP上でいきなり発表。

世間様の反応:
監督やコーチに一言の相談もなく、身勝手だ!
巨人の恩を忘れたか!
順序が違うだろう!

息的には:
別にそんな青筋立てなくても…。
あれだけの成績残した投手なんだし、
好きに言わせてやれよ。
実際、残す気なんかないくせにさ。
金村みたくばりばりのエースでも、
桑田みたく窓際に追いやられてる半ば戦力外の投手でも、
個人的真情を吐露しただけでぶったたかれるのね。
別に誰も損しないのに、ねえ。

例3:静岡県知事(毎日新聞記事より)
 静岡県の石川嘉延知事は25日、公務員の飲酒運転について「酒を飲んだらすべて免職というのは、日本の雇用慣行からすると死刑判決に等しい」と各地で相次ぐ厳罰化の動きに疑問を示した。県議会の一部は批判を強めている。
 知事は定例記者会見で「刑法でも罪状と結果に相応した罰則を科すのが原則だ。オートマチックに免職とするのはいかがなものか」と説明した。

息的には:
日本には言論の自由はないのか???
「飲酒運転の被害者」という絶対弱者の前に思考停止を要求する、
そんなことで真実は見えるのか?
ひとつのルールについて、多角的に判断することは重要だよ。
こうやって右向け右!の世論構成ばっかじゃあ、
いつまた治安維持法が成立するか、わかったもんじゃない。
どうせ議員の言うことなんて、
他人の揚げ足取り&自分のいい人アピールじゃないの?

みんな、もうちょっとアタマつかいましょうよ…。

そうりだいじんの選び方

2006-09-21 01:31:42 | 教えてみよう
多くの子供たちは、
ソウリダイジンがどうやって選ばれているかを、知らない。
まあ、教えたところで、彼らが理解するには複雑すぎることもある。
共和国ではなく「立憲君主制」をとる日本の「国家元首」の定義、
議院内閣制の仕組み、政党政治の仕組み、解散の仕組み、
いずれも非常にまどろっこしく感じられるようだ。
そして彼らの疑問はひとつに集約される。

「なんで選挙で選ばないの?」

だ。
彼らの教えられている民主主義の基本システムとは、
主権者である国民の手による直接選挙であり、
そこからすると最も肝心な一国の元首を直接選べないのが、
どうにも奇妙に映るようなのだ。

そして予想通りこういう質問も来る。

「いまやってる安倍さんとか谷垣さんとか麻生さんってのは、なに?」

やはり、あれを「ソウリダイジン選挙」だと思っている子供は多いようだ。
自民党という一政党の、総裁選だということを説明してもピンと来ない。
じゃあ身の回りにあれに投票したという人がどれくらいいる?と訊くと、
「あ~~~~~~。」
ときた。

しかし、一政党の総裁選に過ぎないものが、
事実上のソウリダイジン選挙になっている、
そのこと自体の「ど~も腑に落ちねーなー」感は彼らにもあるらしい。
やはり、疑問は「なぜ直接選べないのか」という点に尽きる。

さあこれ、どう教える?

ちなみに俺は。
歴史的な経緯、天皇制と議院内閣制の意味合いとを客観的に教えた上で、
「国民はバカだと思われているから」説を採りました。
いわゆる「衆愚」というやつなんだけど、
日本国民というのは自分の欲望とか利害・損得ばかりに敏感で、
本質的な部分に関する問題意識というものが希薄だ(と思われている)。
しかも大多数の国民はメディアを盲信し、イメージだけで物事を決めつけ、
安易にやさしくて面白くて気持ちよくて泣けるものに飛びつく(と思われている)。
個人の責任という意識に乏しく、集団でヒステリーを起こし、
みんな同じじゃないと不安になり、ブームになれば何でも飛びつき、
異端者は排除する(と思われている)。
カリスマとか天才とかが大好きで、とにかくミーハーだ(と思われている)。
刹那主義的で、後先のことまで考えずに、
とりあえず今気持ちよくしてくれるものにすがりつく(と思われている)。
要するに、バカだ(と思われている)。

だから、こんなバカどもに国家の首脳を選ばせるなんてとんでもないことだ。

と、政治家や官僚は腹の底で考えている。
そう考えていない者は居ないだろう。
日本は明治以来、エリート官僚が支配する国だ。
彼らは知識と教養と家柄(血筋)と学歴と財力がないものは、
政治に関わる資格がないと考えている。
とにかく人を見下すことで自分のアイデンティティが満たされる人種なのだ。
「優秀な」彼らが、その主導権を「愚かな」国民に渡すはずがない。
政治なんていう高等なものが国民に扱えっこないのは明らかだ。
我々エリートだけで決めてしまいましょう、
そういうことを回りくどく難しく言うのであるこれがまた。

そもそも、真の民主主義なんか日本では成立しないのだ。
日本は「話し合い至上主義」を「民主主義」と勘違いしているからだ。
「民主主義」とは個人の責任に於いて自由に発言し、行動し、
その結果収束した意見について、
「多数決」で是非を明らかにしていくシステムだ。
日本にはここがなじまないのである。
総論賛成、各論反対でなんだかんだと注文を付け、
妥協に妥協を重ねて例外やら特例をくっつけ、
玉虫色の結論を得て全員が60%happyな状態をつくって良しとする。

議院内閣制はまさにうってつけだ。
1.国民は責任を持って首相を選ばなくてもいい。
2.国民は首相の失政について自分の責任を考えなくていい。
3.国民はとにかく政府のせいにしていればいい。
4.官僚や政治家は自分に都合のいい首相就任を誘導できる。
5.多数党の形さえ作ってしまえば、次の選挙までの間どうにでもできる。

かくして、日本はどんどんどーしよーもない方向へ溺れていくのである。
でもさ、首相公選制にすれば解決するってもんでもないよね。
国民も言い返せないじゃない。
小泉純一郎はまさに、国民が選んだようなもんだしさ。
小泉首相の功罪は他に譲るとして、
就任時のあの熱狂的なバカ騒ぎ、忘れた訳じゃないでしょう?
まあ、平気で忘れられるのも、日本人なんだけど。
あの結果、「改革」の名の下に、
どれほど弱者に容赦なく「痛み」を強要する政策が実施されたか、知ってる?
既に二層化社会へのレールは引かれてしまったんだよ。
おまけに最後にあんな大勝利までプレゼントしちゃって。
郵政選挙だなんて目くらましに思い切り引っかかって、
「最後に、純ちゃんの永年の夢を叶えてあげたい」
だなんて、安易に票を投じたヤツがどれほどいたか。
それを1年後に安倍が引き継ぐって、誰も考えてないでしょう。
次の選挙までの数年が怖くてしょうがねえよ。

どうすればよくなるんでしょうね、日本。

試験前

2006-09-20 01:51:18 | せんせいとよばれて
試験前の教室は、
焦りと不安でいっぱいだ。
救いを求める声が渦を巻く。

「ああっ!こんぶ先生!!」
「どした?」
「社会ヤバイッスよ!助けて下さい!!」
「何がヤバイの?」
「えと……ぜんぶ!」
「全部は無理だよ…なんかこう、課題とかないの?」
「ええと…そうだ!
アメリカのマレーシアのドーバー海峡について教えて下さい!!


…今日も大混乱である。

小豆の散歩に出掛けたら

2006-09-15 23:15:17 | いぶたろう日記クラシック
去年の夏からというもの、
僕の日々は限定的な空間に閉じられてしまった感がある。
それまでは気楽なバイト暮らし、
お金はないけど時間はたっぷりあって、
好きな本を日がな1日読み続けたり、
まとまった休みを作って旅行に出ることもできた。
話にしか聞いたことのない諸々を実際に眼にすることの新鮮な驚きは、
いつまで経ってもどこまでいっても期待を裏切らない。

例えば馬一頭にしたってそうだ。
テレビやマンガで目にする機会はあっても、なかなか実物にお目にかかる機会はない。
それが目の前にど~~んと現れてみると、怯まずにはおれない大きさだ。
そうか、戦国時代の足軽たちは、
こんなんの上から槍とか刀とか振り回す連中に向かっていったのだな、
と思うとその勇気に敬服せずにはおれない。

同じことは姫路城を見た時にも感じた。
世界遺産で、桃山時代の遺構を現代に残す貴重な建築で…
といったことは知識として集積されてはいる。
そしてだいたいのイメージも時代劇などでよく使われているのでおなじみだ。
しかし、実際に石垣の下に立って上をながめてみると、
イメージを遙かに凌駕する壮大さに圧倒される。
頭の中で砂利ほどでしかなかった一つ一つの石の大きさを、
ブルドーザーもクレーンも無い時代にこれらをあの高さまで積み上げた人手の数を、
そして有無を言わせずそれを実行させた権力者の横暴を、
思わずにはおれない。
ましてや、戦争の時にはこの石垣を登るのだ。
もちろん、命綱なんか無い。
また城側が登ってくる敵兵をぼんやり見守ってくれるはずもなく、
上からは煮えたぎった油や熱湯、おまけに巨石(!)までもが容赦なく落とされるのだ。
うーーーーん、恐ろしい。
僕だったら絶対の絶対に無理だ。

僕は例え臆病者とか卑怯者とかののしられても、
自分の命だけは大事にする主義だ。
だってそうでしょう?
どんなキレイゴト言ったって、どんなに立派な死に際だって、
結局死んじゃえば自分にとってのこの世の全ては終わりなんだよ。
あの世なんてあるかもないかもわからないし、
あったとしてもそこで評価されるために今の人生があるなんてぞっとする考え方だ。
中学生の内申点じゃあるまいし。

前世の行動によって定まる輪廻転生のシステムがあるとしても、
少なくとも僕には前世の記憶がない。
ないものをあると仮定して、その仮定の上に自分の命の処遇を決めるなんて、
僕には到底理解できない思考経路だ。
僕は何をどうしたって、力尽きるまで耳目を目一杯開ききって、
ぎりぎりまでこの世のすべてに思いを馳せながら、
及ぶかぎりの理解でもって立ち向かっていたい。
一生かけたって答の出ないものはたくさんある。
それらすべてをあきらめることなく、考え続けて、もがき続けていたいし、
そのために最期の一瞬まで何かを知り、学び、感じ取っていたい。
死んだら、パーなのに?
死んだら、パーだからこそ、だ。
せっかく自分という人間に生まれて、ここまで積み上げてきたのだから、
それがすべて露と消える前に、出来るかぎりの高みを目指したいのだ。

だからくだらない死に方はしたくない。
自殺なんてもってのほかだ。
僕には尊敬する作家や芸術家が数多くいるが、
あくまでその作品においてのみ、にとどめている。
私生活はどうでもいいし、安易に結論を死に置く人が多すぎるからだ。
日本に於いて顕著に思うが、死ねばみーんなカリスマになっちまうのだ。
まるで靖国神社みたいだ。
僕にはそういう価値観がない。
自殺する人間はただのナルシストだ。
死ぬくらいの気合いがあれば何だって出来る。
死よりもつらい生に向き合って、苦しみながら闘い続けている人が好きだ。

…どうも、文章だと冗長になるなあ。
いぶろぐっていっつもそうよね。
居酒屋トークだとちょうどいいテンションだし、自然な展開なんだけどなあ。
今度、ほんとにやろうか、
Rebirthに代わる俺の表現活動としての「打ち上げ」(笑)。
Rebirthとしての活動から、音楽と他のメンバーとチケットとハコと物販と、
あと忘れずにギョーカイを取り除き、
MCと打ち上げだけを残すという、画期的なイベントだ。
Get Naked!より料理も充実している(笑)。
その代わり夢はまったくない。「現実のイベント」だ(笑)。
ここで参加者募ろうか。いやまてよ、ここは慎重に。
需要が読めないうちのWEB上募集は危険だ。
コメント0がきっと死ぬほど辛いぞ。
………参加希望者、メール下さい。

閑話休題。
いや、たいがいいっつもそうか。

で、話は最初に戻る。
要するに、それまで休みを使ったり、
バンドのツアーなんかで色んな所へ行く機会があって、
様々な刺激に絶えずさらされてきた生活だったのが、
職場と家との往復だけになって、いたく退屈だといいたいのである。

ましてバイクだ。
気持ちはいいし時間も効率的だが、街ゆく「変な人」を見かける機会も減った。
僕は「変な人」「変な建物」「変なシステム」に突っ込むのが大好きだ。
宗教の勧誘とか、マルチ商法とか、もう付き合わずにいられない。
言いたいだけ言わせて、向こうに期待させるだけさせて、
後からぶちこわすのが大好きなのだ。
若い頃は真っ正面から怒濤の反撃で論破するのが主だったが、
最近は相手以上に歪んだ、変な、ヤバイんじゃないかと思わせるような、
そういう人物を演出して、相手に退かせちゃうのがたまらない。
円熟味を帯びてきたと言ってもらおう。
おまえの健康と幸せを祈らせろという人間に、
じゃあ交換にお前の不健康と不幸せを祈らせろ、とやり返す。
怪訝な顔で手をかざし、祈りはじめる先方に、
こちらは中指を突き立てて、
「今日死ね…事故に遭え…家燃えろ…」
と低い声でうなってやる。
大概、逃げていく。
そういうのが大好きだ。

しかし、そんな機会もめっきり減った。
刺激が足りない。
殺人事件とか、禁断の恋とか、天変地異とか。
あ、いや、笑えるレベルじゃないとマズイな。
でもこんな風に思い直せちゃうあたり、僕もオトナになっちまったんだろうか。

オトナというのはあたかも人間として当然到達すべき、
社会に認知されるためのひとつの資格・権利かのようでいて、
実はなんてことはない、要するに
「常に明日のこと、周りのことを頭に置いて行動する」
ことを義務づけられ、習性づけられた哀しい存在なのだ。
それに対し、とかく未熟者として蔑まれがちなコドモというのは、
「常に今のこと、自分のことしか考えられない」
社会的な拘束に縛られているようでいて、実はそれを超越した存在なのだ。
飼い犬の自由と気ままさ、といおうか。
オトナは間違いなく野良犬のそれだ。

どちらにしても、未来は暗い。
未来が暗いと思えばこそ、オトナはそれに備えようとするし、
コドモは考えないようにする。
未来が暗いからこそ、やたらに夢や希望を謳う音楽やテレビ・映画などがはびこる。
共同不安を打ち消すためのものだ。
新聞の投書欄に、24時間テレビの感想として
「KAT-TUNの真剣な表情に感動」とか書いてよこす30代の主婦がいる。
おまえはブロイラーか?と問い返したくもなる。

未来が暗いからこそ、占いなんかも廃れない。
今日、僕は占い師に声をかけられた。
タイトルはここにかかるのだ。
とても不思議な感じがするから手相を見せてくれと言う。
またまた、そんなこと言っちゃって、キャッチの常套句だもんな~、
とは思いつつも、実は僕は手相を一度見て欲しいと思っていたので、乗った。
僕は手相には少々自信があるのだ。
何の自信かって、めちゃくちゃ珍しいのだ。
どの本を見ても載っていない。
生命線・頭脳線・感情線、ぜんぶ2本ずつあるのだ。
もとより占いは嫌いだが、だれかこれを説明できるもんならしてみろ、
と思っていたのだ。

で、何を言われたかというと。
一応、断っておくが、僕は占いを一切信じていない。
だいたい、自分がどう見られたいか、人にどう評されたいかというところだけを、
適宜つみ取ってつなぎ合わせて人に語るためだけのものだ。
そういう前提で、でも面白かったので、敢えて書く。

「非常に豊かな才能を感じます、人当たりも穏やかで、周りの人を惹きつけずにはおかない何かを備えています」
うおっ!マジで?
ちょっと嬉しいじゃねえか。
いやいや、占いはダメだ、信じちゃいかん!

「仕事については完璧主義というか、損得抜きで没頭するタイプですね。」
うそっ?よく日報間違って経理の人に怒られてるけど…。

「恋愛についても奔放ですね。既成の道徳観に囚われないから女難の相もありますね。」
コラコラコラ。そういうことを言うな。誤解される。

「結婚は5年後、相手はかなり歳下でしょう」
なんじゃそりゃあ。何でそんなことがわかるんだ???
てか、かなりって…いくつくらいを言うのだ?
新生児とかじゃないといいが…。
俺の嫁さん、まだ生まれてないとかじゃないだろうな…(笑)。

しかし、なんだか生々しくていやだなあ。
そろそろ、欠点が来るんじゃないか…
んで、それを直して運を開くための特別のお祈りが…別料金で…とか…。
で、次に来たのはやっぱり痛烈。

「ただ、あなたは何事も中途半端にしてしまう欠点がありますね。極端な気分屋で、調子のいい時は周囲を味方につけて大きな仕事をしますが、その反対に周りを全て敵に回して、投げ出してしまうことがある。この中途半端ぶりがあなたの才能を殺しています。」

言われた…………………………………………。

このおばちゃんはそこまで言うと、珍しい手相をしているから写真を撮らせてねと言って、
おもむろにデジカメを取り出すと僕の手を撮影して去っていった。
自分の勉強のために見せてもらったから、もちろんお金は要らないということだった。

うーーーーん。
まるでマンガのような展開だ。

いや、信じない、信じないぞー!!
中途半端なのは、認めるけどさ。
誰か、手相の心得がある人、画像見て反論もしくはフォローして下さい。
僕には当たってるかどうかも判断つかない…てか、つけたくないような…。

911

2006-09-11 23:51:44 | 似非哲学の部屋
事実は小説よりも奇なり、という。
それを体現したのが5年前のあの事件ではなかったか。
イスラムの過激派に乗っ取られた航空機が突っ込み、
跡形もなく破壊してしまったものは、
無論、貿易センタービルだけじゃない。

「平和ボケ」とはよく語られる言葉だが、
どんなに世の中がマズイ状況でも、
みんなアタマの中までとろけきってるから、
そこそこゴキゲンに生きていけちゃう。
そんな日本にいると、世界はまだまだシビアなカオスの中にいること、
その実感が湧かない。

深夜のラーメン屋、隣の卓は男二人を引き連れた女。
二人の男にだらしなくもたれかかり、
舌足らずな甘えた口調で「浮気の境界線」を語る。
「風俗は~許すけどぉ~、でもぉ、心の浮気はぁ、だめ~」
大きな声で、なんだかとても重要な理屈を語っているかのような、
妙に誇らしげな顔。
まあ、そんな生き方を選ぶのも自由だ。

だけどおそらく世界の片隅では、
彼女と同じ年頃のムジャヒディンたちが、
爆弾抱えてアメリカ軍に突っ込んでる。
それがエライとかおまえがどーとか言うつもりは、ない。
語ったところで何も得るものはない。
だからなんだ、でおしまいだ。

ただ、同じ色をした遙か遠い空の下で、
そういう現実が横たわっていることを、彼らは知ろうとすら、しない。
同じ時代に、しかし天国と地獄ほどにちがう環境の元に生かされていることに、
何の意味も運命も天啓も感じようとはしない。
自分の欲望を満たすことだけに忠実に生きていく。
とことん無知であるが故に安易に人を殺し、また自分の命も絶つ。

そんな澱みに充ち満ちた日本社会にも、
それがたやすく崩壊する可能性を、あの事件は突きつけた。
日本以上に爛熟したアメリカにおいて。
人類の無限の欲望を具現化した、爛れた繁栄。
その神話をあっけなく崩してくれたのだ。

誤解を恐れずに言えば。
実は、期待している面もあるのかもしれない。

常識の崩壊を、非日常への大転換を、腐敗した静水の決壊を。
心のどこかで、渇望に似た感覚を覚えている。
あの事件に、もうひとつの情動を引き出された側面があったことを否定できずにいる。
無辜の人間が多く命を奪われたあの事件そのものを肯定する気は、ない。
が、無闇に否定する気もまたない。
正しいかどうかには関係なく、
あれもまた、世界なのだ。現実なのだ。

身も蓋もなく、惰眠をむさぼるかのような永遠の平和に拘泥するよりは、
いつ世の中が滅びるかも知れないという緊張感の中で、
1日1日を噛みしめながら生きていく方が、
本当の人生の重みというヤツに向かい合えるような気がしている。
多くの人間の死という条件の前に、一様に思考停止を強いられるのはゴメンだ。
だって世界はそもそも理不尽なものだ。
それにだらだらと感傷を述べたところで、何が変わる?
多かれ少なかれ、この事件を語ることで自分の利益に結びつけるヤツが居る。
犠牲者すべてをイスラム過激派組織の犠牲者として、
次々と戦端を開く口実に利用する大統領しかり。
いい人アピールか、ぼくって賢いでしょ演出のために話題にする者あり。
結局、どんな悲劇も、平和をむさぼるとろけた日常の香辛料でしかないのか。

考えなくていいことだって、言うんだろう?

見る目は確か

2006-09-08 16:41:27 | いぶたろう日記クラシック
…だと自負しているのだ。
食い物屋にしても、映画・小説にしても、
人におススメしてハズすことはあんまりない。
僕の評価は売れているか売れていないかは関係なく、
「いいものはいい、悪いものは悪い」の簡潔なもの。
もちろん僕の主観、好みは大いに反映するし、
またそれが絶対的に正しいとも思えない。
また、人に勧める場合、その人の性格や好みを考えて、
気に入るかどうかという要素も大きい。
けれど、僕の選ぶものにニセモノはないと思っている。
僕はホンモノが好きだからだ。
よくできているかどうかより、本気で作られているかどうか。
見た目が美しいかどうかではなく、ウソがないかどうか。
売れるために自分を曲げて、世の中のご機嫌を取るようなのは受け付けない。
ものが何であれ、自分なりの「最高にいいもの」を作るために闘っている人が大好きだ。
別に闘っていなくてもいいけど(笑)。
闘っていれば個人的にはさらに申し分ないと思えるだけで(笑)。
自分のスタイルをもっている人の作品こそ、ホンモノだ。
マネをするとかそういうレベルの問題じゃないよ。
模倣を経なければ創造は不可能だからね。

てなわけで、今日は僕の好きな漫画を紹介しましょう。
なんだか好きな本・映画は何かとよく訊かれるんだけども、
いきなり小説とか映画とかだと、気恥ずかしいし。
いっつも小難しい本ばっか読んでいるわけじゃないんだよ。
くだらない本をダラダラ読んでいるのが好きなんだ。
どっちかというと小難しいのは嫌いだ。
いぶろぐは小難しいの多いけど(笑)。

「ちゃぶだいケンタ」/うめ
「団地ともお」/小田扉
「ナニワトモアレ」/南勝久
「ムーたち」/榎本俊二

クドクド語るのもいやらしいから、興味のある人読んでみて下さい。
上から3作をみると、僕の思い描く理想のリアリズムがお解り頂けるでしょう
最後の1作で、シュールなのも大好きなのだとお解り頂けるでしょう(笑)。
別に僕のことなど理解する必要もないし、テストにも出ないので、
ほどほどにどうぞ。

デトックス

2006-09-07 03:02:59 | いぶたろう日記クラシック
…という言葉を、最近覚えた。
「解毒」という意味らしい。
20世紀以降の人類の生活は、
気にし始めたらきりがないほどの化学物質・有害物質に囲まれて、
だから気にしない他はないのだけれど、
どんなに健康的な人であってもその体内には毒物が蓄積されているという。
「みんな同じなんだし大丈夫だよ」とは言いつつも、
やはり内心気にせずにはいられない。

低温浴でたっぷり汗をかくのがいい、
宿便を全部取り除こう、
ピロリ菌を殺菌します、
まあ、いろいろあるもんです。

俺としてはまあ、実際気にし始めたらきりがないし、
もはやこの大量生産&利潤至上の資本主義の世の中で、
無害に便利至極な生活を営み続けるのは無理なんだし、
あきらめてるんだけどね。
あれこれ気にして神経質に長生きするよりは、
好き勝手にやってのんきに死んでいく方がいいのかもしれないし。
ただ、否定はしない。
そこは気分の問題であって、
なんか健康になった気がすればそれだけでもいいんじゃないかと。
それを楽しめるんであれば、まあいいわね。

で。

俺が欲しいのは心のデトックス、なんである。
まー世の中、ホントに心の毒も多いからねえ。
最近仕事を楽しむ余裕がなくなってて、
膨大な業務量と空しい数字とあるべき論と無理なカッコツケと…に
追われてばかりで息苦しいもんだから、
どうも自分がどんどんつまらない方向へ向かってる気がしてならないんだよね。

形式が嫌いだし、規則が嫌いだし、
俺はやっぱり体制側には向かないんだけれど、
幸か不幸か高評価の結果、それを要求される機会が多くなって。
ううーん。悩みどころだ。
俺は絶対、経営者にだけはなりたくなかったからなあ。
なんせ、数字を追うのが大嫌いなんだもの。
「前年同期比」とか「予測収益の増減」とか、
「未来のことはなってみなきゃ判らない」という感覚だけで生きてきたから、
どうにも性に合わない。
こんなんが責任者なんてやってていいのだろうか、と常々自問するよ。

いまの仕事も教えることが好き、人前で喋るのが好き、
っていうだけで後はろくに考えずに選んだから、
図らずも順調に評価された結果もたらされた新しい「形」のまえに、
原点のモチベーションが削られていく否めないかなあ。
俺、やっぱ「教師」でも「経営者」でもなく、「芸人」だもんなあ。
本気で、俺、いまの仕事での出世とか位置とかどうでもよくって、
ただ自分の仕事には相応のクオリティを備えていたいという一点だけにこだわってるから、
まあ、本質的に価値観がずれているような気もしてる。

なーんて考えてると、やっぱり毒々しくなってきちゃうのだね。
心がデトックスを求めている。
慰められたいのではなく。癒されたいのともちと違う。
わがままを満たすための受動的なそれでなく、
むしろ積極的に取り組むことで、結果なんだか毒もほどける。
「デトックス」という言葉が与えられたことで、
この情動にもひとつの定義が出来そうで、それがちょっぴり気持ちいい。

デトックス、デトックス。
思えばあずきはデトックス。
そしてバイクもデトックス。
俺にこの言葉を教えてくれた人物も、最近貴重なデトックス。

人生どこまで行ったって、発見だ。
わかるようなわかんないような話だね。
まあそれもいぶろぐだ、な。

終の棲家なんて見つかるものか。
10年先の俺もまたきっと、今から予測も付かないようなコトしてるんだろうなあ。
そうでありたい。
そうでなきゃ。

shine

2006-09-03 04:24:08 | my lyrics
目をこすって歩いていく 朝焼けの街
泣いたわけも いつのまにか忘れてしまう
誰かの吐く 息を吸って また吐き出して
疲れ果てたカラダには 朝が眩しくて

耳元で騒いでるの誰?
あと少しだけ寝かせてくれ

do you still love me? forget me すがりついて
大げさに喚いた後ろめたさ
この蒼すぎる空に溶かせたなら 楽になれるのか?

誰か…聴いてくれてるかい?
痛みだけが 紛れ込んだ傷を暴き立てる
答なんてものは どこにもなかったんだ

遅れちゃいけないのは解ってる
飛行機雲 世界を分けてる
騙したつもりはないのに
騙したつもりはないのに 
今も誰か待たせてる

また会えたら 君だけには打ち明けようと
気にしないで 気にしないで 気にしないで

do you still love me? forget me 怯えながら
しがみついた夢は時計仕掛け
持て余した穏やかな陽射しが 影を作るように

耐えられる? 逃げ出せる?
誇りだけが 残された時間を数え上げる
転がり落ちてゆけ 間に合う限りは

君の方へつながれ
君の方へつながれ