いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

原子力発電所に思うこと

2011-03-27 23:36:49 | この国の憂鬱
不謹慎な楽観も不安を煽る悲観も批判され、警戒も安心も許されない。
「世の中は 行くな戻るな居座るな 寝るな起きるな立つな座るな」か。

原発反対と安易に言えないが、
半永久的な管理を必要とする放射性廃棄物の問題がある限り、
積極的に賛成はできない。
かといって有効な代替手段の見当たらない現時点で、
僕もふくむ、短期の停電にすら堪えられぬ現代社会が、
原発以外の選択肢を取れるとも思えない。
僕の立場はおそらく一般的多数と同じく、
「消極的賛成を余儀なくされている」といったところか。

どんな組織であろうと所詮は個人の集まりだ。
そして個人とはすなわち有限の生き物である人間だ。
数十年の寿命しかない人間が、
それより遙かに長い時間にわたる放射性廃棄物の管理を考えることに、
そもそも無理がある。
現実感覚がわかなさすぎて、とても机上の計算の域を出られない。
緻密な計算はときに人間らしい感情すら麻痺させる。

原発を「頭」で考えれば使わざるを得ない。
「心」で考えれば使いたくない。
論理と感情だから、原発をめぐる世論がかみ合わないのは必然か。
これは最近の放射性物質の話題についても同じことが言える。

原発技術の向上も、計算上のリスクの低さも、
資源不足も、代替手段の乏しさも、頭では理解している。
しかし、数万年もの管理を要するという放射性廃棄物については、
理解しきれずにいる。
僕ごときの理解をはるか超えるような、
ものすごい技術があるのだろうか。あるといいのだが。

原発推進派には、
反対派を「無知が故の批判」であるとする向きもあるようだ。
では、推進派は、原発の存続に必要な労働者の実態について、
どれほど知っているのだろうか。
炉心近くで何も知らさず働かされ、
放射線障害に悩む人も少なくないと聴くが、
どうなのか。
知らないでいるのか、目をつむっているのか。

彼らの犠牲に目をつむっているという点では、
原発の生み出す電力に依存して、
散々利便を享受してきた我々も同罪だろう。
いまのいまだってそうだ。
現場で命がけの作業に当たっている人の実態も知らないで、
或いは知ろうとしないで、知っていても知らんフリして、
我が身の安全ばかり心配している。

現在の繁栄を継続するため、原発もやむを得ない、
という主張はわかる。
しかしそれにはそこで働く、周囲に住む、
少なくない人間の小さくない犠牲を前提としている、
ということについてぼやかすべきではない。
見返りの有無にすり替えるべきではない。
「最小不幸社会」とは、そういう意味なのか?

振り返り見て、人類の歴史は結局、誰かの犠牲の上に立つ誰かの繁栄だった。
しかし、そんな理屈で自分をごまかし、現状を看過していいものだろうか。
理想論なのはわかっている。すべての人間が幸福になどなれないことぐらい知っている。
だけれど僕は犠牲になっている人がいるとわかっていてなお、
安易に原発を「擁護」「推進」する立場には立てない。
自覚している。偽善者との誹りは免れ得ないだろう。
だって現実的代替案も解決策も、何も持ち得ず、
それでいていまの生活レベルを落とすことにも消極的で、
後ろめたさのあまり、こういうことを書いて、
人間性、心のバランスをとろうとしているだけなのだから。

現状を打破する知恵も力もない。
不足に甘んじる忍耐もない。
それでいて良心は疼かせている。
勝手なものだ。

それでも、僕はやはり肯定することはできない。
僕の中で「本能的理性」(矛盾した言い方だが)とでも呼ぶべき何かが、
原発賛美を拒んでいる。

「原発を否定したいのか、そうか。じゃあ、全廃したとして、これからどうするんだ?」

という問いに答える術を持たないことが、ただひたすらに悔しい。

原発。
罪業の上の繁栄。
すなわち人間の歴史そのもの。
最後に突きつけられた、究極の問い。
どうしたらいいんだろう、本当に。

しかしこの悩みも、迷いも、煩悶も、あと数十年だ。
僕はそれ以上生きていない。
その後も数万年間、放射能は存在し続け、子孫は悩み続けるが、
僕はそれを何ともしてあげられない。
それに負けて、現状を肯定するしかなくなっていく。

僕の原発への不信感は、無知による杞憂なのだろうか。
僕の感じている痛みは、圧倒的な知によって癒されるのだろうか。

「知」とは、麻酔薬なのではあるまいか。
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ツイッターを始めてから

2011-03-24 23:32:52 | 超・いぶたろう日記
毎日、総量でブログ記事一本分以上の文章を書くようになった。
タイムラインには刺激がいっぱいだし、思いついたらすぐ書ける。
この手軽さがすごくいい。よかったらみんな見てね。
心なしか140字に納める癖がついてきたような…ほらね。
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情報と仕事の洪水の中で

2011-03-22 23:59:35 | 超・いぶたろう日記
まとまった文章を書きたいと思う次の瞬間、
また新たな情報が飛び込んでくる。
ジャーナリストっていっつもこんな感じなんだろうか。すごい。
非日常が日常化してしまった感のあるここ数日だが、
本当にこのままじゃマズイなとリアルに思えることが多すぎて、
鈍ったアタマが精一杯動いてるのを感じる。
大したことはできやしないが、
自分なりに一生懸命、誠実に考え、発信していたい。
しかし時間はない。

そんな折、ツイッターの有効性に触れた。
なんとなく、ちょっとやってみようかな、
と思って始めたものだったが、
3/11を境に一変した。
それは次から次へとやって来る情報、そして主張。
アタマの中が洗い流されるかのように、
様々な論点が思い浮かぶ。
何かを考えようというきっかけも、
こんなことを感じたよというメモのきれはしも、
決して他人事と片付けられない危機意識も、
みんなツイッターが与えてくれる。
すごいツールだ。

気がつくと短期間に結構な数をツイートしていた。
時間があればより深めたいテーマも多い。
左のリンクに、僕のツイートをまとめたページも用意した。
興味を持っていただける方は、ぜひご覧いただきたい。

理屈っぽいくせにセンチメンタルで、
何かと偏りがちな僕に、
色々な視点からヒントやアドバイスをいただければ、幸いです。
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新浦安地区被災、その後

2011-03-20 23:14:09 | 超・いぶたろう日記
震災から10日あまり。

街は復興へ向けて少しずつですが、歩みを進めています。
街のあちこちで再建の槌音が響き、
励まし合う住民の明るい声がこだましています。

ようやくテレビや新聞でも報道され、
被害の深刻さが認知されたおかげか、
都内からも多くのボランティアの方が見えています。

この10日間の街の様子を紹介します。

【追記】
いまだ、被災の爪痕生々しいこの街で、
本日(3/23)2度目の夜間停電が行われます。
住民の方々は道路も建物もこんな状況で、
夜はあたり全部真っ暗になり、
マンションから階段で地上に降りて、
仮設トイレに向かわねばならないのです。
特別扱いしてくれ、と受け取られるのは本意ではありませんが、
せめて夜間の停電だけは勘弁してもらえないでしょうか。
東京電力に強く改善を求めます。


★水が引き、道路のひび割れがあらわに。自転車で通るときも慎重に。




★建物と建物の間が心配な箇所が散見されます。


★電柱の修復が急がれます。




★こういった段差は至る所にあります。






★道路の仮修復が進んでいます。



★泥かきも市のショベルカーが大活躍。


★街頭の損傷もチェック。


★下水管の詰まりをチェック。下水の復旧は長期間かかる見込みです。


★市の努力で仮設トイレが増えてきました。


★建物の状況









★水道管が破裂し、澄んだ水があふれている箇所も。






★倒れてしまった看板。


★時間帯も選ばず、嫌がらせとしか思えない停電…。この暗闇の中、子供にどうやって仮設トイレに行けというのでしょうか。










★しかし、この停電後の暗闇の中で、クルマのヘッドライトを集めて工事を続行している方々を見かけました。ありがとう・・!!














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アーティストとして:その5

2011-03-18 00:37:43 | 特選いぶたろう日記
「被災地の方に、元気づけるような音楽を届けよう!」
との提案を見かけることがある。
僕は疑問を禁じ得ない。

被災地にはまず食糧であり、飲料水であり、防寒具だ。
医薬品、燃料、日用品も必要だ。
それが先だろう、というごく当たり前のことだけではない。

音楽は心を癒す。人を慰め、勇気づける。
それは間違いない。
だけど、それには重大な問題が横たわる。
個人の価値観の問題である。
つまり、どの曲を選ぶのか?ということ。

テレビ番組なんかを見てると、罪のないいじらしい字で、
ナントカさんの「ジュピター」を聞かせたいとか、
嵐のナントカが元気出るとか書かれたFAXが紹介される。
本当に、良かれと思って書いているのだろう。

しかし。それは君にとってのビタミン剤だ。
ある種の薬品が人にとっては害物であるように、
音楽もまた聴く人によっては癒しどころかストレスにさえなりかねない。
僕が仮に被災地にいて、
ただ流行っているからという理由だけで選曲された音楽が、
望まないにもかかわらずかけ続けられたら、
音楽を愛する気持ちが強いだけに、よけいイライラする。
聴きたくもない音楽は騒音・ノイズでしかないのだ。

少なくともイマドキの十代の子たちが支持している楽曲には、
(質が良いとか悪いとかいう問題はさて措いても)
お年寄りは癒されにくい。
「いやそんなことない、絶対イイって、わかるって」はファシズムだ。
逆にお年寄りが愛する昔の歌を
「絶対にいいから聴いてごらん、わからないのは耳がおかしいんだよ」
と言われたら反感を持つだろう。
同じことだ。

音楽は、自由なものだ。
それは同時にパーソナルなものであることも意味する。
自らの愛する楽曲で得られる恍惚を、
人にも分け与えたいという気持ちはわかる。
しかしそれは自己満足の域を出ないものだ。
まして選択の余地がない中にある者に、押しつけてはいけない。

上記の理由により、
被災地のために曲を作るというのも、僕は好きじゃない。
あまり立派なこととも思えない。
アーティストとして純粋に心にショックを受け、
表現したいという衝動に衝き動かされた結果として、
必然的に生まれた作品であるならば、いい。
自分の作品として堂々リリースすればいい。
しかし「被災地のために」という肩書きをつけた時点で、
そのこと事態が目的化してしまいはしないか。
アーティストとしての純粋性は歪んでしまいはしないか。
ましてやそれがオリンピックや国際陸上、
バレーボールなんかのノリで、
震災キャンペーンソングみたいに繰り返し使われるとなると、
これはもう、被災地の方を慮ってのこととは到底思えない。
アーティストが悪いのか、テレビが悪いのか、わからないけれど。

震災はイベントではない。
そう言うと誰もが「それはそうだ」と言う。
だけど本当の意味でそれを理解している人は、
残念ながら実際に被災した人、
あるいは被災地に関わった人でなければ、わからない。
だから平気でマスコミは救助を待つ人の上空を、
一切の救援物資を積まずに飛び回る。
ただカメラだけを向けて。
だから自称アーティストはここぞとばかりに
「被災地の方を僕らが元気づけよう!」と言いたがる。

マスコミにもアーティストにも果たすべき役割は、ある。
しかし、あまりにも優先順位がおかしすぎやしないか。
それ、人のためのフリして、自分のためじゃないのか。
誰かの苦しみが誰かの歓びをつくるという、
身代わりプログラムの中に、あなたはいないか。
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東京電力及び千葉県知事の人間性を疑う

2011-03-17 23:08:33 | 超・いぶたろう日記
浦安の惨状はくり返し語るまでもない。

そして今日、東京電力は予定通り、
被災地浦安にも計画停電を容赦なく実施した。

今日はうす暗くなった教室に、
卒業生たちが代わる代わる訪ねてきてくれた。
教室が心配になって見に来てくれたのだ。
彼らの生活も相当に大変で、
トイレが使えない、風呂にも入れない、
一日の大半が水くみに費やされる、
5キロ先の銭湯は大混雑で入場制限、
クルマで行こうにもガソリンがない。

しかし、彼らは皆、一様に明るかった。
東北の惨状を知ればこそ、我が身を憂うというより、
お互いに窮状を分かち合って、笑い飛ばしてしまおうという、
涙ぐましいほどの健気さだ。
やがて教室に電気がついた。
自然、拍手がわき上がった。

停電中、市内の信号も当然消えた。
わずか90分前の告知であったがために、方々で混乱。
交差点の交通整理をするはずの警察官も到着が遅れ、
あるいはろくな準備も経験もなく動員された警官もいたであろう、
危うい場面も少なくなかったと聞く。
ただ、それでも警官不在の交差点には、
復旧工事に当たっていた工事作業者の方が、
率先して交通整理に当たっていたとも聞く。

浦安市は被災地だ。
ただ、死傷者はいない。
家は傾き、或いは傷ついたが、雨露はしのげる。
何より、家族が揃っている。
食糧も医薬品も逼迫しているわけではない。
市民はみんな他地域の惨状を思い、じっと耐えて頑張っている。
ボランティアや救援物資などは、特に必要ない。
東北地方や茨城県、同じ千葉の旭市など、
本当に生命にかかわる危機にある人にこそ、優先して欲しいと、
市民はみなそう思っているのだ。
(ツイッターでも浦安住民のそういう声が多い)

哀れんでくれと言っているわけじゃない。
浦安は、大量の物資がなくとも自力で復興できるし、
事実そうしようとしている。
ただ、水がない。ガスも来ない。
ライフラインだけは、支えてもらわないとどうしようもない。
水は自衛隊が毎日頑張って給水してくれている。
だから、あとはせめて、
電気さえ、融通してくれたなら。

東京電力は明日の計画停電を発表した。

浦安市は夜の7時から10時まで。

我が目を疑った。
正気の沙汰ではない。
東電は、浦安市を見殺しにしようとしている。
どんな状況か知らないはずはない。
いまだ至る所で道路が陥没し、隆起し、泥砂が滞留している街を、
この時間帯に暗闇に陥れようとしている。
どうなるか、わからないはずはない。
これはたしか、「未必の故意」というのではなかったか。

怒りを通り越して、唖然とする。
本当に人間の組織なのだろうか。
コンピュータに適当に決めさせているんだ、きっとそうだ。
でなければ、こんな。

東京電力のホームページでは、
計画停電対象地域に浦安市の名は見当たらない。
しかし、こうしてそーっと現地には問答無用で押しつける。
姑息なやり方だ。

浦安市も怒っている。
今日の計画停電を知らせるために、市の防災課から配信されたメールが、これ。

「東京電力から一方的な通告があり、浦安市全域で、本日17日午後2時30分から3時間程度の計画停電を実施することになります。浦安市では、東京電力に、計画停電の実施をやめるよう、強く申し入れをしましたが、全体の電力供給量が許容量を上回る恐れがあるための非常措置で行うとの通告があったものです。」

役所の出す文章にしては、人間味を感じられるじゃないか。
この静かな怒りは、市民のそれを象徴しているようだ。

一方、千葉県知事は、県庁にわざわざカメラを入れた上で、
東電社員をこれ見よがしに呼びつけ、怒鳴りつけるという、
醜悪な自己陶酔パフォーマンスを展開しただけ。
カメラの前では東電社員も反論しようがない。
被災地域には「『なるべく』停電しないように努める」とか何とか。
そして浦安の電気は停まった。
その日、無力で怠惰で無見識なこの千葉県知事は、
この震災を「天罰」と呼んだ東京都知事の再出馬を支援するとコメントした。
愚かしいにも程がある。
こんな人間を二度と政治に関わらせてはいけない。

東京電力をめぐっては様々な意見が飛び交っている。
上層部の原発危機管理方針のずさんさ、隠蔽体質、会見のお粗末さ。
現場作業員の勇敢さ、生真面目さ、配電技術員の優秀さ。
ひとくちに「東電」と括るべきではないのは百も承知だが、
後者を以て前者の免罪符になりえないことは、
異論のないところではないか。
そして明日も東電上層部は、配電担当者の憂慮をよそに、
その「神業的な」技術を用いて被災地への送電を停めるのだ。

絶対に、忘れないぞ。


東洋経済「東京にもっとも近い被災地・浦安 現地ルポ3」
※この記事のおかげで新浦安の状況が幅広く認知された。心より感謝を申し上げたい。
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被災地新浦安も停電、しかも告知は90分前

2011-03-17 13:56:55 | 超・いぶたろう日記
浦安市がついに計画停電。
しかも、告知は午後1時、実施は午後2時30分から。

水道・ガス・電気すべてのライフラインを止めて、どうする気だ。
ふざけるな!!

再三、浦安市は東京電力に強く申し入れをしてきた。
ようやく「激甚災害」の認定を受け、
申し訳ないけれど計画停電からどうにか外してもらって、
ほっとしたのも束の間。
2日目にして無視された格好。
直前の通達に市内は大混乱。
急遽、主要な交差点に警察官が派遣されたものの、
なんせ急場しのぎだから人員が足りない。
新人なのか未経験とおぼしき警察官もいて、
あわや、のシーンもあったという。
無人の交差点もたくさんあった。
計画停電はない、とばかり思っていて、
まったく予期しないことだったから、病院なんかは大変だったろう。

東京電力は新浦安の状況をまったく関知していないのか、
あるいは見ようともしていないのか。
大したことはないと思っているのか。

どこも大変なのは重々承知。
もっともっと悲惨な地域があることも。
幸いにして命ある身だ。もちろん協力できることはしたい。

しかし、家は傾き、道路はガタガタ、
上下水道も止まりっぱなしで、
日常のトイレ・洗面・入浴・歯磨き・食事にも不自由しているこの地域で
何もわざわざ「計画」停電を実施することはないだろう。
「計画」できる余地があるのに、無思慮も甚だしい。

僕の体感しうる範囲においては、浦安市は非常に努力していると思う。
まめな情報発信と復旧努力で市民を最大限支えようという姿勢を感じる。
(下水道の相談には勝手にやんな、とちょっと冷たい感じだけれど)
計画停電除外について東京電力にも粘り強い交渉を行った。
しかし、東電側はそれを踏みにじった

さらに一方で、千葉県知事の無策ぶり無能ぶりが際立っている。
タレントのおふざけで政治ごっこなんかやらせると、
いざというときにこうなるということがよーーく解った。

このことは絶対に忘れないぞ。
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アーティストとして:その4

2011-03-17 04:01:22 | 超・いぶたろう日記
松山千春氏が、こんなことを言ったそうだ。
何かと毀誉褒貶の多い人物だが、
こんなときに、こんなことがさらっと言えるセンス。
さすが、アーティストだ。本物だよ。

「知恵がある奴は知恵を出そう、
 力がある奴は力を出そう、
 金がある奴は金を出そう。
 "自分は何も出来ないよ"って奴は元気出せ」
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新浦安を再建するぞ

2011-03-16 22:56:49 | 超・いぶたろう日記
同じ思いの方が、ブログ開設。
開設のメッセージには心打たれました。

3.11 新浦安の復興を願って

僕は絶対、この街を見捨てないぞ。
多くの教え子が、素敵なご両親が、望みを捨てずに頑張っている。
僕にできることはささやかだが、
絶対にこの街を再建するぞ。
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アーティストとして:その3

2011-03-16 01:46:43 | 超・いぶたろう日記
考え方はいろいろだ、というのは前提として、措く。

僕は、「不謹慎」だから「自粛しろ」とは思わないし、
現に一言もそうは言ってない。
むしろ僕は、そういった「世間様」の無言の圧力に屈せず、
自分の感性に従って行動すべきだ、
という論調に与することが多い方だ。

絶望的な現実、緊張感を強いる毎日の中で、
ふと癒しを求めたくなるのは人間として当たり前。
映画を見るのも音楽を聴くのも、
現実逃避に過ぎないが、それが目的なのだからそれでいい。
現実と巧く折り合いをつけるための一時逃避なのだから。

中でも笑いは最大の癒しになるに違いない。
今日は教室に教え子やその保護者の方が見えて、
かなり大変な思いをされているはずなのに、
努めて明るく振る舞われ、そして教室を励ましてさえ下さった。
そこでは、したり顔で通り一遍のお見舞いの言葉なんかを交わすよりも、
大いに冗談を言い合って、笑って、という方が遥かに自然だった。
その方が、分かち合える実感がするのだ。
それを僕の使命だとか、ユーモアの力で少しでも明るく…なんて、
そんなわざとらしい意識は毛頭ない。
そういうことを言い出すと、とたんに恥ずかしくなる。
ただ単に僕は、こんなときに僕に会いに来てくれたことが嬉しくて、
彼らとの関係を大切に思えば、いつもの僕らしく、
なにも意識せずに自然に接しただけだ。

だから僕は、みんなどんどん冗談を言おう、
などとわざわざ呼びかけない。
意識してやろうとは思わない。
自然体であるか、ということが大切だからだ。

僕という人間の、自然に備えているパーソナリティで、
結果としてその場の空気が明るくなれば、最高だ。
それを目的化すると見誤るように思う。
ヘンに意識して、
こういう状況下でも冗談を言わなきゃ言わなきゃ、
と無理するから、
周囲に「不謹慎」と思われるような言動につながるのだろう。

「人間の最大の理性とは、すべてを冗談に換える力である」
とは僕の座右の銘だが、
これは意識して努力によって叶えるものではなく、
自然に体現するものだと思っている。

そして僕は、たとえば今日のような明るいやりとりがあったとして、
そのことを変な理屈で言い訳したくない。
つまり、調子に乗っただけかもしれない自分の行動を、後付けで、
「こんなつらいことばかりの日常だから、冗談を言って和ませた」
「不謹慎かもしれないけれど、笑うことも必要だから…」
という類の言い訳で正当化しようとする行為だ。
それは後ろめたいからこそ、わざわざ理屈にするのだろう?
ただ自分が言いたくて言っただけ、やりたくてやっただけのことを、
そのままだと「不謹慎」だと後ろ指を指されるから、
いい人でいたくって、わざわざ言うのだろう?
僕は厄介なことにそういうのが、どうにも見過ごせないのだ。

ツイッターで我も我もとやりだした、
「こういうときこそライブで明るく」
「僕らにできることはこれしかないから」
という種の発言に、僕がむかっと来たのはこういうことだ。
別に不謹慎だから、自粛しろというわけじゃない。
本気で、世の中を明るくするために、元気づけるために、
被災者たちの受け止め方まで慮って、
やるのであれば僕は大いに応援する。
だけどその多くは、特別な思い入れもなく、工夫もなく、
ただ今までやってたのと大差ない、自分がやりたいだけのことを、
だらだらと垂れ流すだけのことだ。
しかも、とってつけたように、
「被災地のみなさんのために…」だの
「被害者の方に捧げる」だの、
実に軽く言い放つ。
これはもう、僕はガマンならない。

やりたいことをやってスカッとしたいだけなら、
わざわざ公の場で発言しないで、
だまってやってりゃいいじゃねえかと思う。

地震が来て津波が来て何千人も人が死んで原発がヤバくて、
これで平静でいろ、ただしずっと生真面目にやってろ、
という方が無理な相談だ。
心のバランスをとるために、地震一色のテレビを消して、
旅行に行く人が居ても、豪華な食事を楽しむ人が居ても、
仕事に打ち込む人が居ても、冗談ばっかり言う人が居ても、
寝てばっかりの人が居ても、遊んでばっかりの人が居ても、
DVDばっかみてる人が居ても、ゲームばっかやってる人が居ても、
僕は責めない。
被災地の人たちにこれ見よがしにならないように、という配慮さえあれば。
わざわざ理屈をくっつけて正当化する必要なんてない。

これはもう、運命が境界線を分けてしまったのだから、やむを得ない。
重病で入院している友人がいたとして、
彼のためにクラスメートみんなで学校へ行くのをやめ、
文化祭も運動会も定期テストもやめ、
毎日お見舞いに行くことが「謹慎」な態度だと思えない。
要介護の家族がいたとして、
その人のために家族みんなが会社や学校を休んで付き添っていたら、
一家みんな共倒れになってしまう。
これが何を喩えているか、お解りだろう。

みんなそれぞれ、運命に画されてしまったら、
そこで自分のやれることをやるしか、ない。
実際に911アメリカとか、中国やハイチの地震とか、
スマトラ沖の大津波とか、エジプトやリビアの内戦で、
多くの人が悲惨な死に方をしているときでも、
日本人のほとんどは自分のやれることをやるしかなかったし、
そのときは今ほど不謹慎だの何だのという論調はなかったはずだ。

「自分のやれること」の中に、
募金とかボランティアとか、
運命の向こうで苦しんでいる人にさしのべられる手を持っている人は、
そっと差し出せばいいし、
特にそういうものがない人は(だからといって責められるいわれはない)、
自分の仕事や楽しみやガマンに身をゆだねればいい。
それだけのことじゃないのか。

僕が偽物と呼ぶアーティストは、ここを混同している。
後者に過ぎない自分の行いを、前者に演出しようとしている。
だから僕は、
「そうじゃない俺は本気だ、被災者のために何かしたいんだ」
と言うのなら、
被災者の前で歌って、実力で勇気づけてみろよ、と思うのだ。
自分のためじゃなくて世の中のためだというのなら、
当然の権利のように電気を大量消費しないで、
いつもとは違うやり方で人を感動させてみろよ、と思うのだ。
それが本物の「アーティスト」じゃないか。

そんな覚悟もなく、深い考えもなく、
「深刻な事態」に染まった世の中への条件反射で
「アーティストごっこ」したいだけなんじゃないか。
僕には、そう思えてならないのだ。

おちまさと氏が実にいいことを言っているが、
何が不謹慎でそうでないかなどと、色分けすることは難しい。

おちまさとブログ「『不謹慎』とは何か。」

これを読むと、「不謹慎」だと自覚するかしないか、
あるいは不特定多数に猛烈に指摘され非難される機会があるかないかの差で、
その大部分が決まっていることがわかる。
あとは思いやりの問題だろう。

心の奥底で、
被災地に生活していなかった我が身の幸運に感謝し、
しかしそれを公言しないだけの思いやりを持ち、
自分は自分で生き抜くための努力と、
ささやかな生き甲斐を味わい、幸せをかみしめたなら、
少しのゆとりを被災地のために贈ってあげること。

それで充分じゃないか。
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原子力発電所について(コメント補足を受け後日加筆)

2011-03-16 00:52:52 | 超・いぶたろう日記
《4/4改筆》

「・・・絶句。僕は何もわかっていなかった。」

これが僕の読み終えた最初の感想だった。
しかし、その後色々と調べていくうちに、
反原発プロパガンダのために、かなり事実を歪めて作られたもの、
という見方が一般的であることが判り、さらに絶句。
「軽率の誹りを免れ得ない」よなー。

うーん。
原発ってホントにやっかいだ。

僕に2週間遅れて、ソフトバンクの孫正義社長もこの記事にショックを受け、
うっかりツイートしてしまったところから、猛烈な批判にさらされたという。
いや、彼を責めることはできないよ。
彼はたまたまフォロワーが桁違いに多いから批判の対象にならざるを得ないのであって、
ふつうの人間があれ読んだら、やっぱり心痛めるもの。

ご存じの方も多いでしょうが、これです。

原発労働者の告白…とされるもの

原発がどんなものか知ってほしい

多くの人から否定されているから、事実無根であると信じたいが。

情報は、発信者に有利なものばかり。
それは基本であって、重々理解しているつもりで居たが…

何を信じてよいのか、本当に難しい。
まだまだ修行が足りんのう。

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お願い

2011-03-15 15:09:40 | 超・いぶたろう日記
東北地方の惨状も、人的被害の大きさもよく存じています。
福島原子力発電所の状況も予断を許さず、
深刻な状況であることも認識しています。

しかしながら、千葉や茨城の被災者が、
「生命の危機がないのに、インフラ損傷と物資不足ぐらいで大げさに喚いている」
という批判はまったく外れていると思います。

たしかに、生命の危機ということはありません。
東北地方の危険にさらされている人々の救助を優先するのは当然のことです。

しかしながら、ツイッターでもお判りの通り、
千葉・茨城の被災者も深く傷つき、援助を求めています。

他都県同様、物資流通が滞る中、
新浦安地区では水もガスも止められ、
簡易トイレの設置も極めて限定的かつ数が少なく、
非常な不便を強いられています。
何より住み慣れた町を破壊され、地域によっては家屋も傾き、
住民のみなさんは努めて明るくふるまおうとされていますが、
心理的にも身体的にも余裕を失いつつあります。

以下、お願いです。
ささやかなご支援をいただきたいのです。

浦安市および千葉県はただちに浦安地区に簡易トイレを増設して下さい。

近隣市区在住の方は、不要不急の買い占めを直ちに控え、
流通の確保にご協力下さい。


お願いします!
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新浦安地区震災被害状況

2011-03-15 04:19:21 | 超・いぶたろう日記
東北地方の被害がひどすぎて、
こちらはあまり報道されることはありませんが、
筆者の勤務する新浦安地域も、かなりの規模で被災しています。
筆者が報道などで知る限り、市内では目立った死傷者こそないものの、
(万一いらした場合には不明をお詫びします)
被害は相当なものです。

液状化により、各地で建物が傾き、道路は損壊し、
ライフラインは寸断され、水もガスも出ず、
トイレや風呂もままならない生活を強いられています。


★東洋経済オンライン(ルポ上/下)
東京からもっとも近い被災地・浦安 現地ルポ【上】産業編

東京からもっとも近い被災地・浦安 現地ルポ【下】生活編


★毎日JP記事
東日本大震災:浦安、液状化で断水 県内死者14人、不明10人に/千葉

以下、先日紹介したもののほかに、
筆者が記録した写真を掲載します。

近々大規模な余震が予想されていることもあり、
防災への意識を持って戴くためにも、
首都圏の近くにも、これだけの被害があることを知ってもらいたい、
との一念によるものです。他意はありません。

誤解を避けるため、コメントはせず、画像のみ紹介します。


以下は3/11被災直後撮影














































以下は3/13撮影












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ツイッターってすごい

2011-03-15 04:13:19 | 超・いぶたろう日記
今回はレポートです。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、
ツイッター上では「ハッシュタグ」といって、
自分のツイートに「#英語小文字」をつけておくと、
ツイッター上で流行の話題のキーワードとしてグループ化され、
検索されやすくなります。

で、いま人気なのが「#edano_nero」(枝野寝ろ)シリーズ。
105時間不眠不休で業務をこなし続ける枝野官房長官を心配して、
彼に寝ろ!と呼びかけるツイッターが急増してます。
「#edano_otsukare」「 #save_to_edano」
「#sleepforjapan_edano」「#edano_go_to_bed」など。

さらに笑えるのがここから枝分かれした

菅は起きろ「#kan_okiro」(笑)。

ほかに、

自衛隊は食べろ「#jieitai_tabero」
フジテレビは自重しろ「#fujitv_jichou」
蓮舫電気消せ「#renhou_kese」
石原黙ってろ「#ishihara_damare」

などなど、国民感情の方向がよくわかります(笑)

先ほど確認しましたら、
枝野官房長官、105時間ぶりに就寝されたとのこと。
とたんに、
枝野寝た「#edano_neta」タグが立ち上がりました。

ツイート内容は、
105時間なんてすごすぎる、
「24hours」4シーズン分に相当する、
日本のジャックバウァーがんばれ、
などなど。

緊張感の中にも、
これくらいのユーモアを言える余裕があった方がいいのかもしれませんね。
ツイッターもすごいが、日本人ってすごい。
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アーティストとして:その2

2011-03-15 01:32:58 | 超・いぶたろう日記
色んなメッセージがあふれる中で、
唯一、心に引っかかったものを紹介したい。
高野寛氏がツイッターでつぶやいた内容。

「続く無力感と緊張感でピリピリしていたら、
子供に『パパ笑って』と言われてはっとした。
3日ぶりにギターを弾いた。
もう何週間も弾いてなかったような気がした。
少し歌った。驚くほど心が晴れた。
子供も笑った。
こんなときにも、これからも、音楽に出来ることは確かにあるんだ。」

これくらいが、自然体で等身大のメッセージじゃないでしょうか。
この気持ちはものすごくよく解る。
そして誰も嫌な気持ちはしないでしょう。
彼はきっと「本物」なのでしょう。
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