いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

何が新時代だばーかばーか

2019-04-29 11:21:03 | 超・いぶたろう日記
まあみんなわかってて、あえてヤボだから口にしないだけだとは思うけど、
令和改元とやらにまったくなんの意味も価値も見出せないでいる僕にとって、
「平成を代表する〇〇」とか「平成ベストヒット100」とか「あなたが選ぶ平成ベストメンバー」とか
「平成事件簿」とか「平成最後・令和最初」とか、寝言にしか聞こえない。うるさくて眠れない。

時代区分というのは、政治とか文化とか経済とか、
そういった社会全体のパラダイムが大きく変化したところで、
後世の人間が理解を深めるために定義付けるもので、
同時代の人間が歴史的評価も定まらないうちにリアルタイムで、
しかも極めて属人的な基準(しかも憲法上政治・経済的にはなんらの影響力も持ち得ないはずのお人の都合)で区切ることに、
いったいどれほどの意味があるのだろうか。

気分と言ってしまえば片付くのだろうけど、
世界で日本だけが勝手に呼び方を変えるだけのことなのに、
なんかもう本気で時代が変わる大イベントみたいに思ってる人の思考回路が不思議でたまらない。

だって、平成って言っても始まりはバブルでポケペルが鳴らなくて伝言ダイヤルでバンドブームでおれら中3で阪神最下位、
終わりはアベノミクスで統計改竄でスマホで既読スルーで炎上でYouTuberでおれら中年で阪神最下位だよ(おい)。
身売りされた南海ホークスが天下のソフトバンクホークスですよ。
これを同じ時代って。

ディケイドですら長いと思われるほど変化の激しい時代に、
社会の変容を無視して人為的に特定の日付だけで区切ることに、どんな意味があるの。
無意味にはしゃいで気分が改まってそんでどうなるの。
重病患者が個人的な記念日を機に引っ越して気分新たにとか言って、
占い師とかホメオパシーとか脱ステロイドとかEM菌とか電磁波除去とか水からの伝言とか受け取ってる場合じゃなくて、
そこはちゃんと検査受けて治療受けないとダメよね。

あーはいはい、すんませんねー、アタマ固くてへそ曲がりで天邪鬼のおっさんでー。

コピバン名って適当だからセンス炸裂よね

2019-04-28 15:24:29 | 超・いぶたろう日記
久々にテレビで「エレファントカシマシ」を見た。カッコよかった。
それはさておき、昔、大学のバンドサークルで、
エレカシのコピーバンドとして『エレガント柏市』を名乗った、
天才的なネーミングセンスの大先輩がいたことを思い出した。

思えばヘンなバンド名いっぱいあったな。

エロスミス(AEROSMITH)
踊り−狂う(Mötley Crüe)
マンケイレン, 西川ヘイレン(VAN HALEN)

そういやどっかのハコで「マンズ&ソーゼズ」ってのもいたな。
ヘタだったな。

self-branding

2019-04-24 15:28:23 | 超・いぶたろう日記

「セルフ・ブランディング」は、
何も自分を実力・実体以上に大きく見せかけるハッタリのことじゃない。

また「ある有名な誰か」(…と親しい自分、…をパクった自分、…に気に入られた自分)の
発言力・影響力・著名性を笠に着ることでもない。

「他のどれでもなく、自分を選んでもらえる」価値を創出すること。
そのために自分の信じる良い仕事をすること。
その仕事の価値を認めてくれる顧客とシンパシーや相互リスペクトでつながること。
これだけ。

別にとってつけたような突飛さとか新しさは要らない。
個性は要るかもしれないが、それは「どこか」にあって「探す」ようなものじゃない。
「自分探し」なんて銘打つのは実にダサいし、
わざわざ探さなければ見つからないような自分なんてただの錯覚だ。

ただ自分の感覚や思考を大事にして、行動に移す。
もちろん失敗もする。痛い目にも遭う。恥ずかしい思いもする。
それでもメゲずに下を向かずに、平気な顔で自分の流儀を貫いていく。
それをたくさん重ねていくことで自然と醸し出されるのが「個性」と呼ばれるものの正体。

あとは、うまくいくかどうかは運次第。
だから「セルフ・ブランディング」なんて別に威張れるようなことじゃないし、
実は単なる結果オーライだったりもする。
マニュアル的な方法論じゃないんだよね。

何の本読んで覚えたんだか、どんな動画見て知恵つけたんだか知らないけれど、
だいたい大袈裟なこと言う割に、要はとにかく「成功」が欲しい、というだけだったりする。
あるいはステイタスが欲しい。自分を承認して欲しい。
そればかりが目的化しちゃって、物差しを外部や他者に置いたままで、
本来の自分の軸を見失っているから、他人を動かすような理想が語れないんだよね。

中身のない空虚な言葉ばかり並べて、さも人の為のようなフリして自分をキラキラさせたい。
その一方では変に世間擦れしたような小利口さで、利いた風な理屈こねて、手強い相手には迎合して、
肝心なところで勝負せず、陰では必死にマニュアル繰ってる。
とことんダサいよ。売れない痛々しいインディーズバンドかよ(笑)。
そんなん15年前に小さなライブハウスとか打ち上げの白木屋とか魚民で死ぬほど見たよ(笑)。

本当に本気で思ってることじゃなけりゃ、どんなキレイゴト言ったって他人の胸には響かないよ。
逆に言えば借り物の言葉でお手軽に感動しちゃうような顧客なんて、
わかりやすい利益がないとみるや離れていくのもあっという間だよ。

だから時計の針が重なるとか重ならないとか、
そういう中身のないどうでもいい話なんか持ち上げてないで、
まずは自分のワガママ貫いてみろよな、と思う。
それだけでも結構タイヘンだから(笑)。


吉本新悲劇

2019-04-21 09:20:09 | 超・いぶたろう日記

選挙前の安倍が、また庶民派ぶって、
さも人気者でもあるかのように吉本新喜劇に飛び入り出演したそうな。

情けない。
ただその一言。

安倍のあざとさもさることながら、それ以上に、
皮肉のひとつもなく権力者を尻尾振って出迎えた芸人たちがいかにも見苦しい。
舞台の端にSP上げるとか、何考えてんだか。地に墜ちたね。

何より重症なのは、
安倍がどんな政策をやっているのかも、どれほど大嘘を重ねてきたのかも、
さらには安倍のせいで今後日本の庶民がどれほど苦渋を舐めるかも知らず、
有名人なら誰でもいいとばかりにミーハーな歓声と拍手を送っちゃってる有権者。

アタマおかしいとしか。
世も末だ。 


本当の「国民栄誉賞」を考える

2019-04-13 19:13:24 | この国の憂鬱
いろいろ言われる国民栄誉賞だけど、僕もイチローが辞退したのは正解だと思う。
もちろん、賞に見合うかどうかなんていうことじゃなくて、
せっかくの日本初の世界的なスーパースターに変な(政治的な)色がついちゃうから。

実際、長嶋&松井とか、よくわかんないでしょ。
選考基準も不透明だし、毎年選んでるわけでもないし。
人気者にすり寄る政治利用だと言われてもしょうがないよね。

その昔、盗塁世界記録の福本豊が国民栄誉賞を打診されたときに、
「そんなんもろたら、立ちションもできんようなる」という理由で断ったそうだ(笑)。
彼らしくて最高のコメントだけど、
たしかに生きながら聖人君子に祭り上げられるのはたまんないだろうなあ。
何かしらしでかそうもんなら、国民総出の袋だたきが待っているもんなあ。

個人的には、スポーツ選手とか芸能人とか、
そういう「放っておいてもその分野で地位や名声をほしいままにしている人」には、
さらに国民栄誉賞なんてあげる必要まったくないと思う。

それよりも、
「無名だけど、陰ながら、地道に、縁の下の力持ちで頑張ってきたのにあまり報われていない人」にこそ、
スポットライトを当てるような賞であって欲しい。

例えば、被災地で困っている人々を助けるために利益度外視で頑張ってる人とか、
手弁当で貧しい子供を助けてる人だとか、
せっかく来日したのに酷い目に遭わされた外国人労働者を助ける人だとか。
福島の原発で働く労働者だって十二分のその資格はあるよね。

そういう人々が国民栄誉賞という形で注目を集めることで、
お金も集まるようなモデルをつくればいいのに。
そして専門の選考委員会を作って、ちゃんと毎年選出するべきだよね。
ノーベル賞みたいにいくつかの部門作って、複数表彰するのもいい。
少なくとも武器や戦闘機に数千億円も使うより、よっぽどいい。
「政権のサクラを集めてみる会」なんかより、ずっとずっとずっといい。

新札の肖像を「ビジュアル重視」で選んでみる

2019-04-11 23:31:52 | 超・いぶたろう日記
新紙幣、見慣れないうちはどうしても違和感たっぷりだけど、
人選はともかくなんか肖像がパッとしないのよね。

特に渋沢栄一のよくいるおっさんぶり。
電車とかで普通に会いそうだよ。気持ち小堺一機入ってるし。
五千円札はホリエモンとか言われてるし。
お札っぽいのは北里だけだなあ。髭生えてるとそう映るのかなあ。

そこで、政治的信条とか配慮とかは一切抜きで、
僕が「完全ビジュアル重視」でオススメするお三方を紹介します。



一万円札: 空也上人
一度みたらもう忘れられない史上最強のインパクト。
今週のビックリドッキリメカ、発進。
カネに執着するのがバカらしく思えてくる、厭離穢土欣求浄土なデザインに。

五千円札: 陸奥亮子(陸奥宗光妻)
前任者から女性枠になった五千円札。
持ってるだけで財布の中が華やかになるような、知る人ぞ知る歴史上最強クラスの美人を。
「その美貌と聡明さによって『ワシントン社交界の華』と呼ばれた」(wiki)のに、夫宗光は浮気性。
宗光が芸者との間にもうけた子を引き取って育てるなど器のデカさも一級。

千円札:栄西上人
臨済宗開祖にして喫茶の風習を日本に持ち込んだ誰もが知る高僧。
しかしこの頭部のフォルムはどうしたことだ。ほぼ直方体じゃないか。
彼の肖像画見ると全部徹底してこの形。実物はよほど…。
さあ悟りが開けるまで、ひたすら千円札を見つめ問答に明け暮れよう!

DIO様に捧ぐ

2019-04-09 12:12:48 | 似非哲学の部屋
母校ボヤ騒ぎの件、あちこちで寄せられたコメントを見ていると、
総じて「昔、身に覚えのある人」ほど若者の過ちにも寛容な傾向がみてとれる。
反面で「レールから外れたことのない人」ほど懲罰感情が強く、
若者の失敗や脱線についても神経質な印象がある。

つくづく、人生に無駄なものはないんだなあと思う。

大人が眉をひそめるようなこと、意味がないと思われたようなこと、
それらがちゃんと人生の「経験」として自分の中に蓄積され、
少なからず人格形成に影響しているのだ。

僕だっていまでこそ先生ヅラしているけれど、
ここまでずっと品行方正で来たかと言えばまったくあてはまらないし、
そんなに悪いことはしてない(と思う)けれど、
しょーもないいたずらや脱線は星の数ほど繰り返してきたし、
なんたって30歳までバンドやって「遠回り」してきた人間だ。

でも、長い長いモラトリアムのようにも思われたその経験が、
いま子供たちと向き合うときに活きているなあと実感する。
僕はそんなに立派な先生ではないけれど、ひとつ取り柄があるとするなら、
子供達の失敗や脱線に寛容なところかもしれないと思う。
そうであろうと意識しているわけではなく、なんせ昔の自分が自分だけに、
それを棚に上げて子供たちにあまり偉そうなこと言えないよな〜、と自然に思うんである。

多少やっちまったことがあっても、そんなの長い人生でどうってことないよ、
いくらでも取り返せるよ、好きなことやんなよ、でもこの一線は越えちゃうとやばいぞ、
ここだけは外さない方がいいぞ、などなど、実経験に基づいた(笑)いろいろな話ができる。

子供達の言い分にも興味があるので、
なるほど、ああわかるわ、おれもそんなこと考えてたなあ…などなど、
共感しながら聞き入ってしまったりもする。

たぶんそういった僕の価値観は、僕自身の経験だけじゃなくて、
周りにいた人々の様子や伝聞にも影響を受けているだろう。
麻布に端を発し、大学のサークル、バイト先、バンド仲間、実に色々な種類の人々との縁があった。
真面目に勉強して世界的に活躍している人もいれば、悪の限りを尽くして獄中入りした人もいるし、
いまなお音楽の世界で奮闘している人もいれば、
破天荒極まりなかった人がいまは幸せな家庭を築いて佳きパパになっていたりもする。

彼らの姿を思い浮かべると、いま目の前の子供が多少のヤンチャしたって、
彼らに比べたらどうってことないとも思えるし、
むしろ温室栽培で均質化の強い印象を受けるこの時代・この地域で、
脱線出来るだけの個性を携えているなんて素晴らしいことじゃないかとさえ思えてしまう。
「けしからんなぁw」などと説教しなけりゃいけない立場も忘れてニヤニヤしてしまう。

僕だって振り返れば、大阪の田舎の小学校の問題児・鼻つまみ者だったのが、
「御三家合格」の栄誉に浴し、そこからまったく勉強せずに成績は地表スレスレの低空飛行、
文化祭をきっかけにバンドに出会い、奇蹟的に大学に受かったと思えば、
また今度はバイトとバンド三昧で留年、そこから30歳までは浮き草生活だったのが、
塾の先生など始めてしまい、気がつけば自分の教室まで開いて偉そうに子供達に人生を語り、
保護者の方に教育論などぶっている。
で、それが案外に受け容れて戴けたりもする。
なぜかはよくわからないのだが。本音と実感に充ちているからだろうか。

てなわけで人生わからん。本当にわからん。
唯一わかるのはいつかは必ず死ぬということ。
だったら人生なんて死ぬまでの暇つぶし。
無駄なんてないし、ある意味、究極的にはすべてが無駄。無駄無駄無駄ァ!
できるだけ楽しくいこう。

失敗させてやれよ

2019-04-08 03:19:46 | せんせいとよばれて
ウチの教室でもよく議論になるんだけど、ちょっとナマイキ言わせてもらうとさ、
「厳格なルールづくり」なんてものは教育でも何でもないんだよね。
そんなの、ただの管理。先生というより「管理者」がラクしたいだけ。

「ルールに書いてある」ということで思考停止させ、
問題を起こしたらペナルティを与えるだけなんて、いかにもラクだよなあ、と思う。
その実、指導の名目で大人の側の都合や責任の一端を子供に押しつけているだけ。
「前から厳しく言ってたんですけどねえ…」なんて逃げ口上ね。

そもそも、どんなにうるさく言ったって子供は聞いてないし覚えてない。
やっちゃダメだと言われれば言われるほど、やってみたくもなる。
どうしてマズイのかがわからないから、やってみてとんでもないことになって、その痛みを知る。
この失敗の過程を「どう安全に経験させるか」が教育の本質じゃないのかな。

つまり、ルールでがんじがらめにして問題を「起こさせない」のではなく、
問題を「起こしてから」が本当の教育だろ、と思うけどね。

真に教えるべきはルールではなくマナーとモラル。
それは単に言ってわかるようなもんじゃなくて、
若いからこその恥や失敗などの経験を通じた感覚であり、美学。
ルールなんかなくたって、自分で判断できなければ意味がないわけ。

それを「失敗させない」ようにしていては、
いまは従順にしていても、いつかどこかで大きな陥穽にはまる。
挫折に極端に脆かったりもして、引きこもりとか薬物とかもそうかもね。
保障と安定を至上の価値に据え冒険しない国民性、同調圧力や懲罰感情の強い社会、
みんなここにルーツがあるような気がする。

母校は燃えているか

2019-04-06 21:15:45 | 超・いぶたろう日記
やっぱり、何十年経っても僕はここの桜が一番好きだ。
僕の心の原風景。自由と解放、多様性の象徴。

今日は歴代OBが一堂に会する行事「ホームカミングデー」で母校へ。
懐かしい校舎の中を歩き回ったり、恩師や旧友と話したり、愉しい一日を過ごしたのだけど。
問題はその後。危うくこの桜も灰にされるところだった(笑)。

麻布学園で火災・男子生徒が花火をしていたとの情報(ライブドアニュース・時事通信社)

いや〜、もう、笑っちゃうよ。
笑い事じゃないんだろうけど。
アホなことを…と思いつつ、この脱力感をどこかで懐かしがってる自分が。
FBなんかで見る限り、OBはみな似たような感想みたい(笑)。

「名門」「御三家」みたいなイメージしかない人には意外だろうけど、
知る人ぞ知る「自由の楽園」たる我が母校はアウトローの巣窟でもあって。
卒業生がどこか自慢げに語る武勇伝だけじゃなくて、学校が公式にまとめた「百年史」を紐解いても、
もう時代を問わずボヤも飲酒も喫煙も盗難も横領も破壊も暴力ももはや「伝統行事」。
それらがみな、細大漏らさず公の百年史にすべて記録されているというあたりがまたなんとも。

しかし何も歴代OBが集結する日にやらんでも。
容疑者無数じゃん(笑)と思ってたら、地下室で花火やった現役生がいたとか。
そういえば僕がまだ校内にいたとき、火災報知ベルがガンガン鳴ってたんだけど、
「あーまた誰かイタズラしてんなー」的な感じでみんな流してたんだよね。
あるあるだったのが、まさかのリアル展開とは。
相変わらず退屈しない学校だわー。
ともかく怪我人や近隣被害がなかったのは何より。

バイトテロやバカッターの例をひくまでもなく、
SNSの発達で昔に比べると悪事が隠しきれなくなって来てるし、何かと不寛容なご時世でもある。
僕らが現役の頃にツイッターなんかなくて本当によかったと思う(笑)。
かつては学校という箱庭、自由という名のサファリパークで野生を気取っていられたが、
なんせ社会正義を気取るお節介が増えた昨今だ、必ずしも学校内だけで完結させられなくなっている。
それで学校側も世情に配慮して色々と厳し…くはないか(笑)、わりかし「マトモ」な対応をせざるを得ない。
校長始め当事者の皆さんは本当に災難だけど、なんとか麻布らしく解決して欲しいと思う。

しかしなあ…暇なマスコミやネット民に格好のエサをまた提供してしまったなあ。
「高偏差値にひそむ低い人間性」だの、
「問われるお受験エリートたちの倫理観」だの、
「伝統にあぐらをかいた名門校の凋落」だの、
知ったかぶった連中が勝手なでっち上げた、手垢まみれのストーリーにハメこんで、
言いたい放題言うんだろうなあ。
常識はずれで協調性に乏しく、そのくせ才能豊かで楽しそうだってんで、
何かとやっかまれがちな我が母校。
アンチも多く、はやくも「やっぱ落ちぶれたな」とか上からツイートしてるヤツもいた。
てやんでえうるせーよ、こちとら落ちぶれたと言われ続けて120年だバーカバーカ!(笑)。

まあ、124年にわたる不祥事対応の歴史に鍛えられた、したたかな学校だ。
叩かれて萎縮しちゃうようなことはないと思うけれど。
いままでも本当に色々言われてきたけど、麻布は変わってないんだよね。
世の中が変わってしまっただけで。
ただ、いつの時代にも麻布の中にはこれでよしとするアウトローばかりでなく、
批判派も、冷笑派も、無関心派も、いろんな立場があり、
その存在はお互いに認め合っていたはずで、常識なんていう不定型な幻想にごまかされることなく、
安易な同調圧力も許さない、徹底した多様性や懐の広さこそが麻布の本当の伝統。
そんな環境の中で生徒たちが自主的に解決する、というのが麻布の不変の流儀。
ただ甘いというわけじゃないよ。
先生が一方的に「処分」して終わらせるようなことはしないというだけ。
カチコチに閉塞した日本社会で、多感な十代の様々な在り様を、
こんなにも懐深く包んでくれる貴重な環境、そうはないと思うぞ。

時代の趨勢で変化を余儀なくされるところが少なくないだろうけれど、
こういった麻布が麻布たる核の部分は大切に受け継がれて欲しい。
問題を「起こさせない」方策を議論しようという人たちとは話にならないね。

何より、ここからが麻布の真骨頂。
良識派一言居士の皆さんも、まあ見てなって。

名言botくん

2019-04-05 23:23:23 | 超・いぶたろう日記
世の中には一定数の「名言が好きな人」というのがいて、
他ならぬ僕も多分そのひとりだろうと思うのだけど、
それとは別に「他人の名言を人にドヤるのが好きな人」というのもいる。

まあ、好き好きなんで勝手にすればいいことなんだけど、
自分でものを考えて言葉にすることの労やリスクを負わず、
名前のある人の上澄みだけを拾って自分のアクセサリにしても、
陳腐に映るだけじゃないかなあ。

なぜなら世の中のほとんどの人は、
「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」を見ているからだ。
実際「名言bot」の人だって、どんな素晴らしい言葉でも、
それが自分の息子や部下、後輩の口にしたものだと、
「生意気だ」と斬って捨てていることがほとんどだろう。
説得力という意味ではたしかに発言者の「格」のようなものは必要だろうけど、
言葉そのものに感銘を受けたなら本来それは関係ないはずなんだけど。

かくして、大部分が言葉そのものではなく、
実は発言者の権威に拠って演出された空虚な「感動」が、
なんらの説得力をも持ち得ないコピーbotマンによって、
薄っぺら〜く拡散していくというのは実に皮肉だなあと思う。

だから僕はビジネス本とか、世に溢れる「経営者の至言」とか、
あんまり好きじゃないのよね。

「風呂に入って後悔した人類はいない」

2019-04-03 23:56:45 | 超・いぶたろう日記
最近覚えた珠玉の箴言。
風呂を洗う、わかす、入る…面倒だなあ…と思うとき、
この一言を唱えるとマインドが変わる。
そして湯船に浸かりながら、「ああ〜やっぱり入ってよかったなぁ〜」と呟く。
ホカホカに上気した身体を布団に静め、心地よさを満身に味わいながら眠りに就く。

風呂ばかりでなく、ハミガキ、掃除、ゴミ出し、洗い物、整理整頓など、
日常のあらゆる「メンドクサイ」に有効。面倒くさがりの自分との闘いは、
手をつけるまでが勝負どころで、いったん手をつけてしまえば最後までやりたくなる。
やる前のかったるさから、やった後の達成感や爽快感に視点を移すことで、
ダラダラしている自分にスイッチを入れられるんだろうと思う。

動くのを面倒がって一日ゴロゴロしてると結局後悔の念におそわれる。
マインドを変えて率先して動くことで、後悔のない日々を送りたいものである。

ただ、食べた後に後悔することはものすごくしょっちゅうあるので、目下の課題はこちら。

元号はもうおれい〜わ

2019-04-02 23:59:10 | 超・いぶたろう日記
まず、安倍が「思いを込め」て、菅が発表したようなもの、誰が使うかと。

命令の「令」とは違うといくら言われたって、
漢字字典引かないとわかんないような意味を込められたって、
普段みんなで使うことを考えたなら、
「令」みたいな「上から」の印象が強い文字使わないよなー。
まさにこういうデリカシーのなさが現政権を象徴してる感じ。

そして漢籍を嫌い、万葉集だからオリジナルだろみたいに思うのも、
いかにも浅はかな国粋主義者が考えそうなこと。

とってつけたような「和」もヤな感じ。
だって、いまの政権中枢が押し付けてくる「和」って、単に個人主義に対するアンチでしょ。
ワガママは言うな、とにかくお上の言う通りにしろ!ていう戦前回帰的な全体主義のことを、
都合よく日本人の美徳みたいに言い換えて気持ち悪いったらない。
そういう解釈でなら、たしかに「令」とも相性良さそうだけど。
個人的には響きもいまいちだし、まったく深みを感じない。
これまでもそうだったけど、これからも使わないな、元号。

名前って意味以上に印象が大事だと思うのよね。
いくらイイ意味もあるといわれても、字の印象ってあるじゃん。

たとえば「便」には辞書によると

① 都合がよい。「便益」「便宜」「便利」
④ くつろぐ。「便衣」

なんて意味がある。
また「よすが」とも読んで頼りとするもの、という意味も。

じゃあ大いにくつろげる時代にしましょうなんて言って、
「大便」になるかったら、ならないわけで。

元号決定の過程や込められた意味にまで、政権の意図を深読みするのは、
慶事において野暮だと嫌われるんだろうけど、
この政権ならそれくらい図々しいことやるんじゃないかと思わせるくらい、
虚言・改竄・捏造・隠蔽・圧力・強権・無学・傲慢・失言が日常茶飯事になっているわけで、
疑心暗鬼になるのも無理はない。

発表直後にしゃしゃり出てきた安倍の首相談話も相変わらずの薄っぺらさで、
慶事にかこつけて自分の政策をPRする下品さばかりが目についた。

むしろ逆に新元号発表くらい邪推や無粋を言わなくて済むようにしてくれよなと思う。
保守派を自認するくせに伝統を曲げて、
一部の無学な国粋主義支持層に配慮して「国書」にこだわった結果が万葉集で、
発表直後に中国古典由来と指摘が入るとか、既に中国で商標登録されてたとか、
お粗末なことこの上ない。
だいたい日本文化のルーツを考えるとき、中国の影響を無視できるはずがないし、
躍起になって排除することに意味があるとも思えない。

おまけに制定過程が不透明だという批判には菅官房長官お得意の「批判は当たらない」で一蹴。
感じ悪いわほんと。

もう決まったんだから、で口を塞ぎ、あるいは塞がせ、
問題山積の日本の現状に目をつむって新しい時代が来るから万事OKなんて、
おめでたすぎやしませんか。
少子高齢化・原発・沖縄・災害対応・被災者救済・インフラ老朽化、どうするの令和。
統一地方選の最中、また食品一斉値上げのこの日に、
元号発表を「都合よく」利用しちゃって、
まんまと支持率も上昇、なんてちょろい国民性。

やっぱ「大便」がお似合いなんじゃないの。
諡にされる方はたまったもんじゃないけど。

火あぶり

2019-04-01 23:34:05 | 超・いぶたろう日記
「社会的正義から著しく反する行為」を理由に、
「ロックバンドを脱退」というのが、ごめん、古いのかな、
おじさんにはよくわからないんだよ。


「試合中の暴力行為を理由にプロレスラー引退」的な?
そういやその昔、長州の顔面を背後から思いきり蹴って、
「プロレス道にもとる」という理由で新日本を追い出された、
前田という選手がいてだね……。

ともあれ、15年ほど前はお世話になりました。
今後もご活躍のほどを。