回り続けるのは、イヤだ。
自分では気づかないのか、あきらめているのか、
わずかな変化をとらえて前進していることにするのか、
仕方がないさと慰め続け、
楽しければいいんだとごまかし続け、
実は時間切れを待つだけになった人生。
そんなのは、イヤだ。
そういう人を見るにつけ、哀れでたまらなくなる。
自分がそうだったとしたら怖くて仕方がない。
Rebirthが3年前に退散したとき、恐れたのはこれだ。
同じことをくり返し、決められたルートから外れられない、
ループ状のレールの上を進む、先のある程度見える怖さ。
経済的な余裕がもたらす麻痺と鈍感と依存が束縛を生み。
自分の一番大切なものもわからなくなり。
一度しかないはずの人生が、
気がつくと他人のもの、組織のものにすり替えられているかのようなこの違和感。
忘れたくはない。
気づかないうちに、生きながら死んでしまいたくない。
だから、僕は無意識のうちにRebirthへ回帰したのだろう。
バンドか、カタギの仕事かなんて、単純な問題じゃない。
バンドを続けていたって、志が低ければ、
現状を肯定することしか知らなければ、同じことだろう。
理想が必要だ。
僕は経営というものがキライだ。
管理というものもキライだ。
一番キライなことが仕事になってしまった今を、
たまらなく苦痛に感じることもある。
期待に応えようともがくあまり、自分の在り方を見失い、
たまの休日にどうしようもない空虚感に襲われることもある。
僕は「楽しい」だけじゃダメなんだ。
僕は「儲かる」だけじゃダメなんだ。
何が起こるかわからないなかで、
いつでも感覚を研ぎ澄ましていたいんだ。
なんて鈍ってしまったんだろう。
心の持ちようが、肉体にまで表れている。
2回ライブをやって、解ったことがある。
それはここで語れるようなものでもないし、
これから少しずつ試してみようと思う。
そして大きな転機がひとつ。
僕はよりにもよってあんな場所で、
よりにもよってあんなヤツに出会ってしまった。
かつて同じ位置にいた人間の、
何の矜持もなく妥協の末に選んだ「成功」の形。
僕が心底軽蔑する人間の有り様。
だけれど今の僕にはヤツを批判することが出来ない。
恐らくはどんなに僕を身びいきしてくれる人間であっても、
百人中百人が「ひがみ」だと斬って捨てるだろうからだ。
だからこれは僕の胸の内に秘めて、
いつか堂々と語れる日が来ることを信じて、
そのときのために己を磨く。
それが僕のプライドだ。
人生80年ならば、僕はまだあと46年ある。
あきらめてしまうにはまだ早い。
本当の闘いというやつがこれから始まるのだろう。
それはいつも、
「闘う必要性なんてもうないんじゃないか?」
と耳元にささやいてくる。
見てやがれ。