いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

モアイくんのいんもう

2001-08-16 03:30:19 | 特選いぶたろう日記
我がバンドメンバーのバイト先として、
MCで何度も取り上げられ、
ファンの間では有名なファミリーマート某店。
僕はそこに勤め始めてもうまもなく6年になろうとしている。
6年だ。これは長い。
それだけ長い間勤めているとだんだん責任も重くなり、
発注やシフト決定どころか、新人の面接なんてことまでやるようになる。

いや、普通はバイトなんかがやる仕事じゃないと思うけどね。
オーナー店長がもう一つオープンさせた飲食店にかかりきりだから仕方ないのだ。
発注、売り場展開、商品管理、清掃、スタッフ指導。
仕事は実に多岐にわたる。
その中で今、僕が一番嫌いなのはレジである。
レジ業務が苦手だと言うんじゃないぞ。むしろ得意だ。
まずウチの店で最速なのは間違いないし、誤差も常時ゼロだ。

苦手なんじゃなくて「キライ」なのだ。
それはつまり理不尽で尊大で非常識で下品でわがままなおバカさんたちが、
大切な「お客様」に紛れこんでやって来る、
それに対峙せねばならないのがたまらなくイヤなんである。

コンビニという場所は欲望を満たすための場所だ。
誰もが欲望を前面に押し出してやってくる。
もちろんコンビニのスタッフに礼儀なんて尽くす必要もない。
レストラン同様、ただの召使いぐらいにしか思ってないんである。
いきおい、その人となり、醜い部分が丸出しになっているのだ。
だからもうレジに立っている間中、あまりの理不尽さにイライラする。

こちらは「客」だ、とふんぞり返っている間、
人間はおおよそアタマを使っていない。
書かれていることも読まないし、釣り銭の計算もしない。
442円の買い物に510円出してきて、
戸惑う僕に舌打ちをしてみせる貴兄は、
一体僕に何を望んでいるのだ。
袋に入れても入れなくても、箸を付けても付けなくても、
レシート渡しても渡さなくても、
一様に文句を言う人がいるんである。
レジ会計と言うより、きっと「接客」に潜む理不尽さがダメなんだな。

まあ、とはいえレジは貴重な人間観察の場でもある。
とにかく色んな人間が来る。
滅多に来ないが可愛い子も来る。
もちろんめちゃくちゃ丁寧に接客する。
ペットボトルにストローだってお付けしちゃう。
ああ、ストローになりたい。
こういう美人専用の店舗にすればいいのにと、心から思う。
別に何をどうするわけでもない、
ナンパしたりとかそういう目的があるわけでもない。
ただ心穏やかに、バイトがしたいだけなんだ。
しかし、心の静寂を打ち破り、変なのは来る。

今日、ものすごいのが来た。
色は浅黒く、寡黙、全体的に挙動不審。
即刻、命名。「モアイくん」と呼ぼう。
奴は野菜ジュースをもってレジに現れた。
別段それは悪いことではない、むしろ野菜は体にいい。
価格は84円だ。小銭を出そうともたついている。
まあ、今は客も少ないし、特にやるべき仕事もない、待ってたっていい。
いちまい、にまい……その時だ。
小銭に紛れて突如、財布からカウンターに一本の毛が放たれた。
この縮れ具合、長さ、間違いない。疑いようもない。

…明らかなる「いんもう」だ!

動揺を隠せない僕。
だって陰毛に貨幣価値があるなんて聞いたコトないぞ。
いや、そーじゃなくって。
財布になんで陰毛が?
なんでそんなもん入ってんだ???
おずおずと硬貨だけに触れて会計をすまそうとすると、おもむろにモアイくんは呟いた。

「……あっ……。」

なんと、陰毛の存在に気づいたモアイくんは、
あろうことかその毛をつまんで財布に戻したのだ!!!!

絶句した。
何も言えなくて夏。
そして彼は何事もなかったのごとく店を出て行ったのである。

ひょっとしたら陰毛じゃないかもしれないし。
何かのお守りかもしれないし。
ただ失礼だと思って取り除いただけかもしれないし。
毛型の携帯電話かもしれないし。
何かの組織の会員証かもしれないし。

あれこれと想像を巡らせるのは簡単だ。
しかしどれも無理がある。大喜利やってんじゃないんだから。

つくづく、世の中には色んな人間がいるものである。
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DM:2001年8月(3周年記念ライブ告知)

2001-08-15 15:42:28 | Rebirth歴史資料館
小学校3年のクラス文集で、
「将来のゆめ」欄に「プロレスラー」と書いたのは俺だ。
猪木を神と仰ぐ少年の、ごく自然な将来像だった。

その3年後の卒業文集では、
「将来は漫画家か阪神の選手」と、
まるで脈絡のない人生設計を披露した。
当時はジャンプ黄金期、
日本中の子供達が夢中で「じゆうちょう」に漫画を書いていた頃だ。
しかし阪神の優勝が息吹少年を欲ばりにした。

それから更に3年後には、
下位にあえぐ阪神を尻目にバンドを組んでいた。
まさか今にまで続くとは思ってもみなかったが。
阪神の低迷もな。

3年の月日は人をこんなにも変えるのだ。
Rebirth結成の頃、うちのコンビニの常連客のお腹の中にいた赤ちゃんも
今や余裕で自力歩行し、お菓子をも手にする。
かつての受精卵が店内を闊歩しているというのに、
俺って奴は何がどうなったというのだ!とか思いだすとヘコむ。

桃栗3年柿8年、Rebirthは果たして何年かかるだろうか。
その答えを探るRebirth通算101本目のライブが、
結成後初のライブを行った3年前と同じ日に同じAREAで行われる。
お祝いに駆けつけてくれるバンドも超豪華だ。
8月下旬の100本カウントダウンライブも新曲投入で見逃せないものが続きそうだ。
この3年間の足取りを、成長を、増長を、みんなが感じ取ってくれたら嬉しい。
石の上にも3年。
3年目の浮気。
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セミ丸と俺

2001-08-10 03:25:47 | 特選いぶたろう日記
僕は地元の事情についてあまり詳しくない。
地元の小・中・高に通っていないので友達も特にいないのだ。
したがって地元スポット情報の拠り所は弟タイキに限定される。
腹が減って中華がどうしても食べたくなったので、
タイキに美味い店はないかと訊いてみた。
するとどこそこがウマイというのでそこへ行くことにしたんである。

家を出て公園の中を抜ける小道を通る。
ふと足下を見るとアスファルトの上を蝉の幼虫が這っていた。
奴が懸命に向かっている方向は道路である。
いくら頑張って進んでも行く手には死しかない。
あまり哀れに思えてきたので、木に捕まらせてやった。
奴はありがとうも言わずにずんずく上っていった。
一刻も早くその固い殻を脱ぎ捨ててしまいたいのだろう、
ちょうど「もよおして」しまった時のトイレに駆け込む人間のようだ。

店に着いた。
たらふく食った。
特別うまいわけでもなかった。

帰り道、あの蝉はどうなったかねと捕まらせてやった木を見上げてみた。
と、そこに背中をまっぷたつに裂いた奴が木の小枝からぶら下がっていた。
エメラルドグリーンの躰が覗いている。
あんまり神秘的な光景なので、しばし見とれてしまった。
しばしじっくり観察したあと、思う。

「…これは続きが見たい!」

家に持って帰ることにした。
小枝を根本からそうっと斬り、蝉を刺激しないように静かに持ち去ったのだ。

部屋に帰り着くとまずは記念撮影だ。
色んなアングルからぱしゃぱしゃと撮ってみた。
俺の口から木の枝が生えて、挙げ句そこで蝉が脱皮を始めた!
というシュールなシチュエーションでの一枚がお気に入りだ。
続いて絶好の鑑賞スポットを探した。
ベッドの枕の上に突き出ている家具の縁にセロテープで小枝を留めるのがよさそうだ。
なんせ長丁場、こうすれば寝ながら見られるという寸法である。
胸の高鳴りを抑え、ひとまず風呂へ。
帰ってくるとこの短時間の間にも着実に進行している。
これは見逃せまいとベッドにごろんと横になり、じ~っと観察を始めた。
なかなかさくっといかない。

じれてきた。
しかし僕もいい大人、この時間をも味わいながら、
無事、殻からすべて抜けきるまでを堪能した…

…はずだった。

やはり、ベッドというものは魔性の空間である。
俺様ったら10分足らずで寝入ってしまったのだ。
翌朝の目覚めったらそりゃあもうすごいもんだった。

「み~~~~~んみんみんみんみんみぃぃぃぃ~~~~~~~ん!!!」

鳴いちょるよ、おい。

しかも部屋の中をぶぶぶぶと飛び回る。
羽化したての柔らかい体が傷つくのも忍びないので、
窓を開け放して別れを告げた。
まもなく、奴は羽ばたいていった。
5年間も土中にあって待ちわびた大空との出会いの瞬間である。
奴はこれからわずか一週間の命、どんな一生を送るのだろうか。

ちなみに、蝉の一生を人間(寿命80才としよう)でいうと、
79年と9ヶ月は土中、残り3ヶ月が大空及び木の上だ。
死を眼前に控え、突如空を飛ぶ79才のおじいちゃん!
しかも木につかまってみんみん鳴く!
人生最後の刹那の間に全力で燃え尽きる、まさにROCKじゃないか。

蝉はROCKだ。
Rebirthも蝉のようなバンドを目指すか!
ず~っと下積みで苦労して、突如羽ばたいてチャートの頂点を極め、
3ヶ月でぽとっ、と…………………。
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DM'01.8(Rebirth3周年記念ライブに寄せて)

2001-08-09 02:49:15 | Rebirth歴史資料館
小学校3年のクラス文集で、「将来のゆめ」欄に「プロレスラー」と書いたのは俺だ。
猪木を神と仰ぐ少年の、ごく自然な将来像だった。
しかし3年後の卒業文集では「将来は漫画家か阪神の選手」と、
まるで脈絡のない人生設計を披露した。
当時はジャンプ黄金期、日本中の子供達が夢中で「じゆうちょう」に漫画を書いていた頃だ。
しかし阪神の優勝が息吹少年を欲ばりにした。
それから更に3年後には、下位にあえぐ阪神を尻目にバンドを組んでいた。
まさか今にまで続くとは思ってもみなかったが。
阪神の低迷もな。

3年の月日は人をこんなにも変えるのだ。
Rebirth結成の頃、うちのコンビニの常連客のお腹の中にいた赤ちゃんも、
今や余裕で自力歩行し、お菓子をも手にする。
かつての受精卵が店内を闊歩しているというのに、
俺って奴は何がどうなったというのだ!とか思いだすとヘコむ。

桃栗3年柿8年、Rebirthは果たして何年かかるだろうか。
その答えを探るRebirth通算101本目のライブが、
結成後初のライブを行った3年前と同じ日に同じAREAで行われる。
お祝いに駆けつけてくれるバンドも超豪華だ。
8月下旬の100本カウントダウンライブも新曲投入で見逃せないものが続きそうだ。
この3年間の足取りを、成長を、増長を、みんなが感じ取ってくれたら嬉しい。
石の上にも3年。3年目の浮気。


(2005年追記)
この頃はもう、Rebirth楽しくて仕方なかった頃だ。
DMにも俺のやる気と楽しさが満ちあふれているような気がしないでもないが文体は相変わらず無責任だ。
思えばあの赤ちゃんも、今は小学2年生か。お父さんヤンキーぽかったけど、大丈夫かな。
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夏の思ひ出。

2001-08-03 03:23:21 | 特選いぶたろう日記
地元で夏祭りがあり、珍しくそんな日に丸一日オフだったので、行ってみた。
とっても久しぶりである。子供の頃以来かな。
しかし子供の頃よく行った夏祭りとは、時代も場所も随分違うのに、
不思議と同じ様な匂い、懐かしい空気が漂うから不思議だ。

ふと子供の頃を思い出す。
まず古本市に駆け込むのが俺のお決まりだった。
ドラえもんの未読のてんとう虫コミックス(当時定価360円)が50円で買えたのだ。
これはまだバブルも始まっていない当時ながら、大いなる価格破壊であった。
お目当ての巻をめざとく見つけては買い込み、
盆踊りそっちのけでベンチに座り込み、
むさぼるように読んでいた覚えがある。

そして祭りといえばやはり出店の食べ物、
綿菓子、焼きそば、かき氷、ラムネ、イカ焼き、りんご飴。
今思えばしょぼいもんばっかだが、
子供にしてみればその日しか食べられない豪華ディナーだ。
いや、今でこそあちこちで普段から祭りの雰囲気で屋台とかで売ってるけどね、
当時はあんまりなかったのよ。俺、昭和の子供だからさ(笑)。
駄菓子もあったな。子供のクセして「懐かしい」とかほざきながら買い込むのだ。
つってもいいとこ200円だが。
だいたい貰えて500円、おつかいの度にくすねて貯めた小銭と合わせても千円。
夏祭り、それは普段10円単位でおやつを厳選する子供にとって豪遊の日なのだ。
しかし所詮は千円ぽっち、なくなるのも早い。
何せスタートからマンガ買い込んでるから、あきらめざるを得ない食べ物も多い。
苦しい胸の内をイブキ少年@10歳に聞いてみよう。
もちろん、当時はバリッバリの大阪弁である。

「わたがし…これは買うとかな始まれへんわな。焼きそば…こんなん家の昼飯やがな。あ~でも、ウチのきちんとした焼きそばもええけど、この屋台のえ~かげんな味が棄てがたいんやなぁ。かき氷!こんなもんは女子供の喰うもんじゃ。こんなもん家で作ったったらええんじゃ、なに並んどんねんアホちゃうかおまえら。ラムネは…あの瓶がなあ。ついつい買うてまうねん。ほいで飲んだら割ってしまうねん。出したらただのビー玉やねんけどな。ごっつう欲しなんねんなあ。イカ焼き!あかん!見てしもうたがな。高いがな、でもうまいねんなあ。買うてまうがな。うあ~!りんご飴やあ!学校の前に毎月来るバッタ屋のおっさん、最近リスやらひよこやら文鳥やらばっかしで、全然型抜きとかりんご飴とかやらんようなってもうたからなあ。今日は買うとこう、貴重や。しやけど150円かいな。みかん飴やったら50円や。3本買えるいうねん。どっちしよ……。」

大阪弁であるということを除けば今とほとんど同じ思考経路である。
当時はほんとに何を買って何を切るか真剣に思い悩み、
大人になったら祭り会場じゅうの喰いもん買い占めたらあ!と、
ちっぽけな夢を世界征服の野望のように熱く胸に秘めたものだった。

誘惑いっぱいの食べ物出店を通り過ぎると、
魅力に溢れたアメイジングスポットである。
金魚すくい!ヨーヨー釣り!射的!ひもくじ!型抜き!輪投げ!
夢中であった。やらずにはおれないものばかりであった。
射的など、自分の隠れた才能を信じ込み、
自分は世が世なら不世出のガンマンであったとでも言うがごとき眼差しで、
照準合わせに時間をかけて、ねらい撃つのさ。当たらないけど。
金魚すくいなんて自称プロがいっぱいいる中、見えないようにこっそり手ですくうのさ。
ヨーヨー釣りは、終わってから何でこんなもん釣ったんだとイヤになるのさ。
ひもくじで当たるおもちゃはどうやって遊ぶのか見当もつかないのさ。
型抜きはオヤジが絶対ケチ付けるのさ。

そんな思い出に浸りながらゆっくりと出店の間を歩く26の俺。
貧乏かつ多借金とは言え大人の端くれ、祭りの支出に困ることもない。
心の余裕が同じ様な風景に哲学を見いだす。
なんで人は先を争って金魚すくうのだろうね。
つーか普通、あんな紙ですくえるわけないよね。
UFOキャッチャーと同じ心理なのかね。
とれっこないのに燃えてしまう。
たま~に、プロがいとも簡単に持って行くから、出来そうな気がしちゃうんだよね。
あれ、サクラじゃねえのか??

すくったところで後はどうする。
まあ、みんな仕方ないからしばらく洗面器で様子みて、
金魚鉢・エサ・ポンプ買ってきて、1週間で3分の2くらい死なすわなあ。
生き残ったのが妙にしぶとかったりしてさ。

ペットショップにおける金魚飼育セットの売上って、
夏祭りに強く依存してると思わないか?
どこから仕入れて、終わった後どう処理するのだろうと思っていたが、
(まさか下水には流さねえだろうな、川に放したらいいエサだぞ。。)
あれはきっとペット屋から格安に仕入れて、売れた分だけ払うのだ。
間違いない。それが地域経済と言うものだ。違うのか?誰か教えて。

俺もかつて祭りの後、友達が始末に困って棄てようとした金魚を引き取り、
俺も私もと言われるがままに大量の金魚をウチに連れ帰り、
水槽セットを買うに至ったことがある。大学生の頃かな。
環境ばっちし整えてやったのにもう、ばったばた死んで、
生き残った3匹だけが元気よくその後数年ウチの玄関で泳ぎ続けた。
その最後の一匹が先日、ついに力尽きて水面に浮いた。
埋めてやる。当然墓標はアイスの棒だ。
主を失った水槽は水面が揺らぐこともなく、静まり返っている。
それが玄関の「がら~~ん」度を上げ、妙に寂しいのだ。
自分以外に生き物がいる、その安心感が欲しいのだ。
いや、ゴキブリはホント困るけど。
そこで思い立って、近所の熱帯魚屋に行ってみた。

その店は営業時間までまだ1時間ほどあった。
そこで小腹が減ったので門前仲町の美味い大学芋屋へ行くことにした。
そしたらその真向かいが偶然にもペットショップであった。
古い店舗には所狭しと実に節操なく様々な生き物たちが詰め込まれている。
金魚のコーナーへいくといくつもの種類別に水槽が積まれており、
いちいち種類と値段が書いてあるのだが、
戦前に書かれたのではないかと思うほどの古びた紙に筆書きのそれらはことごとく読みとれない。
店番とおぼしきおばあちゃんが薄暗い物陰に座っていたので声をかけた。
「すんません、金魚…安いのでいいんすけど、どの辺がいいっすかね?」
「そこのやつならどれでも300円でいいよ!」
指さされたその方向には最早水槽とは呼べない「大きな桶」があった。
そこに、専門家にすればおそらく大して価値がないと見なされたのだろう、
不揃いで、模様も地味な落ちこぼれたちが泳いでいた。

俺はこういう奴らが好きなのだ。
不良品でどこかが欠けてる人形とか、誰にも相手にされないだろうヤツ、
おおよそ資本主義において価値の無さそうなヤツには、
他の誰にもない哀しさがある。
そいつらとしか分かち合えない気持ちというものもあるのだ。
もし俺が将来ペットを飼うならば、犬を飼うにも保健所へ行くし、
念願のぶたであったなら養豚所へ行くであろう。
高値のついた、つまり人間が価値を付けたようなのは別にいらんのだ。

水槽を、いや大きな桶を上からのぞき込む。
するとなんか一斉にこちらへ愛嬌振りまいてるようにも見えるから面白い。
「ふむふむ…。あんまり拗ねてなくて、丈夫そうで、ちょっぴりふてぶてしいのがいいなあ」
などと思いつつ選んでいると、ものすごいのがいた。
白いのだ。たった一匹、真っ白なのだ。
他を寄せ付けない圧倒的な何かがそいつには、ある。
なんで落ちこぼれコーナーのここにいるのか解らないが、
その媚びない瞳にはたっぷりのDHAと共に、なにか訳が隠されていそうでもある。
惚れてしまった。

あと2匹、元気の良さそうなのを選び、さらにちっこいのをまとめ買いして会計を済ます。
上機嫌で家へ帰る途中ふと気づいた。
「あ、エサ買ってねえや。さっきの地元の店で買おう。」
ハンドルを切り、最初に立ち寄った店へ向かう。
こちらは明るく整然とした店内で、いつも詳しい兄ちゃんがあれこれと教えてくれてたのだ。
もっていた金魚を見せ、
「すいません、こいつらのエサ下さい」
というと店員がぎょっとした表情を見せた。
「お客さん……これ…鯉ですよ…。」
「こい?!鯉ってあの鯉コクの?!」
「ええ。こいつはでっかくなりますよ。その金魚とは別にしないと、全部喰われちまいますよ。」

えらいこっちゃあ。
道理で、威風堂々としているわけである。
よくよくみれば立派なヒゲも生えているではないか。
髭の生えた金魚なんかいねえよ、気付けよ俺。
図らずもこの若さで鯉のオーナーである。
社交界デビューへの第一歩といっても過言ではあるまい。
仕方ないのでそれ用のエサを買い、新たに水槽を買い、
二つの水槽でそれぞれの新生活が始まった。
寂しかった玄関が一気に賑やかになった。
てか、なりすぎである。
静かだから何か音楽かけてと言ったらデスメタが流れたようなもんである。
寂しいから誰か遊びに来てと言ったら新装開店のちんどん屋が来たようなもんである。
彼氏にバイクで迎えに来てと頼んだら暴走族が来たようなもんである。
バンドメンバー募集してたらスリップノットになってしまったようなもんである。
ご老公さまに助格だけのはずが、弥七にお銀にうっかり八兵衛である。

しばらくはこうして玄関で毎日パーティだったのだが、やがてバブルは弾けた。
鯉ともう一匹を残して、金魚全滅である。
水も換え、エサもやり、ポンプまで最新式のを入れたやったのにも関わらず。
生き残った金魚はでかかったので、この際鯉と一緒にしてみた。
そしたら、仲がいいんだこれが。
ケンカもせず、悠々と日々を生き、
今もウチの玄関で誰かが帰ってくるたびにぴちゃんと跳ねる。
大きくなった金魚の方をよく見ると、なかなかどうして美しく立派なヒレだ。
そして鯉はといえばもう相当に巨大である。
跳ねたりなどしようものなら壁までしぶきが飛ぶ。俺の靴も濡れる。

……どうしよう。
しかも鯉は丈夫で長生きだ。十数年は余裕で生きる。
かくなる上はこの鯉が快適に住めるような池付きの豪邸を建てるしかねえな。
バンドでよ!

てなわけで気合を新たにする夏の一日であった。
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