僕は自他共に認めるアンチ安倍晋三で、
彼の完全な政界からの退場をずっと願ってきた人間ではあるけれども、
それでも、今回のような事態が起きたらそれは絶対マズいよなとは思っていた。
そして実際こうなってみて、やはり大きな危機感を覚えている。
「民主主義社会において、何人に対しても、暴力やテロは許されない」
それは決してただのお題目ではない。
「気に入らないアイツが消える社会」の心地よさは、
「いつ自分が消されるかもしれない」恐怖を上回るものではないはずだ。
90年ほど前、言論を無視した暴力の連鎖がどんな破滅的な展開を呼ぶか、
既に日本は経験済みで、よ〜く知っているはずじゃないか。
ただ、多くの政治家が便利に使い回しているが、
今回の一件をもって単純反射で「民主主義への挑戦」とするのは、
なんだか引っ掛かる点が多い。
民主主義は多くの概念を内包するが、暴力と対義関係にあるのは言論だろう。
安倍は言論を軽んじ続けた人間だ。
様々なことばの意味も、憲法も法律も、対立する者の言辞も、
勝手に定義を変え、決めつけ、語彙や論理を破壊し続けた。
勝手に定義を変え、決めつけ、語彙や論理を破壊し続けた。
説明責任も果たす果たすと言うばかりで、
その実はいつも逃げて、ごまかして、もみ消して、ウソをついてきた。
反論や追及には一方的に勝手な言い分をまくし立て、
時には感情的に恫喝し、無視し、ことさらに嘲笑して見せた。
そんなことで「説明責任」を果たしたことにした。
発言や行動に矛盾があろうと、明らかな誤謬があろうと、
「私は内閣総理大臣なんですから」の一言で押し切り、
閣議決定などという陳腐なやり方で日本語の意味や定義さえ歪めた。
「募ってはいたが募集はしていない」
「『そもそも』には『基本的な』という意味もある」
「私は立法府の長だ」
などとオツムの程がしれる頓珍漢な答弁をくり返し、
歴史認識もムチャクチャ、まるで無知無学。
そのくせ同じ舌で対立者に「もっと勉強した方がいいと思いますよ」などと、
平気な顔でのたまえるのだ。まともな神経じゃない。
おおよそ、恥というものを知らない。厚顔という言葉でも足りない。
論理がまったく通じない。ましてや科学的思考など絶対に無理。
そんな人間を8年間もありがたがって宰相にいただいて、
言論による政治が一体この国のどこにあったのか。
検察も裁判所も内閣法制局も、みんなズブズブになし崩し。
日本の民主主義など、とっくの昔に機能不全に陥っており、
それが可視化されただけではないか。
それでも見えないという人は一体どこで何を見ているのか。
見たいものしか見ようとしていないのか。
暗殺実行犯は、対立勢力の一員ではなかった。
その意味では、厳密な意味の政治テロではないし、
「日本の民主主義への挑戦」とは言えないかもしれない。
正常な判断が出来なくなった人の突発的な犯罪であったかもしれない。
しかし、権力者の裁かれるべき罪がきちんと裁かれないと、
こうして私的制裁を企てる連中が跋扈するのを後押ししてしまう、
それは否定できないのではないか。
たまたま今回は個人による犯行だったけれど、
この「選挙も検察も除けない『巨悪』を、暴力なら簡単に排除できた」
という前例は、果たして今後、
この不安定な日本社会にどんな影響を及ぼすだろうか。
その意味で僕は、政治権力と癒着し、責任逃れに終始し、
政権側にとことん甘い日本の司法や検察が今回の事態を招いたと理解している。
誰かがTwitterで言ってたけど、
「ちゃんと牢獄にいればこんなことは起きなかった」はずなのだ。
安易に敵味方をハッキリと塗り分け、時間をかけた誠実な話し合いを厭い、
相互理解に価値をおかず、法や理念を軽んじ、目的のために手段も選ばない。
そんな政治手法の象徴的存在が、こういう形で最期を迎えたのは、
もう皮肉だと言うほかはない。
あの短絡で無責任極まりないスタイルは、いまや日本社会全体に浸潤し、
粗雑で厚かましく図々しく、暴力的なほどに世の中を変質させてしまった。
維新もN党もその他のカルト政党も、みんなある意味安倍一派の亜流だ。
開き直った無知・無学。反知性・反科学・反論理。
やってしまえばこっちのもの。押し切って逃げ切ったものの勝ち。
改竄・捏造・隠蔽・廃棄、後は開き直って野党と中韓の悪口言ってればOK。
そして今日、この参院選の結果。
日本はついにここまで退行したのかと嘆息、いや、戦慄する。
安倍の今までのあれこれはみんなこれでチャラ。
公文書の改竄も、経済の重要な統計の偽装も、モリカケも、サクラを始めとする有権者買収も、暴力団に選挙妨害を依頼したことも、西日本豪雨のさなかに宴会やってたことも、馬鹿のひとつ覚えで円安をごり押して物価を高騰させたことも、社会保障を理由に消費増税を強行したのに法人減税の穴埋めに流用して社会保障を縮小したことも、国会で虚偽答弁を数百回重ねたことも、何百億円もの血税を劣悪な布マスクに浪費したことも、みーんな、チャラ。
もう安倍が生きて断罪され、罪を償うことは未来永劫ない。
これ以上、罪を重ねることも、隙を見せることも、失言さえもできない。
金日成のように「偉大な指導者」として語り継がれてしまうのだろう。
テレビでは連日「悲劇の最期」が情緒的に語られている。
生前の「功績」も人格も最大限美化され、
そのうちに英雄視され神格化されていくのだろう。
自民党と安倍の手先、さらにその信者たちはさらに先鋭化するだろう。
三原じゅん子のあの芝居がかったアピールは見るもおぞましかった。
ああいうのがウヨウヨいるのだ、自民党には。
そして人を疑うことを知らない、多くのミーハーで「純粋な」有権者たちは、
ただ感情に流されるまま、政権のイメージ戦略に操られるままに投票する。
行き着く先は、自民党のあの悪夢のような草案通りの憲法改正だ。
もう、最悪という言葉でも足りない。まるで戦前と同じじゃないか。
子供たちの生きる未来の日本はどうなってしまうのか。
憂鬱だ。とにかく憂鬱だ。
僕が最も忌み嫌っていた政治家が突然退場したその日から、
こんなに憂鬱な思いを強いられるとは。
なんて皮肉なんだろう。