いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

僕が死んだら

2007-04-26 02:24:20 | 特選いぶたろう日記
どうなるだろう?と、たまに考える。
死んだ後の世界については考えないことにしている。
考えたって解りっこないからだ。
子供にとって大人の世界が想像もつかないように、
けれど大人になってみれば、ああこんなもんかとわかるように、
死後の世界も死んでみれば解るものなんだろうと思う。
いつかも書いたが、この世の過ごし方で来世が決まるなんて、ぞっとする。
そんなあーた、中学生の内申点じゃないんだから。
死んでみなければわからない、
あるかどうかもわからないのに、あるという前提に立つのもばからしい。
そこで、死んだら何もないという仮説に立つ。

とすると、自分が死んだ後この世の中はどうなるのか、
自分は関知することが出来ない。
もちろん、自分独りいなくなったところで、地球は回る。
海の魚が一匹死んだとて、海に変わりはないように、
僕ひとりが消えたとて、
陽は昇り、電車は走り、テレビはわめき、タイガースは勝つだろう。

自分の周囲はどうか。
あの世がどんなところかはわからないが、
この世がどんなところかについてはまあまあ知っているので、
自分の周囲が、自分を欠いた時どうなるのか、
想像してみるのはわりと面白い。

「僕が死んだって誰も何にも思わない」
「誰か悲しんでくれますか」
とことさらに言うのは、構って欲しくてたまらない、
本当に寂しい人みたいだ。
そういう意図じゃないことは誤解なく伝わっているだろうか(笑)。
念のため、本当に念のため言っておくけれど、
自殺とかそういうことを考えているわけじゃないからね(笑)。
僕は基本的に自殺というものに対して否定的だ。
特に、五体満足でありながら死を選ぶ者についてはアホだとすら思う。
何を、どうして、どれほど苦しむかは人それぞれなので、
「そんなことで」とは言いたくないが、
それでもやはり、自ら死ぬからにはよっぽどのことじゃなきゃだめだと思う。
くだらないとは言わないが、
考え方ひとつ、やり方ひとつでどうにでも改善できるようなことを気に病んで、
苦しみながらもなんとか闘おうともせず、抗おうともせず、
実に気軽にリセットボタンに手をかける人々を、僕は軽蔑する。
世の中にはもっと生きたくても生きられなかった人が大勢いるのだ。
事故で、病気で、犯罪で、戦争で、天災で。
その人達の無念を思う時、多少ツライことがあったって、
自分の人生を安易に切り上げてしまうなんてことはできっこない。
健康で五体満足でさえいられるならば、こんな幸せなことはないと思い直すべきだ。
あまつさえ、世の中には健康を失い、身体の不自由を抱え、
それでもなお懸命に生き抜こうとしている人々もいるのだ。
その人達にも、失礼じゃないか。

で、死にたいと思っているワケじゃないんだけれど。
でも、僕が死んだらみんなどう思うのか、どうするのか、
誰が悲しんでくれるのか、誰が喜んでしまうのか(笑)、
興味は尽きない。
意外と、無反応だったりして(笑)。
まあ、親兄弟がしみじみしちゃうのはしょうがないとして、他はどうかなあ。
ロクに付き合いもなかったくせに、また別に悲しくもないくせに、
あるいは生前僕のことなんか鬱陶しがってたりしたくせに、
死んだことでチャラにしてやるみたいな感じで、
葬式で「あいつも・・しょうがないヤツだったけど、死んじゃうと寂しいな」
なーーーんて、ぬかしやがっちゃったりして、
で、周りの人に
「あいつ、イブキと仲悪かったのに、本当はイイヤツなんだな」
みたいなポイント稼いじゃうの、それだけは許し難いな(笑)。
ウソ発見器とか置いておきたいなあ。
生徒は泣いてくれるだろうか。
リバっ娘はどうだろうか。
Rebirthメンバーは来るヤツ来ないヤツ、はっきり色分けできるな(笑)。
男と女の来場比率はどちらが高いであろうか。
「どうして死んじゃったのよー!・・・好きだったのに・・・」
なーんて、棺桶にすがりつかれようもんなら、生き返ってしまいそうだ。
ちょっと、女の子何人かでやってみてくれる?(笑)

ともあれ。
ふと想像してみた時、アイツは困るだろうな、ここは大変だろうな、
そんな風に思えるようでありたい。
例えば塾の先生なんて、世の中にごまんと居るわけだが、
僕の授業は僕にしかできないものでありたい。
もちろん、僕がいなくても塾は続く、
僕の授業は代わりの誰かがやるだろう、
それは僕の授業よりもずっと質の高いものかも知れない、
しかし生徒がみんな僕のことを忘れない、
そんな存在でいられるために頑張ってなきゃいけないなと思う。
歌だって、文章だって、そうだ。
僕よりもうまいやつは掃いて捨てるほど居るだろう、
だけれど、僕のがいいんだ、と言ってくれる人を一人でも多く作りたい。
有名か無名か、カネになるかならないかは、もはやどうでもよくて、
僕が僕として生きた証、僕でなければならなかった必然性というものを、
どうにかこうにか、この世に残していきたいと思う。
その意味で、僕の闘いはRebirth退散で終わったわけではないのだ。

次の目標は、葬式で泣いてくれる人、
惜しんでくれる人を一人でも増やすこと。
手段は、問わない(笑)。

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びっくりするくらい

2007-04-25 01:49:40 | 特選いぶたろう日記
時間の流れが速くなっている。
1日なんてほんと、あっという間だ。
誰かの陰謀で地球の回転が速くなってるんじゃないかと思う程だ。
昔、『スーパーマン』で恋人が死に、
怒りと悲しみに震えたスーパーマンが地球を逆回転させ、
時間を戻してしまうという荒技を見せたことがあったが、
最近は加速させてんじゃないのかと思う。

月曜は、休日。
朝早く、5時頃に何となく目が覚めて、
そのまま家で楽器さわったり、本読んだり、メール書いたり。
はっ!と気がつくともう11時だった。午前中も終わりだ。
風呂に入る。
湯船に浸かりながらうとうと眠ってしまい、
溺れそうになって気がついたら12時半。

小豆を連れて散歩に出る。
たらたら歩いて海へ出た。
ラーメン食ったらもう2時過ぎ。速い速い。
かつて昼休みから6時限終了までは、
脳みそとろけるかと思えるほどに長かったことを思うと、
まったく地球の自転は3倍速くらいになっている。

浜辺を歩いて、どろんこの小豆と戯れ、
家に帰ったら日が暮れた。
小豆の足をきれいに洗ってやる。
慣れたもので、ほいほいと足を上げて応えるからラクチンだ。
洗面器にお湯を張ってやると喜んで浸かり、うっとりとしている。
風呂好きの犬というのもおっかしい。

7~8kmは歩いただろうか。
なんせ前日は同僚と「ラムしゃぶ」に舌鼓を乱打してしまい、
朝に62キロだった体重を64.5kgにして凱旋したのだ。
消費しておかねば。
しかしバイク通勤に慣れたひ弱な脚はぱんぱんだ。
脚をもんでたら小1時間ほどうたた寝してしまった。
まったく、我ながらよく寝る。

よく運動して、よく寝ると、当然腹が減る。
近所のウマイと評判の店に寿司を食いに行く。
なるほど、確かにウマイ。
調子に乗ってウン千円。
でもこれくらい美味ければ払い甲斐もあるな。

家に帰ると早10時半。
買っただけで見られないでいたDVDを一本観て、
読みかけの司馬遼太郎をつらつら読んでたら意識を失った。

気がついたら今日の昼。仕事行かなきゃ。
小豆はちゃっかり俺の脇で寝ている。
俺が起きたことに気がついて、顔をなめ回す。うわわ。
昨日のデラックスな散歩を今日も期待するかのような瞳。
すまん、今日は行けんのだ。遅れそうなのだ。
歯磨いて、顔洗って、ヒゲ剃って、コンタクト入れて10分。
バイクに乗ってかっとばし・・・たいけど次捕まったら免許取消だからな。
とろとろとろと職場に向かう。
今日もまた忙しい1日が・・・

・・・始まるかと思ったらもう終わっちまった。
休日も速いが仕事のある日はさらに加速度がついて速く感じる。
もう2日が経ったのか。
なんて速さだ。
カレンダーに目をやれば、もうじき4月も終わりじゃないか。
うーん、こないだ年が明けたとこじゃなかったっけ?

この勢いで10年20年が過ぎ、人生終わっちまうんじゃ、たまんねえなー。
でも不思議なのはこれだけ毎日があっという間に過ぎていくのに、
給料日まではやっぱり長いということだ。
免停の期間もやっぱり長い。
ホントに不思議。

明日は、その給料日。
またウマイモンでも食おう。
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自分がすべてになってしまうと

2007-04-23 08:59:16 | この国の憂鬱
気持ち悪いことの典型例だろう。
そのつもりはなくとも、結果として悲劇のヒロインに酔っちゃってる。
いや、私生活で、身内の中で勝手にやる分にはいいよ。
ドラマの中だったら笑えるでしょう。
でもこれが政治の場でということになると、
まあ私物化以外の何ものでもないわね。

そう。
長崎市長選挙のことを言ってるんですよ。
候補者の応援演説では
「父の遺志を継がせて下さい・・・」とカメラの前で泣き、
前市長が殺害された日に立ち寄ったという商店街に繰り出して行っちゃあ、
カメラの前で泣き、
落選決定の際には両脇を抱えられながらカメラの前で泣き、
おまけによろめいてみせるという過剰演出ぶり。

父の死にショックを受けるのは解る。
しかし、それは私情だろう?
権力目当ての涙と言われたくないでしょう?
こらえてなんぼの涙でしょうが。
あんまりくどいと、それで票を買おうとしてると言われますよそりゃ。

そこまで言うかって?
でもね、人前で、しかも選挙運動の場で、これ見よがしに、
何回も何回も流してみせたのが、
父を亡くした悲しみの純粋な涙だってのは無理あるよ。
その本性は、落選後のコメントでバレてる。

「長崎市民の皆さま、皆様にとって、父はその程度の存在でしたか?」
「父が愛した長崎で、このような仕打ちちを受けるとは思いませんでした・・・」
「ごめんなさい、こんなこと言って・・・」


あ~気持ち悪い~~!

公私混同、甚だしい。
アテが外れて逆ギレかい。
「民主主義」とか「選挙」のもつ意義を、まーったく理解してない。
政治に三流ドラマを持ち込んじゃいけねえよ。
いや、お涙頂戴大好きの日本の政治は三流ドラマ以下だったりもするけれど。
だいたい、選挙に負けたのはあんたの親父じゃなくてダンナだろ。
見苦しいにも程がある。

長崎市民は冷静な判断だった、と言いたいけれど、
それでも数百票の僅差であったことを思うとそうも言えないなー。
やっぱり、選挙って高齢者中心の票構成になっちゃうからなー。
なんでも情実中心で安易に考えるイナカのじじばばばっかしじゃあ、
公正な判断なんてとても期待できないしなあ。
やっぱり、日本の民主主義は衆愚政治以外のナニモノでもない、かな。
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一寸先は闇と言うけれど

2007-04-21 01:28:28 | せんせいとよばれて
うららかな春だ。
例年僕を苦しめる花粉症も、そもそもの今年の飛散量の少なさと、
昨年出会った劇的に効く薬のおかげで、ほとんど自覚症状なく過ごせている。
鼻水も、鼻づまりも、頭痛も、目のかゆみもまったくなし。
快適な春を満喫できる身の嬉しさよ。
家の周りでは遊歩道沿いに赤白のツツジが咲き始め、
雨上がりの夜なんかに歩くと、照明に映えてじっつにきれいだ。
ちょうど5月の連休を呼ぶように咲くこれを、僕は毎年楽しみにしている。

さて、そんな優雅な季節にも、なんともはや・・・な事件は起こる。
今日、中3生徒がわいわいと話し込んでいるところに通りすがると、

生徒「先生、知ってる?なんか、男が立て込んでるらしいよ?」
息「へ?」
生徒「立て込んでるんだってば。」

・・・・・・忙しいのか?

息「おい、それはひょっとして『立て籠もってる』んじゃないのか?」
生徒「・・・・あ、そうかも。」
息「どこで?」
生徒「わかんない。東京じゃん?」
息「なんで?」
生徒「さあ。」

さすが感性とパッションの10代。まるで要領を得ない。

息「建物に?」
生徒「ああ、なんか自分の家みたいだよ」
息「・・・・それは・・・立て籠もりというより『ひきこもり』じゃないのか?」
生徒「いやいや、でもニュースでやってるよ!」
息「話を総合すると、仕事が立て込んでて、家に引きこもってて、それは俺もよくやるけどなあ」
生徒「・・・ちがうんだって~」

のほほんを画に描いたような日常である。
こういうの、割とキライじゃない。

かと思えば。
海を越えた隣国ではこんな大惨事。

ーーー
2007年4月18日午前7時45分ごろ、遼寧省鉄嶺市の清河特殊鋼有限会社の工場内で、30トンの溶鉄を鋳型に流し込む作業中、溶鉄を入れた釜が突然機械から脱落。超高熱の溶けた鉄が、あたり一面に飛び散り、すさまじい流れとなって、あっというまに5メートル離れた引継ぎ室の中へと流れ込んだ。
ちょうど会議中でその場にいた32名全員が死亡、作業中の職員2名が軽傷を負った。軽傷者2名は現場から自力で脱出したが、そのほかの者は現場から逃げることはできなかったもよう。
事故発生の通報で駆けつけた消防隊員やレスキュー隊員も、現場があまりにも高温のため近づけず、救出活動は難航した。
(Record China/yahoo記事より)
ーーー

ううーーーん・・・・・。
すさまじい。すさまじすぎるぞ。
ターミネーター2じゃあるまいし。
この日死んだ32名は、まさか自分が溶けた鉄に呑み込まれて死ぬなんて、
鍼治療の鍼の先ほども考えなかったに違いない。
人生わからんなあ・・・。
コワかっただろうなあ・・・。

俺は割とよく、色んなこと想像しちゃう方だ。
クルマをたくさん摘んだトレーラーの後ろをバイクで走ってると、
なんかクルマが外れて落ちてきそうな気がして避けちゃったりとか、
何かが落ちてくるような気がして建物に入ると必ず上をチェックしたりとか。
サイバーなんかでも天井やキャットウォークが崩れ落ちてきても、
自分だけは生き残れるようなポジション探してたし、
その他の場所でも、まちがってもエアコンやシャンデリアの下には居ない。
ちょっとゴルゴっぽい(笑)。
でも、死ぬか生きるかの運不運なんて、まさに紙一重の差でもたらされたりする。
はだしのゲンが小学校のコンクリ壁に助けられたように。
自分のちょっとした心がけでその確率が少しでも上がるなら、
まあやっておいて損はない。
気分的にも悪くない。

でも、でも。
まさか会議中に溶けた鉄が流れ込んでくるなんて思わない。
9/11テロの犠牲者も、
まさか飛行機がオフィスに突っ込んでくるなんて思わなかったろう。
アメリカの銃乱射事件もそうだ。
まさか学校で撃たれて死ぬなんて思いもよらない。
とかなんとか言ってるこの瞬間に、
核が落ちて蒸発しちゃうかも知れない。
まったくもって、先がわからんというのは恐ろしい。
怖いけれど何をどう怖がっていいのか解らんとこがまたコワイ。

一方で。
先がずーっと見通せるのはもっとコワイ。
このまま仕事続けて、たぶんこの人と結婚して、
で、この辺に住んで、このくらいに死んで・・・みたいなの。
俺はそういう人生は本当にコワイ。
なんだか、生きてる実感というヤツが失われてしまう感じがするからだ。

一寸先は闇だけども、だからこそ進んでいきがいがあるというか。
ひょっとしたら3年後には予想もつかないような仕事してるかも知れないし、
5年後には意外な相手と結婚してるかも知れないし、
一生しないかも知れないし(笑)、
10年後には想像もしなかったような所に住んでいるかも知れない。
そういうのが、いい。
進んでわざと無軌道・無鉄砲・無茶苦茶をやる必要はないけれど、
常に変化に対して可能性のトビラを閉じてしまわないような生き方はしていたい。

この先、意外とあっけなく死んじゃうのかもしれないけれど、
それが見えてるとしたら大変オソロシイ(笑)。
その意味で、戦場というのは狂ってるとしか思えない場所だ。
俺は誰に何と言われようとも、絶対に戦争にだけは参加したくない。
殺すのも殺されるのもまっぴらだからだ。
…仕事人?
仕事人は良いのだ。悪を討つのだ。
なんてーかこう、政府の命令で命を無駄に捨てるのがイヤなのだ。
あんな、たかが時速90キロで道路走っただけで10万もむしり取るような政府の。
だから、例えば公安委員会とか、国土交通省とか、
検察とか、警察トップを仕置きするのはいいのだ。

溶けた鉄に呑み込まれて死ぬのはイヤだけど、
一寸先も百里先も、闇でいい。
闇の中にあればこそ、蛍の光くらいのささやかな輝きをも、
見つけることが出来るのだ。
花粉症が軽い、とかね。
闇でいいんだけれど、少なくとも、
授業中に溶けた鉄が流れ込んできて、侵入者が銃を乱射して、そこにハイジャックされた旅客機が突っ込んできて・・・っていうのはさすがにイヤだなあ。
てか、それでも生き残っちゃう自分でありたい。だったらいいや。
そう、いつかも言った、人生フォワード。
この先もずっと、神様に特別扱いされていたいぞ。

…本気でこういうこと言うから、人格疑われるんだよねえ。。。
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僕が一番イヤなのは

2007-04-20 03:45:12 | いぶたろう日記クラシック
すんごい事件が相次いでいる。
長崎では市長が撃たれ、アメリカでは銃の乱射で32名が命を落とした。
まあ、起きてしまったことはどうしようもない。
どうしようもないことを後から「たられば」で語るのは僕の主義ではない。
また、ここぞとばかりにイイヒトぶって、
いたずらに偽善コメントを垂れ流すほどおめでたくもない。

だけど、理不尽だなー、とは思う。
結局世の中、キレたヤツの勝ちなんだろうか。
この「キレる」っていう情動及び表現、僕は大嫌いだ。
その一言で自分の言動を正当化できると信じているヤツ(結構多い)の、
知性・理性・品性のなさが大っキライだ。
話して解らないヤツ、解ろうとしないヤツはどうしようもない。
話し合い・裁判の余地すらないことになる。
それでもいいのか?

民主主義への挑戦だとか、言論の封殺だとか、銃社会の悲劇だとか、
そういうカビの生えたようなステロタイプの切り口はどうでもいい。
僕が今回の事件でそれぞれ気に入らないのは以下の2点だ。

1:政治の小道具にされる(長崎)
「亡くなった市長の代わりに」「遺志を継いで」出てきちゃう代替候補と、
それに何の疑問もなく「可哀想」「気の毒」で票を投じちゃう有権者。
日本じゃ死人は最強だからなー。
弔い合戦も何も、選挙とは関係ないだろー。
亡くなった市長は市長、周囲の人間は関係なくねーか?
対抗馬はモノ言いにくくなって迷惑だろうなー。
みんな「暴力反対」とか「新しい長崎を」とか始めちゃって、
ちっとも選挙の争点には食い込めなくなっちゃう。
つくづく、成熟した民主国家じゃねえなあ。

2:人種差別の引き金になる(アメリカ)
これを機に、アメリカでは「韓国人はコワイ」と言いだし、
韓国では「アメリカでの差別が助長される」と言い出す。
うーん。
これね、ほんっとおかしい話だと思うよ。
何国人とか、関係なくね?
ナニジンだろうが、おかしいヤツはおかしいし、イイヤツはイイヤツだろう。
どうしてそう、すぐ国とか民族とか所属先でくくるかな。
この事件はこの犯人がアタマのおかしいヤツだった、ってことだろう。
似たようなことやらかしたアメリカ人なんていっぱい居るはずだぞ。
日本にだってそうだ。
人種の問題じゃない。

なんでもこうやって括って、知った口聞いちゃうヤツ、いますね。
「~~人ってこういう人多いよね」
「~~大卒はこういうタイプ」
「~~県出身者はこういう感じ」
「長男は~~、末っ子は~~」
「A型は・・・B型は・・・」
「金星人は・・・」
自分の貧弱な人間観を披露してるようなもんだ。何が楽しいんだ。

まあ、そんなことを思うわけです。
ただひたすらに、「個」の確立に立脚した、成熟した社会を望む。
そのためにも、みんなもっと勉強すべきだ。
勉強しないヤツは、サルだ。
サルは街を出てサル山へ行け。

・・・ちなみに、俺は今度アカキップもって検察庁へ行く。
何度やっても懲りない俺もまた、サルかもなあ。
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高速道路を降りるとすぐそこに

2007-04-18 00:29:01 | いぶライダー闘いの記録
赤い死神がカマ持って待ちかまえてました。














呪・赤キップ2枚目ゲット!!
(この1年で2回目だぞおい)



・・・・・・・キップコレクターか、わしゃ・・・(涙)。

え~、またしても国家権力の陰湿なワナに嵌められました。
この後、推定7~8万円の罰金が科せられます。
オニです。アクマです。
しかも記念すべき2回目なので、
今回の免停は哺乳類最長のシロナガスクジラよりも長いです。

4ヶ月です。

死にそうです。

さすがに、今回は初めて、期間短縮の講習を検討しています。

2日間27,600円です。

しめて10万円です。
もう、逆さにふっても鼻血も出ません。

いっそ、簡易裁判で暴れて懲役刑にでもなってやろうかと思いましたが、
あまりにも情けないので割とすんなり諦めました。

払えばいいんだろ、払えば。
払ったらあ!!
こういうとき、つくづく、独身でよかったなと思います。
ああ、強がりですとも。
こんくれえのこと言わせろい。
しばらく独身でいたいと思わせるに十分な破壊力です。
あ、もちろん、財閥ご令嬢の方、社長未亡人の方、産油国の姫君、
その他、実家の財産がふんだんにおありの方などは引き続き募集します(笑)。

10万円あれば、ETC買ってお釣り来るよなあ。。。
10万円あれば、北海道で豪遊できるなあ。。。
10万円あれば、思い切って全部宝くじとかにした方がまだ夢もてるなあ。。。

でも、考えてもしゃあないので、ある方法で割り切りました。
お薦めです。
全部なんかの家賃だと思うのです。
これがまあ、家賃だと思うと不思議に腹も立たない。

ま、ね。
幸い、事故やったワケじゃない。バイクもカラダも無事だ。
あんまりスピード出しちゃダメよ、と何かの霊が諭してくれてると思うようにしよう。
事故だったら10万じゃすまねえからなー。

でもよ、片側4車線の国道のバイパスだぜ?
みーんな100キロくらいで走ってるトコ。
そこが50キロ制限なんだぜ?
で、90キロで走ってたらアカキップだぜ?
長崎市長もアメリカの銃撃事件も許せねえ暴力だけどな、
この交通取締も相当な暴力だと思うぞ。ほぼ恐喝だ。

ルールはルール、守れない人は走る資格なし!
・・・なーんて、思考停止がうまくできない俺、
正直、何をどう反省して良いかわからん。
やっぱカツアゲだよなあ。どう考えても。
この罰金が交通遺児とか交通被害者の救済に使われるってんなら、
まだ腹も立たぬものを。

ちっくしょう…絶対、将来政権奪ってやる。
そして全国の幹線道路の制限速度を50キロ上げてやる。
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日々更新すると

2007-04-14 12:06:03 | いぶたろう日記クラシック
アクセス数に反映するから嬉しい(笑)。
先月はまことに忙しくって、ロクに書いていなかったから、
アクセス数も沈滞していたのだが、
ここんとこマメに書いてみるともう3倍増だ(笑)。
まあ、本当に、嬉しいんですよ、嬉しいんですけどね、

・・・そんな面白いですか?これ?

まあ、あからさま度・ぶっちゃけ度では他の追随を許さないだろうけど(笑)。
とにかく、沢山の人に読んでもらうことが目的ではないけれど、
書いたものを読んでもらえるのは正直に嬉しいです。ありがとう。

てか、いぶろぐの不思議なとこは、
みーんなコメントをメールでくれるとこ(笑)。
記事によってはコメントゼロなのに、
メールでは十数通ということも。
いやー、やっぱし公開の場で、
ぶっちゃけ記事にぶっちゃけコメントを付けるには勇気要るよねー。
なんて緊張感を強いるブログなのだろう(笑)。
しかもみんな結構鋭いこと書いてるんだ。面白いよ。
こういう反応も有難いよね。
でもいただいたメールの内容って、
匿名でコメントとして紹介してもいいもんなんだろうか?

ま、面白いかどうか自分ではよくわかってないのですが、
読んでくれる人がいる限りは色々書いていこうと思っています。
居なくても書くけど(笑)。
面白いか面白くないか、感じイイか悪いか、そういうのも越えて、
何だか読まずには居られないブログ、を目指したいもんだねー。
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歌わなくなっても

2007-04-13 23:48:45 | Rebirth歴史資料館
歌ってのはスゴイもんだと思う。
言葉がメロディに乗っかる、ただそれだけのことで、
桁違いに表現の域が拡がる。
地平が開けると言っても良いくらいだ。
特に、この気持ちを表すのに、
もうこれ以上はないというくらいの言葉が、
この他にはないというくらいのメロディに出会ったとき、
その破壊力たるやすさまじい。
涙さえこぼれそうになる。
さらにそれがこの人しかないというシンガーによって紡がれた時、
心のダムは決壊する。
あとにはただただ、カタルシスの原野。
渇ききった大地に、まんべんなく水が恵まれて、
空っぽの心から芽吹き始めるのがわかる。
そんなパワーを秘めている。
だから、歌は大好きだ。

大好きな歌が、僕にはいっぱいある。
ほんとーにいっぱいある。
どれが一番かなんてとてもじゃないが決められない。
何が「いい歌」で「悪い歌」かもこの際、置いておきたい。
くだらないかそうでないか、オリジナルかパクリか、
そういうのはどっかで誰かが勝手に喚いてればいいことだ。
売上とか順位とかそういうもので価値をせっせとねじ曲げるのも、
ギョーカイのおバカさんたちにお任せしておきましょう。

この歌で何かが見えた、この歌で救われた、
この歌が心の支えになる、この歌で思い出す、
そういう歌をたくさん持っていると、心も人生も豊かになるようだ。
歌でお金を稼ごうなんて、実はものすごく不遜なことなのかもしれない。
本気で、そんな風に考えられる人はあまりいないだろう。
僕にとっては音楽は損得や利害ではなかった。
そういう、心を豊かにする歌を作りたかったのだ。
売れるためにどっかから切り貼りしたり、
言いたくもないこと言ってみせたり、
流行りモノをごてごてくっつけたり、
響きだけで中身のない安易な言葉をつないだり、
そういうのは本当に苦痛だった。
やっぱり、僕は音楽を商売にすべきではなかったのだ。

だけど、いや、だからというべきか、
僕は歌が大好きだ。
しばらく人前で歌う機会を得ていないけれど、
チャンスがあればまた歌ってみたいと思う。
・・・聴きに来てくれる物好きがまだ、それも一定数以上、居ればの話だけれど(笑)。
その時には本当に、歌いたい歌だけを、歌いたいように歌うのだ。
そして言いたいことも、言いたいように、言いたいだけ言うのだ(笑)。
・・・長くなりそうだな(笑)。
ま、4時間20分(2002.8.31Rebirth最長記録)を越えることはないでしょー。

自分の作った歌に限った話じゃない。
世の中には本当にいい歌がたくさんある。
もう俺ごときが新しい歌を作り出す余地なんてないんじゃないかと思えるほどだ。
それでも、挑戦はやめない。
誰にも何にも追われることなく、思いついたら、
何かを形にしたい衝動に駆られたら、
それを誰はばかることなく形にするのだ。
それこそが、アートじゃないか。
そこに計算や保身や媚び、迎合、追従が混じってるようなのに、
『アーティスト』を名乗る資格なんてあるのかね?
『アーティスト』って、すごく努力と勇気の要る自称だと思うぞ。

「自分で書いた詩の中で、どれがお気に入りですか?」
と聞かれることがわりとよくある。
そういう質問は割とイヤじゃない(笑)。
むしろ作品にも作者にも関心を持ってもらえて、光栄です。
というわけで、ちょっと振り返ってみます。
お気に入りをいくつか挙げるとするならば。
メロディと歌詞との絡みが絶妙なものほど、歌っててグッと来る(笑)ので、
そういう視点かなー。

・still shining
泣かせるメロディだよなー。シュンスケの最高傑作の1つじゃないか。
曲が良いと歌詞も引き上げられるんだよ。
未練を引きずっても、吹っ切れてもない、絶妙な境地だと思う。
ちなみにこれ、うちの妹が大学サークル時代に作詞して、
歌ったバージョンもあるんだよね。もちろん非売品だけど(笑)。
内容は俺も詳しく覚えてないけど、
たぶんあいつのことだ、俺より暗いぜー(笑)

・the last song
ものすごく寂しいことを、精一杯明るく書いたなー、という感じ。
何もかもが変わっていく、それは避けられないけれど、
変わっていくのは何も悪いことばかりじゃないよ、
っていうのはずーっとテーマだったなあ。

・last scene
これはねえ、本当にタイトルまんまの心境だよね。
辛かったんだろうなーと、当時の自分に同情しちゃう。
しかもあからさまにならないように、うまいこと抑えてるよなー。

・bullet,bullet
たぶんこんなの、もう二度と書けないんじゃないか?
世の中の腹立つことを、全部切り刻みたいだけ切り刻んで、痛快だわね。
ほかに「理想妄想show」も近いものがあるな。
言いたいこと言ってて自分で気持ちいい。
これを歌うのはもはや公開自慰行為。

・escape?
そうそう、bulletやknackもそうだけど、
この頃は何だかやたらと筆がのってて、
phrase X あたりで、5~6本書いてるんだよね。
それまでは書きたいことをつなぎ合わせてうまくいけば…みたいな感じだったけど、
このころから全体の構成もかなり意図的に調和が図られてる。
これなんか、おー、うまくできたなー、と思わせるものがあるね。
なーんて、自画自賛以外の何物でもないのだが。

あとは「stay」と「farewell and good-night」だろーか。
言いたいことを何の衒いもなく書けたのが、今でも実感できるから、
たぶん何年経っても恥ずかしくなったりすることはないと思う。
やっぱり創作においてウソを書かないというのは、大事だね。
きっとアレとかアレとか、無理矢理書かされてるから、
数年経ったら恥ずかしいんだろうなー(笑)。

まあ、そんなわけで。
いつかまた、歌わせて下さい。
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実は・・・

2007-04-12 00:30:32 | 特選いぶたろう日記
最近、転職を考えている。
もう、チャンスがあれば今すぐにでも、という感じだ。

思えば中学入学以来、やりたいことやりたいづくしの人生だった。
方々でワガママを貫き通し、貫かせてもらえなければ辞め、
あんまり努力らしきものもなく、感性だけでものを言い、
楽しさと面白さだけを追い求め、運と要領で生き抜いてきた。
言ってみれば、ずーーーっと留年しっぱなしの学生みたいな人生なのだ。

これでいいのか。
いや!

1年半前、バンドを辞めて以来、ずっと教育業に従事してきたわけだが、
なんかこう、ふつふつと、昔の夢がよみがえってきてしまったんである。

昔自分で書いた詩が僕の背中を押す。
「探してる夢ってなんだっけ、こんなもんだったっけ?」
「待っている明日ってなんだっけ、そんなもんなんだっけ?」

僕の本当に望む、なりたかったものはこんな自分だったか。
音楽や文筆、講談や演芸よりもずっと前、
幼い頃、本当に物心ついた頃から憧れ続けていた、
あの道に、今こそ進むべきではないのか。

・・・そう。











仕事人。



なりてぇ~~~~!!!!!!

晴らせぬ恨みを闇に解き、
法で裁けぬ悪を裁く。

指で、三味線で、組紐で、簪で、花の枝で、
闇に浮かび、悪を討ちてぇよ~~~!

・・・とまあ、ここんとこずーっと必殺ブームなのである。
2-3万もするDVDーBOXに惜しげもなく大金をつぎ込み、
CDと合わせて次から次から買い集め、
ユーチューブでも流しっぱなし。
挙げ句は自宅の鍵盤にBGMを打ち込み始め、
細かい音色やアレンジまで再現しちゃー喜んでいるというハマりようだ。

たまんねえ、あの世界観。
ありえねえ感じがまた最高にいい。
転職できるモンならいますぐにでも、闇の会に入りたい。

しかし。
どこの転職サイトを覗いても、ないのだ、仕事人。
年収比較とか、そもそも「何両」という項目がない。
勤務地は江戸希望だ。東京しかない。
資格とかもいるんだろうか。
むしろどっちかつうと刺客だが。

いや、本当になりたいんですけど。
ないですか、そうですか。
無念。

…あ、明日の英語テスト作っとかなきゃ。
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コクハクとか出来るヒトですか

2007-04-11 01:31:31 | 特選いぶたろう日記
みなさんは、その、やはり、なんですか、
人を好きになってしまうとコクハクとか出来ちゃう感じですか。
そうですか、まあそうしないと始まりませんからね。
いやいや、たいへんご立派だと思いますよ。
もうほんと、わたくしなんか、ね。とてもマネできません。

あ、わたくしですか?
あいやー。
それが恥ずかしながら。
まっっっっったく、苦手なんでございますよ。
もう、面と向かってコクハクとか、一度もやったことがない。
32年間で一度も、ですよ?
ダメなんです、ほんっとーに。

いや、32年間女の子と付き合ったことがないということじゃないですよ?
私だってそりゃ、人並みには色々ありましたよ。
ですがね、自分から始められないんです。
笑っちゃうでしょ?
まず早々滅多に人を好きにならないというのがあるんですけども、
珍しくハマったとしても、まず絶対動けない。
大前提として、
「先方もまた自分のことを好きである」という可能性を考えられないんです。

さらに、
「この人、ひょっとして私がこの人に気があると思ってるのかしら?」
と思われることが何よりもダメ。
ダメダメダメ。
そういうウヌボレくんだと思われることが何よりもダメ。
なので、誰も私を好きでないという前提に立つ必要があるのです。
だから、踏み出すこともない。

おそらく、200%の成功予測がなければダメでしょう。
それこそ、
「あなたがコクハクしてくれさえすれば私OKするので、
何月何日何時にお願いしますね」
くらい言われないと。
いや、言われてもダメかもしんない。
ワナだと思うかも(笑)。
あんたなら付き合ってもいいとか、招来相手いなかったら結婚してねーとか、
ぜーーーーーーーーーんぶ完璧なる冗談だと思って聞いております。
ひょっとしたら、なんらかのシグナルのつもりで冗談交じりにお伝え頂いて、
しかしながら私が何の反応も示さないもので、
早々にリストから削除された女性もおられるかもしれません。
陳謝致します(笑)。

ともかくね、ダメなんですよ。
男らしくないけど。
実際コクハクをして、ダメだった時に立っていられる自信がない。
堪えきれなくて液状化しちゃうかも。
そのまま気化して、あまつさえメタンを凌駕する勢いで地球を温暖化しちゃうかも。
無理ですよー。いやー、無理。
無理無理無理。きゃー。


…いや、「きゃー」は冗談ですけど。

まあこのまま、コクハクというヤツを一生しないで、
人生を終わらせてしまいそうです。
私は(好かれていると)勘違いを絶対しない人間ですが、
勘違いされにくい人間でもあります。
私が誰かを好きになったとしても、
好かれている本人はまったく気づかなかったりするんじゃないでしょうか。
いや、わっかんねえなー、それも。
案外気づいてて、コクハクを待っていて、
それが待てど暮らせど来ないから、ありゃ?てなもんかなー。
重ねて、深く陳謝致します(笑)。


・・・なーんて話を昔、シュンスケとクサカイにしたら、大笑いしてたなー。
おまえ、本当にイブキか?って。
うーん、こういうとこに男子校の後遺症ってあるんだろうか。
でも同じ男子校でもすっげーたくましいヤツいたからなー。
F井とかF本とか、ソンケイしてるよ、俺。
あ、すまん。特定したか、俺?

いやーしかし俺も。
「人間は」とか書いて3日も経たずにこんな記事書いてるからなー。
分裂症か?

何でこんな話かって?
いや、別に意味はないんだよ。
ちょこっと生徒からコクハクについてのプチ相談があったのでね。
すげーなー、十代って、すげーなー、って、思ったんだ。
そんだけ。
じゃな。

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人間は

2007-04-08 01:59:36 | 似非哲学の部屋
…という主語に続けて、あなたならどんな言葉を続けるだろう?

…すばらしい。
…聡明だ。
…身勝手だ。
…罪深い。
…欲深い。

色々考えてみたんだけども、どうもネガティブな言葉ばかりが思い浮かぶ。
僕の人間観自体がネガティブなせいもあるのだろうけど(笑)。

人間は、進歩する、進化する。
しかし争いごとはやめられない。
人間は知恵を持つ。
しかし欲望の延長線上に自己破壊の結末が見えていても止まれない。
人間は、希望を持てる。
しかし絶望もする。
人間は調和する。
しかし裏切りもする。
人間は愛を語る。
しかし嘘もつく。

逆立ちしたって僕には性善説なんて一生とれそうにない。
だから僕がただひとつ言葉を続けるとしたら、
「信じられない」だろうか。
いや、ちがうな。
この言葉は「信じられるだろうか?」という問いかけに対する答だ。
僕に言わせればその問いかけ自体、ナンセンスだ。
「信じちゃいけない」だな。

何も、世の中を悲観して言ってるワケじゃない。
何か辛いことがあったわけでもないよ(笑)。
いつかここで語ったとおり、僕は悲観でも楽観でもない、「達観主義者」だ。
事実をありのままに認識し、
「しょーがねーじゃんよー」と受け容れる。
その前提となるべき事実として、「人間を信じちゃいけない」を挙げたいのだ。

ではなぜ人間を信じちゃいけないか。
信じられる人だっているじゃないか、
現に私にはそういう人がいるぞ、
単にお前の周りにロクデナシが多いだけじゃないのか、
予想される反論はこんなとこだろうか。
性善説の、正義派の、甘ちゃんの、世間知らずの、
きわめて思慮の浅い意見だと斬って捨てさせてもらう、すまん。

そういう人は、非常に限定的な条件下にあるということを自覚すべきだ。
すなわち、人間には理性と感情とがあり、
前者が後者を完全に制御しているか、
後者の発露が他者の心証を害さないという前提においてのみ、
信頼関係というやつが辛うじて成立するのだ。
自分はこういうことをしたいけど、
実際に行動に移したら、顰蹙を買う、罰せられる、嫌われる。
そういった客観的な自己判断に基づくコントロールが出来なければいけない。
そのためには自分の「ライフ」がある程度満たされていることが必要だ。
衣食住に事欠くことなく(生命・生活)、
適度に愛されている実感があり、
仕事や社会における自分のポジションで自分の存在意義を確認でき(人生)、
自己を省み、他者を思いやる余裕がなければ、それは生まれない。
評価で、恋愛で、学業で、就職で、収入で、
明確な差がついてしまったために壊れる人間関係なんて枚挙に暇がない。

あるいは、この人のこういう言動は嫌いだけれど、
我慢して関係を保持していれば自分に利益がある。
お金だったり、試験前のノートだったり、容姿だったり、肉体であったり。
他者に対する我慢の度合いと、もたらされる利益や便宜とを秤にかけ、
後者に傾いている間は良好な関係を築こうとするが、
逆に転じた時にはいとも簡単に断ち切ってしまう。
こういう人間もまた、数多い。

そして人間は変節する。
どれだけ言葉を重ねようと、すべては「その時その場での気持ち」に過ぎない。
時が経てばどうにでも変わりうるものなのだ。
あえて、それをウソだとは言わない。
その瞬間の真実なのだろうと思う。
しかし真実とは時と共にうつろうものなのだ。
理性によって確立した「答」とは違って、
感情によって凝結した「愛」はたやすく溶解する。
「愛」が感情のひとつである限り、「永遠の愛」などあるはずがない。
だから「信じられない」のではなく、
傷つきたくなかったら、「信じてはいけない」なのだ。

ただ、勘違いしないで欲しいのは「信じるな」とは違うということ。
信じてはいけないのだけれど、信じてしまうことがあったっていい。
傷つくことに価値がないわけではない。
傷つくことで学ぶことはたくさんある。
だからあえて人を信じて、裏切られて、傷つくのもありだ。
ますます人が信じられなくなるだろうか。
それでも人を信じてみようと思うだろうか。
いずれにしても自分なりの答というものは経験によってしかもたらされない。

僕は、僕の経験に基づいて、
やっぱり「信じてはいけない」のだと、アタマでは思う。
数多くの人を信じてきた結果、
数多くの人に裏切られ、そのたびに傷ついた。
それでも、また信じてしまう自分がいただろう。
その結果、少なくない数の人と色あせない信頼を築くこともできた。
だが、それで人間すべてを肯定してしまうほど僕はおめでたく出来てもいない。

何よりこれ以上、
心の底から信じたものに裏切られるような経験をしたくないと、
心が望んでいる。
涙声にも似たその叫びは僕自身の中でいつも響く。
容易に人間を信じないことで、僕の世界は膠着するのかも知れないが、
それでも僕の世界を踏み荒らされるよりはマシなのだ。
だから僕は、実に前向きな意味合いにおいて、人を信じていない。

そのくせ、それを積極的な行動には出さないのがまた、奇妙に映るかな。
僕の中では絶妙なバランスなのだけれど。
ここまでのことは、僕の頭の中という形而上の世界でのことであって、
それをそのまま現実世界に持ち込んで、したり顔でいたくはないのだ。
引きこもるとか、友人知人を作らないとか、現実逃避に走るとか、
そういう安易な方法はとりたくない。
どこまでも矛盾を抱えて、現実世界でバランスをとって舵取りをしていきたい。
だから日常生活において僕のこの理念の発露はきわめて受動的。

一言で言えば、
「周囲の人間の誰が、いつ、どんな言動をとったとしても、
絶対に驚かないだけの心の準備はしています」
だ。

なぜあいつが、どうしてこんな、いつのまに、
そんなことは一切感じない。
ただ、泰然として一言、こう言うでしょう。

「…だろう、ね。」
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解る人は解ってくれてるとは思うけど

2007-04-06 02:31:14 | せんせいとよばれて
それにしたってアタマに来るのが今朝のニュース。
「塾講師、子供を連れ去り、逮捕!」
だ。

あーーー!トサカに来る!!

まーた「塾講師」が色眼鏡で見られちまうじゃねえか!
頼むよ、もう。
マスコミも嬉しそうに「塾講師が」だなんて報道しないでくれよ。
採用されたの先月9日だって言うじゃねえか。
まだ1ヶ月も経ってないんだぜ。
そんなもん「先生」と呼べるかよ。
素人だ素人。ごっこじゃねえか。
「塾講師が性犯罪」じゃないぞ、
ちゃんと正確に、

「塾講師になりすました性犯罪者」

と言ってもらいたいものだ。

確かにね、この業界は人不足で、
それでいて社会不適合みたいなヤツが、
「子供相手に威張ってりゃいいんでしょ?」
みたいな感じで入ってこようとすることもあるから、
必死でガードはしてるんだけども、
玉石混淆の世界なのは間違いないのよ。
立派な人だって沢山いるんだけどねえ。

ロリコンだとか性犯罪者なんてのは論外だけども、
どーにもコミュニケーション不全な人とか、なんか異様に権威主義の人とか、
妙なコンプレックス持ってる人とか、すぐキレる人とか、
そういうのは本当に困るよなあ。
ちょっと注意深く見てりゃ、わかるんだけどね。

塾講師を名乗る者が犯人だってことで、
またしばらくセンセーショナルに書かれちゃうんだろうけど、
どの職業でも同じだと思うがなあ。
学校の教師どころか大学教授だって、
果ては警察官や裁判官だって信用できない時代だぜ?
まあ、俺は俺で手の届く範囲の子供を守ってやることくらいしかできないけどね。

あーあ。
塾ってさ、誤解されてるけど、
ものすごく色んな能力を要求されるし、
人格者でなけりゃ親からも子供達からも支持受けられないし、
きちんとやろうと思うと、ものすごく大変な職業なんだぜ?
ほんの一部のいい加減な人間のために偏見を集めるとしたら、
イヤだね、ほんと。
頼む!一緒にしないでくれ!

で、今日。

会議の帰りに塾の地元の駅でメシ食って、
で、教室へ行く途中、卒業生(旧受験小6)の女の子3人組に、偶然会いました。
「うあー!先生だー!」って、笑顔でしばらく談笑してたんだけども、
去り際に俺がぼそっと、
「このまま話してるとまた『塾講師連れ去り』とか言われるから…帰るよ…」
とつぶやいて見せたら大爆笑してました。
シャレの通じる弟子達です。
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文章にしてしまうと

2007-04-03 00:18:42 | いぶたろう日記クラシック
そのおもしろさが伝わらないものって、ある。
授業なんてその最たるものだ。
何が面白かったのか、説明しろと言われると難しいのだけれど、
とにかくあの場にいたことで何だか楽しかった、面白かった。
僕の授業はそういうライブものでありたいと思っている。
参考書の「実況中継」シリーズみたいに、
完成された既製品にはなりたくない。
決まってる通りにやります、やらされてます感が漂うエンターテイメントは、
僕のもっとも忌み嫌うところだ。
(注:教育がエンターテイメントなのか?という疑問については、2005.8.11の記事を見るよろし)

次に何を言い出すかわからない、どんな説明をするのかわからない、
そういうライブ感は失いたくない。
授業に出ないと、感じられない何かを発し続けていたいのだ。
伝聞でおもしろさが100%伝わってしまうのも、ダメだ。
素材となる話に、僕という媒体の味が加わって成立している方が望ましい。
声色、表情、口調、動作、間の取り方、様々な要素からなるものだから、
いかようにも面白くできるし、その場その場で臨機応変にやるからこそ僕も楽しいのだ。

この辺のこだわり方は、Rebirth時代から一貫してるつもりだ。
バンドではメンバーやら裏方やら(時には対バンにまで)気を遣うし、
時に「キメウチ」の方がいい場合もあるけれど、
授業はいわば僕のソロだからね。
支持を得るも得ないも自分の力量ひとつ。
少なくとも、酔っぱらいの同僚に
「お前の喋りには反対意見もある」
とか、
「お前の喋りだけで客を呼べてる訳じゃない」
な~~んて、くっだらないこと言われなくて済むのが、かつてよりいい(笑)。
生徒だってバカじゃないから、笑いをとってるだけの授業だと、見切られます。
マリアナ海溝のごとき懐の深さが大事なんです。

てなわけで、毎日、教室は沸きに沸いております。
明日で、春期講座も最終日。
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大変な1日でした

2007-04-01 23:49:07 | 特選いぶたろう日記
春期講座。
朝から晩まで、熱のこもった授業が展開される。
地域の厚い支持を得られ、ここ数年でも最多の生徒数を抱え、
連日大忙しのわが教室。
生徒も教師も一生懸命取り組み、本当にいい雰囲気だ。
講座も6日目、いよいよ総括テストに向けて総仕上げの時期だ。
気合いも入る。
今日も頑張るぞ。

しかし。

このうららかな春の1日を引き裂くように、それは始まった。
教室内を衝撃の嵐が吹き荒れる。
やってくる生徒がみな、深刻な面持ちで退会を申し出るのだ。
しかも、次々と。かなりの数だ。止まらない。
受験を断念した、引越が決まった、
親が成績が上がらないから辞めなさいと言い出した。
何故だ。どうしてだ。
昨日まで何もかも順調だったじゃないか。

さらに受難は続く。
大量の退会者に危機感を感じてか、教員の中から退職を申し出る声が。
ある者は結婚退職を、ある者は末期ガンを告知されたことを、
またある者はK-1への出場を、動物園長への転職を、
今季からフェラーリでのF1参戦が決まった者まで。

最悪だ。なんつう日だ。

誰が始めやがったんだ、エイプリルフールなんて。
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