いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

Liberty is all I need

2019-05-31 00:09:45 | 似非哲学の部屋
世の中、好かれる人と嫌われる人というのがいてね。
みんな、どんな人を好きになるかって、結局「自分を心地よくさせてくれる人」なんだよね。
だとしたら「みんなに好かれる人」ってのは「みんなにとって都合のイイ人」っていうだけかもよ。
逆にそれを割り切って演じきることで何らかの利益を得ているのかもしれないし。
それが自然体だってんならいいけど、別に無理してまでみんなに好かれる必要ってないんだよね。

「みんなに嫌われる人」ってのは、それこそ本当に自由な人なのかもしれないよ。
自分の好きなものキライなもの思うところ、それらの一切に遠慮会釈を挟まない。
そのことのメリットが、みんなに嫌われるリスクを上回るというだけ。

で、実はこの2つは対照的なようで、他者から関心を寄せられているという点では共通してるんだよね。
嫌われてはいても孤独とは限らない。
本当の意味で孤独なのは「誰からも何とも思われていない人」じゃなかろうか。
みんなと繋がっているようで、実はそのつながりには熱や温もりがない。必然性もない。
誰かの背景の一部のような人生。
これは寂しい。
まだ自由に生きて嫌われている方がはるかにマシ。

それで僕はいつの頃からか、人に好かれる・嫌われるを本当にまったく気にしなくなっちゃった。
なんせ言わずもがなをいつでもどこでも誰にでもクチにしちゃうので、
嫌われるのが割とデフォというか、気にしたところで追いつかないのよね(笑)。
そしたらメンタルも実に健康になったし、その上で友達でいてくれる人はちゃんと友達でいてくれる。
もう、それで充分なんだよね。

僕にとって友達ってのは、良いときに馴れ合うばかりじゃなくて、
お互いの価値観は尊重した上で、ダメなときにはダメと、
間違っているときには間違っていると直言してくれる存在だよね。
僕も友達にはそうでありたいと思うし。

その点で、僕にはありがたい友達が(多くはないかも知れないけど)充分にいてくれていると感じているから、
別に自分を不自然に歪めてストレス抱えてまで、全員と仲良くしよう・人気者になろうなんて、しなくていいよね。

ノーストレスに優る人生なし。自由こそすべて。
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ポン酢醤油があればなお良し

2019-05-31 00:08:06 | 超・いぶたろう日記
傍目から見ると充分に収入もあって、家族もいて、
特に不自由なく暮らしているように見える人でも、
なんかいつもイライラしていたり、やたら卑屈だったり喧嘩腰だったり、
メンタルに不調を抱えてたりする。

そしてその原因はやはり
「数値化できる」
「他者との比較による」
幸福感への渇望なのかな、とも映る。

本当の学力や教養が偏差値なんかでは測れないように、
本当の幸福感は収入の多寡やステイタスの高低なんかに規定されない。
悩む人は悩む。
金持ちは贅沢に悩んでるだろうし、貧乏人は貧しく悩むのだろう。

幸福は他者との比較なんか関係なく、
普段の生活の中で当たり前に見えるものの中から自覚的に得られるものだ。
そうでなければ「幸福そうに見えるアクセサリー」をどこまで積み上げてもキリがなくなる。
いつまでも「不幸」なままだ。

僕は幸せだ、な。
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捜し物をしていたら

2019-05-23 04:31:18 | Rebirth歴史資料館
見つけてしまった二本組のビデオテープ。
時に2002年、27歳の僕と仲間たちが映っておりました。
僕が二十代のすべてを賭けていた「Rebirth」のワンマンライブでした。

あまりに懐かしかったのでしばし鑑賞。
歌も演奏も荒っぽいけど、とにかくひたむき。若い。痩せてる(笑)。
そして何より仲良し。
なかなか良い青春の延長戦を過ごしていたもんだなと、
1時間ばかり楽しんでおりました。

日付は2002年8月31日。会場は池袋CYBER。
二本組なのは、この日がRebirth最長記録(おそらくCYBER史上も最長)の
「4時間20分」のライブだったから。
ベーシストのダイゴとギタリストの京太郎の二人が脱退することになり、
自他共にベストメンバーだと認めていたラインナップが最後を迎えたあの日です。
長い長い夏休みが終わった日です。

いまさらバンドに関して未練だとか後悔だとかあろうはずもなく、
途中までニコニコと微笑ましく見てたんだけど、
だんだんライブの終わりに近づくにつれ、
何というかこう鬼気迫るものが感じられ、
一曲一曲が胸にズシっと響いてくるようになりました。

知ってる人にしかわからない話ですが、この頃のメンバーは本当に仲良くて、
バンドの一体感もかなり強いものがありました。
お互い若くてぶつかり合ったりもしたけど、底には厚い信頼感があって、
僕自身、振り返っても一番楽しかった頃です。

そんなに仲良かったのになぜ、というのは説明するのが難しい。
別にケンカ別れしたわけじゃないんです。
いまでもこの二人とは連絡取ったりもするしね。
でもバンドっていうのは、難しい。
特にこれで食っていこう、売れてひとかどのものになろう、
というのなら非常に難しい。
仲が良いだけではダメなんだね。
むしろ普段仲なんか悪くても、
お互いプロとして徹していれば成立したりもする。
おそらくこの頃のRebirthは、
メンバーも運営もファンもみんな仲良くて、楽しくて、
でもそれだから大きくなれないんじゃないか、
売り物になれないんじゃないかという焦燥もあった。

そんな中、二人は「ここではないどこか」へ行くのがお互いのためじゃないかと考えた。
リスクも大きいし、辛いけど、道を違える選択をした。
だからお互いに甘えや妥協を脱ぎ捨てて大きくなるために、
という悲壮な気持ちが強かった。
この日のライブもお互い胸に期するものは相当強くて、
でも感傷に負けないように…という不思議な緊迫感があった。

どういうつもりで曲を並べたのかもう忘れてしまったけど、
「泡沫…」から「…this time」、
「stand'n go」、そして「porchesh」という流れはかなりヤバイ。
歌詞がその時のメンバーの心情とシンクロして、
僕も相当入れ込んでるし、客もそれを感じ取っている。
空気感がすごい。切ないくらいの若さといじらしさ。それが渦を巻いている。
もちろん技術的なことで言えば拙いんだけれど、ただただ、熱がすごい。

こんなだったんだ…と驚いた。
僕も当時は喪失感がすごくて、辛くてしばらくこのビデオが見られなかった覚えがある。
一度か二度しか見てないんじゃないかな。そこから17年ぶりの開封。
ちょっとしたタイムカプセルです。

Rebirthといえば、僕を筆頭にメンバーみんなよく喋る。
とにかく時間がおすことで有名な(迷惑な)バンドだったんだけど、この日もすごい。
それまでにも散々MCとって、3時間超えてるのに、
最後の曲の前にメンバーそれぞれからメッセージ。
またこれが25分(笑)。
でも、思わず聴き入ってしまった。
メンバーたちの不器用な、でも一生懸命な言葉が続く。
果たして27歳の僕自身は何を語ったのか。

もうあまり覚えていなかったけど、改めて聞いてみて、なんと不覚にも目頭が熱く。
愚直なまでの真摯さ。自分なのに(笑)。
いまの僕にここまで熱くまっすぐ語ることができるだろうか。
斜に構えていたようで、ひたむきに燃えて打ち込んでいたのだなあと実感。
悪くない。


「メンバー2人が抜けると聞いた時、僕は目の前が真っ暗になった。この5人は最高のメンバーだと今の今でも思ってる。正直、もうバンドも解散して音楽もやめちゃおうかと本気で考えた。」

「メンバーが抜けるからというだけではなくて、今の音楽シーンに思うところがあって。」

「音楽業界、くだらない奴が多過ぎる。お金の勘定ばかりで、『売れる・売れない』だけで音楽を弄んでいる。一生懸命心を削って作品を作ってるアーティストは一杯いるのに、半端な業界人がプロデュースだとかいって弄り回す。その結果が、いまのチャート。誰がやっても同じような音楽ばかり。似たようなのが出ては消える。」

「僕はそんな音楽業界に心底失望してる。でもまだ絶望はしていない。それはここまで一緒にRebirthを創ってきたメンバーや、応援してくれるライブハウス、そして何より君たちのおかげ。どんなに心無い扱いを受けても、僕らを必要としてくれる君たちの存在が僕を絶望から救ってくれる。」

「脱退が決まって、たくさんメールをもらった。でも、これからのRebirthや抜けていくメンバーに期待する、これからも応援するという声ばかりで、これでおしまいだとか解散だとかいうのは一人もいなかった。僕はこれで心を決めた。」

「売上だとかチャートの順位だとか、そんなもので序列がつけられているように見えるけれど、そんなものは関係ない。規模の大小、動員の多寡、そんなものも関係ない。音楽に勝ち負けはない。」

「僕の歌を、僕らの作品を、Rebirthを必要としてくれる人が1人でもいる限り、僕はバンドは辞めないよ。みんな本当にどうもありがとう。」


…とまあ、文字にするといかにも若く甘酸っぱい(笑)。
でも、絞り出すようなかすれ声で訥々と話す僕は真剣そのもので、
ビデオから伝わるこの日の空気感は凄いものがありました。
話し終わると長い長い拍手が送られていました。
いま改めて見ても、なんて幸せな時間、場所であることか。

バンドはその後メンバーを替えて三年続きましたが、結局「退散」しました。
テレビやらホールやら活動の幅は大きく拡げましたが、
結局このビデオの頃までのような「熱」が僕に戻らなかった。
あれほど嫌っていた「業界」との関わりが多くのチャンスをくれたのはいかにも皮肉。
でも、やっぱりそこで「業界の理論」に振り回され、
僕はあんなに愛していたバンドを辞めざるを得なくなったのです。

30歳でバンドを辞めた時、
僕はなんの未練も後悔もなくスッパリと断ち切ることができました。
とうとう「絶望」してしまったからです。
何に、と聞かれたら「自分に」という答えでいいでしょう。
最後はすべてのしがらみから解放されて、思いっきりお祭り騒ぎして、
気持ちよく終わりました。

だけど、やっぱり僕はこの2002年の時点で燃え尽きていたのだなあと、改めてそう思う。
その後のほとぼりのような3年間は、
それはそれでいい思い出にはなっているけれど、
いろんな人に迷惑をかけてしまったという思いの方が強いかなあ。
メンタルもちとやられてた感じだったし。

極めて内省的な話で申し訳ない。
どうでもいい人にはどうでもいい話です。
ただ、こうして自分がすべてを傾けて、
ものすごい熱量で打ち込んでいた姿が、
映像として記録に残っているというのはいいもんだね。
いろんなことを思い出したし、明日も頑張ろうという気にもなれた。
Rebirthには感謝しかありません。

未熟だったし、考えも甘かったし、
変に片意地張ったりカッコつけたりもしてたけれど、
全部本気だったからいかにも僕らしいとも思えるし、
恥ずかしくもなんともない。
むしろ、誇りに思う。
たぶんいまの僕の中にも似たようなスピリットは形を変えて息づいている。
17年の歳月を超えて、過去の自分にエールを貰えた心地。いいね。

この記事をここまで読んでくれた人がいるとしたら、
たぶんRebirthを応援してくれていた人でしょう。
本当にどうもありがとう。
あなたのおかげで僕の二十代はどこをどう振り返っても輝いてます。
僕も頑張ってますんで、あなたもあなたの道で、
勝ち負けなんか関係なく、頑張ってください。
またいつか会おうね!
Comments (2)
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教育という名の幻想

2019-05-17 23:56:17 | せんせいとよばれて
いまは「効果がない・意味がない・むしろ逆効果」とされている
昔の教育法・指導法はあまたあるが、それらに無防備に曝されてきた中でも、
それなりに真っ当な人間がちゃんと一定数育っているところを見ると、
人間やっぱりなるようにしかならないのかな、
と教育の限界点を悟る…というか謙虚な気持ちになる。

もちろん、子供達へのアプローチがより多様に柔軟に洗練されていくことは
歓迎すべきことなんだけども。
教える側の小手先の方法論じゃなくて、
教わる側が安心できる環境だよなあ、と思う。

門前の小僧、孟母三遷、薫陶。
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空気なんか誰が

2019-05-14 05:16:21 | 似非哲学の部屋
大多数が無批判に受け容れていること。
みんなが参加しなきゃいけないと思わされていること。
ついていかないと取り残されるんじゃないかと錯覚していること。
読まなきゃいけないとされる「空気」。

「思い込み」や「イメージ」に過ぎないそれらに一線をひいて、
あくまでも自分は自分と言える勇気。
それは偏屈でもワガママでも非常識でも何でもなくて、個性です。

つまりは、あなたの財産です。
大事にしましょう。
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5月10日

2019-05-10 13:59:18 | 特選いぶたろう日記
夢を見た。
またしても、小学校時代の夢を。

その後はけっこう幸せに生きていると思うので、
別に現在どうこうということはないのだけれど、
いまなお夢に見るくらいだから、相当根深く心に刻まれたトラウマであるにはちがいない。

ただ、面白かったのは、細部までリアルに再現された小学校時代の教室風景
(同調しないぼく→やり玉に挙げる先生→一致団結して異端者を火あぶりにするクラス→孤立するぼく)
でありながら、今回は若干12歳の僕に44歳の知恵と理屈、
そして長年に亘り熟成された反骨精神が憑依していたこと。

いつもの調子で勝手な理屈でやり込めようとする先生を、
ありとあらゆる理屈で切り返し、完封する。
一方で(ここがいやらしいところなんだが)周囲にも配慮した言い方で、
クラスの同情・同調を集め味方につけるテクニックも駆使する。

果たして少しずつクラスの空気が変わりざわつく中、
「文句あるなら出ていけ」と定番の決め台詞(思えば人生で様々な人からこの台詞を何度聞かされたことか…)
を喰らった僕は、自ら荷物をまとめて出ていこうとする。
昔の僕は実際にキレた先生に机やイス、カバンから何から全部廊下に放り出されて
出て行けと言われたことがあったが、実際に帰るまではできなかった。
無理もないか。
でもいまならできる。
なんたって44歳、あれほど頑張っていたバンドも会社も辞めた男だ(笑)。

帰ろうと席を立ったそのとき、クラスメイトのひとりがぽつんと、一言漏らした。
おそらくそれは、当時の孤立しきった僕が心から渇望していた一言に違いなかった。

「帰っちゃうの?学校辞めちゃうの?居なくなったら寂しいよ、みんなで一緒に卒業しようよ」

夢はここで終わったが、目覚めた僕はなんとわずかに目を潤ませていた。
自分でも驚いた。

たぶん僕は反抗したかったのではなくて、わかって欲しかったんだと思う。
みんな一緒でなきゃいけない、という小学校での「当たり前」がどうしても苦手な子も居る。
思考停止や予定調和がとことん苦手な子だって居る。
先生の物差しに合わなければすべて一律に否定される環境の中で、
ひとりでもいいからわかってくれる人が欲しかったんだと思う。

思えばその後の人生でも、安易に同調しないスタイルを貫いたために、
随分いろんな所で揉めたり孤立したりを繰り返したもんだった。
だけど最終的に孤独に陥らなくて済んだのは、いたずらに自分を否定して歪めてしまうのではなく、
理解者に出会えるのをじっと待ちながら、
得意な分野で自分にできるベストを尽くしてきたからだと思う。
自分を歪めて手に入れたものは長続きしない。その後もずっとガマンを強いられる。
自然体の自分を認めてくれるものであれば、ずっと気持ちの良い関係でいられる。

数の多寡は問題じゃない、「わかってくれる人」という存在がどれほど大切か。
身に染みたその感覚こそが、「先生」という役割で多様な子供達に接する上でも大きな助けになっている。

と、思えば今日は、そんなワガママ放題の僕のバンド時代に、
最大の理解者のひとりだっただろう、大事な友人が亡くなった日だ。
夢の中で僕に声をかけてくれたクラスメイトは、名前も顔もおぼろげで、
実際の小学校にはいなかった架空の人物だったけど、
あの声や語り口、ひょっとしたら彼女であったかもしれない。
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正しい新元号の迎え方

2019-05-01 13:18:59 | 超・いぶたろう日記
訳もわからずハシャギ倒すテレビを消し、親族みんなで白熱の人生ゲーム。
実生活の反動か手堅く就職し資産形成に走る我が嫁、
一発逆転で宇宙へ飛び数十万ドルを手にしたアメリカ帰りの従姉妹、
いち早くゴールすることが勝利と信じ駆け抜けるも、
みんなのゴールを待たねばならぬ立場と気づきなおかつ後続にどんどん逆転され号泣する七歳甥、
さらにその兄にお前は邪魔だと締め出され絶叫で猛抗議する一歳半甥。

まさにカオス。

そして僕はといえば五十万ドルの負債を抱えたどん底から、
さらに借金して株を買い土地を買い賭けに勝ち決算でトントンまで戻すというあまりに象徴的な展開。
悲鳴と怒号と歓声と嗚咽が混じる中、気がつけば午前1時半。
令和になっていた。

10連休もまだ半ば、明日もやろう。
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