いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

バンド論

2000-07-29 10:35:25 | 似非哲学の部屋
常々思うことなんだけど、バンドってタイトロープダンサーのようだ。
ぴんと張った綱の上、行って戻って進んで退いて、うまくいったらご喝采。
お、すげえじゃん、と足を停めて見てくれる人がいて、
初めて彼らの投げ銭でその日の糧を得ることが出来る。
夢を見せてお代頂戴。
確かにすごいかも知んないけど、でもそれが出来たからっていったい何なの?
だいたいそんなこと出来るのあなた達だけって訳じゃあないでしょう?
・・・という人にとってはきっと、そんなものに銭を投げるなんて馬鹿げたことなんだろうし、
真面目に働きもしない、何物をも産み出さないで、人にお恵みを貰う、
社会の寄生虫のごとき存在にも見えることだろう。

以前から言うとおり、バンドは決してエラいわけじゃない。
芸人は客の上位に立つものではない。
何故かここを勘違いしているバンドは非常に多く、
ファンはバンドよりも下等な人種であるかのような言動を見せる者がたまにいる。
最低だ。

多くのファンを抱えるバンド(芸能人などでもあてはまるが)においては、
ファンの人格はまるで無視されがちだ。
過大な人気はバンドを盲目にさせる。
しかし、ファンほど人間くさいものもないのである。
彼らはそれぞれに過ごしている環境の中で感じた喜怒哀楽と、
それを上手く言葉に出来ないもどかしさとを、バンドの産み出す作品に重ね合わせているのだ。
自分たちの拙い作品を心の支えとしてくれている人達だと思えば、
粗末な扱いなど決して出来ないはずである。
「自動的に」多くの客が入り、CDが売れていく構図が一度できあがれば、
バンドは容易にこういう落とし穴にはまっていく。
ファンに人格を認めない者たちは、人の気持ちをわからない、いや、わかろうとしない者たちであり、
そういう人間が本当に人の心を震わせる作品など作れようはずがない。
遅かれ早かれ埋もれていくだろう。
私はこういう人種には死んでもなりたくない。

バンドは一般に「生活必需品」として認知されるものを産み出さない。
衣食住が足りて、その上で心のゆとりを求める人達がいて、
その人達が「音楽」「歌詞」「ライブパフォーマンス」「精神的連帯感」を
その供給源と感じたならば、やっとここで時間的にも人種的にも限定的ではあるが、
「生活必需品」としての地位を手に入れられる。
地震や火事の時に、一番にCDやポスターを持って逃げる人がいるだろうか?
「あればいいなあ」なものであり、「無いと死ぬ」ものではない。
しかし「ないと生きててもつまんない」ものには違いない。
つまり、「生きていくために必要なもの」ではないけれど、
「生きることを楽しむために必要なもの」なのだ。

生きるために必要最小限のものしか求めない生活は質素清廉に思われがちだが、
私に言わせれば動物の生活と変わらない。
人間は「遊ぶ」ことでこそ、「動物」と境を画しているのだ。
せっかく人間に生まれながら、それをフルに楽しまないとは、何と勿体ないことだろうかと思う。
私は、その「楽しみ」を産み出す仕事をすることで、
ともすれば単調な毎日のために社会の歯車のような錯覚を覚える多くの人々に、
「人間らしい」生き方を取り戻させることが出来るのだとしたら、
こんなにやり甲斐のある、素晴らしい仕事はないと思っている。

Rebirthはバンドである。
こういう考えを持った私という人間がステージに立つバンドである。
理想や目標が大きすぎて、時には疑問や不満でいっぱいになることもあるけれど、
今はとてもこのバンドをやっていて楽しい。
ひょっとしたら今が一番楽しい時期なのではないかな、という予感もある。
オーディエンスの反応がダイレクトに返ってくる。
不特定多数の内の何万分の一ではない、それぞれに等身大の声に接することが出来る。
それは決してプラスの評価ばかりではないけれど、
喜んでくれている顔が、楽しみにしてくれている声が、
手の届くところにあるというのはとても幸せなことだと思う。
何よりも励まされるから。
今までのどんなバンドよりも、それを出来る限り大事にしていきたいと思う。


このご時世、決して誰も財布の中身は豊かではない。
でもRebirthのライブに、毎度2000円以上ものお金を払ってやって来てくれる。
遠くから多くの時間とお金をかけて駆けつけてくれる人もいる。
そして決して安くはない金額のCDを、Rebirthが載った雑誌を、買ってくれている。
メンバーと話したい、それだけで打ち上げにも相当のお金を払う。
私はライブをやる上でこのことを片時も忘れたことはない。
感謝の気持ちは決して忘れない。
こういった人々の期待に、声援に、私は十二分に応えられているのだろうか。
いつも自問自答する。
もっと楽しい、もっと素晴らしいものを提供しなければならない。
それを思う時、すべての努力は苦にならない。
Rebirthは、どこまでこうしてやっていけるだろうか。

ライブ。

2000-07-16 23:30:28 | Rebirth歴史資料館
自信たっぷりにやっているよーに見えるかもしれないけど、
俺はいっつもライブ前後には決まって同じ不安を抱く。
本番前には、
「今回ものすごくすべったらどーしよう?」
「今回が最後になってしまったらどうしよう?」
本番後には、
「みんな楽しんでくれただろうか?」
「期待はずれに終わってしまってないだろうか?」
だ。

他のメンバーに比べると、俺はどうもバンドをやっている動機が、
いわゆるアーティスト的でないなあと感じることがある。
おそらくはみんなほどには俺の中では「音楽」が絶対的ではないのだ。
確かに音楽が大好きではあるのだが、
もしバンドで音楽以外のことはしてはいけないと言われたら、俺は半年と続かずやめてしまうだろう。
俺の動機は「人前に立ってみんなを沸かせる」ことにある。
みんなを楽しませたい、驚かせたい、大笑いさせてやりたい、感動させてやりたい、
そういった多くの人々の「心を震わせる」ことがやりたくて俺はバンドをやっている。
だから音楽だけがやりたくて、その延長にみんながいるのではなく、
エンターテイメントがやりたくて、その手段の一つとして音楽がある、という方が近いのだ。
ミュージシャンというより「芸人」である。

だからたまにMCやライブの企画演出なんかをめぐってバンド内外から、
「バンドっぽくない」「お笑いじゃないんだから」と言うような批判や反論を受けることがあるが、
まあ、みんな欲がないのだなあ、と思うことしきりである。
当然、俺のやりたいことばかりを押しつけても、
他のメンバーの「バンドをやるモチベーション」を損なってしまいかねないので、
大概は「バンドっぽい」と一般に認知されやすい方向へと修正する。
俺はこれを「妥協」ととらえてはいないけれど、
理想としてはもっとどん欲にみんなが面白がる要素を取り入れたいと思う。

俺は音楽的に理想を追求しようという欲求があんまり強くない。
なくはないのだけど、そればかりではつまらないと思ってしまう。
エンタテイメントとアートの境目。
そこで俺はいつも立ち止まり思索する。

すべてのエンターテイメント(=芸)は、
オーディエンス(観衆・聴衆)のことを考えて作られていくべきだ。
お金を払って見に来てくれる人のために、彼らが一番楽しめるものを考えようとするのが芸人である。
もちろん、オーディエンスの言いなりになるのではなく、
自分なりのやり方でそれを追求するのが一流のエンターティナーだ。

すべてのアート(芸術)は、徹底的に自己満足を極めるべきだ。
誰が何と言おうが、自分で一番良いと思うものを突き詰めていくのが芸術家である。
彼らにとってはそれが人に認知されるかどうかは二の次の問題だ。
認知されないことを苦に、世評に阿っていくのは三流の芸術家だと思う。
(【阿る】おもねる:自分の説を曲げて世の中の支配的な論調に同調すること)

ではロックバンドとはどちらであるべきか?

「音楽」は芸術であり、権威的なものがはびこる世界である。
こうでなきゃいけないとか、そんなもんは音楽じゃないとか、
未だにそういう馬鹿げたことを臆面もなく言える「エラい人」がいっぱいいるのだ。
"ROCK"というものは、それらを壊すために生まれた。
すべての権威を否定する。
何でもあり、言いたいことは言う、やりたいことをやる。
かっこいいものはいい、という実力主義的な考え方だったのだ。
こんなにかっこいいモノの考え方があるだろうか。
しかし、これを貫くには想像以上の精神力とバイタリティが要る。
やがてROCKがそういう「思想」でなくなり、
単なる音楽ジャンルの一つを表す名前として落ち着いた頃、
「商業ROCK」という言葉が生まれ、「ROCKは死んだ」という言い方がなされた。
(注:その後、Rebirthは俺の独断により自虐的に「商業ROCK」を名乗るようになり、それが代名詞と化していく)

俺に言わせて貰えば、「ROCKはこうでなきゃいけない」「そんなものはROCKじゃない」
という考え方をしている時点で既に自らROCKを放棄しているのだ。
なんでも良いから自分のかっこいいと思うことやればいーじゃねえか。
「商業ROCK」という言葉は聞こえは悪いが、
自己満足に過ぎなかったROCKが他者をも巻き込むエンターテイメントと融合して生まれた、進化形だと解釈している。
ROCKであるかどうかなんて、本人が名乗るかどうかだし、それもまた本人のプライド次第ではないだろうか。

ふとそんなことを思ったのは「自分たちのやりたい音楽をやりたい」ハズなのに、
「動員を増やしてメジャーを目指したい」という、バンドの抱える根本的な自己矛盾について、
最近現実的に考える機会が増えたからだ。
しかし、俺はここで気づいてしまったのだ。
俺はいつでも、「自分たちと客が同様に楽しむためには何が必要か」を考えている。
欲張りなのだ。とても。
従って、俺に関して言えばまったく矛盾などしていないのだ。
MCの内容・長さ、ファンとの接し方、色々とたまに批判的な意見も耳にするが、
それについて感情論でない、きちんと筋の通った論理を構成できている人に、
俺はついぞ出会ったことがない。
本当にきちんとものを考えた上でこいつは俺にこんな偉そうなことを言ってるのかな、と疑問に思うこと甚だしい。

言わせて貰うが、MCなんかしないでだまってカッコつけてる方が、
ファンなんか相手にしないでカリスマ気取ってる方が、よっぽどラクだしカンタンなのだ。
「出来ない」のと「しない」のとは違うしね。
俺は「出来る」し、「やりたい」し、なによりそっちの方がバンドやってて楽しいから、
見に来るみんなも楽しんでくれるから、やる。

それの何が気にくわないのだろうか。
これでも俺が間違っているというのなら、誰か俺が納得できるような反論を用意してもらいたいものだ。
いつでも受けて立とうじゃないか。


※2005年追記
いやまったく、5年も前から同じようなこと言ってるんだね俺は(笑)。
確かこのときも、当時付き合いのあった業界との関わり方についてジュンイチと口論して、
怒りの余りここに書いたんだっけな。
あとでブーブー言われた気がするな(笑)。
結局この後、メンバーチェンジと事務所の登場によって、
ますますRebirthは俺の望まない方向へシフトしていくのだが。
この日記を書いたぴったり5年後に解散してるってのも、なんだか象徴的だな。

水は低きに流れる

2000-07-13 23:42:07 | いぶたろう日記クラシック
ぼーっと眺めるテレビではずっと「そごう倒産」と「また雪印」をやっている。
え?!「森永も」だってよ!最近多いなあ…。

一連の雪印騒動に思う、人間の「怠ける生き物」としての本質。
わかっちゃいるんだよね。でも楽な方へ進んじゃう。
バイトとかでもそうでしょ?
飲食店やったことある人なら解ると思うけど、
あんなもんきちんと食器洗ってるとこなんてどっこもないよね。
洗剤ついたスポンジで3秒くらいこすって、泡の浮かぶシンクに投げ込んで、
ちょちょいとゆらして乾燥機に移して終わり。
当然流水ですすぐこともなければ、いちいち拭いたりなんてこともしません。
雪印のバルブも顔負けの衛生状態。たまにその上を虫が這います。
知らないってのは恐ろしい…。
コンビニだってそう。人の食物だから気を付けるべきなのに、実際は逆。
自分が食べるものじゃなければ、どうだって良いと言わんばかり。
散々お金触った手で、洗いもせずにピザやらおでんやら作るんだから。

職場で何かに気づいても、その改善がめんどくさい作業を伴うものであれば、
「自分が別にやんなくてもいっか」になっちゃうでしょ?
たまたま今回は舞台が大企業だったために規模が大きくなってしまっただけ。
もっとも、「大企業」とか言ってみたって、
その工場の現場はなかなえげつなかったりもするのだ。
だってもうみんな忘れてるかもしんないけど、
ウランですらバケツで運ぼうとするんだぜ。
雪印の連中だって、あのニュース見てたときは「バカだなあ…。」と思ってたはず。
「考えられないようなこと」をまさか自分の会社もしてるなんてこれぽっちも思わない。
組織の中にあっても、人は誰にもわからなければ、
自分だけラクをしようとする生き物であることは分かり切っていること。
だって、彼らにとっちゃあ自分の労働量と給料額のバランスがすべてだもんね。
消費者の健康なんて知ったこっちゃあないわな。

自分の仕事に責任と誇りを持てない奴なんて、人間として生きてない。
そんなのただの機械だよな。
生きていくために働く、喰っていくために働くとよく言うが、
シブシブ働いてまでキープしなきゃならない君たちの人生って、
一体なんなんだ?

まあでもあそこの社長もすっごい奴だよなあ。
見た?シュンスケも大喜びで話題にしてたけど、
記者会見が終わってなお追及してきた記者に向けての一言がふるってる。

「君たちねえ!私はもう全然寝てないんだよ!」

寝る気かぁい!?

でも、問題はそれに対した記者。
もうしめたもんで、
「雪印の牛乳飲んで苦しんで眠れない子供とかお年寄りもいるんですよ!」
とやっちゃう。
公然と、「社会正義」をうたうのだ。
あー俺、むしろこいつの方がキライだな~。

社長の言い分は確かに自己中でぶっとんでるけど、
あんまりあからさまだから面白いよね。
本音丸出し。ある意味人間くさい。
でもこの記者はここぞとばかりに、
反論も抵抗も許されない「悪役」を相手に正義の味方気取り。
被害者は「子供」と「お年寄り」だけではないのに、
さりげなく弱者を強調しちゃう辺りがニクい。
しかもカメラは回ってる。完璧なシチュエーション。
こういうキレイ事を平気で言えちゃう奴は信用できないね。
別の記者はもっと素直な一言で応酬。

「俺達だって寝てないですよ!!」

(笑)……おまえらは仕事じゃろうが。

もうまったく自分のことしか考えてないのだろうね…。
自分に都合のいい論理しか見えない。
独善的な理屈をおしつけて、人がそれをどう思うかまで考えない。
そのくせ「人間関係に疲れた…。」とか「誰も信じられない…。」とか、
自分のつらさをドラマチックにアピールするのだけはいっちょまえ。
そういう人が増えてる気がするなあ。

自分さえよければいいと思うのも、誰も信じられないのも当たり前。
他人を自分に都合良くあてにするから裏切られたとか思うのだ。
世の中は厳しいのだ。結局人生自分次第。
人と信頼関係を築いて楽しくやっていけるに越したことはないが、
それはあくまで理想だ。
何よりも確実に自分自身を磨き上げようと、なぜ思わないのだろう?

あ、別に最近使えない新人バイトがいきなり連絡もなくバックれて、
(しかもその日は給料日で、朝ちゃっかり取りに来ていた)
俺独りで苦労させられた挙句に電話したら逆ギレされたから、
こんなこと言ってる訳じゃ………………ありありか。
ダイゴが来てくれたからよかったようなものの…。
M治大学のO竹!!てめえのことだこのぼけなす!!
言っとくが住所から何から全部わかってんだからな!
おまえんちに配達される牛乳毎朝飲んでやる!!