僕は何でも言語にすることで、自分の思考を対象化する癖がある。
というより、自分の感情からくる様々なモヤモヤとした思惑を、
明確な言葉に換えないと気持ち悪くてイライラするのだ。
だから、僕は自分の苦手なタイプの人間や、実際にキライな人間、
過去にもめた相手や、その言動などをよくここに記している。
何でそこまでと思われている人も多いだろう。
あるいは、いつでも僕は周囲に不満と鬱屈を抱えているのかと、
こいつの精神状態は大丈夫なのかと思われる人もいるかもしれない。
ただ、僕のそれは、必ずしも
「自分の身の回りにいる人々の現在進行形に対するもの」
ではない、ということを明言しておかなければならない。
要は、いま現在、家庭も職場も何の不満もストレスもありません、
いずれも人間関係は(厳選しておりますので)極めて良好です、
ご心配なく、と言っておきたいわけだ(笑)。
何で唐突にこんなことを書いたかと言えば、
一度リアルの世界で僕と険悪な関係になった相手は、
きまって僕のブログやツイートを検索し、あるいは「監視」し、
僕の心の内を知った気になって、優位に立とうとするからだ。
孤立して寂しい人間なんだろう、何かが欠損している代償行為なんだろう、
なんて哀れみ混じりで決めつけちゃったりしてね。
大きなお世話だっつーの。
リアルはリアルで何の不満もなく、極めて愉しく気持ちよく、
毎日ちゃっかりとても幸せに過ごしております。
ムカつくアイツの現在を定期的に確認しに来ずにはおられない、
特定少数の皆さん、残念でした〜(笑)。
冗談はさて措き。
僕は好きな人のことも嫌いな人のことも実によく覚えていて、
何年か経ってもその言動は詳細に思い出すことができる。
そして、いまの自分ならどう思うかな、やっぱ腹立つかな、
いまだったら巧いことかわせるかな、
たぶんもうちょっとうまく対応できるな、
いや〜でも、やっぱりアイツだけはダメだな…などと色々考える。
「あの人」の何がそんなに好きなのか、嫌いなのか。
自分はなぜあのときそんなに腹を立てたのか。なぜそんなに嫌いなのか。
そんなことをひとつひとつ言葉にして考えるのも好きだ。
我ながら、執念深いっちゃあ、深い。
暗いっちゃあ暗い。否めない(笑)。
でもね、「明るく前向きであること」を口実に、
その時々の利害で対人関係を都合よく利用したり忘れたりするよりも、
僕は常にふり返って反省しているわけだから、誠実と言えば誠実だ。
少なくともちったあ聞こえがいい(笑)。
僕にヒドイことを言った人間も、逆に僕が傷つけた人間も、
いま再会できたらどうなんだろうと想像することも面白い。
どんな顔して僕に会うんだろうか、何を言うんだろうか、と。
たぶん先方は僕のことは忘れたことにしているか、
あるいは僕ほどに言語化するようなことはないだろうから、
無視するしかないんだろうなあ。
それが「賢明な態度」ということにして僕のことは忘れた、
別に何とも思ってない…ということにするしかないんだろうな、と思う。
あるいは図々しく、「ちったあ更生したか」みたいな、
虚勢じみた上から目線で圧してくるのもいるのかな。
「好き」の対義語は「嫌い」ではなく、「無関心」なのだという。
たしかにそれはそうだ。
でも、嫌いという感情が、自分がより幸福になることで昇華して、
やがて嫌いな相手に対する執着を自然と忘れさせてくれたなら、そうだろう。
でも、忘れよう忘れようとして、無視してみせるというのは、
嫌いという感情に蓋をして目を背けているだけ、なんだろう。
たぶん僕はそれが気持ち悪いんだろうなと思う。
僕だってすべての嫌いだった人、仲違いした人を忘れないわけじゃない。
忘れた人、もうどうでも良くなった人もたくさんいる(笑)。
ただ、「許す」と「忘れる」とは違う。
忘れられるということは、元々どうでもいいことだったのかもしれない。
既に許してはいるけれど、忘れることはできないことも多々ある。
いつまでも許せないことだって、あるだろう。
それを無理に許そう、忘れようというのは無理がある。
気がついたら忘れていた、というのが理想だ。
いつまでも恨まなくて済むように、自分の幸福を追求するのが第一。
その点では僕はここまでの半生、理想的に来られている。
いまや許せていることが大半だ。
ただ、忘れない、というだけ。
やっぱり執念深くて暗いのかな(笑)。