…のはいつでも、ドーナツの穴の話。
僕が16で悟ったひとつの真理。
ドーナツの穴は何もないところを指して「在る」と言う。
何も存在しない空間に、
リングという自分自身で形作る枠があって、
初めて中央に何かがあるかのように感じられるのだ。
「神」でも「人生」でも「愛」でも「友情」でも
「青春」でも「過去」でも「未来」でもいい。
在ると信じ切るには苦しく、無いと思い切るには切ない、
そのすべてがそこにあてはまる。
「集まり散じて人は変われど」、
「仰ぐは同じき理想の光」と言うけれど。
しかし一緒にいる人や、共有する時代が変われば、
そこはやはり、違う場所になる。
何もなくなってはいないのだ。
何かに変わっただけなのだ。
なのに、
喪失感にとらわれてしまう。
そんなとき、思い出して欲しい。
僕らはみんなドーナツの環なのだ。
僕らが環である限り、穴は無くならない。
だから寂しくなど、ない。
いつかきっと、わかる時が来る。
僕が16で悟ったひとつの真理。
ドーナツの穴は何もないところを指して「在る」と言う。
何も存在しない空間に、
リングという自分自身で形作る枠があって、
初めて中央に何かがあるかのように感じられるのだ。
「神」でも「人生」でも「愛」でも「友情」でも
「青春」でも「過去」でも「未来」でもいい。
在ると信じ切るには苦しく、無いと思い切るには切ない、
そのすべてがそこにあてはまる。
「集まり散じて人は変われど」、
「仰ぐは同じき理想の光」と言うけれど。
しかし一緒にいる人や、共有する時代が変われば、
そこはやはり、違う場所になる。
何もなくなってはいないのだ。
何かに変わっただけなのだ。
なのに、
喪失感にとらわれてしまう。
そんなとき、思い出して欲しい。
僕らはみんなドーナツの環なのだ。
僕らが環である限り、穴は無くならない。
だから寂しくなど、ない。
いつかきっと、わかる時が来る。