異性の子供ということで、息子の時とはまた違った新鮮さというか、
緊張感のようなものもあったのだけど、いまやすっかり慣れた。
最初こそ、お風呂やオムツなど、
僕がやっていいんだろうか…なんて変な(過剰な)遠慮というか、
照れのようなものもあったのだけど、そんなこと言ってちゃ二児の父は務まらない。
てか、赤ん坊は男女どちらでも変わらないね。ただただ可愛い。
そしてふと気づいたことが。
もちろん万人に共通の法則などないという前提で、
ひとつの仮説が浮かんだというだけなんだけど。
稀にニュースなどで採り上げられる、父親または義父・養父の性的暴力。
あれはこの、「いちばんか弱くはかなく手のかかる時期」に、
「育てていない」からこそのものではないだろうか、と。
普通の人間性を具えていれば(そもそもこんなこと考えもしないだろうけど)、
これほど大切な存在を、何年経ったとしても欲望の対象として見ることは非常に難しい。
暑い寒いから飢え乾き、病気や怪我から神経質なほどに守り、
食べ物や衣類寝具にも気を遣い、排便や嘔吐の処理も厭わず、
大事に大事に育てて来た宝物を、自らの手で無茶苦茶に壊すような真似は僕にはできない。
喩えとしては不謹慎かもしれないが、
僕らが肉を食べられるのは、生きていたところを見ていないからこそだろう。
牛や豚、鶏としてではなく、食材として出合っているから。
もしも仮にヒヨコや子豚として生まれてから数年をペットとして可愛がり、
家族同然に過ごしたとしたら、その肉を口にすることはできない。
それに近いのではないかと思うに至った。
あるいは、愛し過ぎるが故に、という混同のケースもあるのかもしれない。
しかし、それは相手に対するようでいて、その実は自己愛に過ぎない。
それは性的暴力という形でなくとも、
教育虐待だとか過干渉だとかで多分に見られる傾向だ。
これについても常に自戒していかねばと思う。
とはいえ、自分なりに理解することと、許容することとは別。
鬼畜の如き、という言葉があるが、
おそらくは鬼や畜生でも憚られるような蛮行をいささかも肯定することはできない。
ただ僕が思うのは、息子であれ娘であれ、
たっぷりの愛情でバランスよく包んで守ってやりたいということに尽きる。