いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

cyber通信:2003タイガース快進撃

2003-07-31 15:05:33 | Rebirth歴史資料館
阪神タイガースが強い。
文句なしに強い。
史上最速ペースで優勝街道をバク進し、
得失点も勝率もダントツの数値をマーク、史上最強の呼び声も高い。
なんせテレビ中継が始まる頃にはもう大差つけて勝ってるんである。
2回とか3回で二ケタ得点なんてのも珍しくない。
この強さだ、みんながこの稿を読む頃には決まっててもおかしくない。

もうほんと、強い。
チョロQのレースにフェラーリが参戦したくらい強いのだ。
なんせ18年ぶりのことだから、あんまり嬉しくて、
タイガースのグッズを大量に買い込んでしまった。
京王百貨店の7階にて、約15000円の出費である。
メガホン、ハッピ、ジャージ、センス。そして応援歌のCDだ。
有名な「六甲おろし」ほか、選手ごとの応援歌も収録されている。
例えば1番今岡。

「燃える闘魂 この一振りに うなれ今岡 誠の救世主」

うーん、うっとり。今岡の下の名前は誠というのだが、
それとさりげにかけちゃってるのである。
他にもかっとばせ、放り込め、男なら一発キメろ、
誰もお前を止められぬ、お前のバットで今すぐぶち込め、などなど、
聞きようによっては早稲田のスーパーフリーの応援歌のようにも聞こえてしまう、
大進軍必至の勇ましい歌詞の数々。
去年まではこの勇ましさだけが一人歩きして、
まったく実績が伴わなかったのが、今年はもうまさにそのまんまである。

ほくほく顔で聴き惚れていると、
どうにも納得のいかない一節が耳に引っかかった。
片岡だ。
昨年日本ハムから移籍、大きな期待を集めるも新環境に対応しきれず、
昨シーズンは散々な成績で非常に苦しんだのだが、
今年は心機一転、生まれ変わったかのような大活躍を見せている選手だ。
元来のマジメで誠実な人柄に、地元PL学園出身ということもあり、
阪神ファンからの支持も厚い。
少なくともバカにできるような選手ではない。
なのに…。

「右投げ左打ち 実家はヒノキ風呂 リフォームリフォーム 片岡篤史」

「右投げ左打ち」はまだいい。
しかしその後はいったい…。
全神経を集中して、150キロからの速球に相対する片岡。
一つ間違えれば命にも関わる、
そんな恐怖とプレッシャーを克服し、
チームの勝利の為にファンの笑顔の為に、
例え怪我していても試合に臨む片岡。
そんな戦場の彼に向かって、
実家の風呂をうらやむファンというのは12球団でもここだけだろう。
しかもリフォームリフォームときたもんだ。
2回も言われちゃあな。

しかもある雑誌の記事によれば、
彼の実家の風呂は別にヒノキでも何でも無いという。
リフォームすらしていないと。
とするとこの応援歌は、ファンが片岡にリフォームを薦めているという、
さらにシュールな一品であることが解る。
深い。深すぎるぜ阪神ファン。
かくいう俺もその一員なのだが。
現在、優勝したら道頓堀の代わりにどこへ飛び込もうか検討中だ。
誰か一緒にどう?

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葛藤

2003-07-24 03:13:29 | Rebirth歴史資料館
最近のRebirthをめぐる環境の変化を敏感に感じ取っているファンがいる。
それはとりもなおさず、様々な影響がライブに出ていることを意味する。
独特のステージングが影を潜めた、MCの歯切れが悪い、
ツアー中のセットリストが変わらない、
色々な感想が寄せられるが、大概はあまり肯定的なものではない。
これについて、俺の考えを少し書いておきたい。

まず本音から言えば、寄せられる声に含められた不満は、
そのまま俺の不満でもあるということを解って欲しい。
今まで慣れ親しんだRebirthの自由なスタイル、
それらが「メジャーになる」すなわち、「商品化される」にあたって、
商品化を図る側の価値観や方針にしたがって取捨選択され、
不要もしくは不適切と判断された部分は削除されてしまう、
そこに不安や不満を抱いているのは君たちだけではない。
何よりも俺がそれを感じている。
では何故、Rebirthは敢えて変化に身を委ねようとしているのか。

Rebirthはメジャーアーティストになることを目標に活動してきた。
それはメジャーメーカーと契約を交わしているというだけで、
街ゆく普通の人々はその名すら知らないような、
凡百の形だけの「メジャーバンド」ではなく、
多くの人々にメッセージを送る資格と権利を与えられた、
文字通りのメジャーになることだ。
自分たちのやりたいことをやりたいようにやる、
そのためには例え理解者が少なくても、客がいなくても構わない、
という古来のインディーズロックの姿勢とは一線を画している。

Rebirthの、と書くと他のメンバーの意見をも含めなくてはならないので、
ここでは俺の私見として書くが、
エンターテインメントはまずオーディエンスありき、
客に対するサービス精神がその原動力となるべきだ。
自己満足や、地位や名声や収入に対する個人的欲望、
そういうものをモチベーションにするのも一つの方法ではあるだろうが、
それらがこの「客へのサービス精神」を上回ってはいけない。
俺たちにも音楽に対する愛情、作品やライブに対するこだわりといったものは強くある。
しかし、それだけで成功するとは限らないのだ。
自分たちの視点だけでは見えないものも多くある。
自分たちが最高だと信じているものは、他人から見れば実に稚拙なものかもしれない。
その余地を第三者が埋めることによって、商品となる価値が生まれ、
メジャーの資格を得る可能性があると判断した者がいて、
彼がRebirthに投資したならば、Rebirthは当然彼の考え方にも沿わねばならない。

Rebirthは今この段階に来たばかりだ。
メジャーアーティストと呼ばれる者たちが備えていて、
今のRebirthが持っていない者は何かを考え、それらを咀嚼している。
Rebirthが持っていて世のメジャーアーティストがもっていないものも有るはずだが、
現状にあって両者が紡ぎ出している動員や売り上げの差を見たとき、
Rebirthの側の主張は説得力を持たない。
従って、現状にあっては「メジャーの方法論」と呼ばれるものを、
試しにでも導入してみるという選択肢しかないのだ。

これがファンの目にはバンドの主体性のなさ、
あるいは敗北、消極的選択という風に受け止められる可能性もなくはない。
しかしRebirthは先に書いたとおり真のメジャーになることが目標だ。
自由なインディーズで10年20年と趣味のように続けることも可能だが、
それはRebirthの望む形ではない。
それにメジャーの可能性が無くなったならRebirthは半年と続かないだろう。
ならば、Rebirthには前進しかない。
ここでつまらない自己満足やメンツを優先させてしまっては、
自ら夢に向かう扉を閉ざしてしまうことになる。
ここは不本意なことがあっても耐えに耐え、
結果を生み出すことだけを考えて努力するしかないのだ。

正直に言うと、背景には日本のCD購買層の大多数が、
音楽に価値や深い意義を求めていないことがあると思う。
日本の音楽シーンの現状に否定的な意見は数多い。
真に音楽を愛する人間、価値あるエンタテイメントを求める人間、
アーティストの心の奥底からのメッセージを感じ取りたいと考えている人間には、
現在の退屈なヒットチャートに並ぶ音楽などは何の価値もないであろう。
そういう人間の多くはメジャーにそれを求めない。
束縛を受けないインディーズやマイナーアーティストの奔放な表現に遭って、
欲求を満たすのである。
CDを買う人間の多くはカラオケや着メロなども含め、
流行に間に合わせるためのファッションの一つとしてとらえている。
もしくは特定のアーティストの信者だ。
彼らに音楽の価値観を問うても、さほどの答えは期待できまい。
しかしそれを嘆いたところで、それが現実であることを考えれば、
対応策も限られてきてしまうのである。
凡百のメジャーアーティストでは満たせない飢餓感を、
Rebirthにそれを解消する価値が有ると認めてくれた人々が、
Rebirthの変化に不満を覚えるのは仕方ないとも言える。

しかし、俺は失望はしているが絶望はしていない。
この世界では数字こそ、実績こそがすべて。
まずはメジャーという土俵にのることが大前提だ。
Rebirthが売れ、数字をたたき出したなら、
俺たちに与えられる裁量の範囲も広がるはずだ。
そこで自分たちの色を出しても遅くはない。
ならば一刻も早くそこへ到達するべく、
今はひたすらに臥薪嘗胆の日々を送るしかないのではないか。
そういう風に考えている。
そうでもなければ、とてもやりきれない。

だからRebirthを愛する人々にお願いがある。
君たちの不安や不満は誰よりもこの俺がよく解る。
ならばこの俺の今の心情も、君たちには解って貰えるはずだ。
どうかRebirthを信じて、Rebirthの闘いの日々を見守って欲しい。
かなり悲壮感の漂う書き方をしてしまったが、
メジャーへの挑戦を間近で見物できる、珍しいチャンスだととらえて欲しい。
幸運に、どんな大きな成功を手にしたとしても、
俺のみんなへの感謝が薄れることはない。
距離が遠くなるとか何とか、色んな不安を打ち明けられることもあるが、
少なくともこの俺にあっては、そんな意図もない。
Rebirthが誰にも相手にされないちっぽけなバンドだった頃から、
価値を認め、支えてくれたみんながあってこそのRebirthだ。
俺はそれを忘れないし、みんなも俺がそう思っていることを忘れないで欲しい。



ーーーーー

【2006年追記】
この後、2年ほどで俺の失望は絶望に変わる。
いつか光が差すことが、あるだろうか。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大切なのは形じゃない、中身なのだ。

2003-07-05 03:08:50 | Rebirth歴史資料館
俺という人間はリアリストだ。
夢や空想に否定的であるという意味ではなく、
形式や権威などよりも実態、内容、実力を問うという点に於いて、だ。
ブランド名や希少価値などに眩まされることがない。
例え無名なメーカーで、安くありきたりな材質を用いていても、
実用に耐えうる頑丈さと、見た目の美しさ、
そして納得の機能性が備わっていればそれを買う。
自分にとって価値のあるものかどうかを徹底して見極め、
本当にいいものを選ぼうとする。
俺の買い物の多さは浪費癖としてメンバーにも揶揄されるところではあるが、
むやみやたらに物欲に任せて買ったわけではない。
念入りに機能・価格・デザイン・耐久性を比較検討し、
買って後悔しないモノを選び抜いている。
だから俺の生活環境は借金が多い割にきわめて豊かなのだ。

買い物の他にも俺のリアリストぶりは徹底されている。
人に対しても経歴や名前などの権威では推し量らない。
肌で実感できる、その人の持つ能力がすべてだ。
特に、出身地や学歴や門地や性別、果ては血液型などといったものを根拠に、
その人を推し量ることほどバカバカしいこともないと思う。
「東大だからアタマがいい」
「女だから解らない」
「関西の人だから味にうるさい」
「A型だから神経質だ」
いずれも、言うだけムダ、聞くだけムダな、人判断。
こういうことを話す人ってのは誠に浅はかだし、
何事も肩書きでしか判断できませんと告白してるようなものだ。

俺が尊敬する人というのは、俺に真似できない研鑽を以て、
専門的な技術や知識を持っている人。
例え東大を出ていようと、どんな肩書きをしょっていようと、
俺を納得させる何らかの実力がなければダメだ。
そしてそれはものの10分も話をしていれば透けて見えてくる。

ものをつくる立場にあっても、このリアリズムは前面に押し出されてくる。
例えば詞や曲を書くときも、原稿を書くときも、
無難に作って間に合わせるだけのものにはしたくない。
その一点にこそ、俺のこだわりは集約される。
これは一見「理想主義」のようだが、そうではない。
例えば市場に出回るヒット曲のような体裁を整えて出したとしよう。
それはあるいはまあまあの数字をたたき出すかもしれない。
しかし決して爆発することはない。
とすればバンド自体10年保つこともないだろう。
数年メジャーでそこそこ名を売って、その後は知らない、というのであれば、
ハナっからバンドなどやらずに商売でもやってたほうが割が良い。
俺は、どうせやるからには、
一生やれるぐらいのモノにしなければ意味がないと考えている。

今、この認知度の低いインディーズの1バンドという位置にいて、
そんな無難なものを作って、何かの意味があるのだろうか?
世間の耳目を集めるためには何らかのセールスポイントに特化して、
ある程度嫌悪する層を生むことをも覚悟の上で、賭に出るべきではないのだろうか?
批判を恐れて縮こまっていては結局何も出来ないだろう。
この辺がRebirthのメンバーも周囲のスタッフもまるで見えていないように思える。
いや、アタマでは解っていても恐くて踏み出せないというのが実態かな。
勝負がかかると臆病なほどに堅実に歩もうとするのが人情なのかも。
俺はそれを「凡人」と呼ぶけれど。
そもそも個性というものの捉え方と商業的な成功の方法論とが、
どうも「業界的」には二律背反の命題なのである。

6/29のワンマンライブは俺にとってせめぎ合いであった。
業界関係者の集まるワンマンだから、完成度を優先させ、
ギャンブル的な要素は排除してくれというのが概ねの意見であった。
このため、俺は一週間くらい前まで悩み続けた。
俺のパフォーマンスに無難という文字はない。
好きな奴は好き、嫌いな奴は嫌い、それで結構というスタイル。
それが許されないとなると俺のパワーはきっと半減する。
今までのRebirthのイメージを棄て、洗練されたメジャー感のあるステージ。
どうにもしっくり来ないのだ。
かといって、ここまで来て俺の勝手な思い入れで話を潰したくもない。
悩みは深まった。

結局、好きにやることにした。
結果は大成功であった。
もちろん、事務所のお偉方からは予想された通りの批判や辛口評も下されたが。

では何故そこに至ったか。
の日のライブの絶対的な命題は「成功」だ。
成功とは、来場者の満足の度合いによって決まる。
この日の客層を考える。みんな、今までの俺を知っている。
ということは俺に期待しているものも明快だ。
楽曲のかっこよさ、ステージングの洗練度、歌や演奏の技術、
そういった一般的にバンドに求められる要素の他に、
いかにもハプニング的な要素、お約束にないネタの展開、
そういうもので最後までライブを飽きさせない工夫を凝らす。
これが俺のスタイルだ。ひいてはRebirthの。
文字通り、「大盛りつゆだく」なわけだ。
まだライブも始まっていない前説から欲張る。
小ネタあってのRebirth。
アイデンティティはそこだ。

これが当日の観客に受け入れられた。
しかし、事務所のトップには不興を買ったらしい。
もっと、カリスマ的なものがいいんだという。
客席との距離が近すぎるという。
……言うと思った。
まあ、そんなしょうもないこと言う人に認めてもらおうとも思わないけど。
それより何よりイヤだったのは、トップがそう言ったと知るやいなや、
それまでの態度をひっくり返して、バンドにケチをつけ始めたディレクターである。
威張って見せたって中間管理職。透けてるよ。

もしこれが仮に、Rebirthを初めて観る客400人であったなら、
CDやテレビでしかRebirthを知らない客層であったなら、
俺はきっとまた違った切り口でライブをやっただろう。
大切なのはバンドの理想の押し売りではない。
一般的に求められるメジャーのスタイルでもない。
その日お金を払ってやってきた客を如何に満足させるか、だ。
俺は商品である前に芸人だ。
俺を突き動かしているのは手前勝手な理想ではなくサービス精神だ。
僅か一本のライブでバンドを判断しようとするから、
そこまでの思惑を読みとれない。
浅はかな経験則でもっともらしいことを言って自足する。
そういう手合いは多いだろう。
無論、バンドに対して何らかの可能性を認め、
期待と愛情をもって厳しい提言をくれた人もいる。
その差は明確に判るから、そういう人の場合はありがたく拝聴する。

どんなライブをやっても俺は決して満足することがない。
決めたことを完璧に消化したとしても、
もっと違うやり方はなかったか考え続けるだろう。
満足してしまったらそこで終わりだ。
きっと次にまたライブをやろうという意欲が湧かなくなる。
Rebirthのワンマンに寄せられた、数多くの賞賛や批判、
それらをひとつひとつ咀嚼しながら、反省と課題とを抽出し、
俺は次のライブを考える日々なのである。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Rebirth通信:2003年7月号

2003-07-01 15:48:14 | Rebirth歴史資料館
10年という歳月は微妙だ。
ついこの間のようにも感じるが、
あまりにも色んなものが変化していることに驚かされもする。
もっとも、15歳の振り返る10年前と、
30歳のそれとではかなりの差があるだろうが。
体感上の歳月の流れは指数関数的に速くなっていくという。
y=x2乗だな。
1993年なんて昨日の様だが、
よくよく考えてみると当時は携帯もメールもネットも無かった。
待ち合わせには時刻と場所を綿密に決めておく必要があったし、
遅れると連絡に苦労した。
それが今や「着いたら電話して」というとっても楽ちんな時代だ。
確かに便利だがそれに慣れてしまうと、
携帯を持たない時の無力さを忘れる。
そしてこれが落とし穴になる。

先日、うっかり携帯を忘れて外出してしまった。
よくやるんだが。
その日の深夜にスタジオでシュンスケと作業することになってはいたが、
まあ大丈夫だろうと高をくくっていたら何と電車が事故で止まってしまった。
しかも終電間際。
復旧までには1時間以上かかるというので接続を調べようと思ったが携帯がねえ。
仕方ないので中止の連絡をしようと公衆電話へ向かう。
シュンスケの番号すらわからない。
まずは自宅にかけてと。十円玉がねえ!
テレカが欲しいが駅の売店は閉まってるし、
外へ買いに出ようにも改札には怒号渦巻く人だかりが出来ていて苦労しそうだ。
ましてや両替なんて。
渋々百円玉を投入する。
シュンスケの番号聞くのに1分。
釣りは出ない。軽いめまい。

次にもう百円入れてシュンスケに電話。
ぷるるるる。かちゃ。もしもし?
「ただいま電話に出ることが出来ません…」
しまった!着信留守電だ!
20秒間に濃縮した非常連絡を吹き込む。
「これ以上録音できません」
ぷつん。これで200円。
血圧が300を越えたのがわかった。

次にスタジオ…が、電話番号の末尾が思い出せない。
2だったか4だったか。2に賭ける。
「ぴ~ごろごろ…」FAXだ………。
これで300円。
鼻血が出た。
とにかくシュンスケに話をつけないと…というわけでもう百円。
今度はつながったが、計400円。牛丼に卵とみそ汁。
全身の毛穴が開いたのがわかった。割とすぐ閉じた。

その後も俺はホームで電車を待ち続け、
家にたどり着いたのは深夜1時をまわっていた。
携帯で再びシュンスケに連絡した後、
引き出しから使いかけのテレカを3枚出し、
財布にそっと忍ばせたのだった。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする