いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

相互監視

2020-07-23 10:07:22 | 超・いぶたろう日記
うーん…そりゃまあ、いかに4連休とはいえ、
感染拡大が報じられている東京で
「毎日満員電車に揺られているような人々」が、
各地に旅行に出るのは「望ましくない」のかもしれないけれど。

にしても、駅やら観光地やらを映して「人出はまばらです」なんて報じて、
わずかな観光客を捕まえてはインタビューするなんての、もうやめたらいいのになあ。
なんか監視されてるみたいで本当に気持ち悪いよ。

報道クルーがキャリアじゃないという保証もないし、
いったいどういう立場で何を報じたいんだろう。
ほかに扱うことないのかな。 

ちなみに私は4連休でもなんでもなく、今日も明日も普通に出勤でーす。

最後の手段がそれって…

2020-07-22 23:09:50 | 超・いぶたろう日記
理由や環境も色々だし、捉え方や考え方は様々にあってイイと思う。
そんなにやりたければ勝手にやればいい。
けれど、僕個人としては、やはり自殺という手段は基本的にまったく肯定できない。
相当特殊な事情でもない限り、とても卑怯なやり方だと感じる。

父親になってみて実感を伴ってわかったことだが、
赤ん坊はふとしたことが命に関わるので、
もう毎朝毎晩、息をしてるか鼓動はあるか、そんなレベルで気になる。
親はそういう思いで育ててるし、そうしてもらった延長に誰しもいまがある。
たまにおかしな人もいるけれど、親はそういう思いでずっと見ている。

「そうじゃない親もいる」
「私の親は酷かった」
そりゃあそうかもしれないけれど、そういう例外論に付き合ってたら何も言えない。
たとえそうだとしても、社会で誰とも関わらずに生きている人なんているんだろうか。自分ひとりで生きているなんて思い上がりだ。
あなたの命はあなたひとりだけのものではない。

それでもなおも死にたいという人をわざわざ止めに行くほど、
僕はヒマでもお人好しではないから好きにすればいい。
でも僕は絶対にそんな人認めない。
軽蔑するとか同情しないとかそういうことではなく、とにかく一切認めない。
まったく何とも思わない。

僕の友達には何人か、もっともっと生きたかったのに、
事故や病気でどうしようもなく未来を奪われてしまった人がいる。
彼らの無念を思うにつけ、僕は手前勝手な理屈で死ねないと思う。
息子のいるいまや尚更だ。

死ぬのは自由。
どう評価するかも自由。
ただ僕は、自分勝手な最低のやり方だと思う。

病人列車で健康目指す

2020-07-22 12:32:27 | 超・いぶたろう日記
引越して2ヶ月弱。
ずーっとクルマ通勤で家と職場の往復だけだったのが、
保育園の見学に行ったついでに、
初めて地元の駅から電車に乗って通勤してみた。
意外にアクセスがよく、駅前は広々としていて、色々とお店もあり、
ここで食事をとって悠々電車通勤なんてのもイイかもしれない。
僕の通勤時間帯なら満員電車も無縁だ。

駅まで13分、電車で13分、駅から職場まで歩くと22分。ざっと48分。
クルマだとこの半分で楽チンについてしまうから、
ついついそっちに流れてしまうが…。

しかし、ここ最近のギックリ腰やら坐骨神経痛やら、股関節バキバキやら、
強制的に歩く機会を設けた方が良いかも知れぬ。
もはや美醜の問題ではなく健康維持、余命延長、
ひいては息子と少しでも長く一緒にいるためだ(笑)。

実に久しぶりに電車に乗ったが、
京葉線は今年で全線開通30周年らしい。
早いな、もうそんなに経つのか。
中3の頃だったか、開業間近の葛西臨海公園駅まで、
はるばる自転車漕いで見に行ったのを覚えている。
まだ工事区間も残ってて、暗がりが多くて、
そこかしこでカップルたちがあれやこれや…もよーく覚えている。
数年後、僕もその中に仲間入り……しとらんしとらん。
正確には十……あいや、なんでもない。

しかし、最近乗ってなかったから新鮮なんだけど、電車の広告って凄いね。
どれもこれも見渡す限り、痩せろ、息くさいぞ、毛はやせ、毛抜け、転職しろ。
現状に不満抱えた人ばかりが詰め込まれているのだろうか。
そういや暴力ダメ!みたいなのもやたらあるなあ。
あとは変な啓発系?増えたよね。
宗教系、エセ医療系、幸せになるには、健康になるには…本当の幸福とは…。
あとは夢とか愛とかフワッとした安っぽい言葉でまとめられた感動本。

病んどるなー、令和ジャパン。

アホカーコロナ

2020-07-21 10:14:45 | 超・いぶたろう日記
「アフターコロナ」を語りたがる人というのが少なからずいて、
僕はもうかなり辟易している。 
都合よく理屈を積み上げてそれっぽく危機感を煽るか、 
妙に希望的で抽象的なキレイゴト文句を並べるか。 
どちらにしても、言っただけであとあと検証もされないし、 
先を見通してものを言っているかのような自分に酔いたいだけだよね。 
そもそも、こういうことが起こることさえ見通せなかった人たちに、 
未来がそんなに簡単に読めたりするもんか。

特にキライなのは、自分をキラキラさせたい人たちの語る、 
根拠のない「新しい世界」なんていう希望に見せかけた願望。 
酷いのになると、これは「焼き畑」で焼け跡に新たな芽が出てくる…なんてのも。
言ってる本人はキモチイイだろうね。 
でも実際に自分の店を潰した人からしたらどう映るだろね。 
それは自分がたまたま焼けてないから言えるだけで、 
安全なポジションから焼けっぷりを見下ろす、
そんな気分を味わってるだけじゃないのかな。

「アフターコロナを話し合う」なんてのもバカバカしいったらない。 
話し合ってわかるようなことでもないし、どうせ結論も出ない。
 「お互いに理解が深まった」なんてモヤッとした自己満足で終わる。 
こんなもん、なるようにしかならないって。 
その都度、臨機応変に対処していくしかないじゃん。 
頭デッカチから消えていくんだよ。

だいたい世の中そう簡単に思ったようには変わらない。 
ましてや現状維持バイアスの強すぎる日本ではね。 
そりゃスマホは普及したかもしれないけれど、ハンコもFAXもまだ残ってる。 
弥生土器ができたからって、みんな同時に縄文土器を投げ捨てるわけじゃない。 
何かが変わったことにして、都合の悪いものはなかったことにして、 
上っ面の空虚なスローガンが蔓延して、もう解決したことにして、 
その空気に従わないものはみんなで村八分にする。 
つまり「いつもの日本」に戻るだけ。

何ひとつ解決してないのに忘れ去られた原発とか見てりゃ、 
そんなの火を見るより明らかじゃん。 
ウイルスは人が死んだ、それも有名人が死んだからみんな騒いでるだけで。 
倒産相次いで生活に困る人が続出しても、 
俳優の自殺の方がショックですとか言ってるような国で、
一体何が変わるっていうんだ。

キラキラワードと、どっかから切り貼りしてきた知的アクセサリで、 
SNS上の自分を飾り立ててるような奴は、 
みんなただのナルシストか小金目当ての詐欺師だ。 
そのくせイイヒトのフリをしたがるから、僕はその手の人間が大嫌いなの。
世界で何十万人が死んでいる問題を、 ショボいてめえのアクセサリにして、
それで何か商売できるんじゃないかと算盤弾いてる。
呑気な理想論を語れるのは、自分が安全圏にいるからで、
実際、いざ自分がヤバくなったら、
尻に帆掛けて逃げ出すようなヤツばっかだよ。



スーパードラマTVとかにありそう

2020-07-17 10:05:08 | 超・いぶたろう日記
何かもう耳慣れちゃったけど、市が防災無線で

「こちらは…市役所です…ただいま…コロナウイルス注意報が…発令され…社会経済と…感染防止の…両立のため…市民の…皆さんは…新しい…生活様式に…したがって…」

って延々垂れ流されるの、よく聞くと近未来SFみたいな響きあるよね。
フィクションみたいな設定が現実になっちゃったわけだ。

つくづくエライことになっちゃったよなあ。

9ヵ月なんてあっという間よね

2020-07-16 14:07:09 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記

本当に早いもので…おかげさまで無事「4分の3歳」になりました。
相変わらずよく食べ、よく眠り、よく笑う、天使のような子です(笑)。
高速ハイハイで目標物めがけ突進。
つかまり立ちであちこちいじり倒し。
歯も生え始め、かわいらしいったらない。
家に帰るといつもこんな天使が迎えてくれるなんて、夢のような毎日です。

さて7/16といえば、15年前のRebirth退散ライブ。
けっして小さくはない絶望の中、長きに亘ったバンド活動に終止符を打った日。

あれからちょうど15年後、
こんなにハッピーな希望に満ち溢れた投稿をしているとは、なあ。
人生まったくいとあはれなり。

みんな松本人志が面白くないっていうけど

2020-07-13 11:28:37 | 超・いぶたろう日記
たしかに面白かったんだよ、昔は。
それまでにない笑いだったし、笑ったもん。
でもそれからずっと当たり前のことを言ったらダメで、
とにかく不条理なボケを言わなきゃダメで、
しかも絶対に他人と違わなければダメで、
取り巻きに囲まれて弱い者イジりで喰ってきて、
それで五十過ぎてもまだ面白いわけがないんだよね。

ましてや人並みの常識だの教養だのなんて、望むべくもない。
あれをワイドショーのコメンテーターにした方に責任があると思うけどね。

実力で笑わせることも、人々を唸らせることもできないんだから、
もう稼ぐだけ稼いだだろうし、晩節汚さず引退すればいいのにね。
その点、上岡龍太郎はさすがに潔かったな。
島田紳助もきっかけこそアレだけど、大正解よね。

親の一念

2020-07-07 16:48:46 | 特選いぶたろう日記
想像はできても、経験しなければわからないことというのは確かにある。
第三者の立場で理解したつもりでいても、当事者としての実感はさらにその上をいく。

僕には、一つ上の姉がいた。
ただ彼女は先天性の病気があって、かわいそうに2年も生きられなかった。
僕はわずかな時間だけど姉と共に過ごした時間があったはずで、
その記憶はいまや数葉の写真でしか確かめることはできないけれど、
何かにつけて父母が語る姉の思い出は、
子供の頃の僕に「確かにいたはずの人がいない」という不思議な感覚をもたらした。

我が家には物心ついた頃から黒枠の赤ちゃんの写真があって、
仏壇があってお墓参りがあって、
その厳粛さはなんとなく子供ながらに受け止めていたように思う。

情の深い母は今でもよく姉の話をする。
とはいえ、2年にも満たない日々の思い出だ。何度も何度も同じ話を繰り返す。
「またその話か〜」と普段なら母の昔話に茶々を入れる僕も、
姉の話題だけは黙って何度でも耳を傾ける。

父はどうだったろうか。
多忙な売れっ子アナウンサーだったから仕方ない面もあるとはいえ、
僕の記憶にある限りほとんど家庭を顧みず、
しかも途中で家庭を捨ててしまった父親だ。
ここ最近はすっかり関係も修復できているが、
10年前くらいまでは、何せ直接話す機会がないので、
きっと昔のことなどどうでもよくなっているんだろうなあと思っていた。

それが氷解したのは数年前のこと。
親父のマンションを訪ねたとき、僕は和室に招かれて驚いた。
立派な仏壇があり、そこに姉の位牌があった。
親父と生き別れてから30年、その間彼は外国へ移住し、
また帰国し、三度の結婚があり、相当な変転があった。
僕ら家族との連絡はほとんど途絶していた。
それでも親父は姉のことだけは忘れなかった。
何だか胸いっぱいになってしまった。

毎日そうするのだと言って、親父はお線香をあげ、般若心経を唱え出した。
僕にも多少の心得があったので、合わせてお経をあげた。
親父は驚いて、おまえ般若心経ができるのか、と言った。
僕は短く、まあね、と答えた。

その後、30年ぶりに親子でお墓参りに行くこともできた。
お互いに憎まれ口を聞きながら急な坂を登り、
墓前に揃って手を合わせた似た者父子の姿には、
泉下の姉も祖父も目を細めてくれたに違いない。

昨年のこと。
妻の妊娠を報告しに帰阪し、長男の名付けに苦労しているという話題になったとき、
僕は、
「親父がつけてくれた自分の名前を僕はすごく気に入っている。すぐに覚えてもらえるし、忘れられないし、名前ですごく得をしたと思う。息子には同じくらいイイ名前をつけてやりたいが、何せ息吹という名前はハードルが高過ぎる」
と冗談まじりに話した。

親父は一言、「お前の名前はな、親の一念だ」と応じた。
そこから親父は姉の話をポツポツと語り出した。
生まれたその時から命が危うく、奇跡的に生後すぐの危機は免れたものの、
その後も何度も何度も大手術をして小さな命を繋いできたこと。
成功の見込みは薄いと告げられながら、か弱く小さな体にメスが入るその都度、
身を削られるような思いでいたこと。
そんな中、僕が生まれてきたこと。
とにかく生きてくれという一念だったこと。
やがて、姉が力尽きてしまったこと。

息子を授かった今になってやっと、父母の気持ちがわかる。
今までも決してわからないというわけではなかったが、
もし息子が…と考えられるようになって、言葉にならないくらいの痛みがわかる。

親になるということ。
子供が健康に育ってくれるということ。
当たり前のように錯覚してしまうことの中にある深い深い幸せ。

決して比較優劣の話ではないし、
あくまでも僕個人に限っての感想に過ぎないのだが、
不特定多数が閲覧する場でこういう話題を、
文字だけで誤解なく続けるのは非常に難しい。
この辺で止めようと思うが、
とにかく僕は息子のおかげで世界の見え方が大きく変わった。
まったく想像もつかないことだった。
親となってみて初めて身に染みて理解できたこともあるし、
これからも父や母の思いを改めて知ることになるだろう。
人生って深い。深過ぎるぜ。

僕もまた息子に願うのはただひとつ、元気で育って欲しい。
親の一念。

最終回

2020-07-07 09:34:45 | 超・いぶたろう日記
すべてのエンタテイメントは、フィクションに過ぎない。
ドラマも映画も音楽もスポーツも、赤の他人が演じている作品。
タレントでも俳優でもアーティストでもスポーツ選手でも、
僕らが知っている彼らは、アニメのキャラクターのようなもので、
それを演じる彼らが本当はどんな人間なのかなんて、わからない。

「ファン」が愛していた「その人」は、作品の中にだけ存在する。
あくまでもキャラクターだから、創作・演出された人格でしかない。
リアルな「その人」は、私生活を共にしない限り知り得ない赤の他人。
ディズニーの着ぐるみの中身のようなものだわね。

すべてはフィクションなのだから、いつか必ず最終回は来るし、
ある意味、始めからそんな人など居なかった、とさえ言える。
だから、演者のリアルな死とは切り離して考えるべき。
たとえ演じるのに疲れたその人が消えたとしても、
みんなに望まれる姿としての彼のキャラクターは、
作品内においては永遠に生き続けるとも言えるのだから。

まあでも、実際シンドイよな。
別に同情の余地なんてないけど。