いぶろぐの開設から10年たちました。
10年間も公の場でほぼ実名さらして好き放題書いていると、
まあいろいろな事があります。
潰されかけたり、励まされたり、開き直ったり、また潰されかけたり。
だいたいその繰り返しです。
僕はいぶろぐに偽らざる心境をそのままぶつけることが多いです。
その過程で、少なからず、自分の心に潜む闇についても、
さらけ出してきたような所があります。
正直と言えば正直な生き方ですが、
損と言えばこんなに損なやり方もなく、
直接、僕自身の顔も声も知らない人が僕のテキストだけを見てどう思うか、
と考えると背筋の寒いものがあります。
はたまた直接関わり合いのある人もまた、
これがこの人の本心なのか、普段見ている姿は偽りなのか、等々、
複雑な思いにとらわれることでしょう。
ただ、内田樹氏も書いていますが、ブログやネット上のキャラクターが本当の自分、
そこでの記述が本心で、実社会が演じている虚像だなんて、思ってはいません。
どちらも僕なんだと思います。
ただ、人と向き合って話すときにはためらわれるようなきつい物言いを、
パソコンの画面相手ならいくらでも無遠慮にできる、そういうことだと思います。
現在、いぶろぐは一般人のブログとしては小さくはない規模の読者を抱えています。
僕の想定しない読者も多くいることでしょう。
中には、まったく特定の個人を想定していないのに、
その人への中傷だと受け取られることもあります。
誤解されることも多いです。
それでもまあ、良かれ悪しかれ僕らしかろうと10年続けてきました。
久しぶりに僕の記述に出会った旧友のほとんどが、
「相変わらずだね」とコメントしてくれるところを見るとそういうことのようです。
しかし、僕は本当に気分屋で、その時々の気分によって、
これがまあ同じ人格の紡いだ言葉だろうかと疑いたくなるほどに、
感情のブレがそのままテキストに表れてしまいます。
特にどうもストレス耐性が低く、
私怨私憤をまき散らすだけの、最低のテキストを書く時があります。
人前で文章を書く人間としては未熟であることもまた、自覚しています。
個人的な好き嫌い、不平不満、恨み辛み、妬み嫉み、
これは誰にでもある心の闇とも言うべき部分です。
僕はそれを理屈でもって偉そうに語ることが多いですが、
読み手の気分を考えないという点では、なんら価値のないテキストでしょう。
皮肉を言うにしたって、機知に富んだジョークまで昇華しなければ、
わざわざ公然と書き綴る必要はないはずです。
「いぶろぐ」は僕の持っているユーモアや明るさだけでなく、
自分の心のどす黒い部分、
濁り淀んだヘドロのような醜い部分をもさらけ出し、
まさに自分の心の闇と向かい合った場だとも言えるでしょう。
それらは普通に生活している分には表にはあまり出てきませんが、
日常の理不尽に疲れ、悩み、苦しみ、心に迷いが生じているような時は、
周囲のすべてにナーバスになってしまい、
普段であれば笑いに転化できるはずのことまでも、
怒りや憎しみのまま吹き溜まり、ブログに書いてしまう。
ただの八つ当たりです。
陰口をたたいたヤツに言い返したい、
俺がどれだけ苦労しているか、我慢しているかも知らないで、
好き勝手言ってる奴らをぶった切りたい。
そんな誰にでも襲ってくるマイナスの情動が僕を突き動かす。
ここからが勝負なのだと思います。
テキストを書いている間は誰も止めてはくれません。
自分自身で気をつけないと、ただ感情の赴くまま、
極めて攻撃的な、それ故に無防備な、
何の思慮もない言葉が並んでしまう。
そしてそれらは消しゴムが利かない。
こういった心の闇を、自分の理性でコントロールすること。
これができないまま、ネット上で発言し続けるのは自殺行為に等しいでしょう。
「いぶろぐ」をもう一度、整理します。
ともすれば心のバランスを欠きがちで、非常に危うい立場にある自分、
それを自覚するところからやり直したいと思います。
文章を書くことは辞めません。
辞めてしまうのはラクですが、進歩がない。
人は変われる。変われば評価も変わる。何度でも挑戦する。
どうやったらもっと高潔な文章が書けるのか、
一生かけて考え続けるに値するテーマだと思います。
僕の座右の銘、
「人間の最大の理性とは、すべてを冗談に換える力である。」
まさにこの部分が問われるのであろうと思います。
10年間ありがとうございました。
しばしの猶予を頂戴いたします。
10年間も公の場でほぼ実名さらして好き放題書いていると、
まあいろいろな事があります。
潰されかけたり、励まされたり、開き直ったり、また潰されかけたり。
だいたいその繰り返しです。
僕はいぶろぐに偽らざる心境をそのままぶつけることが多いです。
その過程で、少なからず、自分の心に潜む闇についても、
さらけ出してきたような所があります。
正直と言えば正直な生き方ですが、
損と言えばこんなに損なやり方もなく、
直接、僕自身の顔も声も知らない人が僕のテキストだけを見てどう思うか、
と考えると背筋の寒いものがあります。
はたまた直接関わり合いのある人もまた、
これがこの人の本心なのか、普段見ている姿は偽りなのか、等々、
複雑な思いにとらわれることでしょう。
ただ、内田樹氏も書いていますが、ブログやネット上のキャラクターが本当の自分、
そこでの記述が本心で、実社会が演じている虚像だなんて、思ってはいません。
どちらも僕なんだと思います。
ただ、人と向き合って話すときにはためらわれるようなきつい物言いを、
パソコンの画面相手ならいくらでも無遠慮にできる、そういうことだと思います。
現在、いぶろぐは一般人のブログとしては小さくはない規模の読者を抱えています。
僕の想定しない読者も多くいることでしょう。
中には、まったく特定の個人を想定していないのに、
その人への中傷だと受け取られることもあります。
誤解されることも多いです。
それでもまあ、良かれ悪しかれ僕らしかろうと10年続けてきました。
久しぶりに僕の記述に出会った旧友のほとんどが、
「相変わらずだね」とコメントしてくれるところを見るとそういうことのようです。
しかし、僕は本当に気分屋で、その時々の気分によって、
これがまあ同じ人格の紡いだ言葉だろうかと疑いたくなるほどに、
感情のブレがそのままテキストに表れてしまいます。
特にどうもストレス耐性が低く、
私怨私憤をまき散らすだけの、最低のテキストを書く時があります。
人前で文章を書く人間としては未熟であることもまた、自覚しています。
個人的な好き嫌い、不平不満、恨み辛み、妬み嫉み、
これは誰にでもある心の闇とも言うべき部分です。
僕はそれを理屈でもって偉そうに語ることが多いですが、
読み手の気分を考えないという点では、なんら価値のないテキストでしょう。
皮肉を言うにしたって、機知に富んだジョークまで昇華しなければ、
わざわざ公然と書き綴る必要はないはずです。
「いぶろぐ」は僕の持っているユーモアや明るさだけでなく、
自分の心のどす黒い部分、
濁り淀んだヘドロのような醜い部分をもさらけ出し、
まさに自分の心の闇と向かい合った場だとも言えるでしょう。
それらは普通に生活している分には表にはあまり出てきませんが、
日常の理不尽に疲れ、悩み、苦しみ、心に迷いが生じているような時は、
周囲のすべてにナーバスになってしまい、
普段であれば笑いに転化できるはずのことまでも、
怒りや憎しみのまま吹き溜まり、ブログに書いてしまう。
ただの八つ当たりです。
陰口をたたいたヤツに言い返したい、
俺がどれだけ苦労しているか、我慢しているかも知らないで、
好き勝手言ってる奴らをぶった切りたい。
そんな誰にでも襲ってくるマイナスの情動が僕を突き動かす。
ここからが勝負なのだと思います。
テキストを書いている間は誰も止めてはくれません。
自分自身で気をつけないと、ただ感情の赴くまま、
極めて攻撃的な、それ故に無防備な、
何の思慮もない言葉が並んでしまう。
そしてそれらは消しゴムが利かない。
こういった心の闇を、自分の理性でコントロールすること。
これができないまま、ネット上で発言し続けるのは自殺行為に等しいでしょう。
「いぶろぐ」をもう一度、整理します。
ともすれば心のバランスを欠きがちで、非常に危うい立場にある自分、
それを自覚するところからやり直したいと思います。
文章を書くことは辞めません。
辞めてしまうのはラクですが、進歩がない。
人は変われる。変われば評価も変わる。何度でも挑戦する。
どうやったらもっと高潔な文章が書けるのか、
一生かけて考え続けるに値するテーマだと思います。
僕の座右の銘、
「人間の最大の理性とは、すべてを冗談に換える力である。」
まさにこの部分が問われるのであろうと思います。
10年間ありがとうございました。
しばしの猶予を頂戴いたします。